*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之
「第1章 ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査」を複数回に分け紹介します。10回目の紹介
原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-
1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた
高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。
事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、
一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。
死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。
そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、
あまりにも生々しく記録されていた。
(P3「まえがき」から)
「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」
2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。
「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。
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**『原子力ムラの陰謀』著書 「第1章 ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査」の紹介
前回の話:ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査 ※9回目の紹介
そもそも「ウラン残土」を捨石と言い換えることからして問題の矮小化だ。さらに聞き捨てならないのは、放射性廃棄物の処理の話であるはずの残土問題を、「新しい技術開発のため」という話にすり替えようというのだ。
この会談を受けて「PNCの立場としてまとめたもの」と注意書きされた資料には、こんなことが書かれていた。
<技術開発と捨石処理の関係
ウラン資源確保技術の開発の一環として、岡山県内で入手できなかった鉱石(捨石)を用いて試験を行い、新しい知見を得ることを目的としており、技術開発という位置づけである>
ものはいいようである。こともあろうに本来は「核のゴミ」である「捨石」を、今度は
「岡山県内で入手できなかった鉱石」と再び言い換えて、さも貴重な資源を運び込んで有益な実験をするかのように装っている。もはや「核燃料サイクル」が破綻しているにもかかわらず、原子力ムラの面々が、使用済み燃料棒は「資産」であり「新しい核燃料」になると訴え続けているのと同じ構図だ。
しかも、ここでいう「技術開発」の作業は一般に公開しないのだという。その言い訳が振るっている。
<後悔してまずいことを実施するのではない。しかし、原子力に係る技術開発試験を公開で実施した例はなく、また、この問題は、動燃だけの問題ではなく、原子力関係すべてに大きな影響を与えるので、公開による実施は了解できない>
言葉のすり替え、ごまかし、隠蔽・・・姑息な手段をとり続ける動燃を地元住民が信用するはずもなく、問題が解決することはなかった。
※続き「第1章 ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査 」は、12/16(火)22:00に投稿予定です。