原発問題

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動燃「工作」体質の起源 ※6回目の紹介

2014-11-26 22:00:00 | 【原子力ムラの陰謀】

*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之

第6章 動燃「工作」体質の起源」を複数回に分け紹介します。6回目の紹介


原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-

1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた

高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。

事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、

一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。

死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。

そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、

あまりにも生々しく記録されていた。

(P3「まえがき」から)

「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」

 2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。

  「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。

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**『原子力ムラの陰謀』著書 「第6章 動燃「工作」体質の起源」の紹介

前回の話:動燃「工作」体質の起源 ※5回目の紹介

<良識派一覧表>と題された手書きの名簿を見ると、82年3月1日現在で119人のメンバーがいたことがわかる。

 リストは所属部署や学歴、メンバーに入った年、そして、またもや「A」「B」「C」のランク分けがされていた。その基準は、

<A メンバーの中核 B 日常の活動意欲的 C その他>だそうだ。

<キッカケは>という項目を見ると、「良識派」のメンバーになった経緯がよくわかる。多いのは、<上司の指導><村議選><役選>など。上司からの選抜のほか、労組内や地元議会の選挙での働きぶりを見て、声をかけられていたのだろう。

「良識派」が発足した経緯について簡単な説明がされた資料もあった。

<東海事業所における良識派の組織化については昭和42年(67年)から顕在化した××派に対抗し、昭和51年(76年)、事業団職員猫塚豊治氏が東海村議選に立候補したが、その際発足した「励ます会」が発展的に改編を重ね「はまざく会」から「育てる会」に移行し現在に至っている>

 つまり、動燃職員でありながら東海村議となった猫塚氏(第3章参照)の応援組織が、その起源だったようだ。対する「××派」は、東海村議選に共産党から立候補して当選した動燃職員のグループと思われる。

「労務関係対策計画」と題された資料にも、<対策大綱>としてこんな項目が列挙されていた。

<健全分子の育成>
<情報網の整備>
<N選対の発展的活用(東海)>

 文脈などからして、「N選対」とは猫塚氏の選挙対策委員会のことと思われる。

 第3章で指摘したように、動燃は「組織ぐるみの選挙」という批判をかわすために、まず組織内に「有志の会」を立ち上げ、「動燃本体とは無関係」と主張してきた。ここで明らかになったのは、職員の「思想チェック」をしてきた内部組織「良識派」が、その流れにあったということだ。労務対策の方針を記した動燃の「対策大綱」に記載されていることからも、それが動燃本体の意思だったことは明白である。

※続き「第6章 動燃「工作」体質の起源 」の紹介は、11/27(木)22:00の投稿予定です。


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