シャンテ サラのたわ言・戯れ言・ウンチクつれづれ記

"独断と偏見" で世相・経済からコミックまで 読んで楽しい 面白い内容を目指します。 

体力はもう若者並じゃない

2023年04月12日 | 分からな~い人生
カメラマンがどうやってこの写真を撮ったのか。 撮影直後にびしょ濡れ?
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10日 友人の葬儀に行ってきました。

桐生に住む大学時代のオーディオ・クラブの同輩です。 7日朝 74歳で癌が全身に及んで体力なくなり死亡したという話しでした。 葬儀が10日午後1時という連絡があり、9日には場所・道路の経路・所要時間を調べ、洗車・給油して、10日朝 出発しました。

拙宅から桐生までの所要時間はスマホ内の Map で1時間半、最寄りのインターから1時間以内に到着できるだろうと „タカを括って“ 余裕で出かけたのですが __

最寄りのインター (北関東自動車道・太田藪塚インター) までは予定通りで 11時半頃到着しました。 インターから葬儀場までスマホ・ナビに従って行ったら、同じ葬儀チェーン店の別の斎場に行き着き、そこで地図をもらって本来の斎場に向かいました。

「一本道ですから」との説明を受け その地図通りに走るのですが、昔の農道を舗装した道らしく グニャグニャ道を行き、さっぱり要領が分かりません。 結局30分前の12時半に到着しました。
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そこで 私が述べた思い出話しを綴ります (全部読む必要はなく 名前は仮名です) __
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1) 大学入学・オーディオクラブに入部して、まずびっくりしたのは小川さんが濃いニコチンのピースを毎日吸っていることでした。

2) 同学年でも2歳年上だったので、大概 いつも私は聞き役でした。 ある時 私、中原さんの3人でクラブ室にいた時です。 小川さんがおふざけで エロい漫才の独演会を話し始めました。 中原さんはカッカッカと笑うだけ。 私は目を白黒しているだけです。 完全に私をからかっていると分かりました。

3) たまに私が一丁前の事をしゃべると、小川さんは「鈴木ー、お前なー」と先輩ヅラでたしなめましたね。 でも「小川さんの好きなビートルズの LP ってなぜか録音が良くないよね~」というと、「そうだな」と、コレは本人も納得しているようでした。

4) 親分肌のところもありました。 私が一番感謝してるのは、私が手に負えなかったアンプ作りを代行してもらった事です。 私が作りきれなくて、東芝の 5cm 四方の IC パック・電源・ウッドケース・外観図などを強引に小川さんに押し付けて作ってもらったのです。 いやがりもせず製作してくれました。

5) 小川さんは女性にもモテました。 たまたま日曜日午後 クラブ室にいると、小川さんが若い女性を連れてクラブ室にやってくるのです。 デートの一環で連れてきたようでした。「おー いたのかぁ」といってましたが、私と彼女を紹介しました。 他人の恋路を邪魔してはいけないと思い、私は早々にその場を立ち去りました。

6) 宇都宮市内で宴会の後、クラブの何人かで小川さんの実家に押しかけ、コーヒーをご馳走になった事もありました。 新しいオーディオ装置の導入にも熱心で、私、中原さんと当時発売された4チャンネル LP を聞き込んでいて 小川さんの別宅に長居してしまい、実家で一晩厄介になった事もあります。 その翌朝 朝食を用意してくれた小川さんのお姉さんに「うちは旅館じゃないんだから、布団は自分で片付けてね」といわれ、中原さんは素直に「は~い」と返事してました。

7) 卒業後 小川さんはイタリア・ピサに一時赴任し、大分イタリア事情に詳しくなったようです。 同窓会などでの後 話題にサッカーくじの「トトカルチョ」の話しを私が持ち出したら、「トトカルチョって何だか知ってっか?」と小川さんが訊くので、私が「オールサッカー!」というと「そうだぁ!」と返事してましたっけ。

8) 私が YouTube の山登り映像に、鉄の梯子と鉄のロープを岩肌に取り付けたものが幾つかあり、見出しに「Via Ferrata」が必ず付いているので「フェラータ通り」って この手の山道の定番なんですねと書いたら、それは「鉄具をつけた道」と教えてくれました。

私が掲示板に書いた 美味しそうなフィレンツェのお店の YouTube 映像も詳しく解説してくれました。

9) 十年ほど前 小川さん手持ちの古い LP を再生してデータとして PC に取り込み、CD に焼いて2枚送ってくれました。 BOS ボス・ナンバーが CD にもしっかりと印刷されている 丁寧な作りで小川さんらしい几帳面さが出ていました。  1枚は私が欲しいと思っていた岩城指揮N響の名盤なので、今も私の „お宝“ です。

__ と多くの楽しい思い出を共有させていただき 感謝しています。 小川さん 安らかにお眠り下さい。
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2時半頃 火葬場でお骨にする所までお付き合いしました。 そこで同年の女性で、同じクラブの2歳年上の男性と結婚した谷塚さんが話しかけてきました。 子供を産んでるのにほっそりしているので、「何かスポーツやってるんですか?」と訊くと、「テニスやってます」と。「背が縮んでない? 女性はホルモンの関係で背が縮むけど」「いいえ 昔のままです」「テニスやってるお陰かな」などを話しました。 聞き忘れましたが、5) の女性は谷塚さんの高校時代の同級生だったんじゃないかと推測しています。

最後に小川さんの奥様にご挨拶したら、流石に少しやつれ気味で、背も丸くなっていてつらそうでした。 葬儀の終わりに「小川が生涯の伴侶に私を選んでくれた事には感謝しています」と付け加えていました。 恐らく 私の 5) の話しを聞いて、もしかしたら自分ではなく、その女性と結婚したかも知れないと思ったのでしょう。

火葬場の駐車場で谷塚さんが乗り込んだのは BMW の大型車でした。 もう1台の BMW でも駆けつけた人がいました。 私の住む住宅街でもベンツや BMW が増えてきています。 歳からして もう買い換えるのは最後だろうと高級車を選ぶのでしょう。

火葬場まで同学年の友人が乗せてくれましたが、三菱の最新 SUV で目的地の番地を入力しないとナビが立ち上がらず、他 運転前の操作も手順を間違えるとうまく起動せずと何やら使いにくそうで、「ボケる前に覚えないと、ボケてからじゃ覚えられないよ」と友人にいってしまいました。
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夕方4時頃 最寄りの太田藪塚インター目指して、ナビにインター名を入力し、帰路についたのですが、道路の上にあるインター名が書かれた看板を読みながら走ると、ちょうど西側にあたり、夕日が眩しくて標識がよく読めません。

ナビの案内も併用して初めての土地を走るので、しかも昔の農道を舗装したグニャグニャ道もありますから、何度も迷ってしまいました。 5時頃にやっとインターに辿り着き、インターから入って2方向に分かれる分岐で方向を示す看板がまたも „西側“ で、夕日が眩しくて読めず 一瞬止まって方向を確かめたら、後続車に „ブ ー“ とクラクションを鳴らされました。

ルートが分かってるドライバーはいいとしても、初めて通るドライバーには瞬時には分かりません。 ようやっと帰宅したのは暗くなった7時でした。 往復約6時間あまりでしたが、初めての道で元農道のグニャグニャ道が多い桐生市内は疲れましたね。 体力の衰えを感じて早く寝入ってしまいました。

今日はここまでです。

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