(長崎原爆)市内の3分の1が全焼し、14万人の市民が瞬時に焼き殺され・・まさに生き地獄だった。
「被爆体験無視の売国政治改めよ」 長周新聞 いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関
http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/hibakutaikenmusinobaikokuseijiaratameyo.html より
2011年4月1日付
数十万人もの市民がむごたらしく殺された被爆国としての責任を放棄し、
その被害を隠して日本中に原発を林立させ、
それが破綻に至っても「原発推進」を叫ぶ醜悪な姿は、
「国民をだまし続けて第二次大戦へと導き、国を破滅させた戦争政治の延長・・・
放射能でつぎつぎと殺された肉親
66年前の8月9日、
長崎市上空に投下されたプルトニウム型原爆は、
TNT火薬2万1000㌧の巨大なエネルギーを放ち、爆発の瞬間最大30万度ともいわれる巨大な火球を出現させ、瞬時に全市が「熱炉」と化した。市内の3分の1が全焼し、14万人の市民が瞬時に焼き殺され、あるいは重傷を負って死んでいった。
「みんな人間の死に方ではない。津波どころではない生き地獄だ。男、女、子ども、年寄りも区別がつかない黒焦げの死体が散乱し、息のあるものも水を求めて川へ飛び込んで死んでいった。
その後も、無傷の人たちが白血病や原因不明の奇病でバタバタと死んでいく。医者も原因がわからず、薬も食べ物もない。7人兄弟のうち、長姉は臓器に次次とガンを患い、2年前に両乳房のガンで苦しみながら他界した。
妹は、40代で白血病を発症して幼い娘や息子を残して亡くなり、弟も60代で肝臓ガンで亡くなった。
“戦争が終わって平和になった”といわれるが、私たちには苦しみのはじまりでしかなかった。
それが原爆であり、放射能だ。それを知りながら我欲に駆られて原発をつくってきた政府や電力会社こそ痛みを味わうべきだ」と話した。
今も続く民族絶滅作戦 原発大災害重ね
原爆がなにか、放射能がなんなのかもわからないまま数日を過ごし、
その後、数週間、家族全員が下痢が続き、脱毛がはじまった。
母はそれからずっと病床に伏すようになり、最後は白血病と肝臓ガンを
併発して九年後に亡くなった」という。
放射能障害は、急性の障害以外に、被曝線量が比較的少量で急性の症状が
まったく出ないか、あるいはそれがまったく消滅したあとにでも白血病のような
ガンが発生すること(晩発性障害)、また突然変異が子孫にあらわれること(遺伝障害)が明らかになっている。
放射能影響研究所の調査でも、被爆から2~10年の間に白血病が急増(非被曝者の1・8倍)。
10年後からは、膀胱、乳房、肺、卵巣、甲状腺、大腸、食道、胃、肝臓、皮膚などの固形ガンが年年増加する傾向にあり、現在もまだ増え続けている。
「白血病は、はじめに寒気がして咳が出るなど
風邪と同じ症状になり、免疫力がないのでそのまま弱って死んでいく。
なんの情報もなく、だれも放射能の影響とは思わないので当時は
“肺炎”と診断されていた。
私の同級生も次次に死んでいって“明日は我が身”の心境だった。
主人も50年もたって体中に紫の斑点が出て、
白血球が減り、最後は動脈瘤で亡くなった。
兄弟5人のうち3人がガン、2人が白血病で死んだ。
まともな死に方をした人は1人もいない」と語った。