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チェルノブイリ原発周辺住民の急性放射線障害に関する失われた医療記録

2012-12-15 22:14:12 | 未分類


チェルノブイリ原発周辺住民の急性放射線障害に関する失われた医療記録

チェルノブイリ事故により、大量被爆をした人たちの医療記録は、
病院から盗まれるなどしたためか、なかなか目にすることができない。
しかし、ここに紹介するのは、驚くほど詳細な医療記録である。

チェルノブイリ原発周辺住民の
急性放射線障害に関する失われた医療記録
http://miandsirochiyan.heteml.jp/12_2.html より

チェルノブイリ原発周辺住民の
            急性放射線障害に関する失われた医療記録


                                 ウラジーミル・ルパンディン
参考資料 隠れた犠牲者たち.pdf              ロシア科学アカデミー・社会学研究所(ロシア)

 単位のレントゲン、レム、キューリー、ラドは現在使われている単位に変換し記載しました。

1R(レントゲン) の放射線の吸収線量はおよそ 2.58×10?4×34 Gy = 8.77 mGy≒8.77mSv/h
100rem (レム)=1Sv
1Ci(キューリー)=370GBq
1 rad = 0.01hグレイ (Gy)=0.01Sv/h
 -----------------------------------------------------------------------------------
1992年の3月と6月にわれわれは,1986年4月26日に事故を起こしたチェルノブイリ原発にほど近いベラルーシ共和国ゴメリ州ホイニキ地区の地区中央病院において,事故当時に作成された医療記録の調査を行なった.その結果,事故から数週間の間に記録された82件の放射線被曝例を発見したことは以前に報告した1.そのうち8件は急性放射線症と認められるものであった。
我々の報告は,ベラルーシ,米国,日本において関心を惹き起こした。
しかしながら,それら1986年5月から6月にかけての医療記録を詳しく分析することは,事故直後のホイニキ地区における放射線状況や被曝量に関する情報がなかったり(また歪曲されたり)していたため困難であった.事故の規模を検討する上で最も基本的な情報である,事故直後の放射線状況に関するすべてのデータは,当時の慣例に従って,ソ連水理気象委員会によって秘密にされていた.ホイニキ地区のデータは(すべてのデータはミンスクの共和国記録局へ送られていた)ベラルーシの水理気象委員会によって秘密にされた。
1996年にわれわれは,ホイニキ地区の事故直後の放射線状況に関して信頼できる情報を得ることができた、ホイニキ地区の民間防衛隊の班長が個人的なメモとして保管していたデータである.その民間防衛隊のデータを,ホイニキ地区の衛生管理センターに別途保管されていたデータと照らし合わせてみると,よく一致することが判明した。
個人や地方レベルで得られたデータを否定するため,それらの測定は,よく訓練されていない人が信頼性の不確かな測定器を用いたものである,という指摘がしばしば行なわれる、しかし,今回われわれが得たデータにこのことは当てはまらない。

ホイニキ地区民間防衛隊の班長であるアレクサンドル・カユーダは,1983年まで原子力潜水艦に技師として勤務していた.彼の任務は,原子炉の保守に加えて,原子炉区画の放射線を測ることであった。
1983年から彼は,ホイニキ地区民間防衛隊の班長をつとめていた。
チェルノブイリ事故以前にも彼は,原発から10~20㎞地域の放射線量の測定をDP-5(訳注・ガイガーカウンター式放射線測定器)で行なっていた。
1985年6月には,ラージン村の近くで240~250マイクロレントゲン/時
(2.1048~2.1925μSv/h)という値を測定している(同じ測定器による潜水艦の原子炉区画の測定は40マイクロレントゲン/時(0.3508μSv/h)程度であった。
ラージン村の放射線量上昇の原因は,チェルノブイリ原発からの放射能洩れ以外に考えられない。
1 R(レントゲン) の放射線の吸収線量はおよそ 2.58×10?4×34 Gy = 8.77 mGy≒8.77mSv/h

民間防衛隊のデータに基づくと,1986年4月26日と27日の段階ではホイニキ地区において,組織的な放射線測定は,軍隊も含め行なわれていない.民間防衛隊本部による最初の放射線測定が行なわれたのは4月28日午前8時であった.そのときの各居住区の放射線量は以下のようであった。
ホイニキ市:8ミリレントゲン/時
(70.16μSv/h)
ストレリチェボ村:14ミリレントゲン/時
(122.78μSv/h)
ドゥロニキ村:30ミリレントゲン/時
(263.1μSv/h)
オレビチ村:89ミリレントゲン/時
(780.53μSv/h)
ボルシチェフカ村:120ミリレントゲン/時
(1052.4μSv/h)
ラージン村:160ミリレントゲン/時
(1403.2μSv/h)
ウラーシ村:300ミリレントゲン/時
(2631μSv/h)
チェムコフ村:330ミリレントゲン/時
(2894.1μSv/h)
マサニ村:500ミリレントゲン/時
(4385μSvh)

4月28日夕方に開かれた地区の評議会で地区民間防衛隊は,住民の多くが数100レム
(1Sv)にも及ぶ全身被曝をうける恐れがあるので,当時の住民に対する放射線防護の指針に照らして,地区住民の大部分を速やかに避難させるべきである,と報告した。
ゴメリ州民間防衛隊本部長のジューコフスキー(エネルギー工学の技師)と,オブニンスク原発から駆けつけてきていた核物理学者たちが,地区民間防衛隊の意見を支持した。
しかし,地区の行政責任者は,地区や州の民間防衛隊の要請を却下したのであった。
 1Sv=100rem (レム)

5月1日になって,周辺30㎞圏内の子供と妊婦の避難が開始され,5月5日には残りの住民の避難が始まった.結局,地区では5200人の住民が避難した。
すべての避難住民は,地区中央病院で検査をうけたが,病院は5月5日から野戦病院として軍組織に組み込まれた.つまり,その日から地区中央病院では,セベロモルスク,セベロドゥビンスク,極東などからやってきた軍医や専門家たちが活動をはじめた。

野戦病院に入院させる基準は以下のとおりであった。
甲状腺からのガンマ線量が1000マイクロレントゲン/時
(8.77μSv/h) 以上,
上着,靴,皮膚および下着の汚染が100マイクロレントゲン/時
(0.877μSv/h)以上
ガンマ線に基づく体内の汚染(甲状腺,肝臓,腎臓,生殖器)が800~1000mCi
(296~370GBq )
これらの基準に従い,約1万2000人のホイニキ地区住民が野戦病院で入院検査をうけた(事故当時の地区の人口は3万2000人)。
※ 1Ci(キューリー)=370GBq

ホイニキ地区中央病院の記録保管室から(約1万2000件の)入院カルテが盗まれたのは,1990年の11月のことであった.盗難の後,記録保管室の整理はされず,われわれの調査によって,残されていたカルテが隣接建屋の屋根裏から見つかった.すでに述べたように,それらの中から,1986年5月1日から6月中旬にかけて放射能汚染地域から地区中央病院にやってきた,82件の放射線被曝例が見つかった
この82件という数字は,正体不明の犯人によるカルテ盗難の後に残されていた数であり,全体のごく一部分にすぎないであろう。

そのうち22例は,隣のブラーギン地区住民であり,ここでの検討からは除外する。

軍野戦病院
病院から見つかった60例のカルテを検討する。
カルテの記述はすべて,きわめて簡単である。
このことは,当時の仕事量の膨大さと検閲への配慮をうかがわせる。
とりわけ検閲が厳しかったことをうかがわせるのは,退院時に記入されている診断名である。
放射線障害に関連する診断をわれわれは1件も見つけることができなかった。
しかしながら,放射能汚染地域から病院へやってきた理由を記した入院指令票の記述は検閲をうかがわせず,われわれの興味を惹くのは,カルテの中に残っていたその指令票の内容である。
入院指令票に記されていた入院理由は,たとえばつぎの通りである。

第2度急性放射線障害
甲状腺からの放射線レベル10~16ミリレントゲン/時
(87.7~140.32μSv/h)
全身の衰弱,頭痛,腹痛,吐き気,おう吐,下肢のむくみ

汚染地域の幼児
放射線量上昇地域の滞在と血液検査値の変化(白血球数2500)のための検査入院
吐き気,おう吐,唾液分泌の増大,甲状腺からのガンマ線3000マイクロレントゲン/時以上
(26.31μSv/h)
放射能汚染,甲状腺3000マイクロレントゲン/時以上
(26.31μSv/h)
白血球減少:白血球数2300,頭痛
放射能汚染との結論で救護所から転送.甲状腺3ミリレントゲン/時以上,白血球数2900
事故時にチェルノブイリ原発から300mの地点に滞在,白血球数2900
放射能汚染,肝臓5~10ミリレントゲン/時
(43.85~87.7μSv/h)
甲状腺1.5ミリレントゲン/時
(13.155μSv/h)
顔,手首の放射線火傷

放射線障害,鼻血
野戦病院へ送られてきた理由の記述とともに,患者の自覚症状についての記述も注目される。
頭痛,急な衰弱,吐き気をともなう複合症状がもっとも多く,全体の患者の30%以上に達している。
これは,自律神経失調症と呼ばれる症状である。
つぎに多い複合症状は,おう吐,腹痛,めまい,食欲不振,心臓部の痛み,口内の乾きや苦みといった症状で,10%程度である。
さらに,神経・循環系失調(自律神経失調+心臓部の痛み)といった症状が認められる(13%)。

カルテに記されている患者の訴えを一覧にまとめると
頭痛(30例),急な衰弱(29),おう吐(20),めまい(10),心臓部の痛み(8),吐き気(7),食欲不振(7),口の渇き・苦み(7),唾液分泌増加(3),関節痛(3),喉のがらがら(3),眠気(2),下痢(2),睡眠障害(2),右の肋骨下部(肝臓)の痛み(2).1例ずつ記録されているのはつぎの症状:高熱,便秘と排尿困難,行動の遅鈍,鼻血,出血,耳鳴,皮膚痒症,発汗,から咳。

患者たちが送られてきた居住区は以下の通りである
ホイニキ市,プリピャチ市,ボルシチェフカ村,オレビチ村,ウラーシ村・ポゴンノエ村,モロチキ村,カジュシキ村,ドゥロニキ村,フボシチェフカ村,チェムコフ村,ベリーキーボル村,ビソーカヤ村,ブドーブニク村,ノボセルキ村,ロマチ村,マレシェフ村,ノボパクロフカ村,クリビ村,アメリコフシチナ村,エラポフ村,プダコフ村,トゥリゴボチ村,ベレチン村,チェヒ村,ドゥボリシチェ村,ルドノエ村。

カルテの分析の結果,60例をつぎの3グループに分類した。
 1.急性放射線症:8例
 2.放射線被曝症状:20例
 3.明瞭な臨床症状のない甲状腺からの高ガンマ線量例:32例
 以下,急性放射線症と放射線被曝症状の個々の症例について紹介する。

急性放射線症
1。
クリチェンコ,ニコライ・アレクセイビッチ(仮名)20歳男性,ボルシチェフカ村より。
病院へ入院時期:5月1日午前2時.入院のときの訴え:何度も繰り返される嘔吐,全身衰弱,胃痛(上腹部,左側),頭痛,口渇。
経過:日光浴と魚釣りをするためボルシチェフカ村の親類宅にやってきた。
4月26日27日の両日をプリピャチ河畔で過ごした。
4月28日に嘔吐が生じ(1昼夜に6度),吐き気,胃痛,高熱(39度)。
便秘が認められた。
4月30日医師の指示で解毒剤を服用。

医師の診察結果:
無気力.舌の白濁.3日間便秘.体温:36.6度.ガンマ線の測定結果:衣服がひどく汚染。
肝臓からのガンマ線量5~10ミリレントゲン/時
(43.85~87.7μSv/h)
甲状腺からのガンマ線量1.5ミリレントゲン/時
(13.155mSv/h)
5月1日午前5時30分の診察結果:全身衰弱,吐き気,嘔吐(病院へ入院時から1度),尿閉と便秘.5月1日日中の患者の容体:会話困難.頭痛,めまい,何度も繰り返される嘔吐に対する訴え。
血液検査結果:
白血球数3600,血小板数26万.尿検査結果:蛋白量4.56g/㍑.5月3日,ゴメリ州立病院に転院。

患者に関する追加情報:
4月29日,民間防衛隊医療班長のV・I・コビルコが患者を村で診察。
会話困難,頭痛,衰弱,何度も繰り返される嘔吐に対する訴え。
村にきて,4月26日と27日プリピャチ河畔で魚釣りをしたと述べる。
5月1日,地区中央病院で再びコビルコの診察をうける。
重症の状態が続き,会話困難。
診断:第2度または第3度急性放射線症。
患者がやってきたボルシチェフカ村は,チェルノブイリ原発の北方17.5㎞,プリピャチ川右河畔にある。
1986年1月1日の住民数は311人。

ボルシチェフカ村の放射線量の測定:ホイニキ地区民間防衛隊のデータによると,4月28日のボルシチェフカ村の放射線レベルは120ミリレントゲン/時
(10524μSv/h)であった。
5月20日,ボルシチェフカ村高度300mの大気中の測定は28ミリレントゲン/時
(245.56μSv/h)
地上では50ミリレントゲン/時
(0.4385mSv/h)
ホイニキ地区衛生管理センターのデータによると,4月29日のボルシチェフカ村のガンマ線量率は60~100ミリレントゲン/時
(0.5262~0.877mSv/h),ストロンチウム90の汚染密度は13.4Ci/km2(495.8万Bq/m2)
※ (13.4Ci/km2=370X13.4=4958GB/Km2=4958000MBq/Km2=4958000000KBq/Km2=4958000000Bq/Km2 =4958000Bq/m2=495.8万Bq/m2)。

見解:
患者の臨床経過は,第3度急性放射線症に相当している。
彼の被曝量はおそらく300レム
(3Sv)を越えているだろう。
患者が被曝したのは,主に4月26日と27日の2日間であるから,このことは,この2日間,ボルシチェフカ村周辺の放射線レベルが非常に高かったことをもの語っている。
4月28日の放射線レベルが120ミリレントゲン/時
(10524μSv/h)であったことを考えると,非常に高いレベルの放射線をもたらしたのは,かなり短い半減期の放射能であったと結論できる。
重篤な被曝症状に至ったのは,放射線レベルが高かったことのみならず,患者が日光浴をしたこととも関連している(暑い天気が続いた)。
1986年4月26月と27日の両日,プリピャチ川の河畔で休暇を過ごしていたのが患者一人だけでなかったことは容易に想定できる。
この両日,野外で上着を脱いで過ごし大きな被曝をうけた人々が,ホイニキ地区から遠く離れた地域に至るまで大勢いたことであろう。

2.カルテ№2505/467.(氏名略)ボルシチェフカ村住民,男性47歳,コルホーズ「5月1日」の搾乳係。5月2日2時45分,地区中央病院入院.ポゴンノエ村診療所長からの転送。
入院理由:第2度急性放射線症.入院時に,吐き気,嘔吐,脱力感,胃痛に対する訴え。
5月1日,上腹部の痛み,吐き気と嘔吐が生じて発病と述べる。
5月2日16時30分の診察:嘔吐は繰り返されず,容体好転.胃の痛み.血液検査:白血球4700.
5月4日,患者は無断で退院。

3.カルテ№7539/464.(氏名略)男性82歳,ボルシチェフカ村住民。
5月3日,地区中央病院入院.全身衰弱,頭痛,胃の痛み,嘔吐に対する訴え.夜までに,下肢のむくみが現れた。
5月4日,病院から退去.

4.カルテ№2520/476.(氏名略)女性48歳.5月3日,モロチキ村から入院。
4月28日,発病の徴候。
吐き気,嘔吐,激しい全身衰弱,1日4回の水っぽい便。
4月30日,医師に相談。
5月3日の診察:患者は,上腹部の痛み,吐き気,嘔吐,流涎を訴える。
甲状腺からの放射線3000マイクロレントゲン/時
(26. 1μSv/h)(5月7日)。
白血球,3500(5月9日).5月13日退院.

見解:
第1度から第2度の急性放射線症を,臨床経過,放射能汚染地域への滞在,甲状腺からの放射線量ならびに白血球減少症が示している。
患者の容体中,腸の障害が注目される。
4月28日に急性放射線症の最初の徴候が現れたことは,彼女が4月26日と27日にかけて100レム
(1Sv)以上の被曝をうけたことをもの語っている。
患者はチェルノブイリ原発から20㎞,住民数124人のモロチキ村に住んでいた。
民間防衛隊のデータによれば,4月28日のモロチキ村の放射線量は280ミリレントゲン/時
(2455.6μSv/h)(ボルシチェフカ村の2倍).衛生管理センターのデータでは,4月29日に130~190ミリレントゲン/時(1140.1~1666.3μSv/h),4月30日は60~70ミリレントゲン/時(526.2~613.9μSv/h)でストロンチウムの汚染は25Ci/km2(925万Bq/m2)

5.(氏名略)男性35歳,
ドゥロニキ村住民,ソフホーズ「オレビッチィ」で働く。
5月3日,地区中央病院入院。
訴え:脱力感,めまい,吐き気,嘔吐。
4月28日発病。
脱力感,吐き気,嘔吐が生じた。
これらの症状が1週間(4月28日から5月2日まで)消えなかった。
5月3日容体が悪化した。
5月3日の診察:患者は行動が若干鈍化,60ラド
(0.6Sv)の被曝をうけたと述べる。
※ 1 rad = 0.01hグレイ (Gy)=0.01Sv/h
5月6日退院.
ドゥロニキ村は原発から35㎞,住民数232人。
民間防衛隊のデータによれば,4月28日の放射線量は30ミリレントゲン/時
(263.1μSv/h)
衛生管理センターのデータによれば,同じ日に26~28ミリレントゲン/時
(228.02~245.56μSv/h)
ストロンチウム90の汚染は2.7Ci/km2
(99.9万Bq/m2)

6.カルテ № 8977/438
(氏名略)男性55歳,アメリコフシチナ村住民。
5月10日入院.5月4日発病。
全身衰弱,胃の痛み,下痢,吐き気,嘔吐が生じた。
患者の訴え:水っぽい便,胃の痛み,脱力感。
血液検査:白血球3200.

7.カルテ№ 8302/602
(氏名略)女性57歳,クリビ村(原発から70㎞)住民。
放射能汚染地域に滞在していたため6月11日に入院。
病状が1ヶ月前から継続。
訴え:右肋骨下部の痛み,吐き気,嘔吐,めまい,全身衰弱,胃,背中,頸,足の痛み。
5月20日に1回嘔吐.6月10日の血液検査:白血球2500,血小板16.5万,赤血球363万,血圧210/115。

8.カルテ№7588
(氏名略)2歳7ヶ月の幼女,ポゴンノエ村.5月4日入院。
入院理由:潰瘍性口内炎,高汚染地域からの子供。
訴え:食事拒否,流涎。
また,唇,口内,頬の腫れ・炎症。
体温37.8度.5月6日,口内炎が消えない,州立こども病院に転院。
ポゴンノエ村(住民数1503人)は,チェルノブイリ原発から27㎞。
衛生管理センターのデータによれば,
4月28日,放射線量は30~35ミリレントゲン/時
(263.1~306.95μSv/h)
ストロンチウム汚染は10Ci/km2
(370万Bq/m2)
患者の症状に嘔吐は認められなかったが,われわれはこのケースを急性放射線症に加えた。
潰瘍性口内炎はベータ線被曝による障害と解釈されるし,食物拒否,高熱,流涎は容体の深刻さを物語っている。

以上の医療記録から以下のように言える。
患者たちは1986年4月26日から汚染地域に滞在し,かなりの放射線被曝をうけた。
すべての患者に,急性放射線症を特徴づける臨床状態が共通して認められる。
われわれのリストの中で,患者クリチェンコの症例はきわだっており,彼のケースは,チェルノブイリ原発周辺30㎞圏内での急性放射線症の典型例と言えるであろう。

放射線被曝症状
放射線被曝症状はつぎに述べる臨床症状に分類される.
1.血液像症状:血球減少症,白血球減少症
2.自律神経失調症
3.神経・循環系失調症
4.咽頭部障害
5.粘液・皮膚のベータ線障害

甲状腺の高レベル被曝
白血球減少症
9.カルテ7784.
(氏名略)女性65歳,アメリコフシチナ村住民.5月12日入院。
入院理由:放射能汚染。
5月15日の放射線測定:衣服500マイクロレントゲン/時
(4.385μSv/h)
甲状腺1200マイクロレントゲン/時
(10.524μSv/h)
血液検査:白血球数2200.5月20日退院。

10.カルテ8011/554.
(氏名略)男性21歳,ホイニキ市住民。
5月23日,「放射能高汚染地域の滞在,血液検査の変化のため検査入院」。
血液検査:白血球2500。
甲状腺の放射線量130マイクロレントゲン/時
(1.1401μSv/h)
第1度の急性放射線症に対応する治療:グルコン酸カルシウム,レモン酸,総合ビタミン剤,ミネラル・ウォーター,イゾフェニン,胆汁排出剤。
6月2日退院.

11.カルテ№ 8318/604.
(氏名略)男性41歳,運転手,ホイニキ市住民。
5月13日入院。
肝臓の放射線量80マイクロレントゲン/時
(0.7016μSv/h)
甲状腺35マイクロレントゲン/時(0.30695μSv/h)
血液検査:白血球2300,血小板14.4万。
訴え:頭痛.

12.カルテ №7641/318.
(氏名略)女性33歳,ポゴンノエ村住民。
放射能汚染地域から入院。
訴え:中程度の頭痛,口渇,苦味。
5月6日の血液検査:白血球2200。
5月7日の甲状腺1400マイクロレントゲン/時
(12.278μSv/h)

自律神経失調症:
13.カルテ№7868/533.
(氏名略)男性64歳,ウラーシ村住民。
コルホーズ「新生活」労働者(5月5日ストレリチェボ村へ避難)。
5月20日地区中央病院入院。
入院のときに全身衰弱,眠気,病気ぎみ,腰の痛みに対する訴え。
病院へ送られてきた理由は,放射能汚染.居住の村は最高汚染地域。
村での甲状腺放射線量は1.9~2.0ミリレントゲン/時
(16.663μSv/h~)
入院のときの甲状腺放射線量は3ミリレントゲン/時以上
(26.31μSv/h)
5月27日の血液検査で白血球2900。
6月5日退院.
4月26日より5月5日まで患者は,4月28日に300ミリレントゲン/時
(2631μSv/h)が記録されているウラーシ村に居住,5月5日より15日までストレリチェボ村に滞在。

14.カルテ№7805/496/539.
(氏名略)女性63歳,ノボセルキ村。
5月13日入院.入院理由:放射能汚染。
放射線量:肝臓1000マイクロレントゲン/時
(8.77μSv/h)
甲状腺3000マイクロレントゲン/時
(26.31μSv/h)
患者は3日の間(5月10日より12日まで)原発から65㎞の野外に滞在。
頭痛,吐き気,食欲不振,全身衰弱,病気ぎみ,眠気に対する訴え。
5月19日の血液検査:白血球3200。
5月27日退院。

15.カルテ№7795/491.
(氏名略)女性59歳,ノボセルキ村住民。
5月13日入院。
入院理由:自律神経失調症。
5月14日の衣服の放射線,700マイクロレントゲン/時
(6.139μSv/h)
甲状腺2000マイクロレントゲン/時
(17.54μSv/h)
頭痛,吐き気,のどのイガラに対する訴え。
患者は原発から60㎞の野外で長時間を過ごした。
5月21日退院.

16.カルテ№7818/495.
(氏名略)女性49歳,ノボセルキ村。
5月13日入院。
病院へ送られてきた理由は放射能汚染。
5月14日の衣服の放射線量900マイクロレントゲン/時
(7.893μSv/h)
甲状腺3000マイクロレントゲン/時
(26.31μSv/h)
5月10日に発病の徴候。
原発から65㎞の所に滞在.衰弱,吐き気,食欲不振,頭痛に対する訴え。
5月21日退院.

17.カルテ№7818/502.
(氏名略)女性57歳,ノボセルキ村。
5月15日入院。
衣服のガンマ線量700マイクロレントゲン/時
(6.139μSv/h)
甲状腺2600マイクロレントゲン/時
(22.802μSv/h)
5月19日の血液検査,白血球2900。
原発から65㎞の野外に滞在。
自宅の家畜の牛のミルクを飲用。
頭痛,衰弱,病気ぎみ,心臓部の痛みに対する訴え。
ベータ線による皮膚炎,やけど:

18.カルテ№7587/1060.
(氏名略)男性35歳,ベリーキーボル村住民。
5月4日入院。
顔,手首の放射線やけどのため病院へ送られてきた。
身体表面のガンマ線量300マイクロレントゲン/時
(2.61μSv/h)
甲状腺700マイクロレントゲン/時
(6.139μSv/h)
不快感,頭痛の訴え。

19.カルテ№7655/461.
(氏名略)女性43歳,搾乳婦,ビソーカヤ村住民。
5月6日23時入院。
放射能による外傷(?),鼻血のため病院へ送られてくる。
患者は5月1日より5日まで,チェムコフ村~ウラーシ村付近で牛の搾乳にたずさわった。
5月5日,頭痛,吐き気,鼻血が出現。
客観的症状:顔の皮膚,頸,手首の黒っぽい日焼け,頬が充血.血液検査:白血球3000。
5月8日無断退院.

20.カルテ№7794/540.
(氏名略)女性64歳,ノボセルキ村住民,5月13日入院。
入院理由:放射能汚染。
衣服のガンマ線1700マイクロレントゲン/時
(14.909μSv/h)
甲状腺3000マイクロレントゲン/時
(26.31μSv/h) 以上。
頭痛,吐き気,上腹部の痛みの訴え。
チェルノブイリ原発から60㎞の所に居住。
自宅の菜園で働いき,身体の外部に露出した部分が日焼け。
5月26日の血液検査:白血球2800.5月29日退院。

神経・循環系失調症:
21.カルテ№8013.(氏名略)女性21歳,ホイニキ市住民。
ブラーギン地区の衛生管理センターに勤務。
5月23日入院。
入院の1週間前から病気の兆候。
患者は再三,高放射能汚染地域で働いた。
頭頂部の激しい痛み,吐き気,衰弱,関節痛,心臓部の痛み,不眠,食欲欠如に対する訴え。
6月2日退院.

22.カルテ№8060/550.
(氏名略)女性49歳,ホイニキ市住民。
5月23日入院。
病気の徴候は5月3日に初めて発生。
衰弱,吐き気が生じて,微熱。
5月20日体温が39度に上がり,容体が悪化。
頭痛,激しい衰弱,不快感,食欲欠如,吐き気,腰痛,頭頂部の痛み,口渇の訴え。

23.カルテ№7806/498.
(氏名略)男性67歳,マレシェフ村(ホイニキ市のはずれ)。
5月14日入院。
入院理由:放射能汚染。
甲状腺のガンマ線量1700マイクロレントゲン/時
(14.909μSv/h)
血液検査:白血球2400,血小板10万。
衰弱,頭痛,心臓部のうずくような痛みの訴え。
5月21日退院.

咽頭部障害:
24.カルテ№7783/512.(氏名略)男性50歳,ボルシチェフカ村。
5月12日放射能汚染の理由で入院。
甲状腺のガンマ線量3000マイクロレントゲン/時以上
(26.31μSv/h)
頭痛,から咳,気管入口のイガラの訴え。
検査結果:口腔・咽頭粘膜の明白な充血。
5月23日退院。

25.カルテ№7785/490.
(氏名略),女性47歳,ネビトフ村。
5月13日入院。
理由:放射能汚染.原発から65kmの所に滞在。
ソフホーズで働く。
身体の露出した部分が日焼け。
頭痛,衰弱,皮膜のむずがゆさ,口の焼けるようなひりひりした痛み,から咳に対する訴え。
甲状腺放射線量300マイクロレントゲン/時
(2.631μSv/h)
血液検査:白血球2800,血小板14万。

26.カルテ№ 3637/363.
(氏名略)女性36歳,ポゴンノエ村。
5月5日入院。
血液検査:白血球3400。
甲状腺放射線量1400マイクロレントゲン/時
(12.278μSv/h)
痛み,のどのイガラ,刺激感。
5月12日退院.

甲状腺の高レベル被曝:
27.カルテ№8239/588.(氏名略)男性57歳,ロマチ村,巡回警備員。
5月14日入院。
甲状腺からのガンマ線量16ミリレントゲン/時
(140.32μv/h)
全身衰弱,口渇,頭痛の訴え。
6月14日退院.

28.カルテ№8011/554.(氏名略)男性21歳,ホイニキ市住民。
5月23日,医療衛生隊救護所から「放射線レベル測定不能(?)」との理由で転送されてくる。
甲状腺のガンマ線量13ミリレントゲン/時
(114.01μSv/h)
血液検査:白血球2500.

まとめ
チェルノブイリ原発周辺の住民に急性放射線症がなかったという,IAEA(国際原子力機関),赤十字,WHO(世界保健機関)その他の見解を論理的に否定するためには,1件の症例(患者クリチェンコ)をあげれば十分である。
しかし,患者クリチェンコのケースが単独で発生していたわけではない。
もしボルシチェフカ村住民の1%に急性放射線症があったとすれば,マサーニ村,ウラーシ村などでは,その割合はもっと大きかったはずである。
ホイニキ地区の30㎞圏からは5200人が避難したが,30㎞圏全体では10万人以上が避難した。
われわれは1000件以上の急性放射線症があったと考えねばならない。

これまでに明らかにされたデータは,1986年4月26日から27日にかけて放射線レベルが非常に高かったことを物語っている。
この2日の間に,(野外での労働とか日光浴といった)特定の条件にあった人々は,100から300レムにも及ぶ被曝をうけることになった。
休日(4月26日と27日)を過ごすために来ていた人々を加えると,その2日間に30㎞圏内で被曝した人々の数は,そこで暮らしていた住民の数よりかなり多かったことも明らかである。

さらに,4月26日,27日の非常に強烈な放射線状況は,30㎞圏から遠く離れた地域まで,とりわけ,日光浴をしたり自宅の菜園で働いたりしながら野外に長くいた人々がかなりの被曝をうけた可能性を示している。

1986年の4月から6月にかけて記録されたベラルーシ住民の病気とその特殊性を分析するにあたって,われわれはこうした要因を考慮する必要がある。

文献
V. Lupandin, "Invisible Victims", NABAT 36, October 1992.
(和訳:「隠れた犠牲者たち」,技術と人間,1993年4月号)
広河隆一,「チェルノブイリ:失われた医療記録」,現代,1993年9月号.
Los Angeles Times, April 14, 1992.


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