源平の史跡を訪ねて

全国いたるところにある源氏と平家の史跡を訪ねています。少しだけ源氏物語の史跡も紹介しています。

丹波道を駆け抜ける⇒義経伝説ツアー三草山合戦

2012-03-29 03:33:50 | 平清盛

昼食後は、いよいよ三草山合戦地へ移動です。地図

 

このツアーのハイライト、戦の天才:義経の名を
有名にしたデビュー戦の地:三草山です。

三草山合戦モニュメント
この辺りは御所谷と呼ばれ平家の本陣があったと言われています。




三草山


弁慶の薙刀石(三草山合戦モニュメントの横にあります 
弁慶が薙刀を突き刺した穴があります)

 

平家物語絵巻物(複製品 鴨川の郷にあります)
京都→篠山と進んだ義経軍は、三草山の手前の小野原に布陣した。
小野原(兵庫県篠山市今田町小野原 地図 )

 

三草山合戦夜討ち
1184年2月4日夜半、義経軍は三草山麓:御所谷に陣を構えた平資盛(すけもり)軍に
夜襲をかけて撃破した。

三草山合戦



平家 屋島へ逃亡
負けた平家は須磨海岸(兵庫県神戸市須磨区)まで退却し、
義経の鵯越の坂落としの急襲を受け屋島へ逃亡しました。

 

三草山で戦った義経軍は、佐保神社に集結して、軍制を立て直しました。
 

稲荷神社
 

加東市観光協会のガイドの方が丁寧に説明してくださいました。

 

              山氏神社の義経手植えの松(やまうじ)
 

6日、義経は自軍を二手に分けて、7000騎(実際は700騎か)を土居実平(どいさねひら)に預け、須磨一の谷(兵庫県神戸市須磨区)に向かわせ、義経自身は、3000騎(実際は300騎か)の精鋭を率いて鵯越を目指しました。(義経軍の人数は、諸説ありますが、平家物語の数字を使っています)

このあと、義経は鵯越の坂落としで平家の背後をつく作戦で、勝利します。

一の谷合戦の史跡については、以下のHP「明石海峡大橋 北南」で紹介しています。

こちらから ⇒「平清盛関連(源平合戦)の史跡」から入っていただくと詳しく紹介しています。

 

 加東市観光協会は こちらから

佐保神社は こちらから

 

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
初めまして。 (ネズミ色の猫)
2015-09-16 02:25:55
 都内在住の41歳です。キーワード検索経由でお邪魔しました。
 本文に挿入されている写真についてですが、「三草合戦の事(二)」の説明文下にある絵巻の場面は残念ながらこちらに掲載が無い(一)の説明文内容の描写ですね。容赦無く焼き立てられ紅蓮の火柱と黒煙を上げる小野原集落、その炎を背に平家の陣へと進む鎌倉軍が描かれています。
―「暗さはくらし、いかがせんずる〈今から攻め込むといってもこの暗さで視界を遮られて何も見通せない、どうするの〉」と軍兵らがこぼす。それを聞いた九郎義経は「例の大(おほ)だい松はいかに〈このような大松明(おおだいまつ=民家をあくまで焼き討ちの対象と見做してこう呼んだ)がどれだけあるか!残さず火をかけよ!いざ――!〉」と下知した。土肥実平が「然(さ)る事候(さぶらふ)〈ははっ!さようで〉」と頷くと軍兵は松明を握り締め、小野原の家々全棟に火を放って回ったのである―
 (ムダに長い訳ですが…)
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Unknown (ラメール)
2015-09-17 12:06:50
初めましてさん
訪問とコメントありがとうございました。

三草山合戦の義経軍が平家軍におそいかかる様子の
説明ありがとうございます。

民家に火をつけて、その明かりで源氏が平家を襲った様子がよくわかります。

焼かれた民家には何の保証もないんでしょうね。
返信する
05年大河の場合。 (ネズミ色の猫)
2017-01-06 21:56:46
 大変お久しぶりです。前回は早速のリプライをいただきありがとうございました。
 『平清盛』から7年遡る05年大河『義経』。第26話「一の谷の奇跡」で描かれた三草山合戦を振り返ってみたいと思います。
 『宮尾本平家物語』を直接の原作としつつ、原案本に66年大河の脚本を手掛けた村上元三氏の小説『源義経』を再び採用、義経が自らの弓で火箭(ひや)を射るくだりも再現されています。
 変更点は小野原集落の民家に直接狙いを定めていること。それと引き換えという形でしょうか、後の屋島攻めからは牟礼高松の焼き討ちが無くなっています。
 ドラマの台詞には織り込まれませんでしたが、『宮尾本平家物語』に登場する義経の発言「いつもの大松明はどうか」をも反映させた合戦シーンでしたね。
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Unknown (ラメール)
2017-01-07 03:11:00
ネズミ色の猫さん
訪問とコメントありがとうございます。

色んな平家物語を書いた本があるんですね。
そこに書かれている場面も本によって違っていると言うことですか。

平家物語が語り継がれた話をもとに書かれたと
いうだけに、本によって描写や書かれていることが
ちがうのでしょう。

自分の家を勝手に焼かれてしまう民衆はいつも
被害者ですね。
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