シャンテ サラのたわ言・戯れ言・ウンチクつれづれ記

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半導体の顔は?

2024年02月29日 | 分からな~い人生

左はエルピーダメモリ社長時代の坂本幸雄さん (※1から)。 中央はネット記事 (2009年 朝日新聞) から。 右はネット記事 (2023年 ブルームバーグ『マイクロン広島工場に 2000億円政府支援』) から。 マイクロン広島は元エルピーダの工場です。

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どんな産業でも代表的な会社のトップはよく知られているものです。

 

メーカーなら 例えば トヨタ自動車やソニー、携帯電話ならソフトバンク … など。 半導体メーカーでは TSMC、インテル、サムスン電子、半導体製造装置では ASML … などがあります。

 

日本の半導体メーカーというと、ルネサス キオクシア ソニーに加え、まだ生産していないラピダスも並ぶ中で、ルネサスとラピダスの社長はマスコミによく登場します。 さらに かつて DRAM 専業メーカーとして存在していたエルピーダの最後の社長を務めた坂本氏も記憶している人が多いのではないでしょうか?

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「エルピーダを再興させた坂本幸雄氏、ご逝去ニュースの謎」(2月27日 Yahoo! Japan ニュース ※1) __ 14日ご逝去のニュースを、台湾メディアは一斉に報じていたのにもかかわらず、26日まで日本のメディアはどこもこのニュースを扱わなかった。

 

「坂本幸雄氏が死去 エルピーダメモリ元社長、76歳」(2月27日 日本経済新聞 ※2)

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エルピーダは、日本の代表的な DRAM メーカーの NEC・日立・三菱の DRAM 部門を統合した会社です。 日本の DRAM 産業が強かった時代ではなく、弱体化した時代に統合したメーカーです。

 

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日本の DRAM 産業がなぜ弱くなったのかについては、様々な理由が挙げられています __ 1) 市場の大半が大型電子計算機からパソコンに移ったのに、高信頼・高コストの DRAM を作り続け、他のメーカーは高信頼・高コストではない DRAM を作って市場に供給していった 2) DRAM 不況になると設備投資を止めたのに対し、海外メーカーは設備投資を続け次世代の低コスト DRAM を製造できた …

 

他にも多くの理由がある中で、3) 日本の DRAM 製造は大手電機メーカーの “一つの部門” であり、その会社トップが DRAM 産業の特殊な構造をよく理解しているとは思えず、不況時こその設備投資を継続できなかったのが最大原因でしょう。

 

次の好況時に次世代 DRAM を出せるのは、直前の不況時に設備投資していたメーカーだけなのです。 旧世代 DRAM しか出せなくては、買い叩かれるのは当然で、それは収入減に繋がり財務状況が悪化します。

 

そんな中で統合したエルピーダ社長を引き継いだ坂本氏はよくやっていたと評価する報道が多かったと記憶しています。 ただ 従業員の雇用を確保するために 会社を外資系の米国マイクロンに売却してしまったのは、評価されてなかったように思います。

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エルピーダ社長を辞任して以降の坂本氏は、中国と一緒に DRAM メーカーを立ち上げようと何社かとの話しに登場していましたが、成果は上がっていなかったと認識しています。

 

今 日本のメモリーメーカーというと キオクシアが残るのみですが、トップの顔が見えているとは思えません。 見えるようなトップが出て来た時、日本の半導体メーカーが再興しているのかも知れません。

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私が現役時代 元大手電機メーカーの方 (A氏) と仕事で、ある会社に同行した時の話しです。 その会社で腰掛けて訪問先の人を待っていると、A氏はたまたま通りかかった別の人に機嫌よく挨拶した後、私が訊いてもいないのに いうのです __「彼は大手電機メーカー時代の同僚だ。 今エルピーダにいるが、社長の坂本さんというのはメチャクチャらしい」

 

いきなり こういわれても、何とも応えようがなく「はぁ そうなんですか?」としか返事しませんでした。 大手電機メーカーから子会社エルピーダへの対応の一部が見えた気がしました。

 

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2022年 日経クロステックから __ 03年に 坂本幸雄氏はエルピーダメモリ社長・最高経営責任者 (CEO) に就任した。

 

就任前年まで3年連続 200億円以上の赤字が続いていた状況を改善。 わずか1年で年間 150億円の利益が出るまでに立て直すなどの経営改革に成功し、その後も順調に業績を伸ばしたが、リーマン・ショック後に収益性が悪化。

 

12年に会社更生法を申請、13年の米マイクロンテクノロジーへの売却完了に伴い、社長・CEO を退任した。

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人間の表情には、その時々の “境遇” が現れます。 エルピーダメモリ社長時代とは、全く異なる表情が上の写真で、二年前の日経クロステック記事に添付されていたものです。 冒頭写真とは違って晴れやかとは見えず、もしかすると 失意の日々だったのではないかと想像される表情にも見えます (私の偏見かも知れませんが)。

 

今日はここまでです。


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