備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

コラム82.和気清麻呂の墓

2008-11-13 21:13:31 | Weblog
和気清麻呂は、奈良時代末期から平安時代初期の高級官僚で、備前国藤野郡(現・和気町)出身。宇佐八幡宮神託事件や平安遷都などで有名で、墓所は京都の神護寺境内にある。京都御所蛤御門前に鎮座する旧別格官幣社「護王神社」は、もともと神護寺内にあった和気清麻呂廟を移したものである。
しかし、備前国には、赤磐市(旧熊山町)松木の出身で、そこで没したとの伝承もあるようで、和気清麻呂とその姉広虫(法均尼)の墓所といわれるものがある。
場所:赤磐市役所熊山支所の北西約700m。県道79号線(佐伯長船線)から「赤磐市熊山浄化センター」のところに案内板があり、北東に入る。約200m直進して正面突き当たりにある。駐車場はないため、手前の道路のやや広いところに駐車。
赤磐市松木には赤磐市役所熊山支所(旧熊山町役場)が置かれるなど、今もこの地区の中心地であるが、古代山陽道では「駅家(うまや)」が置かれたところともいわれる。「延喜式」にいう「珂磨」駅がそれにあたる。赤磐市には、松木の西に、今も「可真」という地名が残り、「珂磨」=「可真」とする説も有力だが、「松木」はもともと「馬次(うまつぎ)」がなまったものとされる。この「和気清麻呂の墓」の周辺が、小字「馬次」と呼ばれるところである。また、「松木」の東隣は「円光寺」という地区で、ここに山上伽藍があったといわれている。ただ、駅家の遺構等はまだ発見されていない。
なお、2008年11月8日記事の「日野富子の墓」は、この「和気清麻呂の墓」の西、約1kmのところにある。


写真上:和気清麻呂の墓所。備前焼の像もある。


写真下:向かって左が和気清麻呂の墓、右が広虫の墓

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