新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ

全国紙の元記者・中村仁がジャーナリストの経験を生かしたブログ
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新聞は編集と経営を分離できるか

2015年01月02日 | メディア論

  原則論では仕切れない

                      2015年1月2日

 

 朝日新聞が慰安婦報道の捏造事件を反省し、第三者委員会の提言に沿って「経営陣は編集の独立を尊重し、原則として記事や論説の内容に介入することはしません」という方針を決めました。程度の差はあっても、まともな新聞社なら、どこでもこの問題はくすぶり続けてきました。原則論だけで扱えない問題ではあるにはあるにせよ、どこの社も自分の体制を改めて考えてみる機会にしたらいいと思いますね。

 

 朝日も「経営に重大な影響を及ぼす事態であると判断して関与する場合には、関与の責任が明確になるよう、ルールをつくる」として、完全分離はありえないことを認めています。一方、社長の独裁色が強い新聞社では、社内から「経営側からの介入だ」と反発する声もあがりにくく、実際は「介入」であっても、「介入問題」に発展しないケースが多いでしょうね。「介入」が問題になる新聞社も、ならない新聞社も、「朝日だけの問題」と考えてはなりません。もっとも日常的な個々の記事で介入が問題になることはまずなく、政権の基本政策、安全保障、エネルギー政策など、社会の見解が大きく割れる基本的な問題をめぐっての話です。

 

 「介入」という表現がきつければ、経営陣の指示、要請、指導といってもいいでしょう。指示、要請に編集現場から抵抗や反対があり、経営側が指示、要請にどうしても従うようにという強い姿勢をとった場合になって、「介入」に発展するのでしょうか。

 

   編集方針は最重要の経営課題

 

 新聞社にとっての編集とは、なんなのでしょうか。新聞社の柱になる「製品」は、新聞記事であり、報道と評論(論説、解説、キャンペーン特集)であります。家電メーカーでは、主力の製品の研究開発、製品化、マーケッティング、販売などが経営問題の中核となります。企業であるかぎり、新聞社においても、新聞社の方向づけ、基本的な編集方針、編集局や記者のありかた、紙面の作り方やその評価が当然、経営上の問題となってくるでしょう。「主筆兼社長」、あるいはほとんどの新聞社で「編集局長・専務取締役」のように、編集責任者が役員になっているのは、「原則分離」どころか「経営と編集は不可分」と考えているからです。日本新聞協会もそうした考え方です。

 

 宗教新聞、政党新聞、業界紙のように、経営ないし運営主体が全面的に編集を仕切るのとは違い、日刊全国紙には一般企業と違う面があります。新聞は「社会の公共財、公器」としての性格が強く、記事の正確性、中立性、社会性が求められます。そうはいっても、編集上の価値判断によって何を取り上げるか、どう書くかが左右されるので、完全な中立性はありえません。ここでいう中立性とは、事実関係はねじまげないで書くという意味であり、その解釈や評価では、それぞれの新聞社の編集方針が反映されます。朝日の慰安婦問題では、事実でない証言を事実であるかのように報道したこと、それを軍による強制連行の証拠だとして、虚構に基づき長期間、大々的なキャンペーンに発展させました。

 

 ニューヨーク・タイムズにも、ウォーストリート・ジャーナルにも、フィナンシャル・タイムズにも、独特の編集方針があり、それに沿った記事の書き方がなされています。これは経営上の考えからきているのであり、「編集と経営の分離」どころか、両者が一体になっているのでしょう。欧米の新聞で紛争が起きるのは、経営が斜陽になって買収され、編集方針が大幅に変わるような時とか、リストラに直面する時に、記者が経営側と対決するといったケースがよくありますね。

 

 日本に話を戻すと、役員会を編集責任者(論説委員長を含む)抜きで構成すると、社長以下は、新聞の補助部門である販売、広告、印刷、経理、総務担当などとなります。これでは新聞の基本的な課題を議論することはできません。「編集の原則独立」を打ち出した朝日は今後、編集責任者を役員にしないのでしょうか。役員会とは経営陣のことであり、役員になったその人は編集局、論説委員会の指揮をとるわけですから、「経営からの独立」と矛盾してしまいます。さてどうするか。

 

   人事権を握ったトップの強い権限

 

 そこで、これを現実の問題として考えると、その背景には、新聞社では会長、社長の権限が極めて強くなり、人事権もがっちり握って独裁的な企業運営がなされ、それが長期政権になりがちになるという問題があります。トップの声に編集責任者、編集記者は背けない土壌があります。株式を上場、公開しておらず、社外からの取締役、監査役はトップが連れてきますから、外部チェックは形だけであまり効きません。独裁政権は、全国紙にも地方紙にも存在します。

 

 それでも英明なトップなら問題を起さないかもしれません。朝日の場合は、検証特集での「お詫び」の掲載、朝日批判をした池上氏のコラムの掲載を、社長の判断で見送りました。言論の自由を標榜する新聞社としての基本的なミスであり、社長に基礎的な判断能力が欠けていたのです。一方、かりに英明なトップであっても、在任期間が長期化すると、トップが使いやすいような組織に自然に傾斜し、判断ミスを犯すようになります。新聞社における「編集と経営」とは、トップのありかたに直結する問題と、現実に即して考えたほうがいいようですね。

 

 もうひとつ。記者は様々なことを取材しているので、自社の利害関係に直接、かかわる事実がわかり、それをどう報道するかという問題にぶつかる時がありえます。それを「編集と経営は不可分」がとして、報道を封じてしまうのは、この解釈の誤用にあたり、それこそ中立性に反しますね。

 

 新聞社は言論・表現の自由が生命線ですから、新聞社を構成する個々の記者にも、言論・表現の自由を認めねばなりません。社論に合わない解説を書こうとした記者を排除したり、社論に都合の悪い事実を伏せさせたりしてはいけません。記者のほうも過剰に自粛してはいけません。社論に沿った硬直的な紙面より、多様な言論がある紙面のほうを読者も好むはずです。

 



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