【電通に関して】
終戦後、前任の上田社長が溺死して横滑りで
電通社長になった吉田が全民放を支配。
「電通」吉田体制による思想操作が始まるのは
1952年「日本最初の総選挙」。
吉田茂(麻生太郎祖父)と組み、
全国主要新聞を自由党一色に染め上げた。
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ranranran_ranさんのツイートから、以下転載
◆電通に関して①
終戦後、財界が民放設立準備委員会を結成。
東商の藤山・船田を軸に、
電通の上田社長と、鬼十則で有名な吉田が参加。
すると突然GHQが、藤山・船田を公職追放。
上田が東京湾で溺死。妻も自宅で殺害。
吉田が電通社長と委員長に就任したとたん、
GHQは民放設立を認可した
◆電通に関して②
日本最初の民放は、
前任の上田社長が溺死して、横滑りで電通社長と、
民放設立準備委員会の委員長に就任した
吉田秀雄が申請した東京放送(TBS)。
吉田は言い放った。
世の中、めあき千人。めくら千人。
残りの8千人は馬鹿である。
市場とは、この馬鹿によって構成される。
◆電通に関して③
実質的な民放許認可独占で
全民放を支配した吉田は神と呼ばれた
以下が神の言葉
もっと、使わせろ もっと、捨てさせろ
無駄づかいさせろ 季節を忘れさせろ
贈り物をさせろ 組み合わせで買わせろ
きっかけを投じろ 流行遅れにさせろ
気安く買わせろ 混乱をつくり出せ
◆電通に関して④
社長就任後の吉田は電通を
「元満州国の軍部特務機関」を
再現したかのような組織に改造。
戦犯認定された政財界人。
満州・上海の軍幹部。
満鉄調査部・満州国通信社の人材を大量採用。
当時の電通ビルは「満鉄調査部第2ビル」と呼ばれた。
その中には東条英機政権の特高課長もいた。
◆電通に関して⑤
1906年「南満州鉄道」設立。
07年「満鉄調査部」設置。
31年「満州事変」勃発。
32年「満州国」建国。
「満州国通信社」設立。
岸信介の命で中国での阿片密売利益が関東軍資金に。
34年「電通」吉田が渡航。
反日弾圧を束ねる特高課長と面談。
現地の日系漢字新聞を独占取扱。
◆電通に関して
第二満鉄ビルの面々(以前の役職)
満州国(情報部長・広報所長・陸軍少将・特高憲兵大佐)・
満鉄(文書課長・錦州鉄道局長・南満州鉄道局長)・
満州日報(理事長・編集局長・業務局長・営業局次長)・
大陸新報理事・新聞社の取締役など(朝日・産経・毎日)
◆電通に関して
吉田秀雄「第二満鉄ビル(電通)」の一派は
米国との裏取引に成功。
「日本を共産主義の壁にする思想教育と管制」を
実施することを条件にA級戦犯
「読売新聞社主」正力松太郎が戦犯目録から除外。
「日本テレビ(読売)」はGHQと関わりながら全国ネットとなる。
◆電通に関して⑨
「電通」吉田体制による思想操作が始まるのは
1952年「日本最初の総選挙」。
吉田茂(麻生太郎祖父)と組み、
全国主要新聞を自由党一色に染め上げた。
1960年の安保闘争での
「暴力を廃して議会主義を守れ」という
「新聞7社共同宣言」の仕掛人も吉田。