シャンテ サラのたわ言・戯れ言・ウンチクつれづれ記

"独断と偏見" で世相・経済からコミックまで 読んで楽しい 面白い内容を目指します。 

人生の終末を迎える父1

2009年01月09日 | 分からな~い人生
病院で寝て鼻に蒸気を掛けている父。
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88歳の父が肺炎で救急車に乗せられて入院したのは12月下旬。 肺炎の高齢者が入院_こう聞いただけで、とうとう最後かと思うのは私だけではないでしょう。 事実、実家の前にご近所の知り合いがやってきて、「肺炎で入院」といった途端、「えっ それでは …」といったきり、「どうぞ御大事に …」としかいいませんでした。
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入院先の担当医師から予後3~4週間と聞かされ、絶飲食かつ点滴のみで命を繋いでいる父の顔が白んでいるのを見ると、1月中にお寺さんの手配が必要かと思ったものです (予後とは病気・手術などの経過または終末について、医学的に予測すること)。

更に 造血機能が低下、特にヘモグロビンの数値が下がり、今後の治療としては輸血があるが それでも予後3~4週間を4~5週間にすることしか期待できないのですがと聞かされ、してやることはそれしかないと判断、輸血を依頼しました。

担当医師の話しからは、「やっても焼け石にナントカ」か「ただの延命措置にしかならない」との言外の含みが感じられました。 早くいうと、白血病 (血液のガン) の末期ガン状態ですよということです。

直ちに ももの付け根の血管を開いてカテーテルを入れ、2~3日に分けて輸血したところ、血液検査で数値が向上、レントゲン撮影でも肺炎が好転した写真が撮れ、このまま好転すると口から食事もできそうだともいわれ、意外な回復ぶりです。

実家は朝が4度台、日中でも10度以下の寒い環境ですが、病院内は26度を保って 患者はゆかた一枚に毛布一枚か更に軽いフトン一枚で横になっており、ある意味 快適な環境です。
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毎日2時間ほど見まいに通っていますが、殆ど寝ていることが多く、会話も出来ません。 ただ、調子のいい日は少し話します。

入院して3日目頃は、我々の顔を見ると、「こんな所に縛り付けられていられない」「とにかく一度外に出て食事しようじゃないか」などといっていたり、輸血後には「こんな所はもういやになっちゃったよ」「家が近いんだからタクシーで帰る」などと手を動かしていました。
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しかし 父の手足は細り、起き上がることも歩くこともできません。 入院前は時速 50m だったのです_それも手すりを伝って。 早くいうと、朝起きてきてキッチンの椅子に腰掛けると一日中 新聞を読むかウツラウツラして過ごすことしか出来なかったのです。

茶碗と箸は自分で持って食べられますが、排泄はオムツを付けていても、時々トイレに間に合わず、母が浴室に連れていってシャワーを使って洗い流し、またオムツを付けてズボンをはかせるという毎日でした。 当然 自力では入浴できず、週2回のデイサービスで入浴の世話をしてもらっていました。

一度畳の上に坐るか転ぶと 自力では起き上がれず、母一人では起こすこともままならず 隣家の若い人を呼んで、なんとかベッドまで運んでいました。

夜は夜で眠れないと訴えると睡眠薬を飲ませたり、トイレに行くのを手伝ったりするのは隣室の母で、その都度 起きてきては介護していたのです。 いわば「ロウロウ介護」状態で、母も限界だったのです。
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今週は安定してきたので、私は昨日 実家から一時的に戻ってきました。 但し、トシがトシだけに容態急変の可能性が十分にあり、86歳の母に全てオンブにダッコはとても出来ず、実家に行ったり来たりが続きそうです。

今日はここまでです。

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