JOHNY’s BLOG

かほりたつあざやかなはなとどめおくおもいをよせる淡雪のふみ

24時間 という意味

2004-08-21 21:27:56 | マスメディア
 時間はは誰にも平等にあるとしても各個人によってその意味は大きく異なる。

 いま24時間TVの中で映し出される少年。補助具をつけて歩く彼大リーガーの松井ファンの彼。松井選手の前で歩いてみたかった、がんばってがんばってヤンキースタジアムを歩くことができた。通常の道より野球場の芝生は歩くのは難しいにもかかわらず想いの強さで松井選手のところまで歩ききった。

 彼がみえたか。彼を知ろうとしたか。
 
 私には既視感のある映。
あさ8:30 新宿の南口 改札へつながる 人の列。
一人スーツを着た青年がその中にいた。彼の足には補助具。会社学校へ急ぐ人たち、彼もその一人。
 わずかな隙間をおいて人がつながり進む。とまらない流れ。
それを横から見ている私。
 補助具をつけた青年が急ぐ。流れに遅れまいと、誰よりも力を振り絞って歩く。力の限り歩く。
 誰もが見ているのは自分の足元だけ。前に誰がいるか後ろに誰がいるかは関係ないかのように歩きすすむ。

 はたして力を尽くすべき者はあの彼なのか。

 力を尽くして流れを止めてみることが必要なのではないか。前にも後ろにもいまにも転びそうな人がいるのだから。
 
 ときに、見えないということ知らないということは罪なのだ。
誰にも時間が平等にあるとしても、進み方、その意味は大きく違うということを私たちは知らなければならない。

         JOHNY

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