フィリピンの顔

フィリピンの日常や、旅行記、人、観光地、ビジネス、
出来事等を記録します。

ミッキーマウス・ツリーは... (答え)

2009年07月31日 | コーヒータイム
エディタ。コミュニティの友達が教えてくれました。
先日の記事の「ミッキーマウス・ツリー?」の写真の木(実)は、
「ツノナス」又は「FOX FACE」です。原産地は熱帯アメリカ。
だそうです。
ゴールデンチルドさん、ありがとうございました。

「ツノナス」って、角の有る茄子ですよね?
茄子より硬い感じでしたけど...

でも、「FOX FACE」は、言い得て妙、ですね。
狐の顔に似てます。確かに。


 
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フィリピンの顔の美女達

2009年07月30日 | 美人
ちょっと古い写真ですが、別のコンピュータから出てきましたので、ご紹介します。
《ミス・インターナショナル》《ミス・ユニバース》
《ミス・ワールド》《ミス・ランナー》
《ミス・ランナー2位》

2005年でしたが、
上位のこの5人は当社でトレーニングをしていました。
2004年に世界一の美女になった、ララ・キガマン
を始め、2008年の、《ミス・アース》まで、
何人もの美女を世に送り出すお手伝いができた事は、
私の誇りです。

あと一月で、私の娘も満一歳になるので、出来るだけそれまでに洗礼をしなければなりませんが、運良く食事会でも設ける事が出来れば、この歴代の美人が8人全員、娘の【ニナン】に成ってくれます。
そうなれば父親冥利に尽きますね。

能書きはこのくらいにしておきます。

















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植林しましょ。 Rotary Club

2009年07月29日 | ボランティア

たまには、ボランティアしましょ。



フィリピン ロータリー・クラブ
植林プロジェクト

カロオカン市ラメサ・ダムで木を植えました。
Rotary Club International. Intramuros District.

















隣は、フィリピンで1,2の有名な弁護士、
バタス弁護士です。うちの顧問弁護士でもありますが、
私の尊敬する弁護士のお一人です。

いや~、たまには鍬を振るのも良いけど、
疲れましたね~この日は。
帰りは車の中でぐっすり寝てました。


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ミッキーマウス・ツリー??

2009年07月28日 | コーヒータイム
この木は何ていう名前?

私たちは「ミッキーマウス」と呼んでいますけど。

これは、ダバオの避暑地に生えていたもので、4年前にこれを見付けた時はびっくりしました。

面白い形でしょう?

稀にしかないようですが、私は4度見かけました。

一度は、ケソン市のホテルのロビーに活けてあって、最近、マカティ市のデパートで一度。

果物でしょうけど、食べた事はまだありません。

なんていう名前ですか?
















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キャプテン ハイロ (Captain Jaylo)  その3 完結

2009年07月27日 | フィリピンの英雄
キャプテン・ハイロは、映画の主人公で、若い時から勇敢で有名な人でした。
友達は私に、40年位前からハイロさんと共に生きてきた写真を見せてくれました。
そして如何にハイロさんを尊敬しているのかも伝えてくれました。

【PAIRTF】の【HUNTER】は、アロヨ大統領からの直属の特殊機関として組織されました。
大統領府でハイロさんが、ご家族と一緒に任命式を受けているところの写真を、ハイロさんは嬉しそうに見せてくれました。
その横に、私の知り合いが一緒に写っています。ハイロさんを紹介してくれた友人じゃなく、別の大統領府の友人です。
話を聞くと、昔、アロヨ大統領の側近の方がご病気になられたので、その友人に頼んで、アロヨ大統領にお見舞いの花束を届けてもらったそうです。
天下に名を轟かせたハイロさんのこと、大統領は、何かに閃いたかのように、ハイロさんにアポイントを執る様友人に頼んだそうです。

かくして【HUNTER】が組織されました。

しかし、【HUNTER】以前のハイロさんに掛かっていた事件の捜査や逮捕劇の中で警察の上層部と銃撃戦を起こし、相手を死なせてしまったようで、
【HUNTER】は更新が出来ず、ハイロさんは指名手配になってしまいました。
逮捕状が出ているわけでは無いのですが、困難な裁判ケースになっていて、弁護団も大変な状態だと聞きました。

詳しいことは判りませんが、私が思うには、【HUNTER】時代のハイロさんは、かなりの人から恨みを受けていたことは事実です。

【HUNTER】という組織は、広範囲から集められた精鋭部隊でした。
弁護士、警察、NBI、PDEA、100名を越え私たち日本人がおよそ10名、韓国人や中国人も居ました。

そして、泣く子も黙る【HUNTER】です。

「銃」シリーズで私が何度も言った「小使い稼ぎ」(ハナップ・ブハイ)
や「賞金稼ぎ」「仕掛け人」「仕事人」などの人が組織内に出てきます。
それが誰だかを知ることはついに、叶いませんでしたが...

実際に逮捕されて、事務所に連行された人たちの恨みはハイロさんに向けられます。
それが逆恨みでも、ある程度は恨まれても仕方ない仕事でしょう。

ところが、「偽の黄門様」が、巷を横行しだしました。
『【HUNTER】だ!! 逮捕する!!』 偽造の、IDを翳して。

ホテルや歓楽街で逮捕劇に遭うのは、殆んど日本人です。
プロモータとは限りません。一般旅行者も中にはいます。
女性に、『日本に行きたいか?』と声を掛けただけでです。
手錠を掛けられ、わき腹を抱えられたら、抵抗できません。

『いくらですか?払います!!』事務所に付く前に交渉成立です。

濡れ衣も含めて多くの恨みを買いました。
新聞記事にもなりました。 

賞金首
『キャプテン・ハイロを殺した者に賞金、10ミリオン』

2,000万円の賞金が掛かりました。

この後です。もっと大きな事件が起きたのは...

例の、「サイバー・セックス事件」です。
未成年の女児を使ってインターネット・セックスで稼いでいる
外国人、何処の国だったか忘れましたが、経営者3人を射殺してしまいました。
【HUNTER】が、です。 世間を騒がせました。
銃で撃たれた3人とも、見事に一発ずつ眉間を打ち抜かれて。

監禁されていた女児たちはテレビで、『ハイロさん、ありがとう』
しかし、ある筋からは、抗議の電話が殺到しました。


遂に、「伝説のキャプテン・ハイロ」は。幕を閉じました。


         ◎  ◎  ◎  ◎ ◎



そろそろここらで一旦筆を置かないと、
今日出来るだけ更新をしておこうと思っていた事と、
1万字を越えると更新のアップロードが出来なくなります。

尽きない話はまた次回にして、このページで一言、
         一番言いたい事を書いて終わります。


         ◎  ◎  ◎  ◎ ◎


キャプテン・ハイロは、ダバオにも一緒に行きました。
目的の仕事を終えて、エデン・ガーデンで息抜きをしました。

釣堀で魚を釣っている私をハイロさんは、楽しそうに笑ってみてました。

私が「キャプテンも釣りませんか?」というと、
ハイロさんは、「出来ないよ~。魚が可哀相だよ~。」


次に、マニラで2日間の柔道大会が催されたときの事。

大使館の方や日本の柔道の先生と、試合の審査をしていて、
私も審査席に同席していたのですが、私は時々お断りをして席をはずし、タバコを吸いに外へ出ました。
「一本!!」「行け!! そこだ!!」... 何時間でもハイロさんは、真剣でした。


そして日本に行ったときの事。

もう亡くなりましたが、私の父が入院してるのを耳にしたハイロさんは、わざわざ奥さんと遠くから足を運んで見舞いに来てくれました。
ハイロさんは両手を合わせて「お父さん元気出して下さいね。」と片言の日本語で励ましてくれました。

私の一生の思い出です。

この事は、本当に感謝をしてますし、尊敬もしています。
大変な人生を送っていらっしゃいますけど。

指名手配されている事件の事は、私は分かりません。
そして本質、本当のハイロさんの性格も、
未だに、「泣く子も黙るキャプテン・ハイロ」の真実も...



ただ、私は一言だけ言えるのは、

    ハイロさんは、私の前で、
      「鬼のハイロ」 「法のハイロ」 「銃のハイロ」
           を見せなかった。


ついに私に対して、一度たりとも『優しい おじさん』


           を、崩さなかった...




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キャプテン ハイロ (Captain Jaylo)  その2 【P.O.I.N.T.O】

2009年07月27日 | フィリピンの英雄
【P.O.I.N.T.O】
PEACE AND ORDER INTERNATIONAL
「国際平和結社」ですか?「平和と秩序の団体」ですか?

どうもこの団体は外国にも存在するようで、【GUARDIAN ANGEL】
「ガーディアン・エンジェル」と何か似たような組織です。

日本に、いや世界中ある平和団体の「ガーディアン・エンジェル」
と同じ友愛団体の組織で、「町や国を守ろう」という感じですが、
ここフィリピンでは、その組織は、軍隊まで含んだ結社的な組織のように思われます。

日頃はこの名を聞く機会は少ないのですが、地下組織のように、
何万人とフィリピン中にメンバーが広がっています。

「ガーディアン・エンジェル」の記事を私が特別にタイトルにする訳にはいきませんので、この場を借りてお話ししています。

有るフィリピン人の友達が、(友達と言っても、昔私の所にいたスタッフです。)500名から成る、一地区の、「ガーディアン・エンジェル」の大会を催すので、ゲスト・スピーカー(講演)をやって欲しいと頼まれました。

怖い組織だという先入観念がありますけど、知り合いの警察官に相談すると、『それは将来の自分の為にもなることだから是非やってみろ。』と言われました。

これは、国中にいるその組織を【コネ】にできると言う意味です。

ところが、この組織は、人差し指と親指の付け根に、合谷(ごうこく)と言う指圧の壺がありますが、そこに【GA】の刺青を全員入れます。

その刺青をしていた別の古い知り合いから、ダバオの山奥で木こりの仕事をするのに、イスラム反政府組織などが見回りに来ると、その刺青のある手を隠し通すのに大変怖い思いをしていると聞きました。

反政府組織とは、ミスワリ氏率いる「モロ・イスラム解放戦線【MILF】」のことで、このミスワリ氏と私はある事情で友達になっています。

氏とは、お互い抱き合って、左右の頬を合わせて別れの挨拶をした、とても優しく情熱的な、ハイロさんの様な人物です。と言うのは、怒れば相当怖い人だろうなと云う、隠されたパワーがひしひしと伝わる感じの人です。

そんな怖い友達を、わざわざ【GA】の刺青をして喧嘩を売る必要は無いと思います。

こんな事をどさくさに紛れて書いている私は、
誰かに喧嘩を売っている事になるんでしょうか?
ハイロさんの事を書くだけでも危険なのに...

どうか私をそっとしておいて下さい。
ボデイ・ガードも居ないし、
逃げ隠れする所も有りませんから...


【P.O.I.N.T.O】に話を戻しますが、【GA】のように全員刺青をします。
同じように手の甲の合谷の位置ですが、GAの頭文字ではありません。

8ミリくらいの丸い円の中に、3~4ミリほどの黒点を描きます。
◎二重丸の中丸が黒か赤、これは、日本式に云えば、丸にチョン。
日月(ひつく)であり、素(ス)...云々  また「皆既日食」?
今度、日本人組織だけで、【】を作りましょうか? ぷ。

その刺青には、魅かれるものも有るけど。左腕に全員が入れる刺青、
何でしょう?これは、タバコの箱ほどの大きさで、女神ですね。左手に天秤、
右手は下ろして剣を持っていて、目隠しをした女神の刺青です。

これは戴けませんネ。(痛そうだから...)

そこで私たち名誉会員(はい、肩書き会員です)
は、そのポイントのマークと女神が描かれているハンカチを頂きました。

『このハンカチで、どこでもピンチになったら、汗を拭う振りをしなさい。
何処からか仲間が出てきて助けてくれるから。』と、ハイロさん曰く。


普通の人なら、なかなかこの【GA】や、【◎】に気が付かないでしょう。
それがなんと、結構政界の中や警察関係の中にもこれを見かけて、
お近付きになったり、話しの種になったりします。

ただこの【P.O.I.N.T.O】、【???】と似てるのが、入隊時に全員から
頬を口の中が切れるほど叩かれるのです。


この日の新隊員、可哀相でした。



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キャプテン・ハイロ その3 に続きます。
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キャプテン ハイロ (Captain Jaylo)  その1

2009年07月26日 | フィリピンの英雄
このビデオCDは、
キャプテン レイナルド・ハイロ
(Kapitan Reynaldo “Rey” Jaylo) の、
事実に基いた物語を、ラモン・レビリア
(Ramon “Bong” Revilla)主演の、
“BATAS SA BATAS”
(法の中の法)と言う映画のVCDです。

※ (Kapitan Reynaldo “Rey” Jaylo)=レイ・ハイロ
   (Ramon “Bong” Revilla)=ボン・レビリア
と書くように、 “ ” の中に入っている名前は、ニックネームのことです。
Kapitan は タガログで、Captainのこと。キャプテンです。
「キャプテン」と、ハイロ氏の事を呼ぶのは、警察時代の名残です。
「キャプテン・ハイロ」と、お見知りおき下さい。

※ キャプテン・ハイロ が尊敬するお友達お二人を、
   近い内にこのブログでご紹介します。

お一人は、アルフレッド・リム マニラ市長 (Mayor Alfredo Lim)。
彼は、彼自身の映画、“BATAS NG MAYNILA”(マニラの法)を、
エディー・ガルシア (Eddie Garcia) 主演で製作されました。
リム市長は、元、【NBI】のディレクトーをしておりました。
後に 【PDEA】そして、市長、上院議員、市長と、美歴があります。
リム市長とは【NBI】【PDEA】でキャプテン・ハイロの元上司です。

もうお一方は、ロセンド・ヘレラ氏 (Rocendo C. Herrera) さん。
フィリピンの船員を世界へ送り出している技能学校の長です。
そして、海船王であり、昔は船の船長もしておられました。
そして、湾岸警備隊の提督(Commodore)であります。
何より、フリー・メイソンリーのグランドマスター最高位を、勤めた
世界的に有名な人ですが、彼も、船長時代の呼び名で、私は、
キャプテン・ヘレラと呼びます。気に留めて置いて下さい。

リム市長の映画ストーリーはここ。 ヘレラさんの記事はここ

写真は、ハイロさんと、ハイロさんの事務所で。

ハイロさんの事務所は、【PAIRTF】で、【HUNTER】と呼ばれるグループです。
【PAIRTF】は、「プレジデンシャル・アンチ・イリーガル・リクルートメント・タスク・フォース」のそれぞれの単語の頭文字をとったもので、
「大統領府 特別期間限定 不法就労 斡旋業者 取り締まり機関」

【HUNTER】は、ヒューマン…云々。 忘れました。 兎に角、
「狩人」ですね。なんとも怖そう...

ある日、フィリピン人の友達から、ハイロさんが私に会いたがってると言われました。
ハイロさんが友達に「今どこ?」コール。いつも答えは、私のところ。
ついにハイロさんに、「いつも一緒にいる日本人は誰だ?」と言われたみたいです。

【HUNTER】は、飛ぶ鳥も落とすと噂があり、私たちプロモータにとって、怖い存在でした。
「逮捕される?」「お金を要求される?」と一瞬思いました。
しかし、友達も普通の人じゃないので、何とか成るだろうと覚悟を決めてハイロさんの事務所に行きました。

事務所は2階ですが、下の入り口からすでに何人もの人が屯している様で、躊躇したんですが、名前を言うと案内してくれました。
2階に上がると、外国労働者やタレントが大勢、助けを求めて詰め掛けていました。
ハイロさんは別のお客が在るから少し待つように言われ、奥の別の部屋を案内されました。

驚いたのは、拘置所のような檻があり、2、30人がなんとも言えない顔をして、入っていました。

極悪人とは思えない。おそらく、就労斡旋だけの罪でしょうから、プロモーション関係でしょう。

鉄格子越しに日本人の男性が悲壮な顔で座っています。
「どうしたんですか?」と聞くと、「ホテルでオーデイションしていて捕まった。」
「タレントから告げ口された。」 「そうですか...」可哀相。

無免許じゃしようが無いでしょうけど、同じ日本人ですから何とか成らないものかなと思いました。


そうこうしていると、ハイロさんの部屋に呼ばれました。

強面のおじさん風ですが、優しい笑顔で迎えてくれました。

写真を撮った場所は、ハイロさんの机の奥です。私の右手の棚にサクソホーンが入っていました。
音楽が好きだそうで、私もポケットからハーモニカを取り出し、ハイロさんと二人で演奏会が始まりました。

奥から娘さんが出てきて、(今となっては、ちょっと忘れましたけど)クラリネットか縦笛を吹いてくれました。

なんともアットホームな家族だな。と思ったのが私の第一印象でした。

部屋を出ると、苦情処理室のホールで、またハイロさんのスタッフに緊張しながら会釈をしてそそくさと帰宅しました。


次の写真は、大阪城前で撮りました。



そしてこれは、【P.O.I.N.T.O】の入隊式会場で。


【TESDA】フィリピン労働雇用省技術教育技能教育庁

真ん中の水色の白髭の人は、オウグスト・シフコ
(Dr. Augusto “Boboy” Syjuco)さん。
教育技能教育庁の、ジェネラル・ディレクトーです。
【TESDA】で、木工技能研修や、リサイクル技術の、
調査と指導で日本のお客さんを招いての会議



【PAJA】フィリピン・アマチュア柔道協会の代表選手を率いて福岡柔道大会に望む。  福岡空港にて。

キャプテン・ハイロは、【PAJA】の会長です。
初めてキャプテン・ハイロとお会いしたオフィスは、マニラにあるスポーツセンターの隣です。

ハリソンプラザの前に位置しますが、ハイロさんのオフィスを降りて正面の3階建てのビルの階段を上り詰めると、そこは柔道の道場でした。

道場の前にある掲示板に目をやると、そこには一面、若い頃からのハイロさんの、写真や新聞記事が貼ってありました。

キックボクシングの写真を見て私は、一瞬、ホセ・リサールを思い浮かべました。
これは、2度目にハイロさんを尋ねたときの事です。

それからはじめてハイロさんのことを色々聞かされたのです。
生い立ちや奥さんとの馴れ初め、【POEA】フィリピン海外雇用庁で彼はディレクトーを勤めていて、
それで【HUNTER】のスタッフからも、「デイレクトー」と呼ばれている。
【NBI】や【PDEA】の麻薬捜査官を終え、ここに至るリますが、
「ハイロさんの一生」を映画にした“BATAS SA BATAS”には、
彼と柔道の関係が省かれているので不満だったとか講道館の、
嘉納治五郎を尊敬し、ホセ・リサールに憧れ、柔道を始めて、
フリー・メイソンリーになった事。等々。

 後に私は、ハイロさんに紹介状で「メーソン」の門を叩く事になるのですが、それは次回に...


大阪で、西日本柔道実連盟の皆さんと撮影。

私の以前の記事を見て頂けると幸いです。
柔道 『西日本柔道実業連盟』と『PAJA』



京都のホテルでハイロさん。

無意識で携帯を掛けているのでしょうが、
少し離れた所から内緒でショット。
ハイロさんの怖そうな顔を垣間見た一瞬でした。


福岡柔道大会の勝利を筥崎八幡宮に祈願。



ハイロさんが挨拶をしている人は、背広を着ていて若い人ですが、
列記とした、福岡は香椎箱崎の、筥崎八萬宮の宮司さんです。

そして福岡柔道大会会場でお子さん達と。



フィリピンに戻りセンチュリー・パーク・ホテルで開催された
【P.O.I.N.T.O】の入隊式。


ハイロさんと弟です。


弟の隣は誰でしょう?


私も一緒に。



ところ変わってここはセブ島。

日本から送られて来たパチンコの機械から分けた
リサイクル用のプラスチックの山。

リサイクルされたプラスチック板。


プラスチック板で作られたハウス。


セブの道場で、今は亡き米沢会長と。


友達の子供の洗礼式。

キャプテン・ハイロと、
フィリピン湾岸警備隊【PCG】の最高責任者
ウィルフレッド・タマヨ 海軍総司令長官
Admiral Wilfredo Tamayo
そして、私のカミさんです。




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キャプテン・ハイロ その2 に続きます。

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私のブログは「皆既日食」みたい

2009年07月25日 | コーヒータイム
このブログは「皆既日食」みたい。

フォントを黄色にして記事を書いても
背景が白だから見えない。

投稿をしてブログを公開して初めて見える。
背景が、黒いから。

だけど、黒い文字で記事を書いている時は、
プレビューを見ながら書けるから良い。

そして投稿してブログを見ると全然見えない。

下に書いている文字が見えますか?

見えない場合は、
マウスでドラッグしてみてください。
  ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
皆さん、ようこそいらっしゃいました。


いつも、ご訪問ありがとうございます。


毎日暑いでしょう?


お身体を大切にしてください。




上の字が見えました?

去年ブログのテーマを換えて、この宇宙のテーマに
したんですけど、「皆既日食」の日に気が付いて、
以前の記事を見直したら、やはり、ミス・インターナショナル
とか、その他にも沢山、黒いフォントの字が見えなくなっていたんですね。

今少しずつ、以前の記事を編集し直しています。

お暇なときは、前の記事も見てくださいね。

また寄ってください。



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本日更新頑張ります。
「キャプテン・ハイロ」 是非また来てくださいね。
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銃 その4  完結

2009年07月23日 | 気をつけて!!
銃 その1 から銃シリーズを続編を書き綴って参りました。
えっ? 文章が下手だから長くなるので小出しにしただけ?
なんと?ばれていたんですか? はい、そうです。 どうも。

わたくし事で恐縮ですが、今日、「皆既日食」がありましたね。
ここはフィリピンですが、私も国際放送で見る事が出来ました。

私の一生で2度目の「皆既日食」で、小学生時の46年前に、
日本で観測できた、20世紀最後の「皆既日食」がありました。
1963年7月21日です。その日はなんと、私の誕生日でした。

今年の7月21日は、昨日ですね。
そして、次の日の今日、2度目の「皆既日食」を迎えました。
テレビを見ながら一昨日から、ずっと「銃」を書いていました。


私は、人生最悪の貧困状態の中で、神が描く壮大なドラマの
「皆既日食」に、なんとも言い難いメッセージを読みとりました。

「タンジョウビ、オメデトウ」...違いますよ。茶化さないで下さい。

百年に一度の不況と言われる今の日本では、貧困に喘ぐ人も
多く今日の「日蝕」に何かを感じ取った人は少なくないでしょう。


〇「太陽が月に隠れました。」「あたりか暗くなってきました。」
☆「太陽の周りに無数の星が出てきました。」
Ω「太陽の周りにコロナが見えます。」
◇「綺麗なダイアモンド・リングです。」

思わず私も感嘆しました。

ただ、考えるにこれは、
「太陽が隠れて、暗くなったからこそ見えたもの」なんですよね。

「太陽の周りに無数の星が出てきました。」と誰かが叫びました。
昼間に星を見る様なことは、滅多に有るものでもないでしょうが、
これは、「出た」ではなくて「見えた」で有り、常にそこに「在る」。

そう、明るいときに見えないものが、暗くなって初めて見える。
そして、暗くなっても、また必ず明るくなる。
暗くなっても、永遠に時は流れていて、必ず輝く瞬間が来る。

人それぞれに、いろんなメッセージを感じ取れたことでしょう。

もうひとつ、私が受けた声なき伝言は、「コロナ」のことでした。



鑑みるに、神とはなんぞや?

おかしな話ですが、存在するとは思えるのですが見えません。


46年前の「皆既日食」の時から、疑問に思ってた事が有ります。

最後に、この際です。その事を比較値で簡単にお話しします。


◎地球から太陽までの距離は、地球から月までの400倍。
◎太陽の大きさは、月の大きさの400倍。
◎地球の大きさは、月の大きさの4倍。

そして、月は地球の周りをを回り、地球は太陽の周りを回る。

疑問:この4の倍数は何?
疑問:それがどうして月と太陽の大きさがピッタリ一致するの?
疑問:どこから見るかで違うけど、地球、月、太陽が一直線に
    並ぶなんて、天文学的な年月が掛かるんじゃないの?
疑問:これは、「自然」? 「必然」? 「偶然」?


余談ですが、この際にもうひとつ、小学社会科で地図の疑問。

疑問:どうして日本の地図の形は、世界地図の形と同じなの?
疑問:これは、「自然」? 「必然」? 「偶然」?


どこかに神さんが、隠れてるんじゃないの~!?
こんなの、「銃」で針の穴を撃ち抜くより難しいよ~!?


      そうでした。「銃」を忘れていました。



        *****   銃  *****


「銃」も その4 に来まして、ここらで完結しないと、だらだらと
書いてると、迷っている読者を更に深みに嵌らせてしまいます。

前回の写真では、銃の種類まで尋ねられたり、銃の取得方や
使い方を教えられたり、どんな風にこの「銃」が完結するのか、
楽しみだと励まされたりで、凄い期待を掛けられ困っています。

私は、話をどんでん返しにして面白おかしくする様な頭もない。
だけど4と言う数字は、忌み嫌う「死」や、4を合わせて「幸せ」
4枚の物語だけで「おしまい」に。それ位の洒落はありますね。

下手な細工をせずに、どういう結果にしたいのかを言いますと、

ただ私は、『日本よりフィリピンの方が住み易い理由』、それに
『ここは危険な国じゃないと言ういい訳』を、探してるだけです。

無理難題ですよね... それに無謀... 分かっていますけど...

      ◇   ◇   ◇   ◇

期待をかけずに本題に入ります。

まず、今までのポイントを箇条書きにします。

マサラップ アン バワル (Masarap ang Bawal)
「禁止されている事を、実行する事が面白い。」
お人好しの、楽しい日本人と、

ハナップ ブハイ (Hanap Buhay)
  「生きる為の、道を探す」
貧しい国の、優しいフィリピン人。

※これで「需要」と「供給」が合致します。

※となれば【門番】の【コネ】は、捜し易い。

      ◇   ◇   ◇   ◇

かなり以前の記事で、私は言いました。
かれこれ百年も前のフィリピンは、結構裕福な人々が多かった。
広く国外にまで貧困者を救済しようと言う、ボランティア団体は、
日本人よりフィリピンの方が先。
日本人がフィリピンに出稼ぎに来ていた時代から、フィリピンは
変わって行った。もう一昔前になるが、日本人が伐採した多くの
木が理由で、がけ崩れや山崩れを起こし洪水をも引き起こした。
山下将軍の隠し財宝に駆り出され、口封じで殺された人びとや
戦争時に慰安婦にされた人、置き去りにされた日本人妻子達。

「銃」その1に来られた人のコメントを“その3”でご紹介しました。

普通の日本人の感覚としては「怖いところ」ですね。
長い間外国人に引っ掻き回された歴史がそうさせているのかもしれません。

これは本当にそうだと思います。

ただ、ここで詳細は述べませんが、先人の偉大な日本人の援助
によって、多くのフィリピンの人びとが救われたことも事実です。
だからこそフィリピンは、ひどい遺恨を残さず、お蔭様で私たち
日本人が、ここで悠々として生活していられます。


      ◇   ◇   ◇   ◇


「需要」と「供給」という言い方をしましたが、これは、
「求める人」と、「求めに答える人」の関係で、これは、日本人と、
フィリピン人が逆になっても構いませんが、このバランスが上手く
取れて、しかも良い方向に向かえれば、世界中の人が手を繋ぐ
事が出来るでしょう。

ところが、「求め」が、満たされ過ぎると、人は欲が出て来るもの。
そして「答える人」は、生きる糧を探す人なので「答えた事」への
報酬を「求める」のは当然です。「求めた人」も「答え」なければ
なりません。それを人はだんだん忘れてくるものです。

「求める日本人」に、「報酬を求めるために答えるフィリピン人」。
少しややこしいですが、今度はこのフィリピン人が「求めた」場合
「求められた日本人」は、【報酬】や【コネ】が無く「答え」ないと、
フィリピン人は、生きる糧をなくし、尋常でなくなって来るのです。

この【コネ】は、【手段】といえば、話が早いでしょう。


※ フィリピンで起きる邦人事件の多くは、ここからが重要。

少し急ぎます。
「需要」と「供給」が崩れると、
フィリピン人が日本人に怒った場合、【コネ】を使う。(裁判、他)
日本人がフィリピン人に怒った場合、【コネ】は無くなる。 

フィリピン人が日本人を訴えた場合、【コネ】は、生かせる。
日本人がフィリピン人を訴えた場合、【コネ】は、意味が無い。

日本人が日本人に怒った場合、【コネ】は、【コネ】次第。
日本人が日本人を訴えた場合、【コネ】は、長引く。

日本人同士の喧嘩は、互いの【コネ】により、困難である。
恨みを買うので、仕返しをされない【コネ】を探す。

※ 喧嘩の理由はどうあれ、ようは「欲が満たされない」だけ。

そして、「満たされる為の」最高の【コネ】に、エスカレートする。


          「銃」です。


      ◇   ◇   ◇   ◇


やっと、題名の「銃」までたどり着きました。

しかしこれはまだ、「私の要求」は満たされていません。

私の出したい答えは、、

「フィリピンは日本より良い所。」
「だからフィリピン。」「どうすればフィリピンが良くなる?」
そして「どうすれば日本人が安心して来れるか?」です。


ここで、私も皆さんも勘違いの無い様に前置きしておきます。

それは、普通の人なら、フィリピンは理解できないでしょう。

悪い意味ではありません。
都会で生活する人に、山は良いよと言っても、考えるでしょう?
逆も同じですし、また、家に篭る人に町に出ろ、は言えません。
フィリピンに出張などでやむを得ず来られる人もいますが。


少し違うのは、
日本が好きだという人は、フィリピンが好きではありませんが、
フィリピンが好きだという人は、日本も好きな人が多いのです。

私たちは、日本人です。
「古里は、遠きに在りて思うもの...」。尚更日本が恋しいです。


      ◇   ◇   ◇   ◇

「銃」に戻って、もう一度考えます。「何を?」「日本の悪口を」

フィリピン人は、優しくて、貧困状態でも陽気な人たちばかり。
生きる糧の為に、拾い仕事も探します。
そして日本人を助けてくれます。悪事を引き受ける人も少々。

日本人は、要求が満たされ易く、つい、羽目をはずします。
最悪になれば、「銃」を手段とし、殺すか、殺させます。
しかし、そう言う人は、5%にも満たないでしょう。

フィリピンの問題は、「銃社会」です。

ただ、それでもフィリピンの犯罪率は少ないです。日本より。

「銃」が、犯罪の《助長》と、《抑制》をしているからです。

「銃」は、侍の「刀」と同じ。

もし、日本で「銃」が解禁され、「銃社会」になるとどうでしょう?

フィリピンの様に、「犯罪の多い国」になりますか?

違います。「戦国の世の中」になります。


      ◇   ◇   ◇   ◇

山で起きる事件や事故は、山好きの人が多いでしょう?
海で起きる事件や事故も、海好きな人が多いですね。
フィリピンで起きる事件事故は、危険好きな人ですか?

安心してフィリピンに来て下さい、とは言いませんが、
事件に係わり無く、フィリピンを愛する人のブログも沢山あり、
危険を回避して、楽しく過ごせる様に、お手伝いする人達も
ここには沢山居られます。

      ◇   ◇   ◇   ◇

フィリピンでは、日本人が「銃」を持つことを禁止しています。
まあ、禁止されると持ちたくなる人は少なくないでしょうが...

警察本部に登録されている、日本人の「銃」特別所持許可
は、国際警察官「インターポール」を含めて5人もいません。

「銃」“その3”の写真のように「射撃大会」等には、ぜひ参加
されて、「銃」に慣れることも、大いに結構だと思います。

ただし、「銃」は各射撃場に有る物を借りる様お勧めします。
自分専用が欲しくて購入しても、持ち運び許可を運転手や、
友達や奥さんの名義にすることは、特に注意してください。


      ◇   ◇   ◇   ◇



           あとがき


日本で平穏に暮らされている方には、
          理解しがたいフィリピンですね。

フィリピン大好きの日本人の方達が、
          沢山の情報を発信しています。

フィリピンの女性、観光地、歓楽街、コミュニティ、日記。
         そして、大使館情報や、入管情報。

日系人、新日系人、遺族の会、親睦会、ボランティア。
             情報満載です。

たまには、ブログの上だけでもエンジョイしてみて下さい。


      ◇   ◇   ◇   ◇


            追伸...

       それにしても「皆既日食」、

          感動しました。

          「日と月の神事」

           「日月神事」


      『三千世界、一度に開く梅の花』

 

       「世界が平和でありますように」



            おしまい






ありがとうございました。  にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ

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銃 その3

2009年07月22日 | 気をつけて!!
ハナップ ブハイ (Hanap Buhay)
  「生きる為の、道を探す」

これは、フィリピン人を指して言ってる言葉です。
「ジョーク」では有りません。「絶句」です。


          ◇   ◇   ◇


あるブログ・コミュニティの方から、コメントを頂きました。
その1 の感想です。一部をそのままお借りします。

普通の日本人の感覚としては「怖いところ」ですね。
長い間外国人に引っ掻き回された歴史がそうさせているのかもしれません。


      ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


その2 では、もっと怖くなられたことと思います。

その2 で私は、日本人を表現した「ジョーク」を紹介しました。

マサラップ アン バワル (Masarap ang Bawal)
「禁止されている事を、実行する事が面白い。」


誤解を招くと困りますので、言葉を補足します。

この「ジョーク」は、ずっと昔からある言葉です。
日本で私が覚えた言葉、「法律は、破るためにある」
と言った感じで、特に誰かを指して言ってるのでは無く、
恐らくこれは、実行して成功して、良い気分を味わった事のある人の言葉でしょう。

良い気分と言うのは失礼でしょうが、少なくとも何かを感じた人ですね。

例えば、「ここにごみを捨てるな」「立ち小便するな」。
これは「禁止事項」ですよね。
やった事がある人がどう感じたかは、人によります。
してやったり、と思うか後ろめたくなるか怖くなるか。

それがエスカレートすると、例えば「通行禁止」。
もうこれは、普通の人はしないでしょう?
でももし、通っている人を見たらどう思います?
何だあの人は? とか、羨ましいとか...
では、もしあなたがそこを通れるら、どう思います?
怒られないか? 捕まらないか? 等々でしょう。
そしてもし、難なく通ってしまえたら?
いやァ怖かった。もう二度としない。ですか?
面白かったなァ、あのスリル? ですか?

じゃあこの「通行禁止」、もし合法的に通れたら?

例えば、工事のおじさんに、
「どうしてもこの先に行かなければならないんですが...」
「いいですよ」と、ゲートを開けて貰えたらどうですか?

もっと、エスカレートしましょう。
「何人たりとも進入厳禁!!」さあどうします?
持ち主か管理人まで許可を取りに行きましょう。
直接出来なければ、「門番」から管理人に話して貰いましょう。


さあ、「門番」です。

☆「門番」が問題です。

「門番」が、許可が出たと言うのであなたはこの
「何人たりとも進入禁止!!」を、悠々と入れるのです。
さて、どんな気分ですか?
なんでもない?楽しい?怖い?恥ずかしい?

あなたが悠々と入るのを、大勢の人が唖然と見てます。
どんな気分ですか?
良い気分? 後ろめたい? 恥ずかしい? まだ怖い?


      ◇   ◇   ◇   ◇


 こういう「門番」、日本には殆んどいないでしょう。
日本は日本。居ないほうが良いですよ。
私も日本人だからそう思います。
だって日本が大事だから、そうあって欲しくないです。  
だからって、他所の国なら良いのか?  (考)...


日本はこの、「門番」に対しても「禁止事項」が有ります。

許す事が出来ないほどの「禁止事項」です。

フィリピンも「禁止事項」はありますが、許せるのです。
いや、許さざるを得ない事が多いのです。

どう云う事かと言うと、「門番」に対して、

ハナップ ブハイ (Hanap Buhay)
  「生きる為の、道を探す」

があるからです。

そして、あなたに対して、

マサラップ アン バワル (Masarap ang Bawal)
「禁止されている事を、実行する事が面白い。」

を、少しでも理解しようとするからです。

ここは、フィリピンですから...


      ◇   ◇   ◇   ◇


もうひとつ、これがフィリピンと言えるところ。

☆「門番」が問題です。

あなたは、「門番」から渡された「許可証」は、
どうやって出来たものだと思いますか?

ちゃんと、地主さんや管理人に話を通して作成されたものですか?

え? てっきりそうだと思ってました。とか、
当然でしょう?  や、
そんな事は、どうでも良い事だ。


そして、
問題が発生したときは、

「ワタシ、ワカラナイ」、「ソウオモッテマシタ」
「コトバ、ワカラナイ」

そして大半が、
「門番」から貰ったとか、「門番」に聞いてくれ。

これ、私は、日本人の事を言っているんです。



      ◇   ◇   ◇   ◇


☆「門番」が問題です。


フィリピン人の「門番」です。

地主や管理人に、ちゃんと話しを通してくれる「門番」
この「門番」を、「コネ」と言います。

地主や管理人を通さず、同僚に頼んで「許可証」を作成。
この「門番」も、「コネ」でしょう。

「門番」が自分で「許可証」を作成。
この「門番」、これも「コネ」でしょう。


同僚に頼んでと言うのは、結構やるんです。
「許可証」を例にあげれば、スキャンして印刷、写真の貼り付け、
登録所に署名させるところまで、それぞれの部門の「門番」が「偽者」を作成する。
または、従業員全員で作る。   全部「コネ」です。

あなたの会社でなくて、良かったですね。

多分、あなたが知らないだけでしょう。

ハナップ ブハイ (Hanap Buhay)
  「生きる為の、道を探す」

のフィリピンですから...

お金にするために、何でもかんでもやれる事はやってしまう。
そして、それを咎める人はあまり居ない。
咎める立場の人も、生きる為にやってる事だから。
それとも、許せるほど優しい人だから。
もう一つ。 無理に咎めては、自分が危ない...

それでもみんなプライドが高い。



そして私は、
何も、本質的に治安が悪い訳ではないと思っています。



お気ずきだと思いますが、
「門番」と言うのは、警察であったり、NBIであったり、入管、
税務署、陸運局、会社、そして殺し屋まで指していて、
「門番」自体、或いは「門番」の上につなぐもので、これが
フィリピンでは、「コネ」に成り得る人たちです。


「赤信号、みんなで渡れば怖くない」




写真を沢山載せたいので、続きは 

     銃...


     その4 に回します。

         ありがとうございました。


   ************************************



























      ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


参考までに
       【コネ】(コネクション)



いつも、クリックを
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      その4、 また寄って下さい。

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銃 その2

2009年07月21日 | 気をつけて!!
マサラップ アン バワル (Masarap ang Bawal)
「禁止されている事を、実行する事が面白い。」

 その1 で、この言葉を、日本人の少し良くない性質を指しているように言いました。

そしてフィリピンでの例を挙げました。

マニラ国際空港で、
進入禁止の玄関前まで車を乗り入れる。
到着飛行機の扉の前まで来客を待つ。
入国管理局は入国手続きは、並ばず横から抜ける。
手荷物検査も素通り。
玄関前には警察のモービルカーが待機。
サイレンを鳴らして護衛のバイクが先導。
一方通行も他の車が避ける。

日常で、
日本人名が入いれぬ事業を起こし国の機関が保護する。
殺人許可証を持った警官がガードする。
制服や特殊な装いで、警察まがいの格好をする。
ピン、バッチ、指輪、手帳、サイレン等、特殊な印を使用。
どこぞのコンサルタントの身分証明証を使用。
週一度の使用禁止車も、許可証やナンバープレートで。


      ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


ナンバープレート?


最初に掲載している写真、これが最近許可された
オーダーメイド・ナンバー・プレートです。

[PNPA][PSG][GROLIA][MASON][MAYOR]等々、
団体注文から、個人名や好みの番号等注文できます。

これらは、マカティ市は特別厳しく【MAPSA】による交通規制や
取調べに、皆さん頭を悩ませています。ボンネットの前に取り付けるこれらは、オリジナル・プレートとスペシャル・プレートは上と下に取り付けなければならない。

ところが、写真の[PNP]国家警察の、プレートは、写真の通りに[PNP]前面に、2枚重ねて良いように、許可が降りているようです。

まあそれは格好が悪いか格好が良いかの違いだけでしょう。

厄介な規制や取締りは、マカティは渋滞を規制するために、プレートの番号の一桁目により、10時から夜の7時まで、運転禁止の曜日が週に一度決められています。

もしあなたが賄賂を渡しても、1000円くらいじゃ許せません。
あなたがちゃんと罰金を払えば、【MAPSA】の職員は、1000円の報酬と、優良職員としてのポイントも上がる仕組みです。

この[PNP]の新プレート、あなたが偽物を作るのではありません。

ちゃんと6000円ほど陸運局に払って登録するのです。
警察の登録費も担当のマージンも入っています。

合法的です。

私も、30年位前に、私の家の前が小学校だったので、時間的に進入禁止の規制がありました。

商売上、どうしてもその規制区域を通らなければなりません。
その時、最寄の警察署から【通行許可証】を頂きました。
許可申請費用はわずかでしたけど払いました。

日本での話しです。 
全国各地に今でも規制区も許可証もあるでしょう?

それがここでは、【国家警察】などと言う大げさなプレートなのです。


      ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


どう思われますか? 
あなたが車を2台乗り換えれば番号規制は関係ありませんが。

車のプレートの件だけで話が長くなりましたが、後は同じです。

文頭に記した全項目は賄賂で無い限り、殆んどが正当、合法です。

確かな道を踏めば、誰にでも出来る事です。



マサラップ アン バワル (Masarap ang Bawal)
「禁止されている事を、実行する事が面白い。」

これは諺(ことわざ)では有りません。「ジョーク」、冗談です。

しかし、これに似た「ジョーク」が子供と時の記憶にあります。


「赤信号、みんなで渡れば怖くない」

「法律は、破るために有る」

「旅の恥は、かき捨て」

これってマナーが悪いけど、日本の「ジョーク」でしょう?


おおよそ日本の政府高官がやっている事を、
ここではごく普通の日本人が大っぴらにやっているんです。

人によっては、開放的に。
またある人はスリルを求めて。
魅力的な女性を求めて。
事業を展開しに。
退職者は、フィリピン女性の介護を求めて。
リゾート地、楽天地を求めて。
ボーイやメイドを使い。

それを優しいフィリピン人は、
ぜ~んぶ、受け止めてくれる。
日本人の味方になってくれます。

何も、本質的に治安が悪い訳ではない筈です。


ただ...

「日本人の味方になってくれます。」

これが一番の、曲者です。



      ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


           《写真を少し》


   空港へお迎え 入国管理局のもっと奥まで


   送迎車は、玄関前まで。


   バイクが颯爽と先導。


  
   どこの馬鹿だ? この日本人は?


ヤンチャ? お茶目? ガキ? いい歳して...

分かってますけど、時にはウキウキする事もあります。




      ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


    銃...


       その3 に続きます。



   ************************************



   その3 は、早めにアップします。

        結構、写真が多いです。


ホセ・リサール → 柔道 → キャプテン・ハイロ
ホセ・リサール → セサール・モンタノ→ ??


☆ 「銃」 は、キャプテン・ハイロや、セサール・モンタノ
       を、ご紹介するための序幕です。


☆ 前記事でお願いしました「紫陽花」を頂きました。
   近いうちに、一面を「紫陽花」で飾ります。
    

      ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


参考までに

【MAPSA】(マカティ公的安全支援局)
 Makati public assistance safety


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      その3、 また寄ってくださいね。

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銃 その1

2009年07月21日 | 気をつけて!!
先日、日本人男性が銃で狙撃されて亡くなられたそうです。
詳しい内容や、フィリピンに来られる日本の方への注意点は
こちらのブログを見て下さい。    私も驚きました。

「マムーの撮影探検日記」です。

亡くなられた大賀さんのご冥福をお祈り致します。



銃で撃たれて日本人が亡くなられたという記事と同時に、
不謹慎と思いますが、今日はその「銃」の事を書きます。

先ほど、私も驚いたと言いましたけど、驚いたのは事件の事ともう一つ、マムーさんのブログで事件の記事が出るとは思っても見なかったからです。

マムーさんという人は、とても人が良く、ブログも綺麗な写真と記事で、フィリピンの撮影現場や俳優さん、もの、風景、などを紹介して、フィリピンの良いところを世界中に居る日本の人たちに発信しています。

その彼が、少し暗い記事を載せたのは、殺された人とは無関係でも同郷の日本人と言う事に、よほど心を痛めたのでしょう。

私のブログは無茶苦茶で、彼の様に綺麗に整頓されたブログじゃありませんが、共通しているのは、「フィリピンに来られる人達に、素敵なフィリピンを見てもらいたい」と言う気持ちは同じです。

「臭い物には蓋を」では有りません。
彼も含めて、かなりの“フィリピン大好き”の日本人やフィリピンの人たちが、「臭い物は綺麗にしよう」と頑張っています。
中には「臭い物は掃除しよう」と言う兵もいますけど...

言い添えて置きます。
彼は、日本の映画やテレビ局の取材等のコーディネートもしていますので、メディア関係の二ユースは、いち早く入手できる立場です。

と言う事で、「これからフィリピン。」という方は、彼のブログを注目して欲しいと思います。


      ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


銃...


私が、「フィリピンはいい所ですよ。」と言っても、「どこが?」と興味を持ってくれる人もいるでしょう。

しかし、「フィリピンは危険な所だ。」と思っている人の、頭の中に浮かぶ言葉は、「日本と比べて、どこが良い?」でしょう?

私はどう答えて良いのか分かりません。

「あなたの不安は私が解消してあげます。」
「危険なところは、私がガードしてあげます。」
「面倒な手続きは私がお手伝いします。」
「他に必要な注意点は、私が教えてあげます。」  
「さあいらっしゃい。」

言ってみたいけど、それは不可能ですね。

だから私は、「理屈」と「言葉」を考えます。(言いわけです)

「フィリピンが、日本よりも良い。」といえるところを...
「日本が、フィリピンより悪い」ところを...



      ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆



マサラップ アン バワル (Masarap ang Bawal)


と言う日本人向け? の言葉があります。

これは、「禁止されてる事が、楽しい。」です。

何か、私の事を言われてるみたいですけど。裏の...

いえ、今日は、ふざけていません。
真面目に考えています。

で、この上の言葉の意味は、隠れている言葉も足して、


「禁止されている事を、実行する事が面白い。」です。


例を挙げてみます。

マニラ国際空港で、
進入禁止の玄関前まで車を乗り入れる。
到着飛行機の扉の前まで来客を待つ。
入国管理局の入国手続きは、並ばず横から抜ける。
手荷物検査も素通り。
玄関前には警察のモービルカーが待機。
サイレンを鳴らして護衛のバイクが先導。
一方通行も他の車が避ける。
市内の渋滞をモーゼの海を分けた様に、悠々通過。

日常で、
日本人名が入いれぬ事業をし、国の機関がそれを保護。
殺人許可証を持った警官がガードする。
制服や特殊な装いで、警察まがいの格好をする。
バッチ、指輪、手帳、サイレン等、特殊な印を使用。
どこぞのコンサルタントになり、身分証明証を使用。
週一度の使用禁止車も、許可証やナンバープレートで。

そして、     
      銃...


すみません。

もう、朝の8時...

眠くなりましたので、一眠りして、


   続きを その2に まわします...



毎日ありがとうございます。  にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ

      その2、 頑張ります。

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紫陽花 (あじさい) と私

2009年07月19日 | コーヒータイム
今日のコーヒータイムは、私の好きな花、紫陽花のお話です。

すみません、この「枝別れブログ」”フィリピンの顔”の次の予定の
キャプテン・ハイロの記事は、いま写真をアップしています。
それに、彼は今、全国から指名手配されている重要人物ですので、
関係者の方々に被害を及ぼす可能性もありますから、余程気を付けてUPしないといけません。
ただ、彼は私にとって大切な人なので、知り合いや友達を紹介する私のブログに、彼を無視して通り過ぎるのがとても困難です。
例え私に危険が迫っても。です。

明日か明後日、「キャプテン・ハイロ」ご紹介します。


☆ ☆ ☆ ☆

それではコーヒータイムを。

まず、コミュニティの友達のブログを観て下さい。

百鬼丸さんのブログ「スローターハウス」

耕ちゃんさんのブログ「遊愛工房と耕ちゃん」


百鬼丸さんの紫陽花は「隅田の花火」という名の紫陽花です。
耕ちゃんさんの紫陽花は、特殊な万華鏡で見る紫陽花で、彼は「一輪でも万華(鏡)」の映像と言います。
ここにリンクしてるのは第5弾ですので他の紫陽花も観て下さい。
本当に色んな紫陽花があるんですね。

コーヒーでも入れましょうか?
(そう言えば今日の甘党の会、Tokyo Cafe に行きそびれたなぁ…)


☆ ☆ ☆ ☆

私の好きな花は、
 〇 紫陽花=あじさい
 〇 蓮の華
 〇 秋桜=コスモス
 〇 朝顔
 〇 フリージャ
 〇 菖蒲=あやめ

そしてこれらの花の種は5年ほど前に日本から運んで来てここフィリピンで育てました。
みんな綺麗に咲いてくれたけど、1代だけしか育ちませんでした。

それぞれに思い出があって好きになった花です。

・蓮の華は、蓮の花そのもの。仏教界の花であり、お釈迦様他、仏像の台座に多く見られます。
泥の中の蓮根(レンコン)から、水面に綺麗な花を咲かせる【教え】。
それに、実【原因】と花【結果】を同時に生じることから、【因果の教え】。
蓮華と蓮華草(れんげそう)は違いますけど、子供の頃いつもれんげ草畑で寝っころがって遊んだのを思い出す、好きな花の一つです。

・コスモスは、母が一番好きな花なので私も大切にしています。

・朝顔に、つるべ取られて貰い水。 一茶でしたっけ?

・フリージャーに、寄せる想い出初恋の、あの日の君を今も忘れじ。 これは誰が詠んだのか分かりませんが、死んだ親父が子供の頃よく聞かせてくれた詩です。

・いずれが菖蒲か杜若。(いずれがアヤメかカキツバタ)。 アヤメとカキツバタは本当によく似ているし今でも間違え易いんですが、私は、アヤメの花が好きです。
そしてこのアヤメは(菖蒲)と言う字を書くでしょう? (菖蒲)はショウブですよね? どちらも漢字変換すると菖蒲なんです。 ところが菖蒲湯などのショウブは、アヤメではない筈です。
「いずれが菖蒲か杜若」、誰の言葉か分かりませんが、これも父や母から常に叩き込まれた言葉です。
似ている様で違うとか本質を見抜けとか、叩き込まれたと言う事は、何か大事な意味があるのでしょう。
そして私の頭の中はいつも、『アヤメとカキツバタとショウブは違う』を繰り返し、特別な花になってしまいました。
アヤメに似たグラジオラスの種を日本から持って来て庭に蒔いたら、50本くらいがみんな1メートルの高さになって、台風で全部倒れてしまいました。

私の話しは、もう、4、50年も前の古い記憶ですから、確かじゃありません。
それぞれの花言葉も好きで、興味のある方はインターネットや辞典で調べて頂けますか?

またしても前置きが長くなってしまいました。
【蓮華経】など、話し出したら止まりませんからこの辺で...


☆ ☆ ☆ ☆

さて、今日の本題(経のお題目じゃありませんよ)。

紫陽花と私。

もう30年を越える昔のお話ですが、
私は毎年5月の末に必ず紫陽花を探してあちらこちらを回ります。

その昔、加持祈祷の師から教えを受けた事の一つですが、
紫陽花を捧げる【竜神祭】の儀式です。

それは、6月1日は【竜神さんの日】で、竜神さんが来てくれる様に紫陽花を軒下に飾るのだ。と。
竜神さんは、虹の様に七色に輝く紫陽花が好きで、その紫陽花が軒先に吊るしてある家々を巡回する。
その時に竜神さんは、お金が沢山入り幸せになれる「神通力」を落として行かれる。

「神通力」って誰かに授けるのかな? 昔話しで恐縮ですが、
私はコメットさんのような魔法使いが魔法をかける時に使う棒、そうそう、今で言う「ハリー・ポッタ」の持っているスティックみたいなものかな? その棒から沢山の小さな星屑のような光が出るでしょう? ブワーッと...
そんな光みたいな物をずっと想像していました。今でも...

分かり易く言えば、6月1日に【竜神祭の儀式】で【おまじない】をかけた【紫陽花】を、軒先に一年間吊るして置けば、例え乾燥していても【竜神さん】は、それを目印に家々を回る。
その時に、【幸運】の粉を振り撒いて行ってくれるので、毎年必ず【儀式】を行う事。
これで分かり易いですか? 分かります?

そしてその【竜神祭の儀式】とは、大勢の信者さん方に振舞うために、
大きな桶一杯の水を張って、沢山の紫陽花をその桶に入れ、祭壇の前でお祈りをするのです。
「お金が沢山入りますように。お金が沢山入りますように。」
「竜神さん、お願いヨ。お金一杯頂戴!!」って思いながら、
般若心経から竜神経、観音経、あらゆるお経を唱えながら...
そうやって祈願された紫陽花は、一輪ずつ茎を針金で結ばれ、軒先や玄関に吊るされます。
枯れてしまっても一年間飾ったままです。

余談ですが、これはホ~ント毎日分厚い経本を唱えさせられました。
ここフィリピンでも日本からの神棚や分厚い経本を持って来ています。

この神棚は、その私の師から頂いたもので、曰く付きの神棚です。
当時、30年以上前の事ですが、九州の宗像大社の神主さんから
祈祷された神棚を、夜中(夜中とまで覚えていますよ)に神主さんが運んで譲り受けたものだそうです。

そしてよく師の説教の中の一つに、宗像大社がまだ小さい昔、出光興産の出光社長が子供の頃、貰ったおこずかいをいつも宗像大社の賽銭箱に入れていて、
感心した神様はその子に「富豪」に成る褒美を与えた。
宗像大社も随分大きく格が上がったのだと。
『神様の倍返しを忘れるな』と。

そう言う凄い神様が居られる大社から頂いた神棚だと。

かく言う師は、(私は先生と呼んでいました)インドにも幾度か渡り、お釈迦さんの粒状の舎利(釈迦の骨)一つと、これも粒状の歯を一つ戴いて来たという結構神通力のある人でした。
釈迦の歯は、日本には一つしかなく、舎利は米粒大で日本に4つしかないそうですが、それらは別々に厳かな小箱に入れられ、先生の祭壇の一番上段の神棚に納まっていました。

*参考までに、般若心経の中に出てくる【舎利子】は、【舎利仏】と同じで、釈迦の弟子の一人を指す。
【舎利】とは、米粒大に砕かれて弟子や信者に分けられた釈迦の骨の事で、粒が似ている事から米粒も【舎利】と呼んだりする。
〔これは多分信じて頂いて良いと思います。子供の頃に徹底的に調べましたから。〕
そして【仏舎利】というのが有りましたね。これは未だに曖昧なのですが、【仏】=釈迦の【舎利】=骨。だと思うのですが、【仏舎利塔】というのが有って、そこには、釈迦の骨だけじゃなく、遺体の灰や髪の毛や爪まで在るようです。

日本語は、本当にややこしいですね。
外来語といった方が良いんですかね? もともと般若心経は玄奘三蔵(三蔵法師)が梵語のお経を音読み訓読みで唱え、それを漢字にあてた【当て字】でしょう?
【波羅蜜】が【パーラミタ】、【涅槃】は【ニルバーナ】等は、皆さんご存知と思いますが。
序でに【舎利仏】は、【シャーリープッタ】...あれ?止まらなくなった…

また支離滅裂に成ってしまいました。 反省…

宗教家じゃない私がくだらない話しをしました。
私は、無宗派です。 どちらでもなく神仏合体なのですが、
今の神名を受ける20年以上前に「バテレン竜水」なんて言う神名を付けられてフィリピンに来ました。
これは前記の師がつけた名じゃありません。
30数年前の師は当時60を越えたおばあさんで、もう亡くなっています。

今の神名は、ある「院」で頂きました。
「神」を討論するのは楽しいけど... 
いえ、「神」と討論も楽しいですよ。
それでも私は宗教家じゃ有りません。
【言霊】を大切に思うだけです。

ただの「拝み屋さん」かな?

狂ってるかも知れないけど「神懸かり」でもありません。


『紫陽花と私』...  でしたね...


☆ ☆ ☆ ☆

ジプシーのような私は、どこに行っても紫陽花を探しました。


紫の陽の花


ウィキに記されている「紫陽花」から抜粋しました。

「あじさい」の名は「藍色が集まったもの」を意味する「あづさい(集真藍)」が訛ったものと言われる。 また漢字表記に用いられる「紫陽花」は唐の詩人・白居易が別の花(ライラックか)に名付けたもので、平安時代の学者・源順がこの漢字をあてはめたことから誤って広まったといわれている。

…と...。 そして、私達が花と言っている、あの綺麗な花びらは、実は「装飾花」であり、「ガク」の事だと。
本当の花は、中心部の小さな花である。  と...

原産は日本だと言う事ですが、 なんでしょう? この花?

「紫陽花」と言う漢字も、あの綺麗な花びらも、「装ってる」だけ?

なんか私みたいジャン? ぷッ。

花を食べると中毒を起こす。だの、同じ種でも土地が変われば
地質によって花の色が変わる?  へ?

な~んか、益々この花が好きになっちゃった!


☆ ☆ ☆ ☆

30数年前に師匠が言っていた「虹のような花」は七色の花の事なの?
地質に因って花びらの色が変わる「七変化」の異名と、同じ意味?

フィリピンではこの花の名前は、「レインボウ・フラワー」と言います。
それは、七色の虹と同じ意味でしょうか?

もう一つ呼び名が在ります。  「ミリオン・フラワー」です。
「お金持ちの意味だぁ!!」  「竜神さんだぁ!!」

この花の学名「ハイドランジア」は、「水の容器」の意味。
  ン?。

「竜水」だあああぁぁぁ......!!


☆ ☆ ☆ ☆

師匠から頂いた宗像大社の祈願入りの神棚の前で、
30数年間、毎年欠かさず勤めた竜神の紫陽花祈願。

思い起こせば3年前、紫陽花の「玄関吊るし」をフィリピンの従業員に任せてしまった。

いえ、ちゃんと私が祈願しましたよ。
ところが、ゲートや事務所のテラス上に飾る様にフィリピンの従業員に任せたのです。

2、3日してゴミ箱に、枯れて痩せ細った紫陽花を見つけました。
聞くと、事務所の棚の上に置いてましただって...

しまったあああぁぁぁァ ......!?

奈落の底に落ちるのは、重力に引かれるよりも速かった。


☆ ☆ ☆ ☆

はい? 去年の「竜神の日」はどうしたかって?

そんなのああた、「紫陽花」買えるわけないでしょ。
貧乏暮らししてるのに...
なにせ、「ミリオン・フラワー」ですよ。高い…

え?今年?

...。   わすれてた...


☆ ☆ ☆ ☆

先ほどの、本題に入ります。は、装飾花です。

今からが本当の「紫陽花」と私です。 ははは。 ゴメンナサイ…


皆さんにお願いがあります。

実は、百鬼丸さんや耕ちゃんさんの「紫陽花」を見て気が付いたんです。
そして「いいなあ」って思いました。

どなたか「自分のブログの紫陽花を使って良いよ。」と言う方、
いらっしゃいませんか?

せめてこのブログの新しい1ページ1面に、綺麗な、綺麗な
あなたの「紫陽花」を、年中ここに載せて置きたいんですが…


写真でも良いんです。 何せ「ミリオン・フラワー」ですから。

竜神さん、きっと来てくれるでしょう…

そして、「打ち出の小槌」を間違って落として行ってよ。

だけど私(Pinoy)の顔写真、「大黒さん」じゃ無いからね...

やっぱし「布袋(ほてい)」じゃ駄目?

外国じゃ布袋は、「弥勒」の仮の姿だって...
ここ、フィリピンじゃ、布袋の像を「仏陀」だって...

「布袋」も「弥勒」も「仏陀」もお金持ちじゃないもんね。
人には幸せあげるのに...

「大黒さん」に頼んでみるかな?
「一寸法師」に貸した「打ち出の小槌」、僕にも貸してって...
あれって、自分にも使えるからね。

「竜神」に配達させてくれるように言って見よォ。

だから「紫陽花」ちょうだい!!

「OK! ブログの写真使って良いよ」ってコメントに書いて!!


やはり無理ですか?...     シカタナイ...


それではここで、
私と一緒に【おまじない】を手伝って下さい。

簡単です。 下のお札をクリックするだけです。

『Pinoyのブログに~~、
あ~じさいの写真が~~
届きますように~~~』

にほんブログ村 写真ブログへ ←おまじないの御札



何ですかァ?   私があなたを騙してるってェ?

違いますよォ。

「釈迦」のおしえの「方便」ですゥ。

おふだは「装飾花」ですゥ。

「紫陽花」は私。 でした。



えっ? もうクリックしたんですか?


どうもありがとうございます。
お札のお礼です。

また明日も寄って下さいね。



すみません、冗談ばかりで。「コーヒータイム」と言う事で...
でも本当に、このブログに「あじさい」を下さい。
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ランキング用のバナーを作ってもらいました。

2009年07月16日 | コーヒータイム
にほんブログ村に文字入れをお願いしていたバナーが届きました。

これです。 「イルカ」のイラストです。

にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ   可愛いでしょ?

にほんブログ村とは参加されたブロガーさんたちの、それぞれのブログのカテゴリーごとにランクを集計して発表するコミュニティです。
今、ブログ村では、下のバナーの様に期間限定でブロガーが参加するカテゴリー名に限り、無料で文字入れサービスを実施しています。

にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ ←期間限定


カテゴリーは、3000種くらい有るようですが、
なかなかカラフルでしょ?
バナーの上にマウスを重ねるとカテゴリーが表示されます。

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村 海外生活ブログへにほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へにほんブログ村 写真ブログへにほんブログ村 写真ブログ 人物写真へ

あっ!! 最初に言っておきますが、このページのバナーはどこをクリックしても私のランキングページに飛びますよ。

...... !?

えっ? もう押しちゃったんですか?

そうですか…


どうもありがとうございます。 ラッキ~
また明日もポチして下さいね

次にこの小さいバナー、どのカテゴリーがマッチしているか分からないので、サイドバーに貼りました。
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冗談はこのくらいにしまして、

実は、今日ランキングのことを書く前に、
私はずっと永い事自分のブログに悩んでいました。

誰でもそんな事が有るのかなとも思います。
ある友達は、ブログに中傷に負けてブログを消してしまいました。
ある人は、どう更新したらいいのか悩んでる。ある人は危険な記事を書いて、事務局からブログを消され、またある人は、ブログで人を中傷して、現在拘留中。

そんな悩みは多分、私には関係無いと思いますけど。
私は私なりにいろいろ有るんですよ。

まず私のブログ、コメントがナ~イ…

次に、見てくれてる人がイナ~イ…

そして悲しい事に、どんな人が見てるかワカラナ~イ…
どういう風に見られてるのかコワ~イ…


フログを始めた頃を思い出すと、
ただ撮り溜めた写真が沢山あるのでそれを人に見て欲しかった。
良いブログを作りたいと思い、ものを書く練習にもなるし記録できる。
日記をノートにつけても3日坊主で、公開してからは後悔したくない。

そう思って始めたけれど、
フィリピンの事を日本の人に伝えたくても詳しい人は他にもっと居る。
私は、役立つ事を知っているようで、参考資料にされると自身がない。
「フィリピンの顔」を紹介したいのに、そこに「自分の顔」が出る。
標準語で話したいのに方言が出ていて、それに気付かない自分が居る。
他人のブログにコメントを書いて、その人のブログを汚すのが怖い。
色んなブロガーさんと友達になりたいのに、友達申請が出来ずに
「注目の人」や「お気に入り」に入れ、あしあとだけを残して失礼する。
SNSやコミュに友達を千人くらい作りたいのに、一日中コンピュータ
の前に座っていても、10人ほどのブログしか回れないので、ちゃんと
交流する事に礼儀を尽くせなくなるのを考え、こちらから無闇に友達
申請するのを控えて、ただ待ってるだけ。
そして、ブロガーさんから友達申請があると、まるでラブレターが来たかのように飛び上がって喜ぶ。

ただ単にブログを書く時は、どこの誰か判らない“あなた”に向かって書くようにしている。
そして書き込みの途中から、「俺はまだ、しぶとく生きてるよ。」と見てくれてる筈の無い、年老いた母親や亡くなった親父に対して発信してる。
書き終える頃には、いつの間にか未来の自分に対してブログを綴っているのに気付く。

なんだそれ? それって性格の問題じゃないの?

そうですね。確かに嫌な性格。 自分で書いてて分かる。

「憂」と「鬱」が激しく入れ替わり立ち代り葛藤しながら寝不足の目をこすりながらブログを書いてるし…

**********************

12日の日曜日に、初めてここフィリピンに居る日本人の集い「甘党の会」に出席しました。

久しぶりに当日誕生日のこの人①と去年知り合ったこの人②に会いました。 
この人③も紹介して頂きました。

先のお二人に開口一番に言われました。

「ブログ、更新しないんですか?」 

「え? 見ててくれたんですか?」

「見ましたよ~。見つけましたよ~。机にデーンと座ってるの見てすぐ判った。ビックリしたよ~。」

「ハイ!! 今日の夜には更新します!!」頭を掻きながら答えました。


そうなんだ?見てくれてる人が居たんだ...


以前に日記という題で書いたブログを妹が見て、その内容を母親に話し、母から泣きながら電話がありました。

「あんた、大変な事になってるみたいね? 大丈夫ね?」

私は笑って、「大丈夫だよ。ブログに書いてるのは、ちゃんと解決するって思ってるから書いたんだから、心配しないで良いって。」

そのあと、「かわいそうに...」とまで言われましたけど、おそらくそれが原因でしょうか、1週間前に重度の脳梗塞で倒れ病院に担がれました。

思い出した...  早く日本に帰らなきゃ...

**********************

確かに、“あなた”を含めてこのブログを見てくれてる人が居るんですね。
怒ったり笑ったり、色んな気持ちで訪問して頂いてますね。

アクセス数から見ても、結構沢山の方が来られているようです。

先週ブログのランキングを競う、ブログ村にアクセスしました。
そこで「フィリピンの顔」を見つけたのですが、「フィリピン情報」というカテゴリーで282あるサイトの中で、157位となっていました。
いつ私が登録したのか記憶に無くて、バナーも張っていないのにこの数字には驚きました。

それから私は早速幾つかのランキング・カテゴリーに100%を振り分けて登録しました。
何となく、自分の楽しみの為に、ランキングに参加してみたくなったのです。

ただ、一人で黙々と(そう思って)更新してきた私は、ずっと感じていた事がありました。
私と同じ様にフィリピンの事をブログにしてる人が、同じカテゴリーの他人のブログを、除いてみる事はあっても絶対に応援はしないだろうな。と。

どなたのブログを見ても、「フィリピンの顔」をブックマークに入れている人は居ません。
「タガロディク・スピンアウト」のブログで私のブログを紹介して頂いてたのには、知り合いではないでしょうが頭が下がり嬉しく思いました。
結構それでもフィリピン関係のブログに“ブックマーク”や“お気に入り”などで同じフィリピン関係の他人のサイトがリンクされているのは、友達か常連として通うお店などの持ちつ持たれつの関係のブログとばかり思っていました。

私も「貧しい母子のためのクリニック 」「KUYA江島の気まぐれ日記 」「マムーの撮影探検日記 」等を右のサイドバーにブックマーク・リンクをしているのは、ボランティアの人、仲間、そして友達です。

ジャンルが同じなら、「料理のブログ」に他人の「料理のブログ」はリンクしないでしょう?
それが同じ「料理のブログ」でも、「中華料理」の人が「日本料理」や「洋食料理」を紹介するのは抵抗が無いでしょう?

トラックバックをしてリンクを張る事を嫌う人もいます。
私のブログを尋ねて来て下さった人のブログに書かれていました。
『トヨタのブログに勝手にホンダのリンクを張るな。』みたいな事を。

何となく同感だと思いました。

**********************

このフィリピンに、若い日本人の友達が居ます。
それが先に書いた【この人①】の青年です。
この青年は、古い大切な友ですが、この人こそ私にとって、『トヨタとホンダ』です。
ブログで言えば、おなじ「フィリピン情報」のランキング参加メンバーです。

同じ探偵業をやり、同じ湾岸警備隊に同じボランティアのキワニス。そして同じく「男前」。 あっ、違った…(笑)
まあ、彼は活動家で「若き虎」、私は糖尿病持ちの「老いた竜」(爆) 「豚」。

その彼のちょうど誕生日だったんです、甘党の会の集いは。
久しぶりの再会を彼は喜んでくれました。
そしてその夜、彼のミクシィに日記が書かれました。
甘党の会の報告や誕生祝のお礼の言葉と、私も一緒の写真が掲載されていました。
次の日に、彼のブログの更新の知らせが入っていました。
彼のブログ、他のお友達の方と一緒に私のブログへのリンクも貼って有りました。

『トヨタのブログにホンダの紹介』?
もしかして、『トヨタのブログにカーステレオの広告』?
そう考えるところが、私の悪い癖。リンクされて嬉しいくせに...

**********************

6年ほど前に二人で話した事があります。
フィリピンに住む日本人は、其々コネや組織を持っているけど、
みんなお山の大将で日本人同士、横の繋がりを持とうとしない。

忘れてましたね。 「この指とまれ」の私の夢。
『トヨタのブログにカーナビの広告』に成らなきゃね。
やっと今になって気付きました。

  **********************

本題ですけど...

私のブログを見てくださってる“あなた”にお尋ねします。

ま、文章が下手なくせに回りくどく、支離滅裂なのは分かってるんですけど...
それに、次回からは、文をもっと簡潔明瞭にしますけど...

迷ってるんです。
私のブログは、どのジャンル、どのカテゴリーになるのでしょう。
ランキングに参加したいのですが、自分で分からないのです。
「コメディ」とか「変態」なんて無いでしょうし...

と、言っても、誰もコメントくれないモンね...

そうだ!!
このバナーの中から選んでもらえませんか?

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すみません。 悪い冗談でした。

    *********************

やっぱり、折角オーダーメイドで作って頂いたのですから、当分この「フィリピン情報」のバナーを置きます。

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「フィリピン情報」のカテゴリーに合うように、このブログで楽しい情報を発信していきたいと思います。

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柔道 『西日本柔道実業連盟』と『PAJA』

2009年07月11日 | スポーツ界
前記事でお話しました柔道について書きたいのですが、
私は中学生の時のクラブ活動で3年間と、高校の教科で習っただけで、
柔道を語っても参考にもなりませんが、思い出せば懐かしくなります。

私の若いときに流行っていたスポーツドラマ、「姿三四郎」「柔道一直線」少し後に「いなかっぺ大将」
本当に懐かしい。

柔道少年だった私は、あの近藤正臣みたいにピアノの鍵盤の上に立って足の指で曲が弾ける様に身体を軽くするトレーニングをしたり、大ちゃんがやったように猫の宙返りを研究したり。

そうそう、少し話が反れますが中学の時に事故に遭ったんですよ。
自転車で国道を半ばまで渡ったときに遠くに見えていたバイクが115キロの速さで突っ込んで来て、跳ね飛ばされました。
その時、国道の向かい側に5メートルほど高い土手があったんですが、その土手の上でバレーボールをして遊んでいた子供たちが、大きなバイクがぶつかる音と同時に私が跳ね上がって落ちたのを見た。と聞きました。

国道の真ん中に瞬間的に叩き落された自分の頭の上を、天使の頭の上にある輪っかの様に光がぐるぐる回っていたのを今でも覚えています。

後ろから抱えて起こされました。
「大丈夫か?歩けるか?」「あ、歩けます...」
二、三歩ほど歩いたのですが何かおかしい...
右足首の少し上から直角に折れ曲がってました。
「足が折れてる!足が折れてる!」 「そうか?!!」
後ろから支えている人が担いでくれたのですけど、今度は足を踏みつけたまま抱えて捏ねるので、とうとう右足は複雑骨折になってしまいました。

大神さんと言われる人が通りかかって車に載せてくれて、夕暮れの町をずっとクラクションを鳴らしながら何箇所かの病院を今で言うたらい回しにされながら、しかもクラクションが煩いと他の車に怒鳴られながら運んでくれました。

私は意識朦朧とする中を、言われたように「1、2、3、4...」と声に出して数を数えながら車の後ろ座席に転がっていました。頭から大量の血を流しながら...

後頭部を7針、足を2ケ所で11針縫い、複雑骨折の骨は6ヶ月間牽引する羽目になりました。

病院で気が付いたのですが、右腕がひどく赤く腫れて傷ついていました。

うっすらと記憶にありました。
事故のとき、国道に叩きつけられた瞬間、柔道の受身をしていたのです。

そして足の折れた部分が外に骨が少し出ているので、柔道で大外刈りや体落しをする時に、相手の足に私の足のこぶが引っ掛かって、うまい具合に“やまあらし”見たいな事が出来る様になっていました。(右足が折れて鍵のように少し曲がっていて“やまあらし”と言う業を開発したのは、加納先生の弟子の西郷四郎と言う人で、三四郎のモデルになった人です。いずれにしろ、このブログは参考資料にしないで下さいね。)

そんな訳で柔道少年は、この事故以来、人生が変わりました。
老後はもう一度柔道をやって、今度は“空気投げ”を身に付けるぞ。

やっぱりあの事故で、相当ひどく頭を打ったモンなあ…

はい。「ホセ・リサールと柔道」でしたっけ、今日のテーマ?
「柔道と私」に替えようかな?

本題に入ります。

まず柔道と講道館の創始者は、嘉納治五郎です

次に、リサールが嘉納治五郎と接点を持った可能性があるか見てください。

◎嘉納 治五郎(かのう じごろう) 1860年~1938年(昭和13年)

1881年(明治14年)「柔道」を作る。
1882年(明治15年)講道館を設立。


◎ホセ・リサール(Jose Rizal)  1861年~1896年

1888年 2月に日本に渡来し4月まで滞在。

リサールは、嘉納治五郎とほぼ同い年で、日本に行った時には、嘉納治五郎の柔道は7年前に完成されていました。

赤字の部分
ウィキから抜粋しました。(参考にして下さい。エヘン)

直接二人が出会ったかどうかは、資料が見当たりません。
ただ、スポーツマンであり、日本贔屓(日本びいき)のリサールが、柔道を習って帰った事は間違いないでしょう。

英雄リサールが、加納先生から柔道を習ったのだと思う事は、私のロマンです。

先月、「柔道」をインターネットで検索していたら、ハイロさんや私が載っているホームページを見つけましたので是非皆さんに見て頂きたいと思ってリンクしました。

西日本柔道実業連盟 です。
  ↑  ↑  ↑
どちらかをクリックして下さい。
  ↓  ↓  ↓
http://www.westjudo.jp/info/0501.html

これには、こう書かれています。
山本裕洋副理事長兼審判委員長と田中裕二広報委員長を同国に派遣し、フィリピン・アマチュア柔道協会(PAJA、レオナルド・H・ハイロ会長=アジア柔道連盟副会長、フィリピン・オリンピック委員会筆頭副会長)と打合せ及び国内大会視察。

ページの中にある写真を3枚抜き出してみました。
この写真は、ハイロさんと日本に行った時に、大阪で西日本柔道実業連盟の米澤会長ほか、主立った先生方との会議を済ませた後の打ち上げ会の様子です。


2枚目は、左が米澤会長。右がハイロ会長です。

これ、右端が私ですが、2番目の田中裕二広報委員長と左端の山本裕洋副理事長兼審判委員長をマニラ空港でお迎えした時の写真。
右から3番目がハイロ会長です。



       *********

さて、下の写真は、その先生方を歓迎して、フィリピンからスポーツ振興の理事をしておられる、JOSE MIGUEL ARROYO (ホセ・ミゲル・アロヨ、ファーストジェントルマン【アロヨ大統領の夫】)から祝辞を頂き、歓迎会と、柔道着や道場畳の贈呈式がマニラ・センチュリー・ホテルで盛大に行われた時の新聞記事です。


少し見難い新聞記事ですが、実はカメラマンが私のスタッフなので、オリジナル写真は私か持っていました。
右端の黒い服で座っておられるのが大統領の旦那(マイク・アロヨ)さん、左から2番目ハイロさん。中央に黒い背広姿で横を向いて
マイク・アロヨ氏とお話をしているのが、米澤三郎会長です。
後ろに立っている黒い服、私とコマンダー・ジュンです。
(そういえば今日、7月11日はコマンダーの誕生日でしたね。)






西日本柔道実業連盟の、米澤三郎名誉会長は、一昨年お亡くなりになりました。
フィリピンでも大阪でもお世話になりました。ご冥福をお祈りいたします。
と共に、感謝と尊敬の意味も含めて、ご一緒の写真を掲載させて頂きました。

西日本実業柔道連盟 理事長 米田圭佑 氏より、
追悼のお言葉 故米澤三郎名誉会長の御霊に捧ぐ


フィリピン柔道青年部です。


こちらは少年部。


下の動画、ホンの一瞬ですが見てください。
日本大使館の谷口さんが流暢なタガログ語で少年柔道家たちに大会の説明をしているところです。



この写真は、真ん中にハイロさん。
その左右の5人の日本人は、派遣されて来られた柔道の先生方。
ハイロさんの後列の二人は、私とフィリップさん。PAJAのメンバーです。
最後列の二人は私のセキュリティ、ボディガードさん達です。
*私が危険な人間だからじゃなくて、ハイロさんが重要人物なので、私に護衛が付いてるだけです。
写真をクリックしてください。拡大します。


       *********

最後に、昔の柔道少年に聴いて頂きたい曲があります。
YouTubeからです。



       *********


  長い長い、資料にも何にもならない私のブログに
  最後までお付き合い頂き、有り難う御座いました。
  本日を持ちましてこのブログ、「フィリピンの顔」は、








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一生懸命頑張りま~す  



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