フィリピンの顔

フィリピンの日常や、旅行記、人、観光地、ビジネス、
出来事等を記録します。

人は「導き」が必要な時には、「師」が現れる。① ~手紙~

2010年01月30日 | 日記

人は誰しも

「導き」が必要な時には、「師」が現れる。

~手紙~



♪「鬼さんこちら。手のなるほうへ。」
Pinoyがまた去年の話しを始めたぞ~ 笑っていいぞ~

遅れた更新を笑って誤魔化して...
さて、何からどうお話ししましょうか...

少し長文になり、何が主題となるかは解かり難くなると思いますが、
まずは今日一番お話したい事はサブタイトルの『 ~手紙~ 』だと思いますので(書いてる自分が解かっていない)、順序が逆になりますが、お暇なときに読んで下さい。


★  ★  ★  ★  ★  ★




師走に入った頃、私が読ませて頂いているブログの中で、年老いた母親の看病で苦しんでおられるブロガーさんのお話で心を痛めていました。


私も日本に、脳梗塞で倒れて入院している母と、毎日大変な看病をしている妹がいます。

お盆の8月15日に胆嚢の手術をする等で、体質や他の持病のせいで脳梗塞の治療は進まず、暴れるので両手両足をベッドに縛りつけたままの闘病を強いられ、少し呆け出した状態で最近リハビリを始めた様です。

呂律が回らない状態で神様のような人が訳のわからない言葉を口走ったり、私達子供の名前を忘れ孫を自分の子だと言い張ったり、ひどく妹を悩ませ辱しめていたそうです。

私の事は時々思い出すようで、私の魂が母の居る病院に飛んでいたような時には、私がフィリピンから帰って来てると言い、それを否定する妹と喧嘩をする始末。

母が七月に倒れても、私は一度も日本に帰っていません。

理由は帰る余裕が無い事と、妹から、もし私が帰れば、もう思い残すことは無いと、さっさと天国に行っちゃうから帰って来ない方が良いと言われていたからです。

妹とは、スカイプのチャットでやり取りをしていました。

私は妹に言いました。
「お母さんが天国に行った方がお前は楽になるんじゃないか?」

妹は、「そんなこと考えてないよ! それにお母さんが死んだら、兄ちゃんは世界中を壊してしまうくらい全てを怨むでしょ。」

これは私が後悔すると言う意味です。
そりゃあそうでしょう。
悲しい思いばかりさせたまま死なれちゃ、後悔しますよ。

「すまんね。俺が立ち直れるまでお母さんを生かしててね。」

「まかせといて!」 

「ありがとうね。頼んだよ。」

「お礼はいらないの。私のお母さんでもあるんだからね。」


それでも妹は、母の異常に毎日つらい思いをしていました。
時にはひどく泣いていました...

私は母のボケに逆らわないことを勧めました。
普通の人には理解出来ない事だと思いますが、ボケた言葉に従う様にと。

それは、母がただボケただけじゃなく、精神の一部が心霊の世界に繋がった
と直感したからです。

それからの母は、「〇〇が今、下のエレベーターに乗った。」とか
「今、ナースセンターを横切った。」
「ほら、そこのドアが開くよ。」  ギイーーー……

母は、時々本当に透視をしていた。 

不思議ですけど良くあることですよ。
脳梗塞って脳が変化したんでしょ?
現に私が子供の頃事故で頭をコンクリートに叩き付けられてから、おかしな事を言うようになったんですから...

んな訳で、おかしくなった母の看病をする妹は、身も心もぼろぼろだったと思います。
病院通いも、毎日何キロと言う道のりを歩いて...



ブログの友達は、ご主人のお母さんなので、
我が儘なお義母さんの看病はもっと辛いでしょう...

★  ★  ★  ★  ★  ★



私が尊敬するブロガーの一人に、Tamaraw さんと言う人が居ます。

勿論ハンドルネームで、Tamaraw とは絶滅危惧種タマラオのことです。
世界でフィリピンのミンドロ島に数百頭しかいないと言われる野生の水牛です。
と、本人がそう説明されています。

この人とは、偶然(本当は偶然じゃない)Mixi コミュニティで知り合ったんですが、
ほぼ毎日、日記にびっしりとフィリピンのあれこれを書き綴っていました。

そのMixi のコメント欄で、私たちは意見を交換し合っていました。

ある日、Tamaraw さんの書き込みようや考え方に驚嘆した私は、
「Mixi だけじゃなく、ブログで世界中の人たちに伝えたらどうですか?」
と勧めました。

「はい、やってます。『ラグナベイの風に吹かれて』と言うタイトルです。」
驚きました...  立派なブログがちゃんとありました。
とても私が太刀打ちできる様なブログじゃありません。
一つの物事を細かく分析されていました。


暫らくご無沙汰していましたけど、「介護疲れ」の問題を抱えているこの時期に

偶然(本当は偶然なんてありません)にもTamaraw さんのブログに寄りました。

そこに書かれていた『手紙』の記事に深く心を打たれました。


日本に居られる方々は既にご存知と思いますが、是非ここでもご紹介させて下さい。

作者不明の言語はポルトガル語のようですが、日本語と英語で書かれてあります。


本当は、私が訳せないような英文をここに載せて、日本語をTamaraw さんのブログで見て頂きたかったのですが、ここで英語じゃどなたもTamaraw さんのブログまで遊びに行ってはくれないだろうなと思い、あえてTamaraw さんの所から日本語を盗んできました。

もし、感銘されたり、少しでも気になられた方は、是非、Tamaraw さんのブログを訪れて頂きたいと思います。

ただし、

私が日本語の詩を泥棒したことは内緒にしていて下さいね。


Tamaraw さんのブログの入り口は、詩の下にリンクして置きます。



オトン、オカンの看病に身も心も疲れたあなた...

是非ご自分の心を癒してください。

死にたいなんて思わないで...

お願いだから...


★  ★  ★  ★  ★  ★




手紙  ~親愛なる子供たちへ~

年老いた私が ある日 今までの私と 違っていたとしても
どうかそのままの 私のことを 理解して欲しい
私が服の上に 食べ物をこぼしても 靴ひもを結び忘れても
あなたに色んなことを 教えたように 見守って欲しい

あなたと話す時 同じ話を何度も何度も 繰り返しても
その結末を どうかさえぎらずに うなずいて欲しい
あなたにせかまれて 繰り返し読んだ絵本の あたたかな結末は
いつも同じでも 私の心を 平和にしてくれた
悲しいことではないんだ 消えて去って行くように 見える私の心へと
励ましの まなざしを 向けてほしい

楽しいひと時に 私が思わず下着を濡らしてしまったり
お風呂に入るのを いやがるときには 思い出して欲しい
あなたを追い回し 何度も着替えさせたり 様々な理由をつけて
いやがるあなたと お風呂に入った 懐かしい日のことを

悲しいことではないんだ 旅立ちの前の準備をしている私に
祝福の祈りを捧げて欲しい

いずれ歯も弱り 飲み込むことさえ 出来なくなるかも知れない
足も衰えて 立ち上がる事すら 出来なくなったなら
あなたが か弱い足で 立ち上がろうと 私に助けを求めたように
よろめく私に どうかあなたの 手を握らせて欲しい

私の姿を見て 悲しんだり 自分が無力だと 思わないで欲しい
あなたを抱きしめる力が ないのを知るのは つらい事だけど
私を理解して支えてくれる心だけを 持っていて欲しい

きっとそれだけで それだけで 私には勇気が わいてくるのです
あなたの人生の始まりに 私がしっかりと 付き添ったように
私の人生の終わりに 少しだけ付き添って欲しい

あなたが生まれてくれたことで 私が受けた多くの喜びと
あなたに対する変らぬ愛を 持って笑顔で答えたい

私の子供たちへ
愛する子供たちへ


★  ★  ★  ★  ★  ★




『ラグナベイの風に吹かれて』
http://tamaraw.sblo.jp/article/34055426.html



眠くなりました。

その②に続きます。

『人は「導き」が必要な時には、「師」が現れる。』

の本文です。

是非見てくださいね。






海豚と書いてイルカと呼びます。

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老人ホーム慰問 (プレゼント編)

2010年01月27日 | ボランティア
ゴールデン・エーカーという老人ホーム慰問の続編です。
写真が多いので少し重いと思います。

これは去年投稿しようとして作っていた記事ですが、
急に引越しを余儀なくされて(自業自得ですけど)、
今になってしまいました。ごめんなさい...
去年のお話をして、鬼も笑ってくれると良いんですが...


このクリスマスツリーは事務所入り口に飾られています。



小さな事務所を突き抜けて裏口に出ると中庭になっていて、左側がこれ


右側がこんな風に住宅の様になっています。


事務所裏の正面がホールです。おっ!皆さん集まってますね。




あら? 知ってる人がいる...







ちょっと前を横切って、失礼します。

やっぱりパレデス弁護士さんだ。



奥で立っておられる左の女性はこのホームの世話役さんで、
右の人が、ジュビィ・デ・グズマンさん。(娘の【ニナン】です。)
座っている奥の女性、知り合いですがお名前を忘れました。女医さんです。
中央の男性は、ジェス・パレデス弁護士です。(娘の【ニノン】です。)
手前の女性は、マダム・アウリーンという有名な占い師さんです。



皆さんが持ち寄ったクリスマスプレゼントですね。


この人はキャプテン・ドゥラナ。船長さんです。(娘の【ニノン】です)


Tai-Chi(タイチ)と言う武道を健康の為に指導しています。
太極拳の様な感じでした。


中央の女性は、カティさん。中国の財団のチャーマンです。
同じく娘の【ニナン】ですが、この女性が娘の洗礼式をしてくれた人です。
ここの老人ホームの面倒を見ている人です。


マダム・アウリーンが歌い始めると、おばあちゃん達は立ち上がって一緒に歌いました。
マダムは不思議な噂がたくさんある古い有名な人です。
噂の一つ、本当に何歳か想像がつきません。






ジュビィさんとマダム・アウリーン。

さて、パレデス弁護士です。

健康についてお話をしていましたが、パレデスさんが、
「この中で、100歳を超えている人は居ますか?」の質問に、
「私です。128歳です。」と答えたおばあちゃんが居ました。


信じられますか?とことこと駆け寄ってきたおばあちゃんは、
とても128歳には見えません。

おばあちゃん曰く。

「ご飯(お米)をあまり食べないこと。」
「きれいな水をたくさん飲むこと。」 「野菜や魚を食べること。」

だそうです。
まじめにポンとそれを言ってのけるおばあちゃん。
何と無くみんなおばあちゃんが128歳と言うことを信じてしまいましたね。




















なんかムズムズしているようですね。

おばあちゃん、とうとう立ち上がった。

やるよ。やるよ。。。

やった~~~!!



へえ... うちのカミさん、結構優しいところがあるんだあ...


このおじいちゃん


前回登場した、巾着のおじいちゃんです。


どうして袋をこんな風に持つの?


これじゃあ3つ目の巾着じゃん。


実は、おじいちゃんの膨らんでいるお腹.


いくつも巾着が入ってるんです。..







盲目のギタリスト


ジュビィさんはプロのシンガーです。




おばあちゃん、ジュビィさんに抱きついて、


 

泣いてた...


 

ありがとう」って...


 






おばあちゃん達、いい顔してる。



ほんとに楽しそう。



うん。 いい顔...








  


楽しいひと時を経て、帰宅をしようと玄関を出ると、
もう外は暗くなっていて前の駐車場の明かりがこちらの軒先の飾りに重なってクリスマスの雰囲気を醸し出していました。

一歩踏み出したその時、祝砲の様にドドーン!! 
っとたくさんの花火が駐車場の上から打ち上がりました。


思うに、ボランティアって、相互の助け合いでしょう?

おばあちゃん達のお蔭で、遠い故郷を思い出したり、
心を慰めてくれたり、
楽しませて頂きました。

カミさんの事も、改めて見直しました。

こころを  洗われました。


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ご報告 (無事引越しが終わりました)

2010年01月24日 | ごあいさつ
ご無沙汰してます。

皆さんには、留守中、ご訪問下さったり、コメントやメッセージに応援までして頂き、本当に感謝いたします。
ご心配もおかけしました。

12月30日に少しの借り入れが出来て、大家さんと話し合いで何とか荷物を持って引っ越すことが出来ました。

大家さんは、バランガイという自治区に訴えていて、年末までに溜まった家賃を支払わなければ家具一切を置いたまま追い出すと言う覚書を書かされていました。

小さい家ですが、1階の事務用品や大事な物は先月はじめに夜中に外へ放り出されていました。

まあ、大半は9月の洪水で水に浸かっていたので、机や棚などは放り出された瞬間に崩れて書類も殆どゴミになってしまいましたけど...

2階の生活必需品を置いたまま今度は私たち家族だけを放り出すと言うので、これじゃあ一家路頭に迷ってしまう事になると、何とかマジックを考えていました。

私の場合は放り出されても家具の様に崩れてしまうことは無いので余計始末が悪いですし。


およそ10分くらい離れたところにフィリピン人の友達がいて、そこで区長さんをやっているので、そこの人たちが何人か手伝ってくれ、そこの4トン用トラックも借りて10回位で運び終わりました。
日本人の友達も二人駆けつけてくれました。

荷物が多いので未だ整理がつきませんが、気になるのはインターネットです。

何度お願いしても、正月明けなので忙しくて、1月31日が設置の予定だと言って急いでくれません。
近所にブロードバンド・ケーブルが無いのも原因でしょうけど...

街に出たときにネットカフェでブログやメールを開くことが出来たんですけど日本のコンピュータを置いてなく、日本語が打ち込めず見るのも難しい状態でしたけど、今日は何とか知り合いの事務所にコンピュータを持ち込んで接続することが出来ました。

時々ここに来て、出来るだけブログ更新をして行くように心掛けます。


やはり拙いブログでも更新をしていないとランキングもガタ~ッと落ちてしまいました。

それでも置き手紙の友達や、goo、エディタ、ミクシィ、それに読者になってくれてる友達も、たくさん尋ねて来てくれていました。

本当に感謝の言葉が捜せません。

簡単ですが、途中経過を報告しておきます。

みなさん、いつも有難うございます。


コメント (4)
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