カンボジアだより シーライツ

国際子ども権利センターのカンボジアプロジェクト・スタッフによるカンボジアの子どもとプロジェクトについてのお便り

いただいた質問にお答えします(2)<教育と人身売買の危険の関係>

2006年10月08日 19時36分40秒 | その他

みなさんこんにちは、平野です。前回に続いてこれまでにコメントというかたちでいただいていた質問に答えさせていただきたいと思います。今回は教育機会の増大と人身売買や労働搾取のリスクの低減の関係についてです。

【質問2:なぜ教育を受けないことが人身売買や労働搾取につながるか】

8月31日の記事「子どもや女性の人身売買の実態<望まれる取り組み3>」について9月2日にいただいたコメントです。

初歩的な質問になるのですが、教育を受けないというのが、なぜ人身売買や労働搾取の被害にあう原因になるのでしょうか??

<お答え>
子どもにとって教育を受けない、ということは学校に行っていない、ということであり、それは子どもが労働させられたり出稼ぎに出されたりする可能性を飛躍的に高めます。逆に定期的に学校に行っているということは、家の手伝いがあったり学校のないときに働くといったことがあったとしても、その子どもの安全が最低限保たれていることを意味します。ですから就学年齢の子どもにとっては、「教育を受けている(学校に行っている)」ということ自体が「人身売買されてない、最悪の形態の児童労働に従事していない」ということとイコールに近いわけです。

【おとなになったとしても】

また、就学年齢を過ぎた人たち、おとなと言われる年齢の人たちであっても、教育のあるなしによって人身売買や労働搾取にあう危険性は大きく異なってきます。読み書きや計算ができるのとできないのとでは選べる職業の選択肢が大きく違いますので、できない人々は斡旋業者に全面的に頼らざるをえないような状態に追い込まれがちです。そして不当な労働条件を押し付ける契約書であっても、読み書き計算ができなければ言われるがままにサインしてしまいがちです。また、例えば外国で搾取されてどうにか逃げよう、などということになった場合でも、地図が読めるか、大使館というものの存在を知っているか、「プリーズヘルプミー」という英語を知っているか…などといった事柄がその人の運命を左右しかねません。

教育は自分自身に対する自信や権利意識というものも大きく関係してきます。日本人がカンボジア語の契約書を出されたら、翻訳してくれ、といった要求をして、サインを拒むでしょう。しかし母語の読み書きができない貧しい人々の場合、字が読めないから契約書にサインしない、のではなく、読めないから言われるがままになってしまうことが多いのです。またNGOが人権や労働者の権利についての意識啓発のパンフレットなどを配布しても読めなければ内容がわかりませんし、自分に自信がなければ立ち上がることも困難です。

もちろん世の中には環境に恵まれず、教育を受けたことがなくとも優秀で勇敢な人々もいます。しかし多くの人は家族を中心とした周囲の人たちにケアされ、周囲の人たちから言葉をはじめとしたさまざまなことを学んで成長していきます。これは言い換えれば子どもの権利が守られている状態ということですが、学校教育もその中で大きな重要性を占めています。こうして考えてみると、私たちが当たり前と思っていることの多くが、実は幼児期に受けたケアあるいは学校教育によって初めて得たものであることが感じられます。

※写真は学校で学ぶ子どもたちです。

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