京大俳句会 KYODAI HAIKUKAI 「自由船」

京都大学を拠点に活動していた京大俳句会のオフィシャル・ブログです。

第173回京大俳句会作品集

2023-07-22 05:57:40 | 日記

photo by rakuhou

第173回京大俳句会もコロナウイルス感染予防の見地から
投句形式とさせて頂きました、互選は実施しておりません
(上5文字の昇順で並べております)



第173回京大俳句会作品集
兼題 :「祇園会」及び傍題

1  天の川地球の大河は濁りけり           のんき

2  枝(え)に眠る一羽鴉や夏の月          遥香

3  祇園会や遠き闇より笛の音             つよし

4  祇園会や春の桜はいま青葉             のんき

5  祇園会や路地の奥より童歌             楽蜂

6  京の昼郡上踊りを美濃衆と             嵐麿

7  更年期熱中症に昼散歩              二宮

8  この花たちと秋をゆく誰なのあなたは        武史

9  首里城の万丈の黙朱夏に入る           蒼草

10  背のびして鉾を待ちおり汗しとど         吟

11  虎一位お祝いモードのコンチキチン        嵐麿

12  根絶やしにできないコロナ夏休み         吟

13  876 道真見たか祇園の会            二宮

14  母の耳朶かじる母系家族のわたしです       武史

15  ビワマスは前景に竹生島舌鼓           幸男

16  鉾立つや洟垂れ餓鬼のコンチキチン         游々子

17  水売の空荷で帰る夏の月            游々子

18  名山をゆさぶり止まぬ蝉時雨          つよし

19  宵山の浸透圧や京の街             楽蜂

20  宵山や艶めく鉦の熱き暮夜           蒼草

21  洛中を揺さぶらんとす鉾祭り           遥香

22  吾が嫁は鉾町育ちピアニスト            幸男


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9 コメント

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自句自解 (游々子)
2023-07-28 15:59:07
17 水売の空荷で帰る夏の月
江戸時代の行商の姿を詠みました。肩に担いだ天秤の荷のものを売り切り、貧しいながらも楽しい我家に帰るという行商人(棒手振り)の充足感を詠んだ句です。(自句自解)
今月の作品から (楽蜂)
2023-07-29 01:36:34
 水売の空荷で帰る夏の月   游々子
江戸時代の物語風で個人的には好みの作品である。蕪村に「鮎くれてよらで過ぎ行く夜半の門」がある。ただ「水売」は夏の季語なので下五「夏の月」はかぶっているのでは?

 ビワマスは前景に竹生島舌鼓 幸男
原句は意味が不明。「ビワマスに前景は竹生島舌鼓」なら特殊な文法になるけれど意味はわかる。そうなら「ビワマスに舌鼓して竹生島」では? 同じ作者の「吾が嫁は鉾町育ちピアニスト」の方はすっきりと分かりやすくリズムがある。高浜年尾の「女房は下町育ち祭好き」のような変な理屈ぽさがないのが良い。
 
 祇園会や遠き闇より笛の音 つよし 
 祇園会や路地の奥より童歌 楽蜂   
祇園祭りは「灯りの祭り」で、普段は薄暗い路地の奥まで提灯を並べて町内を照らす。その灯りに誘われて奥にすすむと、屏風や掛物が飾られたさらに明るい広間があり、そこで子供らが客寄せの童歌を合唱し、祇園ばやしを流したりする。
  安産のお守りさんはこれより出ます
  常(つね)は出ません今晩かぎり
  ご信心のおん方さまは
  受けてお帰りなされましょう
  蝋燭一丁,献じられましょう
掲句2句は、ほとんど同じ構造の俳句である。しかし楽蜂の句は常識的に灯りを背景にしているのに(それ故に挨拶句程度のものだが)、つよし氏のは闇を強調して逆張りになっている。なんでやねん?

宵山の浸透圧や京の街      楽蜂
洛中を揺さぶらんとす鉾祭り   遥香
宵山の賑わいは鉾の建てられた京都市内の一部の地域に限られている。すごい数の人が押しかけるがほとんどが他からの観光客で、市民はシラーっとしていて、あまり行かない。それでも今日は宵山というので、なんとなく市内のどこもはなやいだ緊張感があって、道で知り合いにあうと「今日は宵山どすな」とか挨拶する。遥香氏の句も似たような趣旨のものではないかと思うが、「揺さぶらんとす」は少し過剰で、京都市民はもう少しクールです。
枝に眠る一羽鴉や夏の月 (遥香)
2023-07-29 20:20:50
この句から私(游々子)は、夏目漱石の「吾輩は猫である」の中で、寒月くんが俳劇論を展開する場面を連想しました。それは、

俳人虚子が花道を行き切っていよいよ本舞台に懸った時、ふと句案の眼をあげて前面を見ると、大きな柳があって、柳の影で白い女が湯を浴びている、はっと思って上を見ると長い柳の枝に烏が一羽とまって女の行水を見下ろしている。そこで虚子先生大(おおい)に俳味に感動したという思い入れが五十秒ばかりあって、行水の女に惚れる烏かなと大きな声で一句朗吟するのを合図に、拍子木を入れて幕を引く。

というものです。本句は、枝に鴉が止まっているということだけで、それ以外のことは言っていないことによって、十分に俳味がでた秀句となっています。(游々子)
876道真見たか祇園の会 (二宮)
2023-07-29 21:07:50
上句の876の意味が分からなかったので、作者の二宮さんに訊ねたところ、祇園会の起源となる西暦とのことでした。ただ、道真はそのとき成人していて、大宰府に流されるのは901年ですから、見たに決まっています。もし大宰府に流されるのと祇園会が始まったのが同じ年であれば、面白いことを発見したとなりますが、この組み合わせでは年代に幅があって、ちょっと失敗ですね。年代がアラビア数字になっているのはご愛敬です。祇園会の古さを詠むのであれば、私なら ”今も” という措辞を使って、”祇園会や今も醍醐の鉦叩き” と致します。二宮さん、ごめんなさい。(游々子)
Unknown (遥香)
2023-08-01 11:38:03
枝に眠る一羽鴉や夏の月

自句自解

日頃嫌われがちな鴉ですが、群れから離れ眠る一羽の鴉を夜更けの月が照らし出している情景に詩情を感じました。
Unknown (蒼草)
2023-08-03 12:08:09
自句自解

首里城の万丈の黙朱夏に入る

幸いにも火災前の首里城に行きました。漆の深い赤に覆われた城はまるで沖縄の歴史を背負い、耐えたいるように感じられました。
一句づつ鑑賞 (堀本吟)
2023-08-09 18:16:01
第173回京大俳句・一句ずつ鑑賞  吟

游々子さんコメントについて
いろんな人がいろいろ解釈観賞するところがこの句会代わりのコメント欄の面白さだと思います。しかし、合評の場面で、教えようとするのではなく、各自で勉強のきっかけをつかみ愉しむ。
「一人のボスも作らなかったのは京大俳句の誇りである」と、最初の編集者平畑静塔の真摯な回想があります。この平民主義自由主義を受け継ぐことが、京大俳句の受け継ぐべきスピリットと言えましょう。

【876道真見たか祇園の会 (二宮)】

これは必ずしも失敗作ではなく現代人の歴史感覚が現れている絶妙なる味わいがあるとお見受けします。
この句は、発想がトンでいるので、あまり杓子定規に原句作り直そうなどと考えるとかえって飄逸さが損なわれます。

私にも上句の「876」の意味が分からなかったのですが、これは西暦年の事のようです、そこをわかるように書けばアラビア数字でもいいのではないでしょうか。(まして、横書き欄ですから、)
道真がその時に京都にいたかどうかもあまり関係ない。それは、読み手の好奇心にゆだねて調べてもらいましょう。

游々子さんがご自分の模範例迄示されているのもご愛敬ですが、これはあまり効果はありません。別の言葉を付け加えると、親切がお節介になり、添削をさらに超えて「游々子の句」になってしまいます。
私でしたら原則的には添削をしません。求めません。欠点と思えるところはその指摘から、あくまで自分でかんがえます。
私にもし改変が許されるのでしたら、たった一字ぐらいは入れさせていただきますが。


【枝に眠る一羽鴉や夏の月(遥香)】 2023-08-01 のコメントにあるような作者の詩情は理解できます。

私は御句の「一羽鴉(いちわがらす)」が、「一匹狼」ふうに熟語にしているのが気になって、これは作りすぎのように思いました。遥香さんの考えでは、一羽の孤独感を強調したかったのだということがわかりました。このままがいいですね。
なお、先行句にかの有名な
「枯れ枝に烏の止まりけり秋の暮(芭蕉)」
があります。
そのため、芭蕉のこの句の本歌取りだとも理解されます。
本歌取りが悪いということではないのですが、あまりに構成が似ています。芭蕉は何にでもアテハマる典型的な風景を造りだしているのですね。
ただ、季語が変わると情緒も変わる、というあたり前のことに気が付きました。虚子の「行水の女に惚れる烏かな」・・游々子さんが、漱石の小説から、その虚子の句をあなたの句に結びつけてにやりとしたり、これは、すこし趣味が悪いです。
かなり秋の夕方に、枯れ枝に烏がたった一羽眠っている・・。そこに、感じいった作者の詩情はそのまま、すなおに、受け取ってあげましょう。
一句づつ鑑賞 (堀本吟)
2023-08-09 18:17:08
第173回京大俳句会作品集、一句ずつ鑑賞 吟 ⓶

兼題「祇園会」は、そこに棲まない者には難しい題だった。なじんだ人には、郷愁や回顧的な抒情が出ているが、感性に染みんでいる「お祭り」への愛がにじみ出ている句が多かった、

1  天の川地球の大河は濁りけり  のんき
  「天の川」「地球の大河」という取りあわせは。ともすれば間のびしてしまう。これが成功している訳は、「地球の大河濁りけり」という言葉(感慨)が、身近にある切実なな危機感にまっすぐ結び付いているからだ。
2  枝(え)に眠る一羽鴉や夏の月 遥香
  俳画のように見事なきれいな句。光景がきちっとかかれており、文字や語彙や事物の遠近の配分にも、一種のバランスがあるようです。
  唯一の動く物体(生き物)としての「鴉」が眠って動かないのも心憎い。しかし、「一羽烏や」とするか。か即物的に「一羽の鴉」にするか、一考を要する。
3  祇園会や遠き闇より笛の音    つよし
  鉾巡幸の現場に居なくても賑わいを外れた場所にいてもでも笛の音が遠くから聞こえる。どこか幻想的でもあり、京都の町に身に染みついたお祭りを言い得て味わい深い
6  京の昼郡上踊りを美濃衆と   嵐麿             
  京都のお祭りは祇園会だけではない、美濃からもやってきている、という事である。(コロナ以来3年ぶり6月に開催された)。祭りへの庶民の関心の強さ、と現代の観光都市京都の「お祭り」を感じさせる所が面白い。
9  首里城の万丈の黙朱夏に入る   蒼草
  焼けおちた首里城、日本列島の南島弧の一大文化遺跡・・その復活を願います。
  廃墟となった首里城の焼け落ちる前、だという。「黙(もだ)」と形容したり、その季節に「朱夏」を持ってきたのには感心しました。
  「夏に入る」(立夏)はよく目にしますが、これから愈々真夏の暑さの季節に入るぞ、という意味で、「朱夏」にも「入る」とつけたのですね。自分は人生のさかりなのだが、という意味での「朱夏」の意味を含んでいるのでしょうか。ここは取りようの問題ですが、無季句の味わいですね。
16  鉾立つや洟垂れ餓鬼のコンチキチン 游々子
  鼻たれ餓鬼の面影を残す少年が鉦を敲く役目を仰せつかりこの日ばかりは神妙に、「コンチキチン」を唱和する。祇園祭は座敷料40万円を払って見物する観光客のためにだけあるのではない。その心意気を見せる京都人の連綿と培われた心意気を買います。
19  宵山の浸透圧や京の街 楽蜂
  一目瞭然「浸透圧」という、異質の言葉を用いて新味を出し共同体の祭儀としての祇園祭の本質を言い留めようとする句です。
  この硬質な言い方によって、「宵山」の柔らかな和語、その濃厚な気分がそれより広い「京の街」全体に浸透している祇園会の底の深さを言い留めているとみました。
21  洛中を揺さぶらんとす鉾祭り. 遥香  
   3・18・19、の句にも通います。
  「祭り」の本然の姿は、民衆、共同体のエネルギーを集めたものだあらためて感じました。
22  吾が嫁は鉾町育ちピアニスト 幸男
  鉾を預かる町内でうまれ、「コンチキチン」の音が染みついている妻が、なんとモダンなピアニストに。音楽は万人万国共通する、ということか、和洋の音を取り合わせ、目の付けどころが上手い。併せて妻の芸術への新たな発見や関心も吐露。。
13  876 道真見たか祇園の会 二宮
 「876」の意味が分かったので、別欄に書きました。
一句づつ鑑賞 (堀本吟)
2023-08-10 17:46:22
第173回 一句ずつ鑑賞 ➂(②のつづき)
⓶の末尾が「13」番で切れているので、宮本さんの句についての寸評を加えました。
13]ついでに自句説明が抜けていたので、付け足しておきます。

*****

14  母の耳朶かじる母系家族のわたしです       武史
  この会でただ一人、自由律俳句。詩的発想をまもっている武史さん。貴重な方です。逆境に負けないでこの情感の定型短詩の領分を開いてください。人間死ぬまで「現役」です。
  母、母性への近親憎悪的愛、これも深いテーマです。


自句 コメント
10  背のびして鉾を待ちおり汗しとど 吟
  若いころ、人ごみの後ろで鉾行列を一目見ようと、祇園祭を楽しみました。暑かった。
12  根絶やしにできないコロナ夏休み 吟
  コロナウイルスとはもう共生を覚悟している。新型ちゃん、変種型くん、君たちもせめて夏休みを取ってください。

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