フィリピンの顔

フィリピンの日常や、旅行記、人、観光地、ビジネス、
出来事等を記録します。

キャプテン ハイロ (Captain Jaylo)  その1

2009年07月26日 | フィリピンの英雄
このビデオCDは、
キャプテン レイナルド・ハイロ
(Kapitan Reynaldo “Rey” Jaylo) の、
事実に基いた物語を、ラモン・レビリア
(Ramon “Bong” Revilla)主演の、
“BATAS SA BATAS”
(法の中の法)と言う映画のVCDです。

※ (Kapitan Reynaldo “Rey” Jaylo)=レイ・ハイロ
   (Ramon “Bong” Revilla)=ボン・レビリア
と書くように、 “ ” の中に入っている名前は、ニックネームのことです。
Kapitan は タガログで、Captainのこと。キャプテンです。
「キャプテン」と、ハイロ氏の事を呼ぶのは、警察時代の名残です。
「キャプテン・ハイロ」と、お見知りおき下さい。

※ キャプテン・ハイロ が尊敬するお友達お二人を、
   近い内にこのブログでご紹介します。

お一人は、アルフレッド・リム マニラ市長 (Mayor Alfredo Lim)。
彼は、彼自身の映画、“BATAS NG MAYNILA”(マニラの法)を、
エディー・ガルシア (Eddie Garcia) 主演で製作されました。
リム市長は、元、【NBI】のディレクトーをしておりました。
後に 【PDEA】そして、市長、上院議員、市長と、美歴があります。
リム市長とは【NBI】【PDEA】でキャプテン・ハイロの元上司です。

もうお一方は、ロセンド・ヘレラ氏 (Rocendo C. Herrera) さん。
フィリピンの船員を世界へ送り出している技能学校の長です。
そして、海船王であり、昔は船の船長もしておられました。
そして、湾岸警備隊の提督(Commodore)であります。
何より、フリー・メイソンリーのグランドマスター最高位を、勤めた
世界的に有名な人ですが、彼も、船長時代の呼び名で、私は、
キャプテン・ヘレラと呼びます。気に留めて置いて下さい。

リム市長の映画ストーリーはここ。 ヘレラさんの記事はここ

写真は、ハイロさんと、ハイロさんの事務所で。

ハイロさんの事務所は、【PAIRTF】で、【HUNTER】と呼ばれるグループです。
【PAIRTF】は、「プレジデンシャル・アンチ・イリーガル・リクルートメント・タスク・フォース」のそれぞれの単語の頭文字をとったもので、
「大統領府 特別期間限定 不法就労 斡旋業者 取り締まり機関」

【HUNTER】は、ヒューマン…云々。 忘れました。 兎に角、
「狩人」ですね。なんとも怖そう...

ある日、フィリピン人の友達から、ハイロさんが私に会いたがってると言われました。
ハイロさんが友達に「今どこ?」コール。いつも答えは、私のところ。
ついにハイロさんに、「いつも一緒にいる日本人は誰だ?」と言われたみたいです。

【HUNTER】は、飛ぶ鳥も落とすと噂があり、私たちプロモータにとって、怖い存在でした。
「逮捕される?」「お金を要求される?」と一瞬思いました。
しかし、友達も普通の人じゃないので、何とか成るだろうと覚悟を決めてハイロさんの事務所に行きました。

事務所は2階ですが、下の入り口からすでに何人もの人が屯している様で、躊躇したんですが、名前を言うと案内してくれました。
2階に上がると、外国労働者やタレントが大勢、助けを求めて詰め掛けていました。
ハイロさんは別のお客が在るから少し待つように言われ、奥の別の部屋を案内されました。

驚いたのは、拘置所のような檻があり、2、30人がなんとも言えない顔をして、入っていました。

極悪人とは思えない。おそらく、就労斡旋だけの罪でしょうから、プロモーション関係でしょう。

鉄格子越しに日本人の男性が悲壮な顔で座っています。
「どうしたんですか?」と聞くと、「ホテルでオーデイションしていて捕まった。」
「タレントから告げ口された。」 「そうですか...」可哀相。

無免許じゃしようが無いでしょうけど、同じ日本人ですから何とか成らないものかなと思いました。


そうこうしていると、ハイロさんの部屋に呼ばれました。

強面のおじさん風ですが、優しい笑顔で迎えてくれました。

写真を撮った場所は、ハイロさんの机の奥です。私の右手の棚にサクソホーンが入っていました。
音楽が好きだそうで、私もポケットからハーモニカを取り出し、ハイロさんと二人で演奏会が始まりました。

奥から娘さんが出てきて、(今となっては、ちょっと忘れましたけど)クラリネットか縦笛を吹いてくれました。

なんともアットホームな家族だな。と思ったのが私の第一印象でした。

部屋を出ると、苦情処理室のホールで、またハイロさんのスタッフに緊張しながら会釈をしてそそくさと帰宅しました。


次の写真は、大阪城前で撮りました。



そしてこれは、【P.O.I.N.T.O】の入隊式会場で。


【TESDA】フィリピン労働雇用省技術教育技能教育庁

真ん中の水色の白髭の人は、オウグスト・シフコ
(Dr. Augusto “Boboy” Syjuco)さん。
教育技能教育庁の、ジェネラル・ディレクトーです。
【TESDA】で、木工技能研修や、リサイクル技術の、
調査と指導で日本のお客さんを招いての会議



【PAJA】フィリピン・アマチュア柔道協会の代表選手を率いて福岡柔道大会に望む。  福岡空港にて。

キャプテン・ハイロは、【PAJA】の会長です。
初めてキャプテン・ハイロとお会いしたオフィスは、マニラにあるスポーツセンターの隣です。

ハリソンプラザの前に位置しますが、ハイロさんのオフィスを降りて正面の3階建てのビルの階段を上り詰めると、そこは柔道の道場でした。

道場の前にある掲示板に目をやると、そこには一面、若い頃からのハイロさんの、写真や新聞記事が貼ってありました。

キックボクシングの写真を見て私は、一瞬、ホセ・リサールを思い浮かべました。
これは、2度目にハイロさんを尋ねたときの事です。

それからはじめてハイロさんのことを色々聞かされたのです。
生い立ちや奥さんとの馴れ初め、【POEA】フィリピン海外雇用庁で彼はディレクトーを勤めていて、
それで【HUNTER】のスタッフからも、「デイレクトー」と呼ばれている。
【NBI】や【PDEA】の麻薬捜査官を終え、ここに至るリますが、
「ハイロさんの一生」を映画にした“BATAS SA BATAS”には、
彼と柔道の関係が省かれているので不満だったとか講道館の、
嘉納治五郎を尊敬し、ホセ・リサールに憧れ、柔道を始めて、
フリー・メイソンリーになった事。等々。

 後に私は、ハイロさんに紹介状で「メーソン」の門を叩く事になるのですが、それは次回に...


大阪で、西日本柔道実連盟の皆さんと撮影。

私の以前の記事を見て頂けると幸いです。
柔道 『西日本柔道実業連盟』と『PAJA』



京都のホテルでハイロさん。

無意識で携帯を掛けているのでしょうが、
少し離れた所から内緒でショット。
ハイロさんの怖そうな顔を垣間見た一瞬でした。


福岡柔道大会の勝利を筥崎八幡宮に祈願。



ハイロさんが挨拶をしている人は、背広を着ていて若い人ですが、
列記とした、福岡は香椎箱崎の、筥崎八萬宮の宮司さんです。

そして福岡柔道大会会場でお子さん達と。



フィリピンに戻りセンチュリー・パーク・ホテルで開催された
【P.O.I.N.T.O】の入隊式。


ハイロさんと弟です。


弟の隣は誰でしょう?


私も一緒に。



ところ変わってここはセブ島。

日本から送られて来たパチンコの機械から分けた
リサイクル用のプラスチックの山。

リサイクルされたプラスチック板。


プラスチック板で作られたハウス。


セブの道場で、今は亡き米沢会長と。


友達の子供の洗礼式。

キャプテン・ハイロと、
フィリピン湾岸警備隊【PCG】の最高責任者
ウィルフレッド・タマヨ 海軍総司令長官
Admiral Wilfredo Tamayo
そして、私のカミさんです。




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キャプテン・ハイロ その2 に続きます。

コメント (2)
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