備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

コラム29.上寺山餘慶寺

2008-08-11 21:41:15 | Weblog
上寺山餘慶寺(うえてらさん よけいじ)。天台宗に属し、本尊は千手観世音菩薩。1山1寺6院を数え、境内に「豊原北島神社」があるなど、今も神仏混交の形態を伝える。地元では「餘慶寺」と呼ぶより、「上寺」(うえでら)と呼ぶことが多いという。
報恩大師開基の備前48ヶ寺に数えられ、もとは「日待山日輪寺」と称した。平安時代に円仁(慈覚大師)が再興し「日待山本覚寺」と改めたが、その後、近衛天皇の勅願所となり「上寺山余慶寺」に改めた、という。
吉井川を見下ろす小高い丘の上にあり、西大寺市街地など周囲からも三重塔ほか伽藍が見える。もとの山号寺号にいずれも「日」の字が入っているのも意味ありげだ。

上寺山餘慶寺のHP(音が鳴ります。):http://yokeiji.com/yokeiji-hyoshi.htm
Wikipediaの記事:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A4%98%E6%85%B6%E5%AF%BA
「日本すきま漫遊記」HPから:http://www.sukima.com/14_sanyou01_02/18yokeiji.htm

コラム28.金陵山西大寺

2008-08-09 13:19:11 | Weblog
金陵山西大寺(きんりょうさん さいだいじ)。現在は「観音院」(かんのんいん)のみとなっており、「西大寺」のみで通用する。かつては、「西大寺市」(岡山市に合併)の名の由来にもなった。高野山真言宗別格本山で、本尊は千手観音。
詳細は下記のHPで。
当寺の由来のなかで、もとは「犀戴寺」と称した、というところだが、これは古い確実な資料にはなく、やや疑わしい。犀の角は、「犀の角のようにただ独り歩め」という釈尊の言葉のほかに、漢方でも強力な解毒剤とされて珍重されたこともあるが、日本では馴染みが薄く、やはり奈良西大寺との関係を考えるべきだろう。mr yanagiさんのHPでは、奈良西大寺との関係で、当寺が(焼失後の)備前国分寺の機能を担い、そのため修正会で国内神名帳の読み上げを行うのだろう、というようなことを記されている。

西大寺観音院のHP:http://www.saidaiji.jp/
西園寺仁さんの「ぶらり散策」HPから:http://www5f.biglobe.ne.jp/~kiiso/framepage001_kannonin.html
mr yanagiさんのHPから:http://mryanagi.hp.infoseek.co.jp/new_page_22.htm

写真上:西大寺観音院本堂


写真中:西大寺観音院石門。門の前に石鳥居がある。


写真下:隣の公園にある犀の像。その後ろに見えるのは牛玉所殿。


コラム27.室山満願寺(慈眼院)、馬路山明王寺

2008-08-09 11:41:45 | Weblog
①室山満願寺(むろさん まんがんじ)。少なくとも江戸時代には3坊あったが、現在では「慈眼院」(じがんいん)のみが現存し、単に「慈眼院」のみで通用している。高野山真言宗の寺院で、本尊は十一面観世音菩薩。寺伝によれば鑑真の開創といい、備前48ヶ寺の1つとされているが、室町時代には金陵山西大寺の末寺となっていたらしい。「西大寺会陽」で宝木を授与するようにしたとされる「忠阿上人」の墓という石造五輪塔がある。
②馬路山明王寺(まじさん みょうおうじ)。天台宗の寺院で、本尊は毘沙門天。報恩大師開基の備前48ヶ寺の1つであるが、その後荒廃し、本来の本尊千手観音も失われたが、その後、山中に光明を放つ毘沙門天像(千手観音の化身という。)が現れ、これをもとに鞍馬山の「峰延」という僧が再興したといい、鞍馬山にちなんで山号を馬路山としたという。当時(中世?)は1山17坊を数えたというが、現在は本坊である「現成院」(げんじょういん)しか残っておらず、単に「明王寺」で通用している。
場所:①慈眼院;岡山市東区古都南方1200。②明王寺;岡山市東区竹原185。慈眼院は「雨乞山」(193m)の北東麓の谷、明王寺は「岩倉山」(153m)の北東の向かい側の山にある。どちらも県道83号線(飯井宿線)沿いで、芥子山系の北側になる。この県道は旧長船町南部と東岡山(駅)を結び、国道250号線の抜け道としても便利だが、このあたりには国内神名帳所載の古社はない。
両寺とも、天平年間の開創というのは疑問としても、室町時代くらいの歴史はある。なぜ、このあたりには古社がないのか、疑問に思ったので、あえて書いてみた。


写真上:慈眼院


写真中:明王寺本堂


写真下:明王寺猿塚(痔の神様だそうです。)