源平の史跡を訪ねて

全国いたるところにある源氏と平家の史跡を訪ねています。少しだけ源氏物語の史跡も紹介しています。

神戸市中央区広報誌で訪ねる平清盛その1

2012-02-05 03:14:44 | 平清盛

神戸市広報誌中央区版に掲載されている平清盛関連の史跡は、北野天満神社、布引の滝、生田の森、熊野神社、花隈厳島神社が紹介されています。
(史跡の紹介文は、広報誌を参考にしています。)

布引の滝
「平治物語」では、平清盛が滝見物のさい、同行の家臣の難波経房(つねふさ)が源義朝の長男:義平の霊に殺される話があります。「源平盛衰記」では、清盛の長男:重衡の家臣:難波経俊が滝壺に入り、竜宮城に行った話などがあります。
布引の滝は、日光華厳の滝、紀州那智の滝とともに3大神滝と呼ばれています。
生田川にあって、上流から雄滝(おたき、43m)、夫婦滝、鼓ケ滝、雌滝の4つの滝の総称です。
        雄滝                     雌滝
 

 

北野天満神社
平清盛が福原遷都の際に、禁裡守護・鬼門鎮護の神として京都の北野天満宮を勧請して建立し、このあたりの村を北野村と呼ぶようにしたと言われています。当神社前の東西の道は北部西国街道として旅人の往来を多く、また隣には「風見鶏の館」(写真右)や南を望めば神戸港を一望にできる景勝地として昔から観光地としても有名なところです。
 

 


生田の森
一の谷合戦の際、平家軍はこの生田の森を東の城戸として、生田川に茂木を並べて陣を張り、平知盛を大将として源氏の範頼軍を迎え撃った場所です。
 

 

 熊野神社
平清盛の福原遷都の際に、五条大納言那綱が建立したと言われています。五条大納言那綱は、この地域に「宇治新亭」を造り、安徳天皇が京都に帰られるときにこの亭に一泊されたと言われています。
 

 

 花隈厳島神社
清盛が経が島(きょうがしま)を築造の際に、人々の安泰を願い、厳島明神を宮島の七浦にちなみ7カ所に祭り、兵庫七弁天と呼びました。その一つが花隈弁天です。
 

 

 



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2 コメント

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布引の滝 (merry)
2012-02-11 10:25:02
布引の滝には行った事がありますが、源平ゆかりの地だったのですね。
それを知って行ってたら、もっと面白く見られたでしょうね。
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Unknown (ラメール)
2012-02-11 14:02:13
ここまで来られていますか。
昔から有名な滝のようで、和歌にも
多く登場します。

神戸市が水を売っていましたが、
布引の滝の水のような名前をつけたようです、
そのヒントになったのが私のHPかららしい
です。あんまり売れていないようですが。
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