見たことありません。どこで売ってるのかも知らないのですが、世の中では売れている。とくに自殺希望者に。車の中で使用すればすぐに一酸化中毒、楽に死ねる、かどうかは定かではありませんがかなり確実なようですね。新聞、ニュースにでる記事の頻度によると。
死に方の方法がメディアによって伝播する、そのことはあまりにも普通なのでここでは話にしません。ここにもう一つ伝播していることとして、「自殺」そのものがあります。インターネットを介在として見知らぬもの同士が数名集まり自殺にいたる。
いったいどうしてそんなことになるのかしら。知らない人と一緒に死にたいなんて、どうして考える。 寂しくて死にたいと思うとき、それは誰かを求めていることの裏返しではないのか。だとしたら中途半端に知らない人を集めて一緒に死んでしまったらダメじゃない。
最後まで誰もいなかったという主張が成り立たない・・・。
せめて、「誰か」という問いかけぐらい残して欲しい。
インターネットやTVに触発されて軽く死んではいけない。死ぬならもっと強いメッセージを強く残して・・・
JOHNY
死に方の方法がメディアによって伝播する、そのことはあまりにも普通なのでここでは話にしません。ここにもう一つ伝播していることとして、「自殺」そのものがあります。インターネットを介在として見知らぬもの同士が数名集まり自殺にいたる。
いったいどうしてそんなことになるのかしら。知らない人と一緒に死にたいなんて、どうして考える。 寂しくて死にたいと思うとき、それは誰かを求めていることの裏返しではないのか。だとしたら中途半端に知らない人を集めて一緒に死んでしまったらダメじゃない。
最後まで誰もいなかったという主張が成り立たない・・・。
せめて、「誰か」という問いかけぐらい残して欲しい。
インターネットやTVに触発されて軽く死んではいけない。死ぬならもっと強いメッセージを強く残して・・・
JOHNY
すべてがあいまいで、輪郭がはっきりしない世界。
死にたい・・・を後押しするのはなんだ。
平和?
平和は多数の人の犠牲の上になっていることを意識したい。
20代半ばにワルシャワのショパンコンクールに行ったんです。弾きに、と言いたいところですが、聴きに。それから迷いましたが、アウシュビッツも行きました。おびただしい犠牲者の写真の中で、囚人服を着て写真を撮られているある少年の顔が印象に残っています。
すごく凜としていました。悪魔の前で。
もっと生きたかっただろうと思いました。生きたくても生きられない人の存在。なぜ生命が尊いのか、いまだ言葉化することはできませんが、あの時心に刻んだ事は、私を強くしてくれました。
阪神大震災に遭遇したことも。
要するに今の日本は、どちらに転んでもいいような雑多な情報ばかり氾濫し、それはそれでいいにしても、精神の核に触れるような事物に出会あおない。
そういえば、掘りごたつのときは、「寒くてもこたつに潜っちゃだめだからね!!」ときつく申し付けられていました。
なんでもそうですが、物には正しい使い方をしてほしいですね
“薬と毒は紙一重”でしたっけ?よく言ったものです。。。
自殺は、卑怯と思います。人間、死ぬ気になればなんでもできるはずなのに・・・
最近思います。人は、人に飢えていると。
見知らぬ人と、日常会話が出来なくなり、話しかけられるとまず、人を疑う事から始まってしまう様な世界になってしまいました。
淋しい世界になりました。
“自殺”というキーワードで共感し、見知らぬ方たちと最後を共にしてしまうんでしょうか?
暗いゴシック、辛いゴシックを見るたびに、人間ってそんなもんかよぉ~!って思います。