
「神尾 真由子 優勝への軌跡」(TV 東京 2007年) から チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を演奏する場面。
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神尾 真由子がチャイコフスキー・コンクールに優勝した時の特集映像が YouTube にあったのを (今頃ですが) 見つけて、12本並んでいるのを視聴した。 正味1時間半番組だろうか。 一見して まずヒトコト述べると、すさまじい実力の持ち主だということだ。
彼女の弓の毛と棹 (さお) の間隔を見ると、小指1本以上の大きなすき間が空いており、これだと張りのある音が出易いが、隣の弦に接触し易くなるから、テクニックがないと出来ないことが分かる。 更に情熱が溢れ、ステージ度胸もあって、全く戸惑いなど感じられない その演奏態度というか様子は、既に年季の入ったプロを感じさせるものだ。
番組ゲストに招かれていた (1978年同第6回コンクールで5位入賞し 今回は審査員を勤めた) 芸大器楽科教授 清水 高師氏は、「他を圧倒していた」と評している。 同じくゲストのヴァイオリニスト 佐藤 陽子氏 (1966年同第3回コンクールで3位入賞 追加1へ) は、「他人からは教えられない情熱がある」と評していた。
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1次予選 (6月19日) では4曲ある~バッハ「無伴奏ソナタ1番」からアダージョとフーガ、モーツァルト協奏曲3番から第1楽章、パガニーニ奇想曲から17番と24番、チャイコフスキーのワルツ・スケルツォ。 ここでエントリー37人から24人に絞られるという。
2次予選 (6月24日) でも4曲ある~ベートーヴェンのソナタ「クロイツェル第1~第3楽章」、チャイコフスキーの「なつかしい土地の想い出」から瞑想曲、プロロフの「D. オイストラフへの思い出」より (新曲)、ワックスマンのカルメン幻想曲。 1曲目に大曲の「クロイツェル」を弾かなくてはならないのにはびっくり。 プロロフの新曲も難曲に聴こえるが、これをものともせず弾きこなす。 24人から何人になったかは聞き漏らした。 6人か?
3次予選 (本選 6月29日) ではチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲、シベリウスのヴァイオリン協奏曲を演奏、この時の映像が冒頭写真のもの。 最終の本選には6人が残った。
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写真の右後ろのチェリストの “のほほん” という表情に比べて、神尾のそれは段違いの真剣さが感じられる。 もっとも 伴奏オケは何回もこの曲を弾くから マンネリ化してしまうのだろう。 左後ろの女性ヴァイオリニストの神尾を見る表情は “凄いね” とあっけにとられているのかも。
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コンクール優勝後 神尾は、チューリッヒ音楽院でザハール・ブロンに師事し、研鑽を積んだとウィキペディアにある。 このブロン教授は、有名なヴァイオリニストを産み出す教育者として業界で有名だ (門下生には ヴァディム・レーピン、マキシム・ヴェンゲーロフ、樫本 大進、庄司 紗矢香、川久保 賜紀、神尾 真由子、木嶋 真優などがいるとウィキにある)。
大概 大きなコンクール優勝後 若手演奏者は何年かの研鑽を更に積みながら、徐々に大きな演奏会に出演していくというケースが多い。 神尾もこの王道を歩んでいるようだ。 あと 大指揮者から協奏曲共演のお座敷の声が掛かることも重要なことだ。
ムターのように、カラヤンなどの大御所の眼にとまるだろうか? (カラヤン亡き後 四半世紀経つが、現在のヴァイオリン界の女王はこのアンネ・ゾフィー・ムターだろう。 また大物庇護者がいなくなっても、女王の座を維持しているのは、ある意味で凄い)
チャイコフスキー・コン優勝というと、先輩の諏訪内晶子 (1990年第9回) が思い浮かぶが、この番組を視聴した私の印象では、諏訪内はこの神尾が大成したら、ぶっとばされそうな予感がした。 諏訪内にも頑張ってもらいたい。
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神尾の最初の CD “PRIMO” (2008年 RCA 録音の小品集) を聴いてみたが、不思議なことに 印象が薄いというか、あまり面白くなかった。 ワックスマンのカルメン幻想曲、チャイコフスキーの「なつかしい土地の想い出」から瞑想曲など コンクール予選曲などが入っているのだが、個性が弱く 諸先輩がたの列に並ぶ演奏とはならなかったのかも知れない。 今後の研鑽を期待したい。
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ところで 佐藤 陽子は多くのエピソードを持つヴァイオリニストで、パートナーの池田 満寿夫が撮影したヌード写真が一時話題を提供したことがある。 ソプラノ歌手として歌も歌った。 テレビ時代劇でも役者 (『大奥』の “おらん” 役) として出演したこともあるようだ。
だが、肝心のヴァイオリニストとしての活動はどうなのか、よく分からない。 私の独断と偏見では、クラシックの世界では “この道一筋の演奏者” が生き残っているように思える。 多芸なのは悪いことではないが__
以上
※追加1_ 佐藤 陽子 (1949~) は、日本人ヴァイオリニスト・声楽家・エッセイスト。
来歴__3歳よりヴァイオリン教育を始める。 1958年に来日中のレオニード・コーガンに才能を認められ、翌年よりソ連政府の給費留学生としてモスクワ音楽院附属学校に進学、コーガンに師事。 1962年にキリル・コンドラシンの指揮によりモスクワデビューを果たし、66年にはチャイコフスキー国際コンクール第3位を受賞。 同年9月よりモスクワ音楽院に進学。 69年にロン=ティボー国際コンクール第3位。 1971年にモスクワ音楽院を首席で卒業した後、フランスに留学して翌72年よりヨゼフ・シゲティの門を叩く。 声楽をマリア・カラスに師事し、ソプラノ歌手としてジュゼッペ・ディ・ステファーノらと共演。
1976年に帰国し、アーティストとしての演奏活動のかたわら、エッセイの執筆やミュージカル歌手としてタレント活動も続けた。 私生活ではパリで知り合った外務官僚・岡本 行夫と大恋愛の末に24歳で結婚するも、池田 満寿夫とローマで運命的な出会いをし 79年に離婚。 同年池田と共同で個人事務所を設立。
池田の撮影モデルを務めるなどもし、しばしば芸能界でもおしどり夫婦として話題になったが、池田側の事情によって、両者が正式の夫婦になったことは一度もなかった。 池田が死去する前後の一時期は演奏活動が停滞したが、近年では レクチャー・コンサートや慈善演奏会、ワークショップにおける青少年の指導に力を注いでいる。
以上
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神尾 真由子がチャイコフスキー・コンクールに優勝した時の特集映像が YouTube にあったのを (今頃ですが) 見つけて、12本並んでいるのを視聴した。 正味1時間半番組だろうか。 一見して まずヒトコト述べると、すさまじい実力の持ち主だということだ。
彼女の弓の毛と棹 (さお) の間隔を見ると、小指1本以上の大きなすき間が空いており、これだと張りのある音が出易いが、隣の弦に接触し易くなるから、テクニックがないと出来ないことが分かる。 更に情熱が溢れ、ステージ度胸もあって、全く戸惑いなど感じられない その演奏態度というか様子は、既に年季の入ったプロを感じさせるものだ。
番組ゲストに招かれていた (1978年同第6回コンクールで5位入賞し 今回は審査員を勤めた) 芸大器楽科教授 清水 高師氏は、「他を圧倒していた」と評している。 同じくゲストのヴァイオリニスト 佐藤 陽子氏 (1966年同第3回コンクールで3位入賞 追加1へ) は、「他人からは教えられない情熱がある」と評していた。
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1次予選 (6月19日) では4曲ある~バッハ「無伴奏ソナタ1番」からアダージョとフーガ、モーツァルト協奏曲3番から第1楽章、パガニーニ奇想曲から17番と24番、チャイコフスキーのワルツ・スケルツォ。 ここでエントリー37人から24人に絞られるという。
2次予選 (6月24日) でも4曲ある~ベートーヴェンのソナタ「クロイツェル第1~第3楽章」、チャイコフスキーの「なつかしい土地の想い出」から瞑想曲、プロロフの「D. オイストラフへの思い出」より (新曲)、ワックスマンのカルメン幻想曲。 1曲目に大曲の「クロイツェル」を弾かなくてはならないのにはびっくり。 プロロフの新曲も難曲に聴こえるが、これをものともせず弾きこなす。 24人から何人になったかは聞き漏らした。 6人か?
3次予選 (本選 6月29日) ではチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲、シベリウスのヴァイオリン協奏曲を演奏、この時の映像が冒頭写真のもの。 最終の本選には6人が残った。
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写真の右後ろのチェリストの “のほほん” という表情に比べて、神尾のそれは段違いの真剣さが感じられる。 もっとも 伴奏オケは何回もこの曲を弾くから マンネリ化してしまうのだろう。 左後ろの女性ヴァイオリニストの神尾を見る表情は “凄いね” とあっけにとられているのかも。
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コンクール優勝後 神尾は、チューリッヒ音楽院でザハール・ブロンに師事し、研鑽を積んだとウィキペディアにある。 このブロン教授は、有名なヴァイオリニストを産み出す教育者として業界で有名だ (門下生には ヴァディム・レーピン、マキシム・ヴェンゲーロフ、樫本 大進、庄司 紗矢香、川久保 賜紀、神尾 真由子、木嶋 真優などがいるとウィキにある)。
大概 大きなコンクール優勝後 若手演奏者は何年かの研鑽を更に積みながら、徐々に大きな演奏会に出演していくというケースが多い。 神尾もこの王道を歩んでいるようだ。 あと 大指揮者から協奏曲共演のお座敷の声が掛かることも重要なことだ。
ムターのように、カラヤンなどの大御所の眼にとまるだろうか? (カラヤン亡き後 四半世紀経つが、現在のヴァイオリン界の女王はこのアンネ・ゾフィー・ムターだろう。 また大物庇護者がいなくなっても、女王の座を維持しているのは、ある意味で凄い)
チャイコフスキー・コン優勝というと、先輩の諏訪内晶子 (1990年第9回) が思い浮かぶが、この番組を視聴した私の印象では、諏訪内はこの神尾が大成したら、ぶっとばされそうな予感がした。 諏訪内にも頑張ってもらいたい。
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神尾の最初の CD “PRIMO” (2008年 RCA 録音の小品集) を聴いてみたが、不思議なことに 印象が薄いというか、あまり面白くなかった。 ワックスマンのカルメン幻想曲、チャイコフスキーの「なつかしい土地の想い出」から瞑想曲など コンクール予選曲などが入っているのだが、個性が弱く 諸先輩がたの列に並ぶ演奏とはならなかったのかも知れない。 今後の研鑽を期待したい。
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ところで 佐藤 陽子は多くのエピソードを持つヴァイオリニストで、パートナーの池田 満寿夫が撮影したヌード写真が一時話題を提供したことがある。 ソプラノ歌手として歌も歌った。 テレビ時代劇でも役者 (『大奥』の “おらん” 役) として出演したこともあるようだ。
だが、肝心のヴァイオリニストとしての活動はどうなのか、よく分からない。 私の独断と偏見では、クラシックの世界では “この道一筋の演奏者” が生き残っているように思える。 多芸なのは悪いことではないが__
以上
※追加1_ 佐藤 陽子 (1949~) は、日本人ヴァイオリニスト・声楽家・エッセイスト。
来歴__3歳よりヴァイオリン教育を始める。 1958年に来日中のレオニード・コーガンに才能を認められ、翌年よりソ連政府の給費留学生としてモスクワ音楽院附属学校に進学、コーガンに師事。 1962年にキリル・コンドラシンの指揮によりモスクワデビューを果たし、66年にはチャイコフスキー国際コンクール第3位を受賞。 同年9月よりモスクワ音楽院に進学。 69年にロン=ティボー国際コンクール第3位。 1971年にモスクワ音楽院を首席で卒業した後、フランスに留学して翌72年よりヨゼフ・シゲティの門を叩く。 声楽をマリア・カラスに師事し、ソプラノ歌手としてジュゼッペ・ディ・ステファーノらと共演。
1976年に帰国し、アーティストとしての演奏活動のかたわら、エッセイの執筆やミュージカル歌手としてタレント活動も続けた。 私生活ではパリで知り合った外務官僚・岡本 行夫と大恋愛の末に24歳で結婚するも、池田 満寿夫とローマで運命的な出会いをし 79年に離婚。 同年池田と共同で個人事務所を設立。
池田の撮影モデルを務めるなどもし、しばしば芸能界でもおしどり夫婦として話題になったが、池田側の事情によって、両者が正式の夫婦になったことは一度もなかった。 池田が死去する前後の一時期は演奏活動が停滞したが、近年では レクチャー・コンサートや慈善演奏会、ワークショップにおける青少年の指導に力を注いでいる。
以上