地福寺ブログ

地福寺は、宮崎県延岡市の山あいにある曹洞宗のお寺です。
永代供養のご相談も承ります。

臘八接心(ろうはつせっしん)

2015-12-03 07:29:30 | 日常のヒトコマ
副住職が修行したお寺でもそうですが、
毎年12月1日から8日の朝にかけて、本山をはじめとする各修行道場では
「臘八接心」という修行をおこなっています。

今日が3日目。
私は1日から長崎に来ております。
今朝の長崎は風が強く吹いています。




曹洞宗では、坐禅を修行の根本としております。
道元禅師さまが著された正法眼蔵坐禅儀にも、
「坐禅は習禅にはあらず、大安楽の法門なり」とお示しです。

-----------以下『曹洞宗公式サイト』より引用です。-----------

12月8日は、お釈迦さまがお悟りを開かれた事をお祝いする「成道会」の日です。

お釈迦さまはシャカ族の王子として生まれ育つ中で、何不自由のない恵まれた生活を送っていました。しかしある時「人は生まれてきた以上、必ず年老いてゆくし、また病気にもかかる。そして何より死というものは誰にでも必ず訪れる」という自然の摂理に気づかれます。この逃れようのない苦の現実をいかに受け止め、解決することが出来るのか。お釈迦さまはその答えを求めて29歳の時に、王子の地位も、約束された将来も、恵まれた財産も、そして家族すらもすてて出家の道へと入られたのでした。その後2人の修行者のもとで禅定を学び、また6年にもわたる苦行を続けられるのですが、この生活ではどうしても、本当の意味でのこころの安らぎを得ることが出来ませんでした。

お釈迦さまは心と体の関係を「琴」にたとえて考えました。

「琴の弦は、緩んでいては良い音色を奏でることは出来ない。これは欲望に自らをまかせた生活である。ここに本当の安らぎはない。しかし、弦は張り過ぎると切れてしまう。それは自らの命を失うような苦行の生活だ。ここにも、本当の安らぎは存在しない。」

欲望に任せた自堕落な生活でも、命を失いかねない苦行でもない「ちょうどいい張り具合」にこそ、本当の安らぎがあるのだと感じたお釈迦さまは、苦行を離れ、身体を癒し、菩提樹の木のもとで坐禅に入りました。そして一週間の後、ついにお悟りを開かれたのでした。

曹洞宗ではこのお釈迦さまのお悟りを讃え、また実践するために、12月1日から8日までの期間「摂心会」という集中的な坐禅修行が各地の修行道場などで行われます。

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坐禅堂の中の写真です。


中央には文殊菩薩さまがお座りになっています。



昨日はやや強い雨が降っている中での坐禅でした。

雨が降る日、坐禅堂で坐禅しておりますと、車の音や町のざわめきが静かになって、
軒先から落ちる滴の音まで聞こえるようです。


遠方から参加されるご寺院さまや、一般の方もまじえて、一緒に坐禅をしております。

「忙しい、忙しい」と言っている自分をちょっと横に置いといて、
ただ、静かに坐るこの時間が、どれほどありがたいか。

8年前、修行中は、足が痛いことや眠いことばかり考えていましたが、
今、同じ坐禅堂で坐らせていただいてみると、
当時は気がつかなかったことが、ほんの少しだけわかるように思いました。