備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

コラム248.天野八幡宮

2010-03-25 21:09:24 | Weblog
天野八幡宮(あまのはちまんぐう)。
場所:岡山市北区青江170。岡山赤十字病院のすぐ裏(東側)だが、水路に隔てられており、ぐるりと反対側に回る。周囲は狭い生活道路が入り組んだ住宅地になっている。駐車場なし。
旧・御野郡鎮座の式内社「天神社」には4つの論社がある。
①一般に式内社「天神社」とされる「天神社」(岡山市北区三野本町):2008年6月20日記事。
②「天津神社」、通称「福居天神社」(岡山市北区津島福居):2008年12月16日記事。
③「天神山」にあった「天満天神社」。現在は「岡山神社」(岡山市北区石関町)の境内末社:2009年5月9日記事。
④岡山市北区青江の「天野八幡宮」。
「天野八幡宮」は、元は岡山市三門に鎮座していた「天神社」で、天承元年(1131年)に奥田に遷座、鹿田庄12ヵ村の総鎮守であったが、大正10年(1921年)に現在地に遷座し、八幡宮を合祀して現在の天野八幡宮になったとされる。元の「天神社」が式内社であるとの伝承なのだが、「元は三門にあって、後に奥田に遷座・・・」というのは、「石門別神社」(岡山市北区奥田南町)にも同じ伝承があるらしい。また、そもそも三門にあった「天神社」が式内社であったかどうかも確証はない。とはいえ、①の「天神社」にも式内社であるとの確証がないことは同じである。
「天野八幡宮」について、面白い逸話として有名なのは、南側にある石鳥居(写真下)に彫られた「南無妙法蓮華経」(題目)という文字で、明治維新後の寺社分離により、この題目を削り落とそうとしたところ、途中で石工が腹痛に襲われて中断したままになった、という話である。もともと、当神社のご神体は、大覚大僧正手刻の八幡大菩薩の木像で、青江にあった日蓮宗「妙泉寺」に祀られていたが、同寺が廃寺になった際、当神社に移されたものという。


岡山県神社庁のHP(天野八幡宮):http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=01042

玄松子さんのHP:http://www.genbu.net/data/bizen/amano_title.htm


写真上:「天野八幡宮」正面(東側)


写真下:「天野八幡宮」南側の鳥居。向かって左側の柱に題目が彫られているのがうっすらと見える。右の柱には水川七兵衛が施主となって嘉永2年(1850年)に建てたということが刻されている。

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