ニクソン米大統領の補佐官としてベトナム戦争終結に大きな功績を果たしたといわれたキッシンジャー氏ではあるが、当時から米国内では所謂台湾派といわれる人たちからは、その評価に疑問符がつけられていた。それは、米中国交正常化を旗印に台湾政府を中国に売り渡してしまうという裏切り行為ではなかったのかという疑問である。
しかし、日本ではあまりこの辺の話が表に出ないで、むしろこれまで同氏の洞察力への評価が高く、もてはやされてきていたようにおもえる。だが、5月28日の産経は情報公開法に基づき入手したホワイトハウスの極秘文書が明らかになり、そのなかで、同氏が1972年8月にハワイで行われた政権内の会合での日中国交正常化交渉に関する話の中で「あらゆる信頼できない者のなかでも、ジャップが他に抜きん出ている」とのべ、「彼らは中国との国交正常化を急ぐだけでなく、国慶節を選んだ」とも指摘し、不快感を述べたとある。
ご存知の通り、米国は中国との国交正常化を日本に通告することなく決定してしまい、日本政府が極めて具合の悪い立場に置かれ、当時の田中政権が拙速で日中国交回復を図らざるを得なかったことをご記憶の方も多かろう。そんな中でのキッシンジャー発言は残念ながら「日本蔑視」の発言と受け止めざるを得ない。
最近読んだ伊藤貫著の「中国の核が世界を制す」で伊藤氏はキッシンジャーとブレジンスキーを比較した記述の中で、キッシンジャーは「日本人に対して鋭い敵意と嫌悪感を抱いている。思考力は優れているが、ネクラで陰険である。」更に、伊藤氏はキッシンジャーとの日米関係に関する対話の中で「日本人を殆ど生理的に嫌悪・軽蔑していると感じられる。」と書いているが、今回の発表でそれが裏付けられたということであろう。
伊藤氏はキッシンジャーが一つの中国を認め台湾を売ってしまったのみならず、日本の核武装を認めないことを中国に約束している所謂ニクソン密約にも言及しているが、キッシンジャーが当時中国にというべきか、毛沢東にというべきかもしれないがどのように対応したのか、外交文書ではないがユン・チアンの「マオ」第54章 ‘反共ニクソン、赤に呑まれる’は示している。P426 「1971年7月に大統領訪中の下準備のために北京を極秘で初訪中したキッシンジャーは重い手土産をどっさり携えてきた。しかも、ひとつとして見返りを要求しなかった。もっとも意表を衝く手土産は、台湾に関する提案だった。」一つの中国を認め中国を国連常任理事国の椅子にすわらせ、ソ連との交渉に関する情報を流し、ベトナムからの完全撤退を約束したことをユン・チアンは「毛沢東にしてみれば、労なくして山のような献上品を受け取った形だ」と表現している。だから「日本に核武装をさせない」程度の話は、キッシンジャーにとっては朝飯前だったのであろう。
「マオ」は毛沢東が外国要人を篭絡させるには、「何でも望むものを与えよ、金には糸目をつけるな、女は好きなだけ与えよ」と支持していたと書いていたと思うが、伊藤氏も同様な記述をしている。そして伊藤氏は「キッシンジャーが米中関係において果たした役割の重要性を認める中国の官僚ですら‘キッシンジャーは、我々の目の玉が飛び出るような金を要求してくる」と書き、ユン・チアンは「キッシンジャーの機嫌を取るために個人的な話題にも触れ、キッシンジャーが女性にもてることを冷やかした。会議記録には、次のような会話が残されている。’貴方が病に倒れる寸前だという噂がありましたよ。(笑い)ここに座っている女性たちは、みなそれを聞いて残念がった(特に女性たちから大きな笑い声)博士が倒れてしまったら、我々の仕事が無くなってしまうという噂でした。」「中国女性を差し上げましょうか?1000万人でも結構ですよ(特に女性から大きな笑い声)」とあり、同氏が金と女の両面からも毛沢東に篭絡されていたことを暗示している。ついでの話になるが、中国のこうした体質は今も変わっておらず、元首相の例に限らず、最近では外交官の自殺にまで発展しており、今までどれほど多くの日本人が篭絡・懐柔され日本の国益を大きく損なってきているか、所謂媚中派・親中派という人々の不可思議な発言・行動をみれば理解できると思うが、中国の体質がこのようなものであることを肝に銘じて、付き合う必要があろう。
いずれにしても、キッシンジャーの名誉は剥奪されるべきであり、以降同士の洞察力・分析力に着目することはあるにしても、心を赦して意見を乞うという相手ではなくなったことだけは今回の外交文書の公開でハッキリした。