杉並の純一郎(3)

2009年12月で68歳に!
先の戦争が一体なんだったのかを今一度勉強し、次の世代に伝えてゆきたい。

日本人はチベットに何を思うべきか?

2007-05-10 12:16:16 | Weblog
     日本人はチベットになにを思うべきか?

 産経のコラム「話の肖像画」に今週登場したのはペマ・ギャルポ氏、モンゴル大統領顧問とあるが、氏がチベット人であり、チベット仏教の指導者として日本からダライ・ラマ14世を支えてきたことは皆さんもご存知であろう。

 今回、この記事が出たからこのことを書いたのではない。台湾の次に日本が考えなければならないのはチベットの問題だと考えて来ているからだ。 
 チベットの歴史を簡単に言えばチベットはかって独自の国家であったが、1949年中国に侵略され今では中国の一部とされてしまっている。その間そして現在に至るも中国はチベットの中国化のためありとあらゆることを行ってきている。仏教寺院の破壊、チベット人への暴力・拷問・虐殺、漢民族の移住、チベット文化を消滅させるためにありとあらゆることをやってきているといってよい。多くのチベット人はチベットを逃れインドでの亡命生活を送ってきているが中印関係の改善により、その立場は悪くなりつつあるようだ。そしてそのチベットで中国としての施策を成功させて来た人物は、胡錦濤である。

 そして国際社会はそれなりに中国を非難してきているが日本ではこの問題は大きく取り上げられることなく、いやむしろ中国に気兼ねして記事を出してきていないといっても良いであろう。私はチベット問題に光を当てる必要があると思っている。

 昨年秋にはチベット国境の雪山を徒歩で越えネパールへ脱出しようとする尼僧を中国の国境警備隊が狙撃し、たまたまその山の反対側にいたヨーロッパの登山隊が、狙撃され倒れこむ姿を映像に捉え、その映像が世界中を駆け巡ったのであるが、日本では産経を除き、これが大きく取り上げられることなかった。そしてこれを大きく取り上げたのはブログであり、その映像も you tube を通じ見ることが出来た。しかし、これを見れたことを素直に喜ぶわけには行かない。いうまでもない、罪もない人を射殺した殺人の現場映像であり、中国政府は今回に限らずこの殺人を意図して行って来ているからだ。

 チベットは仏教を信仰しているなどというよりは仏教そのものの国家といっても良かろう。細かく言えばチベットの仏教は小乗仏教も入っており、密教ということで在家制度を主としているので日本の大乗仏教とは異なるが、大まかに言えば日本と同じ数少ない大乗仏教の国である。
 だからといってすぐにチベットの肩を持つということに違和感を抱く人も多いかもしれないが、一方では同じ宗教を信じる人を支援するということも大切なことである。しかも、それらの人々が中国の圧制・暴力の下で苦しんでいると成ればなおさらのことではないのだろうか?
 日本人の一人として中国の暴力的支配に犯され、独立を断念しつつある状態の人々を、同じ大乗仏教を信じる日本人が支援しないで、一体誰にできるというのだろうか?

 日本は現在ダライ・ラマ14世の日本での活動を中国の圧力を受け、厳しく制約し一切の政治的活動を行わないことで入国を許可している。そのためにチベットでの中国の暴虐はいっそう日本に伝わりにくくなっている。民主主義国家として許されないことではないだろうか。

 台湾の民主主義擁護とチベット自治区でのチベット人の自由の確保、今一歩、日本政府は対中政策の中に含めてもらえないであろうか。それが新しい日本の主張にもなるし、武力の行使を避けてきている日本の外交力の一つであり日本をまもるソフトの一つでもあるのだから。

 偶然では有るが、一昨日あるところで黄文雄の話を聞く機会があった。そのなかで、彼は一つだけ日本の悪口を言っている。「日本の国会議員のなかで誰一人として台湾の民主主義を擁護するものがない。日本はほんとに民主主義国家なのか」と。この言葉の意味は重い。
 彼が言ったからということでなく日本人が心しなければならないことだからだ。

 日本はこの台湾とチベットという二つの問題を避けて通っては成らない。台湾・チベットのためだけでなく、日本が中国に立ち向かい、アジアに民主主義を普及し、そして何よりも日本を守る為の大きな力になるからである。