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人質事件 人命尊重と非情な国際情勢の展開

2015年01月22日 | 国際

  甘い考えを捨てよう

                       2015年1月24日

 

  イスラム国による人質の殺害予告事件は、小康状態が続くのか、急展開がありうるのか。相手が相手だけに予想がまったくつきません。この間、事件をどう考えるのかをめぐり、様々な視点、論点が浮上しています。恐らく多く人たちが感じているであろう点をとりあげてみました。

 

 まず、安倍首相の中東歴訪が事件を誘発したのかどうかの問題です。イスラム国側は「日本の首相よ。お前は・・」で始まるビデオ声明を発表し、歴訪で明らかにした2億㌦の支援が殺害予告の動機だとしています。かれらがその理由とする「イスラム国と戦う費用だから」というのはこじつけ、言いがかりでしょう。日本のメディアも「中東訪問は各国と連携を深め、地域の平和と安定に貢献することが目的だ」(読売新聞社説)などと指摘しています。その通りでしょう。

 

    正論をいってもは通らない相手

 

 問題は、そういう正論を無視してくるのが相手だとうことです。無視してくるような相手だからから、個人が周辺で活動する場合は、特に用心しなければならないということです。国の場合は、どうでしょう。地域が安定してしまったら、イスラム国が出る幕がなくなります。安定を破壊したいのです。とにかく、こういう相手には正論であるかないかを強調する意味はどこまであるのでしょうか。

 

 さらに、日本人2人が拘束されているという情報は昨年秋に政府は得ています。相手は残虐、無法の集団ですから、首相が歴訪すれば、何が起きるかくらいは首相官邸は予測していたはずです。おそらく不測の事態が発生しても、中東歴訪を優先させるべきだと判断したのでしょう。人命への配慮より、国際情勢への配慮を上位におくことはいくらでもあるでしょう。それでも、「覚悟の上とはいえ、その後の内外の反響の大きさをみて、やはり判断が間違っていたのか」と政府は思うかもしれません。その場合、「間違いだったと認めること自体がテロに屈した」となるわけですから、今後も本音を明らかにしないでしょう。

 

 第二に、事件の発生後、官邸は「人命第一に対応する。テロには屈しない。国際社会と協力していく」という基本方針を繰り返し表明しています。その通りにしても、これは相当、難しい話です。「こちらを立てれば、こちらが立たず」ですから。首相が豪首相にも救出の協力を依頼したというニュースがあり、始めは「なぜオーストラリアなの」と、思いました。首相はそれより先に米英仏などの首脳にも協力要請をしています。要するに、みなイスラム国への北爆に参加している有志連合の参加国なのですね。首相の行動がイスラム国を刺激しなかったかどうか。

 

 有志連合の閣僚会議(ロンドン)で、ケリー米国務長官が「イスラム国の戦闘員数千人を殺害した」と戦果を明らかにしました。北爆の主役である米国は、国際的にも米国内的にも、戦果を強調しなければならない立場に置かれています。これが人質問題にどんな影響をもたらすでしょうか。国際情勢の展開は個人にとって非情なのですね。

 

   人物像がはっきりしない

 

 第三に、連日、人質になっている日本人、とくに後藤健二さんについて手厚い報道がなされています。「正義感にあふれ、勇気がある。弱い立場にある子にやさしく、回りから慕われる。世界各地の紛争地の様子を報告してきた。シリアにはなんども行っている」と、その活動は高く評価されている好人物のようですね。一方、もう1人の湯川遥菜(はるな)さんはよく分らない人物です。名前を読んではじめは女性かと思いました。仕事にしているという民間軍事会社とは、何だろうか。父親のインタビュー記事を読みましたら、「若いころ、ミリタリーショップを経営していた。その後、正行という名前を遥菜に改名した」などといっています。シリア、イスラム国に行った理由が分りません。この人を救出するために、後藤さんはイスラムに入ろうとしたといいますから、どんな事情が裏にあったのでしょうか。

 

 後藤さんは「何か起きても責任は私自身にある。シリアの人たちに責任を負わせないでください」と、いっていたそうです。いわゆる自己責任論です。個人の心構えとしては立派かもしれません。実際はなかなか難しい問題です。今回のような中東、それも多くの国を敵に回しているイスラム国が舞台となると、一個人の自己責任で完結しえない次元の問題に発展します。日本政府は連日、懸命に救出対策に没頭していますし、トルコ、ヨルダンなどの協力を仰いでいます。本人が「自己責任だから」といったところで、国家責任の問題が問われるのです。かりに日本政府が放置しておいたら、猛烈な非難、批判が集中し、政権は転覆します。

 

   自己責任論は不毛の議論

 

 紛争地で人質事件が起きると、決まったように自己責任論が浮上します。事件が進行中は責任論を避けるものです。決着がついたら、いろいろな角度から議論されるでしょう。自己責任論は現実の問題としては、あまり意味がないと思います。自己責任を本人が唱えたところで、国家が顔を出さざるを得ません。いっぽう、他者が本人に自己責任を問うたところで、結局は本人任せにできません。主張するほうも批判するほうも、気休めでしかありません。

 

 国際情勢が絡むと「自分ひとりのことで済ませる」ということができなくなります。いくら個人としての善意で行動しても、相手に善意が通じるかどうか別です。イスラム国の問題はテロというより「全面戦争を各地で仕掛ける」という意識でしょう。戦争中、敵国の領内に入り込むのは軍の諜報関係者の仕事でしょう。平時ではなく戦時なのです。今回の人質事件は絶対的にイスラム国に非があります。非があるような勢力だからこそ、こうした事件を起すのです。とにかく戦時には、甘い考えを持たないことです。

 

 

 

 

 

 

 

 



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