今日8日の産経は「ギリシャ金融危機と日本国債」で満載だ。一面に「世界同時株安NY続落270ドル下げーギリシャの火 日米にも」のタイトルでワシントン渡辺・田端両記者によるレポートである。「G7が緊急電話会談」を行ったことを知らせた後で、「欧州の動揺が日米に波及したのは、市場で3つのリスクが強く意識されているためだ」という。その3つのリスクとは?
<1.実体経済の失速リスク―欧州景気が悪化し、金融危機の病み上がりの世界経済が再び悪化しかねないリスク。
2.金融システム不安の再燃のリスクージャンク(投資不適格)級に格下げされたギリシャ国際などを保有する金融機関に損失が発生し金融システム不安が再燃すること。
3.日米国債への波及のリスクー日米当局が最も恐れる自国国債への波及である。
現段階では日米国債は欧州との比較で安全資産と認識されているが、米国は1.5兆ドルと過去最高の財政赤字を、日本は政府の債務残高がギリシャをはるかに上回る主要国で最悪の水準にある。こうなると、「投資家は高水準の公的債務に耐えられなくなっている」(WSJ)
国債への信用が低下し市場で売却が始まればギリシャのように長期金利が上昇、家計や企業の利払い負担が増え、経済を冷え込ませる。>
更に11面をみると、「日本国債は大丈夫?―個人資産1400兆円で消化」と題して「将来的には国内だけでの消化は困難ではあるが、ギリシャと違うのは国内の金融機関や投資家によって購入される消化率が94.8%と高いし、金利も低位安定している。」と。
産経もようやくこの財政問題に本腰を入れて報道を始めたと言えるのかもしれないが、しかし、これまでも繰り返し言っているように問題は、「債務残高の多さ」だけではなくこれに加えて、早晩訪れる「国債の暴落=高金利」という時限爆弾を抱えているという問題である。すなわち国内で低利の国債を消化出来なくなる時期が早晩訪れる。それもそう先の話ではないということだ。これまでもこの「早晩」についてその時期が何時と言うことがなかなか確定しがたい面があり、「狼少年」とも言われていたが、3月13日付週刊東洋経済の記事のように、今までとは異なり「後2-3年」とまで踏み込む分析が可能になって来ている。それだけ事態は現実味を帯び、国債の消化に国内の金を当てにできなくなって来ていることが理解出来る。そしてそれを良く認識している財務省が亀井を使って郵政改革を逆走してまで国債消化の原資を手当てさせるという手にでた。しかし、これは「劇薬」に他ならない。もし今年のように来年以降の財政規模を大きく拡げたまま、且つ郵貯・簡保に金が十分集まらなければ、日本の財政運営は一気に行き詰まる事になる。又、例え少々の金を郵貯が確保してもそれは財政破綻を一時的に先延ばしするだけの延命効果でしかない。
日本にとってはこの国債が国内で消化出来ないと言うことは、それ以前とでは大きな違いが出てくる。一気に国債が暴落=金利が上昇する、ということだ。そしてそれ以降は、下世話に言えば銀行から借りていた低利の金を、相手をサラ金に変え高利の金を借りざるを得なくなるのと同じことになる。そしてそれだけでなく、それまでに国が売り出した国債の償還を従来同様に返済せずに借り換えをすることになれば、その借り換え分も高利で手当てすることになり国の借金は一気に大幅に増大する。日本の国債が1%程度だと言うのに直近のギリシャの10年もの国債の金利が10%に上がったことを(その5)で書いたことを思い出して戴きたい。これは返済額が2倍以上になることを意味する。そして、それまで国債を買ってきた金融機関も手持ちの国債で損失をこうむりながら、同時に国債を投げ売りして損失を軽減すると言うことになるのだろう。そして国民にはハイパー(超)インフレが襲いかかり、物価上昇のみならず年金すらも満足に払われない。そんな世界が現実味をもってくる。まさに今のギリシャに見るのと同じことが起きるのである。
何れにしても、ここまで財政が悪化している以上、直ちに再建策を講じても国民への負担は免れ得ない、しかし今直ちに再建策を講じることでその国民への負担を軽減するという事は可能になるのだ。政府には現状を国民に包み隠さず説明し、早急に事態の改善に努めてもらいたい。増税も必要だろうがそれだけで済む話ではないし、絶対にそれだけで済ませてはならない。
月刊文芸春秋5月号で田代秀敏氏(ユーラシア21研究所客員研究員)は「後4年、財政と年金は同時に破綻する」と題する記事を載せており、このことはこのブログでも一部取り上げたが、改めてその記事の結語を掲載してみよう。
<日本国債暴落の警告は、これまで結果として「狼少年」で終わった。私も自分が「狼少年」の一人になることを切望する。しかし、私達は国債の壁の中で昏睡したままハイパーインフレで窒息死するのか、それとも、遅すぎるかもしれないが目覚めて壁を壊す闘いを始めるのかを選ぶ岐路に来ている。>