備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

コラム245.民間信仰の神様(その4・丸山咳神宮)

2010-03-16 22:23:30 | Weblog
丸山咳神宮(まるやませきがみぐう)。
場所:岡山市東区西大寺一宮。県道235号線(橋詰千手線)を、式内社「安仁神社」参道前を通り過ぎると、丁字路になる(写真1)。右(北)へ行くと、「藤井の大岩場」を経て牛窓方面となるが、左(南)に進む。道標のところから約750m。駐車場なし。
創建時期は不明だが、あちこちに道標があり、相当流行った時期があるのだろう。背後(東)の山上にある「瀧神社」の境外末社らしいが、もともと「瀧神社」は「安仁神社」の境外末社だったようで、どちらも「安仁神社」と縁が深いようだ。「咳神宮」のお札は「安仁神社」でいただけるようである。ちなみに、「瀧神社」へは、「咳神宮」から約90m南のところから山道を10分程登る(なお、それとは別に、北側から、かなり狭いが自動車で登れる道もある。)。
さて、創建時期不明と書いたが、ここが何故、咳の神様になったのかも不明。「咳神宮」の前に小川が流れているのだが、そこに橋が架かっており、橋の名は「堰神橋」となっている。どうやら「堰」が「咳」に変わったということらしい。地元のyamaneさん(下記ブログ)は、もとは「船関所」だったのだろうと書かれている。
民俗学一般では、咳神=石神ということが多く、もとは磐座だったり、石塔だったりしたものが、後世に由来も失われるが、信仰だけは残っていた場合、咳神様などとして祀られるケースがあるようだ。それで思いついたのだが、「咳神宮」の背後にも巨岩が露出している。また、「咳神宮」から更に南に進むと「綱掛石神社」がある。ここは明らかに磐座を祀ったもので、今は「不動様」(不動明王)となっている尖った立石、山頂の磐座(ストーンサークル)、その南側にある役行者(神変大菩薩)が彫られた立石(写真4)と、少なくとも3種類の岩がある。中世以降と思われるが、石に彫られた不動明王や役行者には修験者が関与しているはずで、流行神も修験者が絡んでいることが多いので、ひょっとしたら、「咳神宮」は磐座の「石神」に因んだものかもしれない(妄想?)。


yamaneさんのブログ「岡山県邑久郡大宮村大字藤井」から:http://blog.goo.ne.jp/admin.php?fid=editentry&eid=822016131696841d2bb150e38b4856be

岡山県神社庁のHPから(瀧神社):http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=12046


写真1:「せきかみ宮」への道標。同様の道標が他にもある。


写真2:「丸山咳神宮」正面


写真3:「瀧神社」正面。立派な随神門があるが、これは「安仁神社」から譲り受けたものらしい。


写真4:「綱掛石神社」の奥にある立石。役行者の像が彫られている。

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