新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ

全国紙の元記者・中村仁がジャーナリストの経験を生かしたブログ
政治、経済、社会問題、メディア論などのニュースをえぐる

脱原発で「太陽神」信仰が復活

2013年10月22日 | 経済

 太陽光と風神  2013年10月22日

 

 先日、「太陽光設備会社、みずほ銀行から2億円詐取」という記事を見て、切り抜いておきました。暴力団への融資隠しで経営トップの重大な責任が問われている、あのみずほ銀行を手玉にとったのです。銀行もあっさりだまされたのは、太陽光発電は脱原発の主役のひとつになっているからでしょう。いわば、現代になって、新しい太陽神話が生まれつつあるのですね。

 

  人類は古代から、太陽を信仰の対象として、神格化してきました。自然の循環、季節の循環、気候の循環、生活の循環など太陽の活動によって左右され、太陽を神のように崇めたのはよく分ります。メソポタミア神話、エジプト神話、ギリシャ神話、ローマ神話などには太陽崇拝の話がでてきます。日本神話の天照大神も、文字からの印象通り、太陽神だそうです。原発論争をみていて、太陽神のことを思いだしたのです。

 

 原子力規制委員会の「新安全設計基準」は、原発が立地する地層の活断層調査は「40万年前までさかのぼって、調査する」「重大事故の発生確率は一基あたり100万年に1回以下とする」など、気の遠くなるような期間を基準にして安全性を考えることにしています。それくらいの意気込みでないと、ということでしょうか。非現実的です。「40万年後、100万年後」まで、人類が文明活動をつづけていくと、石油も天然ガスも石炭も、シェールガス・オイルも、枯渇しているにちがいありません。太陽光、風力、地熱発電など再生エネルギーだけでは社会はやっていけなくなっているでしょう。地熱だって、その時まであるかどうか分りませんよ。

 

 学者の白石隆さんは痛烈に批判しました。「現世人類のホモ・サピエンスが地上に現れたのは、14万ー20万年前。文明が生まれたのは5000-6000千年前。メソポタミア文明が生まれたのは紀元前3500年前。日本列島に人が住み始めたのは4万年前」と前置きして、「原子力規制委は人類誕生、あるいは日本列島に人が住むようになるはるか以前」にさかのぼって規制の判断基準を設けているというのです。

 

 原発規制の専門家はどこまで本気なのでしょうか。気の遠くなるような歴史の判断基準を持ち出しています。文明社会を循環型社会に転換しようという大合唱がおきており、現代の太陽神話が生まれつつあると、わたしは思ったのです。原発をとめれば、風力だって、増強は必要になります。そのエネルギー供給力には適地、不適地があり、「現代の風神」にも限界があります。太陽神崇拝というのは、それらを総合して、わたしが提起したい問題点なのです。

 

 タイトルに太陽神信仰という表現をつかったのは、脱原発の努力をひやかす意味ではまったくありません。太陽光発電は、フクシマ以前から再生エネルギーとして注目され、一般住宅でも屋根にパネルを設置し、住宅会社も販売の目玉商品にしてきました。電力会社の買取価格が発電者(居住者)に有利に設定されていることもあって、ブームになっています。二酸化炭素(CO2)の排出抑制にもなりますね。わたしも、もし住宅を新築するなら、屋根や庭にパネルを設置することでしょう。自動車の屋根はすべて太陽光パネルにすることを義務付けたらいいとも思っています。

 

 フクシマ以後、太陽光発電は一段と脚光を浴びるようになりました。みずほ銀行が疑いもせず、業者の話を鵜呑みにしたくらいですから。わたしの自宅にも、しばしば「太陽光発電の設備をつくりませんか」という勧誘の電話がかかってきます。最近だけでも、2度や3度ではありません。こういうときは危ないのです。太陽光はこれからきちんと経済性を計算して、普及させることが必要です。再生エネルギー全体のコスト、経済社会の維持能力を考えていかねばなりません。

 

 その経済性の計算がきちんとなされているのでしょうか。原発に対する猛反発の風圧におされ、再生エネルギーを中心とした場合、どんな経済社会になっていくかを、冷静に考えようとしていませんね。太陽光発電は、風力、水力、火力の数倍のコストがかかる極めて割高なエネルギーであるのに、それほど心配されていないようです。

 

 脱原発をいち早く国家目標に決めたドイツでは、太陽光発電が急増しているものの、国の補助金、高い買取価格によって電力料金の引き上げ、国民負担の増加が問題になってきています。おまけに、中国製の、ダンピングまがいの安い太陽光パネルにおされ、ドイツのメーカーの破綻が増えているとの報道がなされています。しかも、原発で支えられているフランスから、ドイツがエネルギーの不足分を買うというのでは、欺瞞ですね。原発をやめる分だけ、エネルギー消費を減らすというなら分ります。

 

 日本では、広い土地を確保できる北海道に太陽光の発電計画が集中してしまい、電力消費地への送電網の不足が心配されています。駆け込み申請、中身のない「カラ申請」が殺到し、ブームにのっていかにもうけるに企業は懸命です。そのツケな消費者にいずれ回ってきます。太陽光発電、あるいは風力発電は小規模分散型のエネルギー消費には向くでしょう。産業向けに大量に発電、送電するのには向きません。

 

 原発事故以来、廃炉の費用、除染の費用、ますます難しくなった放射性廃棄物処理の費用をどう考えるべきかの問題が深刻になり、エネルギー別のコスト比較が冷静になされなくなってしまいました。さらに「原発事故ゼロ」を強く求めすぎています。

 

 適正な安全基準を満たした原発をとにかく再稼動していくべきでしょう。もっとも将来のことを考えると、原発への逆風があまりにも強く、原発の新増設は現実問題として、難しいでしょう。再生エネルギーの増強、循環型社会へ転換の努力が同時に必要であることに、異論はまったくありません。

 

 その一方で、中国、インドなどの途上国は、経済発展に必要なエネルギーを確保するために、原発建設に懸命になるでしょう。このままだと、日本は高コスト社会化がさらに進み、企業が海外に移転し、雇用は減ります。全世界、とくに途上国を含めて脱原発で勢ぞろいすることはないでしょう。脱原発派は、「日本はそれでもいいという選択をしたのだ」と、はっきりいう覚悟をもっているかが問題なのです。

 

 

 

 

 

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿