杉並の純一郎(3)

2009年12月で68歳に!
先の戦争が一体なんだったのかを今一度勉強し、次の世代に伝えてゆきたい。

南京事件70周年控え北米で反日作品続々!

2007-12-05 14:12:03 | Weblog

南京事件70周年控え北米で反日作品続々
            -原作誤記だらけ「真実」として上映

産経新聞を読んでいない友人・知人へ!

 産経新聞は海外特にアメリカにおける南京事件について1年以上前から、その異常性に疑問と懸念を報道してきているが、朝日新聞他はどのような報道なのだろうか。

 いわゆる、日本軍が犯したという「南京事件」が虚構であることは、最近十年間の日本人による研究で、そのウソが証明されたと言ってよい。
 私も当初は少しぐらいの虐殺はあっただろうに、全く無いとは信じておらず、そのような研究結果を表した日本人による書物(例えば、東中野修道氏の‘南京事件 -国民党極秘文書から読み解く’)を読む気にはなっていなかった。しかしながら、ユンチアンによる、「マオ(毛沢東)」を読んでゆくうちに、1936年12月の張学良による蒋介石拉致に始まるスターリン、毛沢東を巻き込んで成立した第2次国共合作が1年後の1937年12月「南京虐殺捏造」の始まりだということを信じるに至ったからである。
 12月5日産経新聞ワシントン山本記者の記事から始めよう。

「日中戦争中の南京事件(1937年12月)から70周年を13日に控え、北米の華僑界では事件を糾弾する映像作品などの発表が相次いでいる。日中関係をにらんで中国国内の動きが比較的抑制される反面、海外での動きが特出したかたちだ。とりわけ、今年1月に発表された米ドキュメンタリー映画‘南京’が、次期アカデミー賞の有力作品にあげられ、影響を広げる気配だ。

 ‘南京’や後続の作品は、ほぼいずれも在米の中国系女性作家、故アイリス・チャン氏の著書‘レイプ・オブ・南京’を題材に取り込んでいる。おびただしい資料の誤読など、同書の欠陥は海外の大衆レベルには度外視され、30万人の虐殺や8万人の婦女暴行という極端な数字だけが、映像作品を介し“真実”として再生産されつつある。

 カナダで新たに製作された映像作品は‘アイリス・チャン レイプ・オブ・南京’という直裁なタイトルだ。華人女優オリビア・チェンの扮するチャン氏が南京などで取材し、問題の同書を執筆する過程をドキュメンタリー仕立てで描いている。
 製作を進めたのは、カナダ下院での慰安婦決議支援など、対日批判活動を続ける華僑組織‘トロントALPHA’。製作は昨年末、チャン氏の遺族の協力で始まり、この10月に完成した。カナダではこのほか、同じく日本の歴史的責任を追及する組織‘抗日戦争史実維護会’による舞台劇‘南京1937’も、バンクーバーで近く上演される。

 こうした新作に対し、公演から1年近くかけて注目度を高めたのが、米インターネット大手AOL副会長(当時)、テッド・レオンシス氏による‘南京’だ。
米映画芸術科学アカデミーはこのほど、来年のアカデミー賞長編ドキュメンタリー部門のノミネート候補15作品に、マイケル・ムーア監督の‘シッコ’などと共に‘南京’を取り上げた。
 このうち5作品が来月22日に正式にノミネートされるが、事件70周年にあわせて今月からワシントンなどで劇場上映タイミングが、‘南京’有利に働く可能性もでている。」

 本件に対する日本政府の動きは慰安婦決議案同様極めて悪いというか、今のところ何も動いていない。トルコの20世紀初頭に起きたといわれているアルメニア人虐殺問題に対するトルコ政府の米国への抗議は極めて激しく、議会が決議は中止するまでに至っており、日本政府の慰安婦問題に対する切れの悪い対応との比較が際立つ結果を読んでいる。

 日本として一つだけこれに対抗・対応しようとしているのが、「映画‘南京の真実’製作委員会」であり、民間の募金を頼りに製作中の映画「南京の真実」であり、年始には試写会が予定されるはずである。(制作費の支援を現在も求めていますので、心有る方は
http://www.nankinnoshinjitu.com へ。)

 戦後の左翼・自虐史観で育ってきた我々が、この事件が中国共産党(その影にはコミンテルンが居たのだが)の捏造・プロパガンダと理解するまでには、時間と努力が必要だ。私の言うことを信じて欲しいと言いたいとこだが、まずは日本の歴史を自らの目で再検証することだけはお願いしたい。そして、そこに見えてくるものを放置したままで、我々が子孫に対して責任を果たしていることになるのか、よく考えて欲しい。

 私が懸念すること、日本はここで国を立て直さなければ、真の意味での自立を果たさなければ、相手が誰であれ捏造は捏造だと国を挙げて否定しないと、早晩大陸に従属する情けない国になることが目に見えているということである。