備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

コラム177.一宮(その11・備後国・素盞嗚神社)

2009-05-21 21:20:27 | Weblog
素盞嗚神社(すさのおじんじゃ)。
場所:広島県福山市新市町大字戸手1-1。JR福塩線「上戸手」駅の北西、徒歩数分。駐車場あり。
社伝によれば、創建は天武天皇の治世、7世紀頃。「釈日本紀」に引用された「備後国風土記」逸文のいわゆる「蘇民将来」説話にいう「疫隈國社」(えのくまのくにのやしろ)が当社であるとされる。延喜式神名帳に「須佐能袁能神社」(すさのおのじんじゃ)と記された式内社である。論社もあるが、当神社の所在地が「江熊」(えのくま)であり、神仏混淆の中で「祇園社」・「天王社」等とも呼ばれていたこともあって、多分間違いないと思われる。祇園(精舎)、(牛頭)天王、武塔神など、仏教系の言葉が頻出するが、明治の神仏分離で「素盞嗚神社」に戻ったわけだが、「蘇民将来」説話や「茅の輪潜り」などの元祖として、全国の祇園社・牛頭天王社の総本宮を自称している「広峯神社」(兵庫県姫路市)や「八坂神社」(京都市)の元宮であるともいわれる。
それほどの由緒を持つ当神社が備後国一宮を主張されるのも、よくわかる。当神社の「祇園例大祭」は今も熱狂的に行われているようだが、その最後に約2km離れた「備後吉備津宮」から宮司らが当神社を参拝し、祝詞奏上を行う。当神社の宮司らとは言葉を交わさないので「無言の神事」とも言われているが、他の神社の宮司らが祝詞を上げに来ること自体が不思議なことである。これは、被征服側の神(まして荒ぶる神である。)の熱狂を、征服側の神が鎮めに来るのではないか、ともされる。
「一宮」は、こうした政治性を抜きには考えられないところがあって、当神社よりも後に「備後吉備津宮」が創建されたとしても、それでも「備後吉備津宮」が一宮であるということは、十分考えられることである。

ところで、備後国には式内社が17社あるが、名神大(社)は1つもない。一方、隣の安芸国では式内社は3社なのに、すべて名神大(社)である。この差は、どういうことなのだろうか。


素盞嗚神社のHP:http://www.fuchu.or.jp/~eguma/index.htm

「玄松子」さんのHP:http://www.genbu.net/data/bingo/kibitu_title.htm


写真上:「素盞嗚神社」正面


写真中:鳥居前の石碑には「式内社・備後一宮」とある。


写真下:社殿
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
« コラム176.一宮(その1... | トップ | コラム178.備前美作国境... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事

関連するみんなの記事