備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

コラム156.続・稲都神社(その3・貴船神社)

2009-04-29 17:39:01 | Weblog
「稲都神社」の分社の伝承で不思議に思うのは、①分社の時期と②祭神である。
①伝承では宝亀2年(771年)に分社したというが、いわゆる「宇佐八幡宮神託事件」(道鏡事件)があったのが神護景雲3年(769年)であり、ちょっと早すぎる。一説に、和気清麻呂が「八幡雄島宮」を「宇佐神宮」から勧請したのが、やはり宝亀2年とされて、これが備前国への八幡神勧請の最古か?とも思われる。また、この頃に分社されていたなら、備前国内神名帳(成立は早くても平安時代末期だろう。)に「稲都神社」として載っているはずがない。
②分社は全て八幡宮かと思っていたのだが、貴船神社(瀬戸内市、写真上)もその1つのようだ。そうすると、もとの祭神はどういう神だったのだろうか。考えられるのは、地名にも残っているとおり、元は尾張氏の氏神を祀っていたが、その後衰退し、中世以降隆盛した八幡宮などの箔付けのために名前のみが利用されたということなのではないか。
ところで、「稲都」の読み方は通常「いなづ」としているが、「貴船神社」(瀬戸内市)の社記には「いなと」とルビが振ってある。同じ備前国内神名帳の「都羅比神社」は連島の神と考えられるから、読み方は「つらひめ」だろう。一方、岡山県神社庁HPの「百枝八幡宮」の記事では「稲戸明神」と記されている(これは誤記のようだが。)。もし読み方が「いなと」なら、尾張国の式内社「尾張戸神社」が連想される(ただし、読み方は「おわりべ」だが。)。この連想は妄想に近いが、「稲都神社」はあるいは水田開発の守護神だったのかもしれない。
そうすると、水神として貴船神社(高オカミ神)を勧請する理由もあり、境内末社に「奥神社」(写真下。祭神は倉稲魂尊)があるのも頷ける。倉稲魂尊が稲荷神社でなく、「奥神社」として祀られるのは、ひょっとするとこの「奥神社」こそが元の「稲都神社」かもしれない。
ところで、「稲都神社」の旧社地とされる「旧山手村早稲田休所付近(現在の山手半田の小高い所)」というのは、大垣八幡宮と貴船神社を結ぶ直線の中間あたりの北(大垣八幡宮の北西、貴船神社の北東)にあるようで、「改訂岡山県遺跡地図<第6分冊岡山地区>」(平成15年3月)によれば、「山手休所古墳」があるとし、「円墳。径8.7m、高さ0.8m。墳頂部に楕円形の盗掘坑が残存。」という。
貴船神社(瀬戸内市)については、2008年10月14日記事も参照(「殿上東神社」・「殿上西神社」の論社と磐座について記しています。)。

岡山県神社庁のHP:http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=12017


写真上:貴船神社(瀬戸内市)


写真中:貴船神社の社記


写真下:奥神社。なお、稲荷神社は別にある。

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