原発問題

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動燃「工作」体質の起源 ※4回目の紹介

2014-11-21 22:00:00 | 【原子力ムラの陰謀】

*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之

第6章 動燃「工作」体質の起源」を複数回に分け紹介します。4回目の紹介


原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-

1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた

高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。

事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、

一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。

死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。

そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、

あまりにも生々しく記録されていた。

(P3「まえがき」から)

「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」

 2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。

  「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。

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**『原子力ムラの陰謀』著書 「第6章 動燃「工作」体質の起源」の紹介

前回の話:動燃「工作」体質の起源 ※3回目の紹介

 このリストでは、81年度、82年度のそれぞれに<判定>の項目が設けられ、「A」「B」「C」「観」などとマークがつけられていた。どうやら、共産党に近いと思われる順にランク分けがなされていたようだ。「観」の印は、「経過観察」といったところだろう。

 そして、この「思想チェック」には”ネタ元”があった。リストの右上に、こんな「但し書き」がされていたのだ。

<「良」は良識派 「勝」は勝田署 「公」は公安調査庁 「県」は県警 の情報を基にする>

「良識派」については後で詳しく述べるが、その言葉から想像されるような、一般的な良識のある人間のことを指すのではない。共産党に対抗するために動燃内部に作られた「秘密組織」の名称である。

「勝田署」「県警」は、それぞれ東海村に隣接した茨城県勝田町(現・ひたちなか市)にある茨城県勝田署(現・ひたちなか西警察署)と、茨城県警本部のことだろう。

 さらに、公安調査庁からも情報を提供されていたという。公安調査庁は法務省の外局で、破壊活動防止法などに基づき、過激派や新興宗教などの監視を行なっている団体だ。活動範囲は公安警察と重なるが、警察が持つ逮捕権などを持たない別個の団体である。

 公安警察も公安調査庁も、日本共産党を監視対象にしていることは以前から知られている。動燃はこうした公安当局から、情報を得ていたのだ。

 そのことは、ランク判定の<理由>の項目の、次のような記述からも裏付けられる。

<「勝」 S(県議の名)宅へ出入り多し。○○祝う会出席 I宅出入り多し 57(82年か)役選時プラカード持ち>
<「勝」 北部活動者会議へ出席>

 このように、動燃職員は公安警察によって細かく監視されていたことがわかる。

 もっとも、<理由>の項目の大部分は「良」マーク、つまり動燃職員で作る「良識派」からの情報で埋められていた。

<「良」 創価学会・・・反共>
<「良」 選挙時に○○、○○に近い>
<「良」 日共 村儀選の頃、S宅に出入り>
<「良」 同調者か民青 勝田で手話の会(ボランティア)>

 自前の「スパイ網」である「良識派」も、かなり協力、かつ大規模なものだったようだ。職員らは、一挙手一投足を監視されていたのである。

※続き「第6章 動燃「工作」体質の起源 」の紹介は、11/25(火)22:00の投稿予定です。


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