備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

コラム227.古代備中国の中心部(その4・古社)

2009-12-11 22:33:29 | Weblog
古郡神社(ふるこおりじんじゃ)。
場所:総社市総社2405。国道180号線「国分寺口」交差点から北に真っ直ぐ進む(約1km)と、岡山自動車道の手前に山の鼻があって、切り通しになっている。その右の小山の上に鎮座している(写真上)。駐車場なし。
写真のように、今は小祠しかないが、これが式内社「古郡神社」であるという。正長元年(1428年)の大風のために社殿が倒壊し、久米村の「御崎神社」(現・総社市久米1213)に奉遷したが、嘉永4年(1851年)に旧社地に奉遷したという。この伝承が正しいとすると、通説の備中国府(金井戸の「御所宮」を東端として方6丁)のほぼ中心線上にある。こうしたことから、「古郡神社」が国府と何らかの関係があったことが窺われる。祭神は吉備武彦命。
さて、その切り通しの道を過ぎると、急に狭くなるが、更に真っ直ぐ進むと「鬼ノ城」の入口にあたる「砂川公園」がある。その東にあるのが、上記の「御崎神社」で、社伝によれば、創建は仁徳天皇の時代で、やはり祭神は吉備武彦命である。この辺りに吉備武彦命の住居跡があった、ともいう。
その手前、県道271号線(総社足守線)を東に進むと、「葦守八幡宮」がある。

葦守八幡宮(はちもりはちまんぐう)。
場所:岡山市北区下足守468。国道429号線沿いにある「岡山市立足守幼稚園」の東側にある。駐車場あり。
ここは、故郷に帰った妃の吉備兄媛(きびのえひめ)を追って応神天皇が行幸し、兄媛とその兄の御友別命に饗応を受けたとされる「葉田葦守宮」(日本書紀)であるという(写真中)。八幡宮だから主祭神は応神天皇だが、吉備臣の祖である御友別命も祀られている。
ところで、正面の石鳥居は、作製年号がわかっている日本最古のもの(康安元年:1361年)であるとされる(写真下)。刻銘によれば、願主は神主「賀陽重人」で、石大工は「沙弥妙阿」となっている。賀陽氏といえば、「吉備津神社」(備中吉備津宮)の社家であり、沙弥妙阿というのは備中国二宮「皷神社」の宝塔の作者でもある。「皷神社」は足守から更に北上したところにあり、祭神は吉備津彦命の妃・高田媛命である(2009年3月28日記事参照)。
こうした備中吉備津宮を中心とした神社のネットワークが、この地域の古代豪族支配を物語っているように思われる。


岡山県神社庁のHP(古郡神社):http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=19053

SPICE OF LIFE(神ナビ)さんのHPから(古郡神社):http://www.spicy.sakura.ne.jp/jinja/furukoori/furukoori.htm

同(葦守八幡宮):http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=19066


写真上:式内社「古郡神社」


写真中:「葦守八幡宮」西側の鳥居。傍らの石柱には「岡山県史蹟 葉田葦守宮址」とある。


写真下:「葦守八幡宮」正面(南側)の鳥居

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