杉並の純一郎(3)

2009年12月で68歳に!
先の戦争が一体なんだったのかを今一度勉強し、次の世代に伝えてゆきたい。

「一国主義」は日本こそ問題だ!

2007-12-08 00:57:05 | Weblog
12月4日の産経新聞の正論は阿川氏の対米観と言うべきものであるが、私は前から阿川氏の考えが私に一番近い。と言っては失礼だから、言い換えれば肌が合うとでも言うべきなのだろう。私には氏の日米関係における日本の立位置を明確に認識されているところが肌に合うのである。ともすれば、故も無い勇ましさこそが日本のあるべき姿とでも言うような論調の多い中で、阿川氏の冷静さはとりわけ目立つ存在ではないが、いつもじわりと説得力を持っているのである。以下に要約する。

小沢民主は「多極主義」を装うが、、、
<総理の決意は実行可能か>
 日米両首脳は同盟の重要性と強化の必要性を再確認した。総理は補給活動再開の法案成立に全力を尽くすと言明。大統領は、北朝鮮のテロ支援国家指定を簡単には解除しない、拉致問題は忘れないと発言。
 参議院選挙での与野党逆転は日本の安全保障政策の手足を縛っている。
 大統領選挙まで1年を切り、ブッシュ政権も、北朝鮮をめぐる政権内の意見に揺らぎが見られる。
 日米首脳が直接会い同盟の根幹をぐらつかせないという強いメッセージを送ったのは、大きな意味があるが、この決意をわが国は実行できるのか、個別に見れば心もとない。
<油断すれば貯金なくなる>
 補給活動再開に努力するが、いつと言えない。在日米軍駐留経費負担は、財政が苦しい。減額を検討せざるを得ない。普天間基地の移転は、時間と金がかかる。理解してほしい。
 拉致は重大な問題だから、北朝鮮のテロ支援国家指定を解除すべきでない。ミャンマー政府を追い詰めるのはよくない。理解して欲しい。
 米牛肉の輸入完全解禁は、食の安全に照らして難しい。理解して欲しい。
 理解は求めても何も約束しない。大統領は無理を言わないが、ここ6年日本がテロと戦うアメリカと具体的行動に足並みを揃えて来た、その貯金のお陰だ。
 貯金は油断すればすぐに減る。中東での兵士の犠牲と巨額な戦費を負担する米国民が、日本は安全コストを負担せず、在日米軍駐留経費の負担分を減らそうと懸命で、米牛肉の輸入は許さないー見方が変われば貯金はやがて底をつく。
<生き残り策に敏感であれ>
 アメリカばかりを重視するのかという反論がある。ブッシュは国連決議なしでイラクを攻撃、民間人犠牲者を出して中東の混迷を深めた。アフガニスタンも。沖縄はじめ基地負担は大きい。京都議定書に調印しない一極主義のアメリカに、いつまで追随するのか。
 アメリカや多くの国から見れば、わが国も相当一極主義的に見えないか。アメリカは時々酷く我侭だが、日本もしばしばその立場を頑なに譲らない。両国の一極主義の大きな違いは、アメリカは一極主義でも存在しうるが、日本は不可能だという単純な事実である。
 日本は戦前それを試みて見事に失敗した。だから戦後アメリカと同盟を組んで自国の安全を守ると決めた。中国が軍事大国化し、日本の人口が減少し始め、東アジアで生き延びるには、アメリカとの同盟維持・強化が必須である。近隣諸国・国連は日本を守ってくれない。
 民主党は、国連決議が無い限り、憲法上、日本は自衛隊を海外に派遣できないと言う。憲法9条の縛りと合わせて、実質上それは多極主義の衣を借りた一極主義だ。国の安全保障の問題で、国連とアメリカの意見が対立し、その判断を国連委ねる国を、米国は守らない。これでは日米同盟に亀裂を生じる。
 日本人はアメリカの一極主義を批判して来ているが、自国の一極主義の弊害に、敏感であるべきだ。

以上が阿川氏の論評であるが、これに加えておきたいことがある。
それは日本が戦後60年間自らの犠牲を払わずに、アメリカが人命と戦費を費やして守ってきた、世界各国とシーレーンで日本はほぼ自由に貿易をすることが出来たことである。私は1965年に社会人として外航海運に30年務め、自由に貿易できることのありがたさを身にしみて経験してきている。この間の平和は台風で言えば、その目の中に居たに等しいことと考えて良いのではなかろうか?そして日本はその目の中から、今、出ざるを得ない、自ら何処に向かうかを判断しなければならない状況にあると言ってよかろう。そして、それでもなお私にとっては共に手を携えるべき相手はこれからもアメリカを始めとする同じ価値観を共有出来る自由主義陣営であり、中国やロシアではない。
 他人様はえてしてこのような対米観を「ひいき」とする向きがあるが、私は決してそうではないし、阿川氏もそうでなかろう。お互い共通するところがあるとすれば、長く滞米しアメリカを身近に観察する機会(阿川氏の場合は研究されたということだろうが)を得たに過ぎないと思っている。
 阿川氏は上述で「アメリカはわがまま」と表現されているが、これは上品な言い回しであろう。20世紀初頭ワシントンで幣原喜重郎が話を聞いた英国の政治家でもあり駐米大使を務めたジェームス・ブライスは「アメリカは時として相当酷いことをする国」だと表現している(もっとも、そのあとにアメリカは後で過ちに気づき改める国とも言っているが)。アメリカの外交官であり、冷戦を設計したと言われるジョージ・ケンンは著書「外交50年」の中で、日米関係を確か以下のように表現している。「戦前のアメリカは日本をいじめ続けたが、戦後は一転して甘やかした」と。甘やかしたという表現に飽き足らない諸兄に一言。「甘やかす」は英語ではご存知のとおりSPOIL 、しかしこれは相手を駄目にするという意味合いが強いが、そう考えれば今の日本を見て納得も出来よう。
 いずれにせよ、日本は戦後アメリカの庇護の下、戦前に成し得なかった自由貿易の恩恵をフルに受けて経済大国にのし上がったが、いまだ半人前の状態であり、自立とか独立とか言う言葉からは程遠い存在という認識を持たなければ国際社会へのスタートラインにもたてないことをよく理解しておくべきことと思う。言葉を変えれば日本は戦後ずーっと、温室の中に育った野菜みたいな存在である。だからこのような状態にあることから脱却したいなら、小国、少人口、無資源という“分”をわきまえ、どの国と同盟を結ぶにしろ国際社会に通用する相当の“覚悟と我慢”が必要だということを理解する必要がある。欧米が食べているアメリカの牛肉ならば、大事なパートナーが頼んできたなら我慢してでも食べなければ成らないということである。そうしなければ、阿川氏のいうとおりパートナーなしには日本は生きて行けないのである。そしてこれを認識することで、初めて戦後レジームからの脱却―台風の目を出ることーが可能となるということなのだ。