備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

コラム139.一宮(その2・安仁神社)

2009-03-22 16:11:07 | Weblog
「安仁神社」は延喜式神名帳にその名がある、いわゆる式内社であるだけでなく、全国に227社しかない「名神大(社)」である。名神大社は美作国では「中山神社」、備中国では「吉備津神社」の各1社で、いずれもその国の「一宮」となっている。したがって、備前国唯一の名神大社である「安仁神社」こそが「一宮」なのだ、という主張がされるのだろう。そして、もともと当神社が「一宮」だったのだが、承平・天慶の乱のとき、当神社は藤原純友側に味方したため、「一宮」の地位を剥奪されたのだ、とされる(Wikipediaの当神社の項などにも記されている。)。しかし、これは、「一宮」という社格が中央政府から公認されるもの、との意識が強すぎるように思われる。また、承平・天慶の乱のときに備中国「吉備津神社」が賊鎮定のための祭祀を行い、その功によって「一品」に進められたということは確かだが、それが備前国「吉備津彦神社」を「一宮」にすることになったとも考えにくい。当神社が古い由緒を有する名社であることは間違いないが、やはり「大吉備津彦命」が吉備国全体の守護神として地元の崇敬が篤く、「吉備津彦神社」が「一宮」と認められていったのだろうと思われる。むしろ、当神社が備前国「二宮」であることは古くから認められていたようである(写真上)。多くの国で「二宮」以下は明確でないなかでは、相当の地位にあるといえよう(ちなみに備前国「三宮」は「神根神社」と目されるが、明確でない。)。それでも「二宮」では大いに不満なのだろう、今では「備前国総鎮守」と称するようになっているようだ(写真下)。
なお、当神社の現在の鎮座地は岡山市東区西大寺一宮であるが、もとの大字は藤井といった(国内神名帳西大寺本に「藤井村」の脚注がある。)。これは、昭和31年(1956年)に西大寺市(当時)に編入される際、既に藤井(旧・古都村藤井)という地名があったため、一宮に改めたもの。したがって、もとから一宮という地名であったわけではない。ただし、改名当時の村名は「大宮村」であり、もちろん、これは当神社に因んだものであろう。

yamaneさんのブログ「岡山県邑久郡大宮村大字藤井」から:地元の方のブログなので、「深い」です。:http://blogs.yahoo.co.jp/fujii_yamane/folder/867666.html


写真上:境内にある「安仁神社郷土自然保護地域」の看板。「備前二の宮ともよばれ」との記載がある。



写真下:参道入口の石柱には「一宮参道」とある。新しい看板では「備前國総鎮守」となっている。

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