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シャンテ サラのたわ言・戯れ言・ウンチクつれづれ記

"独断と偏見" で世相・経済からコミックまで 読んで楽しい 面白い内容を目指します。 

脱脂粉乳を飲んだ昭和の風景

2024年10月23日 | アート/書籍/食事
脱脂粉乳とコッペパンで始まった学校給食 (2014年10月 月刊やいま むかし八重山から)。
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21日の日経朝刊をめくっていたら、戦後の脱脂粉乳給食時代のユニセフの写真が載っていました。 それを見て 私も小学校低学年時代 飲んでいたなと思い出しました。

当番制の給食係りが、決められた衛生服に着替え給食室へ行って 沸かした脱脂粉乳を大きな寸胴の鍋で受け取り、付属する大きめのオタマですくって小型のアルミボウルに注いでクラスの人たちに配ったのです。 飲めない子もいて、いやだな~といってる子もいましたね。

小型のボウルと、ランチョンマット代わりのビニールシートは自前で幾らかを払ったのを覚えています。 併せて何十円という時代でした。

アメリカ合衆国の乳業メーカーがバターを作るため 牛乳を絞って、残りを捨てていたのを日本に持ってきて学校給食に使っているんだと当時 聞きました。 うまいか?というと 子供心にも そうは思えず、飲み終わって “ゲフー” とゲップしたりして 後味があまり良くなかったのを記憶しています。
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もう一つ 給食コッペパンも覚えています。 腕の半分ほどもある大きな棒状のパンでしたが、材料の品質が良くないせいか これも美味しくなくて よく残しました。 暖かいうちはまだ何とか食べられますが、内側の柔らかい部分だけ食べて、後で食べようとすると 冷えて固くなって食べられたものじゃありませんでした。

給食で出る “おかず類” ですが、その頃は経費が限られていたためでしょう あまり美味しくないと感じ、盛られた量を食べきれないメニューも多々ありました。 当然 食べ残しは、殆ど捨てていました。 

教師も時々 壇上に設えた椅子に座ってクラスの生徒と一緒に給食を食べていましたが、本人も美味いとは思ってなかったと想像します。 でも 生徒には完食しろとうるさかったですから まずくても残しにくく、そういう時は食べ残しを机の下のコッペパンの中にコッソリ詰め込んで持ち帰り 捨てちゃいました (!?)。
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そういった貧しい時代は小学校低学年時代、1950年代の頃まででした。 当時の (どちらかというと嫌な) 記憶があるせいか、私は今でも脱脂粉乳とコッペパンには拒否反応を示してしまいます。

1960年代、1970年代と日本が発展するにつれ 貧しさとは縁が切れていき、1970年代以降はモノが溢れて日本も豊かになってきたなぁと感じました。

今の小学校の給食は (脱脂粉乳ではない) 牛乳のパックが添えられ、味も段違いに良くなって生徒は美味しく食べているようですね。
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ウィキペディアから __ 脱脂粉乳 (だっしふんにゅう) は粉乳の一種で、牛乳からすべての脂肪分を取り除き、ほぼ全ての水分を除去し粉末状にしたものである。

保存性がよく、蛋白質、カルシウム、乳糖などを多く含んでおり、栄養価が高いことから、戦後しばらく飲用牛乳の代替として学校給食に飲用として供された。 学校給食に用いられたのは主にユニセフからの援助品である。

戦後間もないころの日本の食糧事情を知ったアメリカ合衆国の市民団体が、日本の子供たちのために実行したララ物資だった。 日本は脱脂粉乳の食糧援助を受けた。 ユニセフから日本は、1949年から1964年にかけて、脱脂粉乳などの食糧援助を受けた。
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今日はここまでです。

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