許しがたい警察暴力との法廷闘争、実録!!
阪神ファンへの警察官の集団暴行-大阪曾根崎署暴行事件
「叩く、蹴る、投げ倒す」
「しゃべったら、おまえを別件で引っぱるぞ」
『被告人は警察 警察官職権乱用事件』著書 三上孝孜
許しがたい警察暴力との法廷闘争、実録!!
パトカーにクレームをつけたら腹を蹴られ殺された。
スケッチに出かけたら不審者と思われ射殺された。
自ら職権乱用の警察官を有罪にした弁護士が、警察犯罪を暴く!!
警察官など公務員の職権乱用罪について、
警察官が不起訴処分をしたときには、被害者側から裁判所に対し、
その公務員を刑事裁判に付すことを請求できる制度がつくられた。
これを付審判制度と呼ぶ。
警察には、怖いものがないと言われる。
警察情報の公開は不十分であり、議会の警察批判も頼りにならない。
公安委員会は形骸化している。
しかし、警察官の職権乱用については、
被害者側の付審判請求が認められて、裁判で有罪になれば、
その警察官は、首が飛ぶことになる。
警察にとって、これほど怖いものはないのである。
2001年3月20日 発行 発行所 株式会社講談社
**上記の著書「第五章 阪神ファンへの警察官の集団暴行-大阪曾根崎署暴行事件」から、一部紹介
第五章 阪神ファンへの警察官の集団暴行-大阪曾根崎署暴行事件
叩く、蹴る、投げ倒す
1985年11月2日、阪神タイガースが日本シリーズを制し、はじめて日本一の座につい
た。じつに21年ぶりのリーグ優勝に続く快挙とあって、その直後から、大阪の繁華街、梅田
や難波付近で、阪神ファンなどによる祝勝騒ぎが発生した。一部では過激な行動に出る者もいた。
11月4日午後10時すぎ、大阪駅前にある曾根崎署の直轄警ら隊の島岡巡査部長ら約10名の制服の警察官が、梅田のナビオ阪急ビル(レジャーショッピング・ビル)の前で、阪神ファンの警戒警備をしていた。
阪神ファンでもある中村正男さん(18歳)と友人の和田友勝さん(19歳)は、その日が休日
だったので、夜の10時ごろになって、梅田付近の阪神ファンのフィーバーぶりを車に乗って見物にきた。
中村さんは、昼はガソリンスタンドに勤め、夜は短期大学に通学し、和田さんは、父親の経営する青果店に勤務していた。2人は、高校時代からの友人だった。
ところが、和田さんが運転していた車のアンテナや窓に阪神タイガースの小旗をつけていたことから、警察官に停車を命じられ、職務質問をされた。そのとき免許証の提示を求められたが、とっさに和田さんは、免許証が見つからなかったため、「免許証を持ってきていません。」と答えてしまった。
すると、警察官は、「とにかく本署へ来い」と言って、2人を車から降ろし、そのまま曾根崎署に連行した。
曾根崎署では、阪神の祝勝騒ぎに関連する事件を処理するため、6階の会議室をあてていた。中村さんと和田さんは、そこへ連れて行かれ、最前列の椅子に座らされた。警察官は、中村さんと和田さんが持っていたメガホンなどの阪神グッズを机の上に並べさせた。このとき、和田さんの免許証が出てきた。
警察官の1人、谷川五郎巡査が、「これ、おまえのと違うんか」と言ったので、和田さんは
「そうです」と答えた。谷川巡査は、その免許証を横にいた山本巡査に渡し、住所・氏名などを記録させた。そのとき、和田さんが、まだ少年であることがわかった。
そして、谷川巡査は、和田さんが机の上に並べたメガホンを手にとって、
「おまえらなにしに来たんじゃ」と怒鳴りながら、和田さんの頭を十数回叩いた。
続いて、中村さんの頭も同じように5、6回叩いた。
その衝撃で、プラスチック製のメガホンは変形し、継ぎ目が割れた。
その後、谷川巡査は、中村さんに対し、免許証の提示を求めた。中村さんは、自分は運転していなかったので、見せる必要はないと思い、「持っていません」と答えた。すると、谷川巡査の横にいた藤田巡査が、「かばんの中を見せてみい」と命じた。中村さんが、「いやです」と拒否すると、まわりにいた谷川巡査ら数名の警察官が口々に、「なんで中を見せへんのや」「何か隠してるのやろ」などと中村さんを詰問、かばんを開けるよう強要した。
中村さんは、しかたなく机にかばんを置いて、財布、タバコ、くし、手帳などを取り出した。
藤田巡査は、中村さんの財布をあけて、中から免許証を抜き取った。そして、「おまえ、免許証持ってるやないか。なに嘘ついてるんじゃ」と言って、いきなり中村さんの髪の毛をつかみ、机に打ちつけるように5、6回、頭を下に押し付けた。
藤田巡査は、中村さんが未成年であるのに、タバコを持っていたのを見つけ、
「おまえ、タバコはいつから吸うてええんじゃ?」と言って、左手を中村さんの顎の下に突っ込み、首をつかんで無理やり立たせた。
その後、谷川巡査らは、中村さんと和田さんに床への正座を命じた。ところが、高校1年のとき、ラグビーの試合で左足の靭帯を切断するけがをして手術を受けたことがあり、日常生活に支障はないものの、正座は困難だった。
そこで、谷川巡査に、「膝をけがしているので、正座できません」と断った。
すると、谷川巡査は、「おまえ、なめてんのか」と叫び、右の平手で中村さんの左耳付近を強く殴った。
中村さんは、よろめき、左耳がキーンと鳴って、きりきりする激しい痛みを感じた。
谷川巡査は、さらに、中村さんの両肩付近をつかんで、柔道の大外刈りで床に投げつけた。
中村さんは、床に投げ倒され、頭、肩、背中を強打した。
こうした谷川巡査や藤田巡査の中村さんに対する暴行は、ナビオ阪急ビル前の警備から帰ってきた約10名の警察官が見ている前で行われた。
新聞社、そして弁護士に訴える
(略)中村さんは、谷川巡査から受けた暴行によって、耳が激しく痛み、吐き気をもよおしていた。
そこで、藤田巡査の許しを得て、和田さんの飲酒検知手続きが終わるまで、交通事故係室の前のソファで横になり、両手で両耳を押さえながら苦しんでいた。
(略)車で自宅まで送ってもらった中村さんは、すぐに床につこうとしたが、耳が頭が痛み、一晩中眠れなかった。
翌朝になっても、耳の痛みはとれず、首が極度にだるい状態だった。勤め先のガソリンスタンドへ出勤したものの、仕事ができず、昼前に早退して、大阪市内の山岡病院で診察を受けた。
そこで最初に受信した整形外科の高井医師に、前夜、警察官に殴られ、投げ飛ばされたことが訴えた。
首のけがは、約2週間の通院加療を要する頚椎捻挫と診断された。そのさい、高井医師は、中村さんに、警察官から暴行を受けたのなら、新聞社などに訴えたほうがいいと助言した。
つづいて、同じ病院の耳鼻科で受信した。山田医師から、左耳の鼓膜が破れており、ここでも約2週間の通院を要する外傷性左鼓膜穿孔と診断された。
山岡病院から帰宅後、中村さんはすぐに、朝日、読売、産経などの各新聞社に電話をして、警察官から暴行を受けたことを訴えた。また、中村さんは、暴行を加えた警察官に対する怒りがおさまらず、11月6日、母親に付き添われ、関西合同法律事務所を訪れた。そこで、海川道郎弁護士に相談し、暴行した警察官に対する処罰の請求と警察に対する損害賠償請求を依頼した。
相談を受けた海川弁護士は、事件が警察官による暴行という重大なものであったことから、
5名からなる弁護団を組み、対応することにした。
(略)
事件のもみ消しに全力
曾根崎署は、事件の発生を知ったにもかかわらず、署員が起こした事件を捜査せず、真っ先に被害者である中村さんや目撃者である和田さんの前歴を調べた。そして、中村さんの喫煙による補導歴の存在を署長宛の報告書に記載した。また、中村さんの交通違反の前歴も調べた。
事件とはなんの関係もない中村さんの勤務先や高校時代の先生のところにまで事情聴取に行った。
一方、谷川巡査らを被疑者として取り調べることはなく、事件に関与した警察官について、一通の供述調書も作成しなかった。
中村さんと弁護士が、曾根崎署に抗議した日の数日後、曾根崎署の警察官は、中村さんがアルバイトをしているガソリンスタンドの店長を近くの喫茶店に呼びだし、中村さんの人物像や勤務状態などを聞きだした。
しかし、店長が、中村さんがまじめに働いていることや、好青年であることなどを説明すると、
警察官は、店長に対して、
「自分たちが来たことは中村には内緒にするように。もし、中村にしゃべったら、
おまえを別件で引っぱるぞ」
などと脅して帰っていった。
(紹介おわり)