フィリピンの顔

フィリピンの日常や、旅行記、人、観光地、ビジネス、
出来事等を記録します。

ゴーガールス ( Go-Girls Dancer )

2009年01月26日 | 音楽界
先日、ややこしい記事を載せましたので、少しお口直しに可愛い女の娘たちを。 ェ? よだれが出て口直しにならないって? (笑)

Go-Girls (ゴーガールス) の娘さんたちをご紹介します。
 まずCDの写真ですが、これは私がプロデュースして ギャラクシー・レコードからフィリピン全国に発売したCDです。
ゴーガールスの皆さんが歌って踊ってやってます。
   (CDだから踊りは入ってなかった...)








Go-Girls (ゴーガールス) は、日本での“モーニング娘”のようなグループでショーやスケールによって、30人ほどが居ます。ここに載せた写真の娘さんたちはオリジナルメンバーです。

 フィリピンでは、全国各地の巡業でも、テレビのショーでも人気でも、“セックス・ボム”グループと 1,2を競っています。

 ご存知、リト・カモ作曲の《オーチョオーチョ》のオリジナルダンサーでもあります。







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次は、ゴーガールスのショウ写真です。

湾岸警備隊でショーを披露。




上の二枚は新作アルバムの記者会見。

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ビデオやグループ写真をお楽しみください?


http://www.youtube.com/watch?v=vq1E-AhdEqI
http://www.youtube.com/watch?v=g6PAEMAPvbc

(YouTubeをそのまま載せると、左右の枠にはまり切れずにブログの形が変になってしまうので、URLをそのまま載せました。どなたかgooのブログに綺麗にはまるように小さくする方法を教えてください。)

ケソン市のSMモールで、リカ・ペラレホ(ベリーダンシングのCDを私のプロデュースで作りました)と一緒にキャンペーン。

ダバオのガイサノ・ショッピングモールでショウ。



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フェルディナンド・マルセリノ ( Maj. Ferdinand Marcelino )

2009年01月23日 | 政治界
この人、この場面、それにこの後ろのロータリークラブの垂れ幕、
夕方テレビに出ていましたので、写真を載せます。

 つい先程、正午から3時間、【PDEA】(薬物捜査局)の、メジョー、
Ferdinand Marcelino (フェルデイナンド・マルセリノ)さんを当ロータリーにお招きしました。
 *【Maj.】: Major:の略 メジョー:少佐《軍隊等で、captain の上でlieutenant-colonel の下;肩書き呼びかけに用いる》(特殊部門の長)

先週と同じく、ABS-CBN 局やGMA局も取材に来ていました。

先週と同じく、と言いましたが、先週のお客さん、例のシャブやマリファナ事件の「アラバン・ボーイ」に関係している
法務省長官のマニー・ベラスコ氏に対して、「アラバン・ボーイ」を捕まえて、しかもその無罪になった「アラバン・ボーイ」を、保釈しないと、突っぱねているのがこの、
フェルデイナンド・マルセリノさんです。

 若くてハンサムで、しかも凄い意思の持ち主ですね。
みんな時間が経つのも忘れて談話にのめり込んでいました。

質疑応答の中で出た話ですが、
例え賄賂を払うから拘留された人を保釈するように勧められても、絶対に受取らないと断言しました。まあ、それが元で、現在のニュースになっているようですが...

本人から聞きましたが、給料は、月に4,700ペソだけだそうです。およそ一万円ですね。









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フリーメーソンの戴冠式に招待されて

2009年01月17日 | Weblog





このロッジには警察学校のクラスメイトが13人居ます。
白いバロン姿のこの人は、マルティネス弁護士で友人ですが、他のロッジのマスターメーソンで、今日は応援に掛けつけて来ました。

私も昔、このロッジの門を叩いた事があります。















フリーメーソンの、フィリピン グランドロッジのコスモス#8での、第91回目(91年になるのでしょうか?)の戴冠式に招待されて行って来ました。
ここは、スコティッシュ・ライト教会のある、タフト通りのメーソンのメインになるところで、4年ほど前に門を叩いた所です。
門を叩くとは、フィリピン語で“叩く”の意味の、“KATOK”を使います。
“Katok Ako”(私は叩く)が、そのままメーソンリーの隠語で使われます。

フリーメーソンは直訳そのまま「自由石工」でして、フィリピン語で“マソン”と呼びます。
入会してからマスターの位まで33℃階級があり、最高位が“グランドマスター”と呼ばれます。
最近では結構秘密主義がなく友愛精神やボランティアをモットーにしている様ですが、
いやいや、本当に秘密だらけですよ。

 そもそもこの「石工」と言うのが、昔の建築様式で、町中を石で作った石屋さん達が、町の中の、攻め場も逃げ場も隠れ家も、全部知り尽くしていた事から、組合を作り、グループを作り、結社となったのだと覚えています。
メーソンの第一の条件に、「どんな宗教でも良いが、神の存在を信じよ」があり、グループになると、血縁以上の絆が出来、どの国に言っても保護や援助を心から尽くします。
その「世界中どこに行っても」の中に、目の前の相手がメーソン同士であるかどうかを見抜くために、立ち居振る舞い、握手の仕方から言語まで、やはり秘密は守り通されています。

 それに、女性は例え大統領でも入会できません。
そこで、メーソンの根分けの様にメーソンの上部から作られたのが、ロータリークラブです。
え~。 今資料がありません。昔ちょっと研究してた事がありまして...

私も、会員の人たちも、この“Brotherhood”に惹かれるのだと思います。

私がメーソンの門を叩いた時は、申請書に4人の推薦者が必要だったのですが、一人はアメリカのマスターメーソンのボッビーさん。
一人はエレ将軍、3人目が、PDEAの局長出身の不法就労斡旋業者取り締まり、ハンターのハイロさん。
そして最後の4人目が、グランドマスター(世界最高位)のヘレラさん。

 このヘレラさんが、たまたま香港に行かれている時だったので、国際電話で断りだけをして、署名無しで門を叩く事になりました。
ヘレラさんから、香港から帰るまで待ちなさいと言われていたのに、1日前にNBIの友人と門を叩いたのです。
さて、何とか門を叩いて、次の段階のみのと調査をされて、何とか入会が認められていたのに、香港から戻って来れれたヘレラさんに、最後の確認をされました。
 
 ヘレラさんから、ネットワールドホテル下の海舟レストランに呼び出されて、言われました。
「入会時の儀式で、殴られたり蹴られたりあなたがされるのは可哀相だし、英語の本を一冊丸暗記させられるのに耐えられるか?日本のメーソン本部に連絡してやるから、日本のロッジに入会しなさい。」
と...

 私は、ヘレラさんのことが、じいちゃんのように好きなので、「ハイ」と素直に入会を断念しました。

 後にメーソンの人たちから言われました。
「ほとんど合格だったのに、誰から落とされたか分かるか?。グランドマスターから落とされたのだぞ。」

ハハハ... それも“マソン伝説”のひとつに入れてよ。


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マニー ベラスコ ( Manny Verasco ) 裁判官を招いて

2009年01月15日 | 政治界
 私の所属する、ロータリークラブ・インターナショナルの
イントラムロスで、今「アラバンボーイ」の麻薬事件の渦中の人物、
法務長官の、マニー・ベラスコさんを迎えて懇談会を行いました。
本名は、エマヌエル・ベラスコです。

**【DOJ】Department Of Justice (法務省)b> 

  Chief Emmanuel Velasco

Chief Emmanuel Velasco Senior State Prosecutor; Chief, Office of the Provincial Prosecutor-Cavite,3rd Son of former Cavite Governor and former NBI Director Epimaco Velasco,former journalist of the Pahayagang Malaya during the Marcos Era, studied lawat the University of Santo Tomas, took up Masters of Laws at UST; Masters in National Security Administration (MNSA) at the National Defense College; andlikewise took up post-graduate studies at the FBI Academy, USA and the American University, USA.

英語をちゃんと訳せないので、そのまま載せましたが、
FBIのアカデミー卒業、とは、なんとも凄い長官ですね。

 うちのスタッフの親友のおじいちゃんですが…







スピーチの途中で、GMAとABS-CBNテレビ局のカメラマンに、少しの間撮影をしないでくれと注文して「アラバン・ボーイ」の事件の詳細を話してくれました。

「アラバン・ボーイ」とは、PDEA(麻薬捜査局)に麻薬の使用や売買で逮捕された、3人の青年が、無実が確定しているのに、釈放されないでいる。
という最近フィリピンで一番の話題になっているケースのことです。

 簡単に説明すれば、その青年たちが無罪になった裏に、50ミリオンペソ、約1億円のお金が裁判官や弁護士、検察官に流れているという噂と、そのお金を受取ったと思われる連中が、揃って休暇中である。
また、PDEAが、無罪になったのは、賄賂のせいだと、頑として釈放を許可しない。
それを「アラバン・ボーイ」のサイドは、反撃している。
…という事件ですが、こういった薬物関係の事件は、凄く危険が伴う事件なのです。







ロータリーの会合も終わりに近着いたころに、バタス弁護士が、一着のロータリーのジャケットを出して、「このあまったジャケットをくじで誰が取るか決めよう。」と言った。
するとベラスコ長官が、手を上げて「ちょっと良いアイデアがあるのだけど…」一同耳を澄ませた。
「一枚しかないのだから、やはりこれは招待客の自分が貰うべきではないだろうか?」「ワハハハ…!!」

 なんとも愉快な人でした。
早速ジャケットに着替えてみんなと記念撮影。


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感染列島 フィリピンロケ

2009年01月12日 | 芸能界
未知のウィルスによる感染症の猛威に立ち向かう人間たちの勇気を描く映画「感染列島」。

新型感染症に対峙する医師・看護師・そして患者やその家族たちが、

目に見えぬ敵と闘い、愛するものを守ろうとする力強い物語です。

監督・瀬々敬久(「MOON CHILD」「HYSTERIC」) 
 主演・妻夫木聡 檀れい

制作プロダクション:ツインズジャパン

製作:TBS

協力:あきる野市地域産業推進室

劇場公開映画『感染列島』ホームページ
http://kansen-rettou.jp/

1月17日に日本で公開されると聞いています。
この写真はフィリピンの田舎でロケをした時の撮影風景ですが、そろそろウエブに載せても良いと許可を得ましたのでここに掲載します。
と言うと、感染列島の秘蔵写真のように聞こえますが、
ただの撮影風景写真だけです。(私にとっては秘蔵ですが…)






飛行機の主翼の下で休憩している二人は、右のいい男が当社(NGO)の広報企画部長のマムーさんで、左の女性はうちのスタッフでシェイラといいます。
マムーさん、うちではボランティアで協力して頂いてますけど、列記とした映画テレビ制作会社の社長さんです。(部長だったかな? え? 課長?)
シェイラは、いろんな事を経験勉強をする為に、この撮影のアシスタントとして臨時に雇って貰う事になりました。













最後にこの写真。
フィリピンの夕日のシルエット、いいでしょう?
ジグソウパズルにしたいほど、良く撮れてる写真ですが、
これも、うちの二人です。
会話の内容は、
「お前、撮影中はモタモタすんな!! 夜も宿舎でお前らの部屋はうるさいって。酒飲んで騒ぐな!!」 「そげんゆうたって人が足らんっちゃけん、しょうがないやんね!! 夜も、なんも騒いどらん。お酒もそげん飲んどらんよ!!」「お前、フィリピン人の癖にどこの言葉使いようとや?!!」
 歳を取ったらシェイラは、フィリピンの“がばい ばあちゃん”に、なるっちゃなかろうか?




妻夫木聡さん、大河ドラマ「天地人」もスタートしました。
頑張ってますね。

藤 達也さんや瀬々さん、お会いしたかったなあ...


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フィリピンの警察学校

2009年01月11日 | 国家警察
 このロゴ(マーク)分かりますか?
そうです。 フィリピン国家警察のロゴです。
日本で言えば、警察の紋章。ですかね?

“フィリピン国家警察”と訳していますが、
“Philippine National Police”で、【PNP】と略して呼びます。

そしてこの警察官になるための学校が、
“Philippine National Police Academy”【PNPA】と呼びます。

これがそのロゴです。



 国家警察の学校は、主にこの【PNPA】と、“Philippine Minitary Academy”【PMA】(軍隊学校)の2つです。

この【PNPA】【PMA】を卒業すると、警察官になったと同時に高いランクに付くことが出来ます。
“PO1”や“PO2”…“PSPO”… 上の位になると、“サージェント”から“メイジョー”、“リテナント・カーネル(少佐)”、“カーネル(大佐)”、“ジェネラル(将軍)”となります。

 【PMA】は、【PNPA】より古くから始まったアカデミーで、【PNPA】卒業の最初の年が1981年でして、この卒業生グループを“Class '81”と呼び、1983年卒業生だったと思いますが、現在までおよそ28年間で将軍になられたのはジェネラル・ブラオンさん(Class '83)だけです。

 私が所属するのは、“Tagapagtaguyod(タガパグタグヨッド)”という名称のある、(Class '88)です。
これが私のグループのロゴです。





こちらの方がカッコいいかな?



 この(クラス 88)は、1988年卒業生の事ですが、私は2005年に、ある将軍の勧めで名誉会員として入隊しました。
 正式に“Philippine National Police Academy” 【PNPA】が名誉会員の入隊を認めたのが2004年で、斉藤さんが入隊するまで日本人は私一人でした。

 しかし、これは少し大変なものです。
毎月 1,2度マニラやケソン市の警察本部で会合があったり、(毎回弁当が出ますけど…)毎年3月に、《ホーム・カミング》といって、1981年から現在までの卒業生がカビテ州の警察学校に一同に集まって、盛大な式典が催されるのですが、そのプログラムの中に、各クラスごとに毎年違うユニフォームを作ってあの広いグラウンドを行進して回るのです。この時の立ちっぱなしや、行進はちょっと辛いけど、このユニフォームをみんなお揃いにするのは凄く楽しいですね。
毎年全部タダですよ。 (クラス88はお金持ちだから…)

 【PNPA】の身分証明書は、カビテの【PNPA】本校で発行されます。
そこで、2005年の功労賞の盾と、【ラカン】の称号を頂きました。
これは卒業生で警察になった人に付く称号で、ランク(位)じゃ有りません。
ランクは、クラスメイト全員カーネル(大佐)だから、私も大佐だと言われましたけど...
ついでにうちの家内は、【ラカンビニ】だそうです。
















 この上のユニフォームは、まだ生徒のユニフォームですが、良かったらこの大会を観に来られませんか? 感心しますよ。何時間も微動だにしないのですよ。
そして演技を始めると全員の息がぴったり合ってるのです。

 特に、面白いと言うか可哀相と言うか、各卒業年毎の行列の先頭に、各卒業年毎のクラス旗を持つ生徒が先頭に立つのですが、その生徒の帽子を取ったり、膝を突いたり旗を取ったり、動いてはいけないのをからかうのは、これも毎年恒例の行事でしょう。

 2006年の大会


 2007年の大会


 2008年の大会


 うちのクラスメイトは、(常にメイトと呼び合います)約100人位でしょうか、活動と団結が凄く、全員大佐の位です。
1988年卒業以来20数年毎月200ペソの会費を集めたもので、融資会社を作り、緊急にお金が必要になった警察官に融資をしています。
 それに毎年、ファンドレーシングといって、有名人を呼んでコンサートをやったりして大きな収益を得ていますので、去年末の我々クラスメイトとその家族だけのクリスマスパーティなどは、ダバオやビサヤ等に配属されている同窓生の飛行機代を払ってあげたり、くじ引きの商品がまた凄い。 洗濯機が5台、テレビやDVDコンポ、それに45口径の拳銃まで。また、各自の持ち寄りが牛の丸焼きが2匹、マグロが1匹、豚の丸焼きが…  私の使ったお金は、パーテー代の500ペソだけ。それで、クラス88のスポーツユニフォームや帽子、グラスセットが2箱、まくら大のおおきな食パンまで、家内と二人で持ちきれないほどのお土産を持って帰りました。

さて、来週は会議の後に、今年の3月に行われる“Philippine National Police Academy”のホーム・カミング(カムホームの事で、学校全員の同窓会ですね)の為のユニフォームの採寸取りに行ってきます。


 今年はどんなユニフォームかな?

PS. 先日ボクシング世界チャンピョンのマニー・パッキャオが【PMA】の名誉会員として、アロヨ大統領から入隊式を受けました。

マニーは私のコンパレだから、【PNPA】のうちのクラスに入る様に勧めてくれと言われていました。
【PMA】ではサージェントにしかなれないけど、【PNPA】では大佐になれるのに。と…

 本当に残念でした。

 
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ジョン レサカ ( John Lesaca ) バイオリン名手

2009年01月05日 | 音楽界
 私のバイオリンの先生です。

と言ったら、え? John Lesaca (ジョン レサカ)って、フィリピンが誇る天才バイオリニストでしょう?

と、日本でも彼の名前が結構知られていますが、その生徒であれば、私も相当なバイオリンの腕前か、それとも彼がそれ程でもないのかと思われてしまいますね。
実は私、まだ初心者です。
4,5年前に、キワニすクラブのプレジデントから ジョン・レサカ さんを紹介して頂き、
バイオリンを教えて下さい、と弟子志願をしたのですが、自分は我流バイオリンで、悪い癖があるから、良い先生を紹介してあげる。
と言われました。その先生がまた凄い。
サンミゲル・オーケストラのバイオリン奏者ですよ。上手いのなんのって、日本からバッハやベートーベンや、テレビの主題歌などの楽譜を渡しても、その場で即興演奏してしまいます。
Moppette De Leon (マペット・デ・レオン)という女の先生です。

 その先生から毎週(教習料が大変で1年ちょっとお休み中ですが)習って、時々ジョン・レサカさんが見てくれるという習い方をしていました。

でも、初めてのレッスンは、ジョンさんが演奏している店のステージ前の時間に、30分ほど掛けて私の二つのバイオリンのチューニングをしてくれました。

下の写真は、サイレント・バイオリンの方の調整をしてくれてるところですが、
どうもジョンさんも6弦は初めてで(普通は5弦)、しかも1弦1弦に音量調整があって、苦労されたようですが、調整が終わって、その私のバイオリンをスピーカーに繋いでテスト演奏をされた時の事は、今でも忘れられません。



その後、ジョンさんのバイオリンも、白いサイレントバイオリンに変わりました。
サイレントって音が小さいので夜でも練習できますが、スピーカーに繋ぐと、それはもう大迫力です。

 次の動画はYoutubeからです。フィリピン観光省のキャンペーンソングですか、フィリピンを代表する歌手による(後に人数が増えたようですが、いずれもこのビデオCDは非売品)“旅に出かけよう”と言う曲で、ここでバイオリンを弾いているのがJohn Lesacaさんです。
アーティスト名は、Lea Salonga, Sharon Cuneta, Freddie Aguilar, Rey Valera, Rico Puno, Joey Ayala, Apo Hiking Society, Ogie Alcasid, Janno Gibbs, Jolina Magdangal, April Boy Regino, Jessa Zaragoza, Paolo Santos, Nina and Rico Blanco of Rivermaya, John Lesaca, Jong Cuenco だそうです。
順次、このブログ“フィリピンの顔”でご紹介します。

Biyahe Tayo PHILIPPINES




 次の3枚の写真は、去年の10月22日にマカティ市のマンダリン オリエンタルホテルで催された、ジョン・レサカ&庄野真代のチャリティーコンサートを客席から撮ったものです。

確かヤマザキ食料品店だったと思いますが、そこに置かれていたパンフレットを見て、ジョンさんに内緒で見に行ったんですがショウの途中で見つかって、コンサートが終わっても帰らずに待っている様にと合図をされました。

観客が帰った後に、ジョンさんから見せびらかされたのが、最近【ご愛用】となってる白いサイレントバイオリンでした。

これは、リズムからパーカッションまで付いた、私のバイオリンより数段上等なものでした。 ウラヤマシ~~...

このコンサートは、たくじろうさんの「るーほんすーびー」にも載せられています。
http://rufeng.blog83.fc2.com/blog-entry-15.html


庄野真代さんと歌っているのがHALさんです。




______________________________________________
次にGreen Hills での演奏。

この2枚の写真は、ジョンさん(大先生)とマペットさん(小先生)が、珍しく一緒にコンサートを開いた時の写真です。

普段は、ジョンさんは別のグループとハードロックカフェなどでエレキギターを弾きビートルズをベースにしたロックバンドショーをやっていて、
マペットさんは、オーケストラコンサートをメインに演奏しています。

この日、マペット先生からグリーンヒルズでジョン先生とのコンサートのチケットを2枚戴けるというので、作曲家のベニー・サトルノさんを誘って観に行きました。






 余談ですが、このコンサートに、ジェィビィ市長(Mayor JV. エストラダ前大統領の息子さん)も来られていたので、挨拶をして「写真を撮らせて」と言うと、私の横に並んでくれたので、「ちがう違う...、ベニーさんと市長の二人一緒のの写真を私が撮りたい。」
といって1枚撮らせて頂きました。
私と市長は時々写真を撮っていますけど、市長とベニーさんの写真を私が撮ったと言うことは、もっと特別な記念写真になると思ったからです。
ベニーさんはフィリピン1,2の作曲家で、(もう一人の友人リト・カモも1,2の作曲家でして、リトさんが主にフォークソングで、ベニーさんはラブソング等の作曲家で、KTVなどでフィリピンミュージックを見ると、ほとんどこの二人の作詞作曲です。)
市長とも友達。そしてジョン先生とも友達なのでコンサートが終わった後で、なんか私のことを話し合っていました。
『淳は最近落ち込んでるんだって?』『うん、事業が上手く行かずに、レストランもクラブもバーも譲ったんだって。』『淳は優しすぎるからね。』『いやあ、ただの馬鹿じゃないの?』...
(俺のことを酒の肴や話のネタにするんじゃない!! ふん、ふん!!)

上の写真は、ジョンさん。2枚目がマペットさん。
そしてこの写真はジェィビィ市長とベニー・サトルノさんのツーショットです。



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最後にABS-CBNでの写真です。

ジョンさんの動画を探していたら、誰が投稿したのかABS-CBNテレビ局での、Cito Beltran with John Lesaca(チト・ベルトゥランとジョン・レサカ)トークショー現場がYOUTUBEで見つかりましたのでリンクしました。

この日、私もABS-CBN局の撮影スタジオにジョンさんから誘いを受けて観に行ってましたので、スタッフに撮影してもらった写真を載せます。







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もうひとつ。
これは2006年の私の誕生日に駆けつけてきてくれたジョンさんと撮ったものですが、
一緒に写っているのが、前キワニスプレジデントのレイさんとその奥さん、ミス・ビニビニ、それにコメディアン・シンガーのジョグラッドです。




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この後に、私は段々と事業が傾き、毎年誕生日が近付くたびにひっそりと隠れているんですが、ジョンさんだけは毎年メールで誕生日を祝ってくれます。
私の大事な大事な友人です。
 ジョンさんは、4歳からバイオリンを始めたそうで、いつも左指のレッスンは絶やさないと私に5本指を広げて見せます。
それは普通の人には少し出来にくい、2本3本、3本2本と不思議な広げ方を、お酒を飲みながら見せてくれます。
 ジョンさんは、私と音楽教室をやりたい。と夢を語ってくれます。
 ジョンさんの奥さんは、アロヨ大統領のだんなさんの妹だそうです。
無邪気に話しかけてくれるジョンさんは、大事な友人です。

 ** 引越しの最中の、2~3週間掛けてこのジョンさんの記事を書いてて、まとまりが付かなくなりましたけど、まあ、彼のバイオリンを聞いて和んでください。







  おまけに先生と撮った記念写真。

    


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Zosimo Jess Paredes

2009年01月01日 | 政治界
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