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原発問題

原発事故によるさまざまな問題、ニュース

ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査 ※10回目の紹介

2014-12-15 22:00:00 | 【原子力ムラの陰謀】

*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之

第1章 ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査」を複数回に分け紹介します。10回目の紹介


原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-

1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた

高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。

事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、

一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。

死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。

そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、

あまりにも生々しく記録されていた。

(P3「まえがき」から)

「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」

 2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。

  「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。

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**『原子力ムラの陰謀』著書 「第1章 ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査」の紹介

前回の話ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査 ※9回目の紹介

  そもそも「ウラン残土」を捨石と言い換えることからして問題の矮小化だ。さらに聞き捨てならないのは、放射性廃棄物の処理の話であるはずの残土問題を、「新しい技術開発のため」という話にすり替えようというのだ。

 この会談を受けて「PNCの立場としてまとめたもの」と注意書きされた資料には、こんなことが書かれていた。

<技術開発と捨石処理の関係

 ウラン資源確保技術の開発の一環として、岡山県内で入手できなかった鉱石(捨石)を用いて試験を行い、新しい知見を得ることを目的としており、技術開発という位置づけである>

 ものはいいようである。こともあろうに本来は「核のゴミ」である「捨石」を、今度は

「岡山県内で入手できなかった鉱石」と再び言い換えて、さも貴重な資源を運び込んで有益な実験をするかのように装っている。もはや「核燃料サイクル」が破綻しているにもかかわらず、原子力ムラの面々が、使用済み燃料棒は「資産」であり「新しい核燃料」になると訴え続けているのと同じ構図だ。

 しかも、ここでいう「技術開発」の作業は一般に公開しないのだという。その言い訳が振るっている。

<後悔してまずいことを実施するのではない。しかし、原子力に係る技術開発試験を公開で実施した例はなく、また、この問題は、動燃だけの問題ではなく、原子力関係すべてに大きな影響を与えるので、公開による実施は了解できない>

 言葉のすり替え、ごまかし、隠蔽・・・姑息な手段をとり続ける動燃を地元住民が信用するはずもなく、問題が解決することはなかった。

※続き「第1章 ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査 」は、12/16(火)22:00に投稿予定です。


ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査 ※9回目の紹介

2014-12-12 22:00:00 | 【原子力ムラの陰謀】

*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之

第1章 ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査」を複数回に分け紹介します。9回目の紹介


原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-

1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた

高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。

事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、

一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。

死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。

そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、

あまりにも生々しく記録されていた。

(P3「まえがき」から)

「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」

 2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。

  「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。

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**『原子力ムラの陰謀』著書 「第1章 ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査」の紹介

前回の話ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査 ※8回目の紹介

◎ウラン残土処理を「技術開発」と言い換え

 90年、動燃は方面地区に対して、特に放射線量の高いウラン残土3千立方メートルの撤去を約束したものの、撤去先をめぐって周辺自治体と紛糾した。動燃は地元の残土を人形峠事業所の敷地内に持ち込んで処理することを計画したが、今度は、事業所のある岡山県が「鳥取県のものは地元で処理してほしい」と、県内への「核のゴミ」の持ち込みを許可しなかったのだ。残土は長年、地区に放置されたまま、年月だけが過ぎた。

 その間、当事者たちがいかに無責任だったかを示す資料が残っていた。91年前後に作成されたとみられる、岡山県のK副知事と動燃のH理事との会談の記録である。まず、K副知事側はこんな見解を述べる。

<捨石の問題については、岡山県としては鳥取県から持ってくることが問題で、特に住民を納得させることはむずかしいと考えている>

<最近は婦人が先頭にたっていて反対運動を行い、矛盾したことでも平気で唱える。(中略)6月15日からは放射性廃棄物を持ち込ませない県条例の直接請求の署名を30万人目標に女性他でやろうとしている。タイミングからみて、カナヅチの下に頭を持っていくようなことになる>

 女性たちの反対運動への露骨な嫌悪感が見てとれる。そして、こんな提案をしてみせるのだった。

<これまでの人形峠での事業の延長ではなく、「新しい技術」を生み出すために捨石が必要であるという理由を立て、これまでの人形峠ではなく、「新しい人形峠」「イメージチェンジされた人形峠」を期待している>

※続き「第1章 ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査 」は、12/15(月)22:00に投稿予定です。


ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査 ※8回目の紹介

2014-12-11 22:00:00 | 【原子力ムラの陰謀】

*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之

第1章 ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査」を複数回に分け紹介します。8回目の紹介


原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-

1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた

高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。

事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、

一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。

死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。

そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、

あまりにも生々しく記録されていた。

(P3「まえがき」から)

「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」

 2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。

  「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。

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**『原子力ムラの陰謀』著書 「第1章 ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査」の紹介

前回の話ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査 ※7回目の紹介

◎データも示さず「とにかく安全」

 もっとも、こうした「工作」がすべて成功したのかといえばそうではなかった。資料によると、項目④「動燃に対する理解度」は、3世帯が<☓→○>に変わった半面、<○→☓>に変わった世帯もある。

 地元選出の鳥取県議・藤井省三氏(72)は、動燃職員が残土問題について説明に訪れたときのことを振り返る。

 「僕が動燃側にずっと言ってきたことは、放射能に汚染されている疑いのある残土を地元に置かせてくれというならば、安全性を示す科学的根拠を示せ、ということです。すると彼らは、動燃に勤める私の同級生も一緒に連れて説明にきた。ところがその場は、データを示しながら説得するというよりも、同級生のよしみで『なるべく穏便に収めたい』とごまかすことばかり。見え透いた懐柔策でしたよ」

 藤井氏は医師でもあり、病院の理事長を務めている。当時、動燃の説明に疑問を抱き、安全性の科学的根拠や資料の提示を求めていた。だが、これがなかなか実現しない。そこで、方面地区の残土問題を調査していた京都大学原子炉実験所の小出裕章氏を呼び、公開討論を提案したこともあった。

「動燃はそのころ、議会対策で議員の間をよくまわっていた。僕が一番の標的になっていたみたいです。彼らは、僕が榎本さんと親しかったので説得してほしいとも思っていたようだが、さすがに直接は言ってきませんでしたね」

 取材班は、藤井氏にこう聞いた。

 ー説明にやってきた同級生というのは、(章の冒頭の)Xさんでしたか?

「そうそう、そうです」

 X氏は方面地区の住民対策だけでなく、地元政治家への「工作」も仕掛けていたのだ。

 先の榎本さんも、動燃の ”説得”手法についてこう語る。

 「当時、動燃が抜き打ちで地区の人を集めて説明会を開いたことがあったが、『大丈夫だけぇ。安全だけぇ』と言うだけで、放射能の測定器(サーベイメーター)も持ってこない。機器は、市民グループが持ってきて初めて見たほどです。ウラン鉱山時代の作業員の被曝についても、『作業服を着ていれば大丈夫』などと言って、ごまかしていました」

 詳細なデータを示さないまま、とにかく「安全だ」と強調する姿勢は、福島第一原発事故をめぐる東京電力の対応を連想させる。

 結局、動燃が税金を使い心血注いだ”懐柔策”がどこまでうまくいったか定かではないが、最終的に「工作」は実を結ばなかった。

※続き「第1章 ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査 」は、12/12(金)22:00に投稿予定です。


ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査 ※7回目の紹介

2014-12-10 22:00:00 | 【原子力ムラの陰謀】

*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之

第1章 ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査」を複数回に分け紹介します。7回目の紹介


原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-

1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた

高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。

事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、

一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。

死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。

そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、

あまりにも生々しく記録されていた。

(P3「まえがき」から)

「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」

 2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。

  「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。

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**『原子力ムラの陰謀』著書 「第1章 ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査」の紹介

前回の話ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査 ※6回目の紹介

 陰湿なのは、こうした婚姻関係に加え、取引先や勤務先の上司などの上下関係で「圧力」をかけようとしていた形跡があることだ。

 先の県職員Cさんに対しては、

<夫婦の勤務先である鳥取県の上司・幹部を利用する>

 農家Eさんの場合は、

<農協関係者の幹部による説得が必要>

 郵便局員だった地元区長のFさんには、

<郵政関係者(地元局長)、親せき等を動かし、区長としてもう少し積極的な態度をとるよう動きかける>

 さらに当時、こうした住民への「工作」方法を検討した人形峠事業所の打ち合わせメモには、所長発言としてこんな記載もあった。

<(有力地権者Aさんには)○○自動車を通じて圧力をかけるべきだ>

 本人の勤務先の地元大手バス会社を通じて「圧力」をかけるべきだと、地元トップがはっきりと語っているのだ。

 動燃にとって、地元住民は、圧力をかけて屈服させる対象と考えていたのだろうか。資料を見ると、地元住民を見下すような「上から目線」の記述が散見される点も見逃せない。たとえばこんな調子だ。

<当初は理解を示していたが、現在は必ずしもそうではない。口が軽く、役員の中でも考えが一貫していない>
<金に細かい男>

 いくら内向きの資料とはいえ、相手の性格にまで触れ、あまりに敬意を欠いた表現ではないか。

 一方で、別の住民についてはこんな記述もあった。

<信頼できる唯一の人物>

 逆に言えば、動燃がいかにほかの住民を信頼していなかったかがよくわかる。実際、この住民については”工作”に関する記述が少なく、その内容も、

<口が重い><理解あり、協力的>

 などと高評価。彼らが慎重に人物を選別していた様子がうかがえる。

 思想、素行、家族関係、職場、労組の加入の有無、性格ーここまでくれば完全な「身元調査」である。

 繰り返すが、動燃は国が出資する特殊法人で、その職員は公務員に準ずる立場である。その強大な立場を背景に、これほど傍若無人な振る舞いをしていたとは、実に恐ろしいことだ。

※続き「第1章 ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査 」は、12/11(木)22:00に投稿予定です。


ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査 ※6回目の紹介

2014-12-09 22:00:00 | 【原子力ムラの陰謀】

*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之

第1章 ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査」を複数回に分け紹介します。6回目の紹介


原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-

1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた

高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。

事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、

一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。

死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。

そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、

あまりにも生々しく記録されていた。

(P3「まえがき」から)

「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」

 2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。

  「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。

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**『原子力ムラの陰謀』著書 「第1章 ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査」の紹介

前回の話ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査 ※5回目の紹介

◎「勤務先を通じて圧力をかけるべき」

 動燃側の調査は、世帯主だけでなくその家族関係にまで及んでいた。多くの世帯で、家族の勤務先や家庭事情まで徹底的に洗われ、その情報が ”共有”されていた。榎本さんの場合は、次のような内容だ。

<妻:○○ 農業 長男:○○ 東郷町農協勤務 長男に嫁が来ないのもウランのせいとしている>

 勤務先だけでなく、結婚をめぐる悪意のある噂話まで記載している。資料を見た榎本さんは、こう憤る。

「動燃がいろいろな工作をしとるということはわかっていたし、私が憎まれていることは知っていたが、まさかこんな資料まで作っていたとは・・・」

 榎本さんに対してだけではない。動燃は、都会から離れた小さな集落ならではの濃密な人間関係を、巧妙に「工作」に利用しようとしていた。ほかの住民についても、たとえば、地元の有力地権者Aさんの項目には、

<本人は養子のため、養母、妻の意見に従うようである。方面区内の親しい知人、親戚等を説得し理解を求めたい>

 農家Bさんについては、<本家の○○を使い説得>などと記載されていた。

 ほかの住民たちの記述を見ても、「工作」方法はいよいよ具体的だ。

<地元では、○○と本家分家の関係にある ○○町議→○○→本人の説得>(県職員Cさん)

<本人は養子のため、実権は養母にある。区内の動きに従うことが多く、婦人会、親せき等の利用も考えられる>(教員Dさん)

 地域独自の本家、分家や養子縁組といった婚姻関係や地区の親ぼく会などを利用し、「工作」を企てようとしていたのだ。

 資料には、頻繁に「町議」の名前が出てくる。東郷町議だった前田勝美氏(現・湯梨浜町議)のことだ。本人がこう語る。

「その時の動燃・人形峠事業所の所長が私の親類だった関係で、地元住民の説得を頼まれました」

 実際、その依頼で住民の説得をしたという。動燃は、政治家まで動員して ”懐柔”に動いていたのである。

※続き「第1章 ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査 」は、12/10(水)22:00に投稿予定です。


ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査 ※5回目の紹介

2014-12-08 22:00:00 | 【原子力ムラの陰謀】

*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之

第1章 ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査」を複数回に分け紹介します。5回目の紹介


原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-

1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた

高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。

事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、

一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。

死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。

そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、

あまりにも生々しく記録されていた。

(P3「まえがき」から)

「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」

 2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。

  「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。

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**『原子力ムラの陰謀』著書 「第1章 ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査」の紹介

前回の話ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査 ※4回目の紹介

 当時を知る旧動燃関係者が言う。

「実は、この資料でいちばん重要視されたのが、○☓で記入された”理解度”の項目です。ここで住民を、動燃に対する敵と味方に選別していたのです」

 さらに項目⑤では、榎本さんに対する「工作」方法を具体的に説明している。

<社会党対策会議の○○(原文は実名、以下同)、共同通信記者、市民グループとの関係を切ることであろうが、当面、本人を孤立させ相手にしないことが効果的である>

 反対運動の中心である榎本さんを地区で孤立させ、周囲の住民から先に切り崩していこうという作戦が読み取れる。いわば、”村八分”作戦といってもいい。

 事実、この動燃の「工作」は効果的だったようで、榎本さんは一時的に地区内で孤立を深めていた。地元住民の一人は、こんな場面を覚えている。

「ある町議が地区の人間を呼んでウラン残土問題についての説明会を開いた時、榎本さんが会場にやってくると、町議が『おまえは呼んどらん、帰れ!』と怒鳴りつけた。町民を守るはずの議員がなんてことを言うのかと驚いた」

 本さん自身も、こう振り返る。

「地元の懇親会などでも、誰も私に酒をついでくれなくなった。息子に縁談の話があったときも『あいつの親はウラン残土の反対に熱心だから、やめとけ』という声が出てきた」

 ちなみに、この項目にある「共同通信記者」とは、共同通信鳥取支局の記者としてウラン残土問題の発覚当初から取材を続け、『人形峠ウラン鉱害裁判』(京都大学原子炉実験所助教の小出裕章氏との共著)の著書もある市民運動家の土井淑平氏のことだ。

「当時、動燃は地区に何人も人を投入して、反対運動を切り崩していました。資料を作った(冒頭)のX氏は、鳥取県の出身でウラン鉱山の開山当初から出入りしていた。地区で顔が利き、事情に詳しいから、こうした ”工作” を担当していたのでしょう」(土井氏)

 榎本さんと土井氏は現在も親交があり、今回、我々の取材にも2人一緒に快く応じてくれた。動燃の孤立化作戦は失敗に終わったようだ。

※続き「第1章 ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査 」は、12/9(火)22:00に投稿予定です。


ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査 ※4回目の紹介

2014-12-05 22:00:00 | 【原子力ムラの陰謀】

*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之

第1章 ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査」を複数回に分け紹介します。4回目の紹介


原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-

1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた

高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。

事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、

一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。

死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。

そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、

あまりにも生々しく記録されていた。

(P3「まえがき」から)

「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」

 2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。

  「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。

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**『原子力ムラの陰謀』著書 「第1章 ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査」の紹介

前回の話ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査 ※3回目の紹介

 当時の運動の中心人物で、かつてウラン鉱山で働いた経験もあるナシ農家の榎本益美さん(77)が振り返る。

「動燃は、住民を懐柔するためにありとあらゆる手段を使ってきました。動燃職員が地区の区長ら有力者を隣町の温泉に招き、飲ませ食わせの接待をしていた。最初はみんな残土の全面撤去を求めていたのに、コロッと態度を変え、『反対運動なんてやめろ』と言ってくる人もいました。私も、自宅を訪ねてきた地元の町議から『1千万円出すから、もう黙っていてくれ』と言われたことがあります。それでも工作がうまくいかないと、町長や町議会の有力者が個別に住民を説得することもあった。『撤去しないで現地保管でいいんだ。それで納得しろ』と強要されたこともありました」

 放射性物質を含む残土の処分は、それを運び出した先の地域でもさらなる反対運動を招くため容易ではない。動燃はウラン残土を「捨石」と呼び、なんとか地区内に置いたまま処分したことにしてごまかすつまりだった。それには、地元の同意が不可欠だった。

 方面地区の反対運動を突き崩すために、いかに自分たちの意向に沿う住民を地元で増やしていくかーそのために動燃が地元住民たちに仕掛けた「工作」を書き記したのが、冒頭の極秘資料だったのだ。


 問題の資料では、地区のほぼ全員にあたる20世帯の住民について、

 ①氏名(TEL) ②生年月日(才) ③職業 ④PNC(動燃の略称)に対する理解 ⑤人脈・本人に対する工作 ⑥家族関係 ⑦地権の有無 ⑧備考

 の8項目に分け、詳細に調べ上げていた。まさに「思想・素性調査」リストである。

 とりわけ、反対派住民の記述は詳しく、入念にマークしていたのがよくわかる。先の榎本さんについては、特に大きなスペースが割かれていた。

<昨年(88年)8月15日以来、反対の筆頭に立っている><元鉱山労働者として放射能の恐ろしさをPNC(動燃の略称)が教育していなかった等、被害者意識が強く、市民グループ、社会等、プレス等をバックに「全面撤去」を主張し、全区民を巻き添えにしている>

 この内容からも、榎本さんに対する動燃の敵対意識がひしひしと伝わってくる。リストの項目④「動燃に対する理解度」は、当然<×>となっていた。

※続き「第1章 ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査 」は、12/8(月)22:00に投稿予定です。


ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査 ※3回目の紹介

2014-12-04 22:00:00 | 【原子力ムラの陰謀】

*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之

第1章 ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査」を複数回に分け紹介します。3回目の紹介


原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-

1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた

高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。

事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、

一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。

死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。

そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、

あまりにも生々しく記録されていた。

(P3「まえがき」から)

「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」

 2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。

  「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。

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**『原子力ムラの陰謀』著書 「第1章 ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査」の紹介

前回の話ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査 ※2回目の紹介

◎反対派住民は「孤立させ無視」
 
 日本の原子力行政の基礎を支える土地として大きな注目を集めた人形峠だが、採掘されたウランは品質が採算ベースに合わず、実用化には不向きであることが判明した。人形峠のウラン鉱山は10年ほどで閉鎖を余儀なくされたのである。周辺ではウランの露天掘りが87年まで続けられたものの、日本は国産ウラン利用の道を事実上放棄し、現在に至るまでウラン資源の全量をオーストラリアやカナダ、アフリカ諸国などからの輸入に頼っていくことになる。

 人形峠への関心は次第に薄れていったが、動燃は人形峠事業所を残し、ウラン濃縮の試験プラントなどを営んできた。

 この地が再度、注目をあつめたのは社会問題の舞台としてである。

 88年、人形峠周辺の鉱山跡地に、坑道を掘った際に掘り出した土などが野ざらしのまま放置されていることが発覚し、そこから高い放射線量が計測されたのだ。人形峠周辺に残る残土の総量は、実に45万立方メートルという膨大なものだ。ウラン鉱山の一つがあった鳥取県東郷町(現・湯梨浜町)方面地区は、町や動燃に、約1万6千立方メートルのウラン残土の全面撤去を要求した。

 動燃で問題の資料が作られた89年は、このウラン残土問題が表面化した翌年のことだった。

 動燃は「捨石(ウラン残土のこと)から出ているのは自然の放射能で害はない」として危険性を認めず、現状のまま撤去しない方針を打ち出していた。それに対して方面地区の住民は、強力な反対運動を展開していた。動燃は、彼らに狙いを定めて「工作」を企てていたのだ。

※続き「第1章 ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査 」は、12/5(金)22:00に投稿予定です。


ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査 ※2回目の紹介

2014-12-03 22:00:00 | 【原子力ムラの陰謀】

*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之

第1章 ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査」を複数回に分け紹介します。2回目の紹介


原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-

1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた

高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。

事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、

一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。

死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。

そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、

あまりにも生々しく記録されていた。

(P3「まえがき」から)

「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」

 2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。

  「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。

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**『原子力ムラの陰謀』著書 「第1章 ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査」の紹介

前回の話ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査 ※1回目の紹介

◎「ウラン音頭」も登場した空前の採掘ブーム

 舞台となったのは、山陰地方と山陽地方を隔てるように横断する中国山地の奥地、岡山県と鳥取県の県境に位置する人形峠だ。日本における原子力産業の黎明期である55年、国内で初めて原発の燃料となる天然ウランの鉱床が発見され、翌年から採掘がはじまった。母体となったのは、動燃の前身である原子燃料公社だった。岡山県と鳥取県の両県で採掘を開始して、地元は空前のウランブームに湧いた。

 農家が多かった地元住民も、こぞってウラン鉱山で労働者として働いた。放射能の危険性がまだ社会に浸透していなかった時代。人形峠は「日本一のウラン鉱床」と、脚光を浴びた。この当時、人形峠に勤務した経験がある元動燃職員が振り返る。

「地元は町を挙げて歓迎し、われわれ東京から来た職員はどこへ行っても『原子力の人だ』と持てはやされました。飲食店の支払いはツケがきき、買い物に行っても、買ったものよりおまけでいただいたもののほうが多いことも珍しくなかった」

 釉(うわぐすり)にウランの粉末・ウラニウムを使った陶磁器の「ウラン焼」、ウラン鉱石を湯船に入れた「ウラン風呂」、観光みやげの「ウラン饅頭」や「ウラン音頭」のレコードまで登場し、県外からも大勢の観光客が押し寄せた。

「観光シーズンには、おみやげのウラン饅頭を店頭に並べると奪い合いになって、すぐに売り切れることもあった」と地元の人は振り返る。

 だが、ブームはほどなく終息に向かう。

※続き「第1章 ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査 」は、12/4(木)22:00に投稿予定です。


ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査 ※1回目の紹介

2014-12-02 22:00:00 | 【原子力ムラの陰謀】

*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之

第1章 ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査」を複数回に分け紹介します。1回目の紹介


原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-

1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた

高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。

事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、

一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。

死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。

そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、

あまりにも生々しく記録されていた。

(P3「まえがき」から)

「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」

 2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。

  「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。

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**『原子力ムラの陰謀』著書 「第1章 ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査」の紹介

 ◎「まずい、まずい」と動燃OBを狼狽させた極秘資料

 資料を見た瞬間、落ち着いた物腰だった動燃OBの顔がみるみる紅潮し、狼狽の色に染まった。

「あれれぇ!この資料、どっから? いや、まいったな。たしかに私が作成したものだが、ヤバいよ、これは。わかるでしょう!」

 動燃OBは完全に動揺していた。頭に手を当てて何度も天井を仰ぎ、しきりに「まずい、まずい」「あちゃ~」と繰り返したー。

 動燃OBがこれほど慌てふためいたのは、「西村ファイル」の中でもひときわ目を引く「方面地区住民資料」と題された、A3用紙6枚分にわたる手書きの極秘資料だ。

 そこには、動燃が地元住民に対して、詳細な素行調査や思想チェックを行った驚くべき「工作」の記録の数々が残されていた。

 作成者は、岡山県の動燃・人形峠事業所(現・JAEA人形峠環境技術センター)の総務課長などを歴任したX氏(73)。作成日は「1989年5月22日」だが、ファクス送信時の送り状は「1991年12月25日」となっている。当時、動燃本社で総務部文書課長として問題を担当した西村氏に送られたものだ。

 そこには、こんな但し書きが添えられていた。

<目的は「住民工作」「健康相談」に資するため>

<外部へ出すのは今回が初めてなので西村課長扱いとして下さい>

「工作」というキナ臭い言葉からもわかるとおり、これは動燃が絶対に公表できない、門外不出の極秘文書だ。その詳細に入る前に、簡単に当時の状況を振り返っておこう。

※続き「第1章 ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査 」は、12/3(水)22:00に投稿予定です。

・・・舞台となったのは、山陰地方と山陽地方を隔てるように横断する中国山地の奥地、岡山県と鳥取県の県境に位置する人形峠だ。日本における原子力産業の黎明期である55年、国内で初めて原発の燃料となる天然ウランの鉱床が発見され、翌年から採掘がはじまった。

・・・動燃側の調査は、世帯主だけでなくその家族関係にまで及んでいた。多く世帯で、家族の勤務先や家庭事情まで徹底的に洗われ、その情報が ”共有”されていた。


動燃「工作」体質の起源 ※9回目の紹介

2014-12-01 22:00:00 | 【原子力ムラの陰謀】

*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之

第6章 動燃「工作」体質の起源」を複数回に分け紹介します。9回目の紹介


原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-

1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた

高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。

事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、

一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。

死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。

そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、

あまりにも生々しく記録されていた。

(P3「まえがき」から)

「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」

 2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。

  「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。

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**『原子力ムラの陰謀』著書 「第6章 動燃「工作」体質の起源」の紹介

前回の話:動燃「工作」体質の起源 ※8回目の紹介

 さらに、恋人との関係も「思想チェック」の対象だった。T氏に対する評価には、こんなことが書かれていた。

<本人は昔と何ら変化したとは観れない。事実、未だにKと付き合っており(出勤時自分の車に乗せてくる)、関係は切れていない>

<良識派サイドから「大丈夫」という折紙をつけたことは一度もない>

 言うまでもなく、「K」は「良識派」が共産党シンパとみなしていた女性である。


「核」を扱うという特殊な業務だけに、革新勢力への警戒感も並外れて強かったようだ。反対運動を潰すためならば何をやっても許されるという彼らの思考は、こうした経緯で醸成されていったのだろう。

 80年代前半、共産党に対して露骨に示されていた敵対意識は、その後、向けられる対象が変わっていく。86年、チェルノブイリ原子力発電所の事故が起きると、メディアでの衝撃的な映像に後押しされて、反原発運動が主婦層などの一般層にまで浸透していった。その勢いに科技庁を始めとした「原子力ムラ」が強い警戒心を抱いていたことは、第4章で取り上げた資料からもわかる。

 職場内で繰り広げられた共産党との泥沼の闘争で身についた「工作」の技術が、今度は外に向かい、一般市民にまで使われていくようになったのである。その一端が、人形峠のウラン残土問題であり、「K機関」が行おうとした世論の「洗脳」だったのだ。

※「第6章 動燃「工作」体質の起源 」の紹介は、今回で終了します。

引き続き、12/2(火)22:00から「第1章 ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査」の紹介を始めます。

・・・舞台となったのは、山陰地方と山陽地方を隔てるように横断する中国山地の奥地、岡山県と鳥取県の県境に位置する人形峠だ。日本における原子力産業の黎明期である55年、国内で初めて原発の燃料となる天然ウランの鉱床が発見され、翌年から採掘がはじまった。

・・・動燃側の調査は、世帯主だけでなくその家族関係にまで及んでいた。多く世帯で、家族の勤務先や家庭事情まで徹底的に洗われ、その情報が ”共有”されていた。


動燃「工作」体質の起源 ※8回目の紹介

2014-11-28 22:00:00 | 【原子力ムラの陰謀】

*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之

第6章 動燃「工作」体質の起源」を複数回に分け紹介します。8回目の紹介


原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-

1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた

高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。

事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、

一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。

死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。

そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、

あまりにも生々しく記録されていた。

(P3「まえがき」から)

「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」

 2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。

  「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。

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**『原子力ムラの陰謀』著書 「第6章 動燃「工作」体質の起源」の紹介

前回の話:動燃「工作」体質の起源 ※7回目の紹介

<N職員の県>
と題された85年3月9日付の文書には、「秘」の印が赤字で書かれた上、本人の学歴、生年月日、家族構成などとともに次のような<状況説明>がなされている。

<当時、安管部ではK、Tなどの兵が活発な動きをしており、当人も浮ついた考え方であった為、連中の流れに追従してきた>

 この職員、これより10年ほど前に共産党から村議選に立候補した動燃職員の後援会に名を連ねており、そのことが出世を遅らせていたらしい。検討は次のように続く。

<その後、良識派のテコ入れもあり、一部良識派には当人を二重スパイ的に動かしたとの説もある>
<しかしながら、最大の良識派である「育てる会」の見方は、慎重論もあり、未だ完全な回復とは至っていない>
「二重スパイ」とは、東西冷戦時などに暗躍した、ソ連のスパイでありながら、アメリカにも情報を流すという、あれである。つまり、この職員は共産党側の「スパイ」の身分のまま、実態は良識派の「スパイ」として逆に共産党内部を探っていた、ということだと思われる。

 結局、この職員については、慎重論も根強かったようだが、職場内に<認めてやってもよい>という意見も強く、結論は次のように出た。

<結論 主査昇任を認めることとする>


 資料は、ほかにもいくつもあった。

<観光目的でソ連旅行を行なっているが、一般常識的に見ても、訪ソという感覚(たとえ最近、TVでのシベリア紹介に動機があったとしても)は、何か不可解な点を感ぜざるを得ない>
<以前に赤旗の日曜版を購買していた(本人談)が、最近やめた>

 などと ”疑惑” の職員の行動を逐一、監視していたことがわかる。

※続き「第6章 動燃「工作」体質の起源 」の紹介は、12/1(月)22:00の投稿予定です。


動燃「工作」体質の起源 ※7回目の紹介

2014-11-27 22:00:00 | 【原子力ムラの陰謀】

*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之

第6章 動燃「工作」体質の起源」を複数回に分け紹介します。7回目の紹介


原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-

1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた

高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。

事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、

一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。

死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。

そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、

あまりにも生々しく記録されていた。

(P3「まえがき」から)

「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」

 2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。

  「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。

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**『原子力ムラの陰謀』著書 「第6章 動燃「工作」体質の起源」の紹介

前回の話:動燃「工作」体質の起源 ※6回目の紹介

◎「監視」と「尋問」が日常化していた動燃内部

 「良識派」と共産党が勢力を争っていた80年代、動燃東海事業所でも、職員同士の”疑心暗鬼”の争いが繰り広げられていた。労務課に所属する動燃職員が書いた、こんなメモ書きが残っている。

<手法 種訳け 党員性のある者とそうでないもの>
<その際、党員性とは何かの基準を作る>
<個別 S(人名) ゲロさせるべき>

 共産党員であることを「ゲロさせる」、つまり白状させるということだろうか。

 実際、職場内の共産党シンパをあぶりだす活動は「良識派」によって日夜、行われていたようだ。たとえば、「良識派」の職員が、結婚を控えた女性職員を問い詰めた会話のメモが残っていた。

<お前の立場をはっきりしろ。変な活動はやめろ>(「良識派」)

<苦悩している様子。反論する気持ちよりどうしようかと迷っている様子。S、Eとはそれほど深くはないが、といって切れる関係ではない。道すがら挨拶されれば答える程度。結婚式にそういう連中を呼ぶことはしない>(女性職員)

 このやりとりの中に出てくる「S」「E」の両氏は動燃内部で共産党員とみなされていた人物だ。女性職員が共産党員かどうかという問題とともに、結婚式にその2人を招待するかどうかも論点になっていたようだ。

 別の日には、違う「良識派」の職員とこんなやりとりをしていた。

<お前は「共」支部か、民青か>(「良識派」)
<違う>(女性職員)
<「共」はよく勉強会を開いているが参加しているのか>(「良識派」)

<行事には参加しているが、勉強会に参加したことはない>(女性職員)

 この女性は、先程の「思想チェック」リストで、「B判定」ながら<「良」 日共>と説明書きがされていた。

 職員の「思想」は、もちろん、出世の速度にも影響していた。共産党員との疑いがある職員を昇格させる際、その思想を詳しく検討した報告書も残っていた。

※続き「第6章 動燃「工作」体質の起源 」の紹介は、11/28(金)22:00の投稿予定です。


動燃「工作」体質の起源 ※6回目の紹介

2014-11-26 22:00:00 | 【原子力ムラの陰謀】

*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之

第6章 動燃「工作」体質の起源」を複数回に分け紹介します。6回目の紹介


原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-

1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた

高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。

事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、

一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。

死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。

そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、

あまりにも生々しく記録されていた。

(P3「まえがき」から)

「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」

 2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。

  「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。

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**『原子力ムラの陰謀』著書 「第6章 動燃「工作」体質の起源」の紹介

前回の話:動燃「工作」体質の起源 ※5回目の紹介

<良識派一覧表>と題された手書きの名簿を見ると、82年3月1日現在で119人のメンバーがいたことがわかる。

 リストは所属部署や学歴、メンバーに入った年、そして、またもや「A」「B」「C」のランク分けがされていた。その基準は、

<A メンバーの中核 B 日常の活動意欲的 C その他>だそうだ。

<キッカケは>という項目を見ると、「良識派」のメンバーになった経緯がよくわかる。多いのは、<上司の指導><村議選><役選>など。上司からの選抜のほか、労組内や地元議会の選挙での働きぶりを見て、声をかけられていたのだろう。

「良識派」が発足した経緯について簡単な説明がされた資料もあった。

<東海事業所における良識派の組織化については昭和42年(67年)から顕在化した××派に対抗し、昭和51年(76年)、事業団職員猫塚豊治氏が東海村議選に立候補したが、その際発足した「励ます会」が発展的に改編を重ね「はまざく会」から「育てる会」に移行し現在に至っている>

 つまり、動燃職員でありながら東海村議となった猫塚氏(第3章参照)の応援組織が、その起源だったようだ。対する「××派」は、東海村議選に共産党から立候補して当選した動燃職員のグループと思われる。

「労務関係対策計画」と題された資料にも、<対策大綱>としてこんな項目が列挙されていた。

<健全分子の育成>
<情報網の整備>
<N選対の発展的活用(東海)>

 文脈などからして、「N選対」とは猫塚氏の選挙対策委員会のことと思われる。

 第3章で指摘したように、動燃は「組織ぐるみの選挙」という批判をかわすために、まず組織内に「有志の会」を立ち上げ、「動燃本体とは無関係」と主張してきた。ここで明らかになったのは、職員の「思想チェック」をしてきた内部組織「良識派」が、その流れにあったということだ。労務対策の方針を記した動燃の「対策大綱」に記載されていることからも、それが動燃本体の意思だったことは明白である。

※続き「第6章 動燃「工作」体質の起源 」の紹介は、11/27(木)22:00の投稿予定です。


動燃「工作」体質の起源 ※5回目の紹介

2014-11-25 22:00:00 | 【原子力ムラの陰謀】

*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之

第6章 動燃「工作」体質の起源」を複数回に分け紹介します。5回目の紹介


原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-

1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた

高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。

事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、

一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。

死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。

そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、

あまりにも生々しく記録されていた。

(P3「まえがき」から)

「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」

 2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。

  「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。

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**『原子力ムラの陰謀』著書 「第6章 動燃「工作」体質の起源」の紹介

前回の話:動燃「工作」体質の起源 ※4回目の紹介

◎動燃内の反共秘密組織「良識派」とは

 リストに何度も出てきた「良識派」とは、かつて動燃労組内で勢力を伸張しつつあった共産党に対抗して作られてた社内組織だ。ここまで「K機関」「志萌会」「カミュ」といった動燃内の秘密組織を見てきたが、「良識派」の誕生はそれよりもずっと古い。

 82年4月5日、労務課の社内会議で検討資料として作成された<良識派のあり方について(案)>には、<期待すべき活動>として、組織の性格がはっきりと書かれている。

<現状の良識派の活動の主体は「敵の存在」を意識した上での、労組役員の組閣対策、役選対策、労組活動の支援、及び地元選挙対策となっている>

「敵」とは、ずばり共産党のことだろう。「良識派」の活動は、組合対策のほか、第3章で取り上げた選挙対策も含まれている。

 組織の特徴としては<インフォーマル(非公式)組織とする>と明言。メンバー入りに要求される条件として<入社3~10年><健全な思想の道主><職場に於いて相応の実力と人望をもち、リーダーシップの発揮できる者><機密を守れる人物>とある。「西村ファイル」を分析するなかで何度も感じてきた「スパイ小説」の世界が、またここにもあった。「K機関」や「あかつき丸」をめぐって浮かび上がった「スパイ趣味」は、こうした体質に端を発していたのではないか。

 別の資料では、茨城県の大洗工学センター、福井県の「ふげん」、岡山県の人形峠事業所、岐阜県の中部事業所の「良識派」の実態を調査していた。「良識派」は東海事業所だけでなく、動燃全体で組織されていたのである。

 何でも記録する動燃のことだ、「西村ファイル」の中を探すと案の定、「良識派」メンバーの名簿もしっかりと作られていた。

※続き「第6章 動燃「工作」体質の起源 」の紹介は、11/26(水)22:00の投稿予定です。