
中央はキャスリーン・バトル。
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カラヤンが、初めてニューイヤーコンサート Neujahrskonzert でウィーン・フィルを指揮したのは晩年の87年でした。 またそこで初めて女性歌手も登場しました。 それが、現地オーストリア Oesterreich の歌手でなく、米黒人歌手のバトル Kathleen Battle だったのも意外でした。 私もこのコンサート中継を見た後、収録 CD をさっそく買い求めました __ 素晴しい!のひとことです、特にバトルの歌う「春の声 Fruehlingsstimmen」など。
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バトルは87年 ニッカウヰスキーのコマーシャルに、「オンブラ・マイ・フ Ombra mai fu」(ヘンデル Haendel) を歌って出演し、話題にもなりました。 力強い声ではないものの、清純可憐な声で レヴァイン James Levine (NY メト歌劇場指揮者) に気に入られ、共演を重ねてきました。 録音も多く、レコードジャケットの写真映りも美しい __ 私も数点持っています。
小澤もマーラー全集進行中に、4番の独唱に起用しようとしましたが、カラヤンが同曲の録音に彼女を起用したがっていたので、果たせませんでした __「ごめんね、セイジ。 カラヤンが録音しようっていってるの ...」(といわれたと どこかの記事で読みました)。 結局 カラヤンの死により、バトルとの録音は実現していません。
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カラヤンとの共演は、業界で「お墨付き / 水戸公方の印籠」の威力を発揮し、それだけでスター扱いされることが多い。 バトルはカラヤンとの共演後、ワガママ歌手になり、メト歌劇場から締め出しを食いました __ 残念なことだが、この業界ではよく聞く話しです。
しかし その "ワガママ度" は往年のソプラノ歌手マリア・カラス Maria Callas に比べたら、うんと小さい。 カラスったら ... いや 止めよう、多くの人が知っていることだし、どんな人でも経歴を剥ぎ出したら、非の打ち所のない人はいないから (カラスは後年、ギリシャの海運王オナシス Onassis との結婚を巡って、ジャクリーン・ケネディ Jacqueline Kennedy に敗れた) ...「驕る平家は久しからず」なんて諺がありましたね~。
今日はここまでです。