新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ

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過激派テロの広がる衝撃波

2015年01月18日 | 国際

  包囲網だけでは解決不能

                      2015年1月18日

 

 イスラム過激派によるパリのテロ事件はその後も波紋を広げ、「言論の自由を守れ」から端を発し、相手のイスラムばかりでなく、西欧民主主義社会の底流を問うという広汎な問題を提起しているように思います。幅広い視点、観点から総合的にアプローチすることが大切で、特定の分野だけにとらわれていると、全体の構図を見失うことになりかねません。

 

 おびただしい数の論評が毎日のように登場する中で、印象深く読んだのは、英フィナンシャル・タイムズ紙の社説が「欧州諸国の関心は、パリで17人が犠牲になった殺害事件にくぎ付けになった。対照的に、アフリカや中東における一連のイスラム過激派のむごたらしい攻撃に対する反応は薄い」(13日、日経)と、鋭く指摘したことです。「犠牲者が西洋人でなければ関心が低いような状況では、過激派の攻撃が世界的な現象だということが見過ごされる」とも言います。さらに「パリのテロと同じ頃、ナイジェリアで2000人もが過激派のボコ・ハラムに虐殺された」と指摘しています。

 

   命の価値の落差は大きい

 

 この記事から二つのことを感じました。まず、怒涛のような大行進によって追悼される命と、おそらく虫けらのように消えていった命の落差です。西洋人であるのとないのとでは、こんなにも差があるものなのでしょうか。二つ目は過激派の挑戦が世界の各地に広がっており、パリはその一点にすぎないという点です。今回の事件の底流を多角的にみつめる必要があるのですね。

 

 17人の犠牲者の追悼のデモに、1944年のパリ解放を上回る370万人が参加し、仏独英など50か国からの首脳が先頭を率いました。その後、仏の国会議場で議員がフランス国歌を歌い始めると、全員の国歌斉唱に広がった、それは1918年の第一次世界大戦終結以来のことだと、メディが伝えました。何か歴史的な事件が起きている、との受け止め方なのでしょうね。フランスの首相は「われわれはテロとの戦争に入った」と宣言しました。オバマ大統領は過激派に対抗する包囲網の構築に着手し、「団結してテロを最終的に打倒する」と語りました。

 

 あるイスラムの専門家が「今回の事件はイスラム・イデオロギーに基づく革命戦争の一環だ。イスラム対非イスラムの戦争の一環としてのテロ戦術だ」と指摘しています。テロというより、ある意味での戦争が始まったのでしょうか。もっとも「イスラム対非イスラム」、つまりイスラム教の価値観と米欧の対立という見方をするひともいれば、「穏健なイスラムと過激なイスラムの対立」という見方をするひともいます。そのどちらなのか、二つの性格を備えているのか。さらに従来型の戦争でなく、テロと戦争の二つの性格を備えているのかどうか。

 

 事件の発端になった風刺画をめぐる「表現の自由」の問題でも、西欧が求める自由は民主主義社会に基盤であります。民主主義も言論の自由もない過激派の社会に、それを求めても通らないでしょう。「自分たちの価値観はこうだ」といっても拒絶される時、どうするのか。相手には批判する自由を認めないのか。自由をめぐる対立をだれが裁くのか。さらに民主主義社会の内部においても、見解が分かれています。「表現の自由」を守ることと「シャルリ(風刺画を掲載した新聞社の名前)を認める」こととは異なるという主張も聞かれますね。

 

   自ら招いた帰結という部分

 

 以前、書いたブログでわたしは、仏の歴史人類学者のエマニュエル・トッド氏が「事件の背景には経済が長期低迷し、若者の多くが職につけないことがある。移民の子供たちが最大の打撃をこうむっている」と、述べていることを紹介しました。欧州に広がる社会的格差、若年者の失業が「イスラム国」に加わる若者を生んでいます。旧植民地から移民は続いており、そのある部分がテロリストの供給源になっているのでしょう。その意味で自ら招いた危機という面もあります。

 

 イスラム国の持つ兵器、過激派の持つ武器、テロリストの持つ武器の供給源をたどれば、米英仏やロシア、中国にたどりつくでしょう。その兵器、武器で自分たちの社会が脅かされるという巡りあわせです。自分たち自ら招きつつある帰結に目を背け、正面から向き合おうとしてこなかったことが危機を生んでいるとみる想像力は必要です。今回のテロ事件は、現代社会の底流を見つめなおせという問いを発しているに違いありません。

 

 



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