備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

コラム176.一宮(その10・備後国・吉備津神社)

2009-05-19 23:20:09 | Weblog
吉備津神社(きびつじんじゃ)。
場所:広島県福山市新市町宮内400。JR福塩線「新市」駅から、県道26号線(新市七曲西城線)を約2km北上。厳島神社がある神池を左折(西へ)、門前の狭い道路を通り抜けて、石鳥居を潜ると駐車場がある。
このブログで「一宮」について書いたとき、備後国には触れなかったので、補足。備後国でも、一宮は「吉備津神社」(備前・備中と紛らわしいので「備後吉備津宮」ということにする。)とされ、通称も「一宮(いっきゅう)さん」という。しかし、「備前吉備津宮」と同様、式内社ではない。このことから、境内の案内板でも、創建時期(「備中吉備津宮」からの分祀)が延喜式成立後なのではないか、という説を掲げ、境内を発掘しても12世紀以降のものしか出てこない、などと、随分自信のないことを書いている。
ところで、当神社の境内に式内社「多理比理神社」(写真下)がある。当神社は式内社ではないことにも絡めて、「多理比理神社」=「備後吉備津宮」とする説もある。ただし、「多理比理神社」は、いつの頃からか所在不明(実質的に消滅)になっていたようで、このため祭神も不明。「比理」というのは「比」であるとして、「タリ」と音が似ている部分がある息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)、即ち、神功皇后ではないか、する説が有力。息長帯比売命の弟に、息長日子王という人物がおり、吉備品遅君の祖とされるので、関連は深いようではある。
備後国は、今は広島県の一部になっているので、なんとなく吉備国の感じがしないのだが、たとえ式内社でないとしても、吉備国から分国された以上、共通して一宮は「吉備津神社」なのだろう。
ところで、「備後吉備津宮」の神様は、神無月にも出雲に行かないらしい。出雲の神様が、「備後吉備津宮」の神様が来ないのを怪しみ、偵察のために配下の神を遣わしたところ、「備後吉備津宮」では酒色を与えて籠絡してしまった。こうしたことから、今でも「備後吉備津宮」では出雲に行かないし、随神門も2つある(1つは籠絡された出雲の神)のだ、という。


「玄松子」さんのHPから(吉備津神社):http://www.genbu.net/data/bingo/kibitu_title.htm

「むかし村」さんのHPから(吉備津神社):http://mukashi.jp/mura/40jouhou/04furusato/kibitu/annai/98keidai.html


写真上:備後吉備津宮の鳥居。第一(2つある)随神門の先、向かって左側が駐車場。


写真中:社殿(本殿と拝殿が一体化している。)


写真下:境内に式内社「多理比理神社」がある。

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