上左から 海・ダフニス組曲・牧神 (’64 DG)、海・牧神・ボレロ (’77 EMI)、海・ダフニス組曲・牧神・パヴァーヌ (’85 DG ※)。 全て BPO。 下左から 海・スペイン狂詩曲 (’53 EMI フィルハーモニア管)、海・ダフニス組曲・牧神 (‘85 Sony ※の映像版 BPO)、オマケ画像のカラヤン夫妻。
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マエストロは得意曲を何度も録音しては、楽団員とレコード会社の収入を増やしました。 当然 ドイツ・オーストリア系の曲が多かったのですが、仏・伊・チェコ・ハンガリー・ロシアの有名曲もそのレパートリーにくわわっていました。
その中でフランス系というと ドビュッシー・ラヴェル・ビゼーなどの曲も入っていますが、特に『海』『牧神』『ダフニス第2組曲』がお気に入りだったようです。
なぜなのか よく解りませんでしたが、BPO 支配人だった W. シュトレーゼマンの著書『BPO 栄光の軌跡』を読んでやっと納得しました。 御大の初期の成功体験の曲だったのです。
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1938年 カラヤン (30) は厳粛なフィルハーモニー・ホールの指揮台に上がり、モーツァルト交響曲33番・ラヴェル『ダフニス第2組曲』ブラームス交響曲4番でデビューを飾った。 聴衆にも新聞にも絶大な好評を博した。
1年後 カラヤンは再び BPO の前に立ち、プログラムは対照的な3つの作品 ハイドン交響曲103番『太鼓連打』・ドビュッシー『海』・チャイコ『悲愴』から成るものだった。 またもや新聞は大騒ぎだった。
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BPO での最初の2回の演奏会で好評だった曲の中に、『ダフニス第2組曲』『海』があったのですね。 これは若きマエストロにとって ベルリンで大成功を収めた成功体験だったから、以後の得意曲になったのでしょう。
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でも 80年代だったと記憶しますが、大阪公演で危うく失敗しかけたのも『海』だったのです。
聴衆の前に立った御大は曲目が『ドン・ファン』だったにも関わらず、静かに指揮し始めたのは『海』だったらしく、BPO は冒頭から強奏で3オクターヴも駆け上がるパッセージを演奏し始めてしまい、すぐにコンマスが立ち上がってオケを止めたそうです。
そして「マエストロ、ドン・ファン」と伝えたと想像します。 ややあって 苦笑いしながら (?) 気を取り直した御大は身振り激しく『ドン・ファン』を振ったことでしょう。
という具合に 演奏会での事故は珍しくないようです。 聴衆が気づく場合と気づかない場合があり、殆どは気づかないらしく、暗譜で振る指揮者が記憶が飛んで迷う事もあり、その場合 オケ団員は必死でコンマスを見るそうです。
そのうち 指揮者の記憶が戻って演奏は事なきを得る、というケースは大いに考えられそうですね。
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逆に 失敗体験の曲は避ける傾向があるようです。 御大の場合 ヴェルディ『椿姫』・ブラームス/ピアノ協奏曲第1番です。 ブラームス/大学祝典序曲も全く取り上げませんから、どこかで失敗したのかも …
今日はここまでです。