フィリピンの顔

フィリピンの日常や、旅行記、人、観光地、ビジネス、
出来事等を記録します。

メリークリスマス♪ 老人ホーム慰問 (準備編)

2009年12月26日 | ボランティア
メリークリスマス!!... と言っても、もう終わってしまいました。

それにこの記事の老人ホーム慰問は、12月19日の事です。

すみません、更新する時間がなかなか取れなくって、いつも話しが前後してしまいます。

この日に撮った写真も150枚ほど有って、どれも削るに忍びないと言うか整理の仕方がへたくそなのか、2回に分けて掲載したいと思います。


さてこの老人ホームを慰問する事になったきっかけは、先月より【Pinoy Pride】(ピノイ・プライド)という新聞社のジュビィ・デ・グズマン(Juvy De Guzman)さんから、「ジョイント・プロジェクトとしてホームのお年寄りにクリスマスプレゼントをしようよ。」と誘われたことに始まります。

「ジョイント・プロジェクト」とは、「あんたんとこと、うちのグループでなんかやろうよ。」
と言うことです。 え?日本語のほうが解りづらいって? (笑)ド-モデス

で、「自分たちに出来る何かを持ち寄ろう」と言われていました。

何かって、「古着でも何でも良い」って...


いよいよこの日、19日になって、何が自分に出来るかわからずにカミさん(家内)を連れて1時間ほど早めに様子を見に行くことにしました。

********************************



場所はケソン市の、(マニラから北へ車で1時間ほど)ノース・SM・シティというモールの裏だそうで、裏口にトライシカルがたくさん並んでいるから、そこから歩いてちょっとの所。ですって。

さあ、SMモールの裏に出ました。
トライシカルが並んでる並んでる。



「ゴールデン・エーカーってどこ?」

「ああ、乗って乗って!!」

歩いてすぐって聞いてたんだけど...

まあ、エーカー。。。



トライシカルの駐輪場はモールの駐車ビルの横です。

トライシカルの後方の角を曲がると、モール駐車ビルの後ろに出ます。

トライシカルが並んでると言ってもこれはすごい!



同じ赤いトライシカルの並びは、すっと遠くまで続いている。

駐車場ビルの中央あたりで突き当たりになっていて、ここで降りました。



ありました。

ここが ゴールデン・エーカー?

いえ、この左にその門がありました。


REPUBLIC OF THE PHILIPPINES
DEPARTMENT OF SOCIAL WELFARE AND DEVELOPMENT
NATIONAL CAPITAL REGION
GOLDEN ACRES
HOME FOR THE AGED
MISAMIS EXT. BRGY. STO. CRISTO. BAGO BANTAY. QC.



ゴールデン・エーカー ですね。
「金の地所」と訳して良いかな?

【DSWD】社会福祉開発省の管轄になっていますが、
1969年9月に当時のマルコス大統領夫人、イメルダ・マルコス女史によって作られた老人施設です。


この看板の左の門が入り口で、
入ると車が着けられる表庭でした。


中央の国旗の向こうに見えるのが事務所の入り口です。
軒下にはクリスマスの飾りが下げられていました。

********************************



このおじいちゃんに対して失礼なんですが、
ちょっとした事がありましたので、あえて掲載します。

事務所の前で様子を伺っていると、おじいちゃんが近づいて来て、「お金を集めてるんだ。クリスマスプレゼントをくれ。」と言う。

20ペソ。約40円をあげました。

するとおじいちゃんはしゃがみ込んで、私のカミさんを前に座らせて腹巻の中に隠していた布袋を取り出して見せました。



布袋は紐で絞るようになっている“巾着”ですね。

それをだら~ん、とぶら下げて見せます。

そして中から財布を取り出し、先ほどの20ペソを丁寧に入れ込みました。



この2枚の写真を撮った後、私は事務員さんたちと話しをしていたのですが、

カミさんが突然、

「きゃ~っっ!!」

っと叫んで飛び上がりました。

何事かとおじいちゃんを見ると、

な、な、な~んと、

お金が入った巾着と同じ形の小さな巾着が穴の開いた半ズボンの股間から、

だら~んとぶら下がっているではあ~りませんか!?

いやいや、金を入れる袋はおじいちゃんのもうひとつの

ゴールデン・ボールでした。(ゴ-ルデン・エーカーとは関係ありません)


おじいちゃんを笑い者にした訳じゃないんですけど、事務所の人達と私たちが一瞬にして緊張が解れて大笑いしたひと時でした。
はい、笑い者になったのは、うちのカミさんでした。

********************************



さて、お年寄りに何をプレゼントするか先のモールに買出しに行くことにしました。

ここからの写真は、カミさんとモールまで15分ほど歩いて行くの途中の風景です。


Department of Education 文部省がこんな所に在りました。


サンフランシスコ高校と応用科学大学が隣同士。


日本からの散水車ですね。








さあ、着きました。 何にしようかまだ迷っています。


これに決めました。

いろんなジュースが300人分で1500ペソ。

およそ3千円です。


カミさんがレジで支払いをしている間に私は腹ごしらえ。

グロースリーのレジを出た所に“フレンチ”というパン屋さんがありました。

大きなデパートやモールに殆ど在ります。
私はこの“フレンチ”のパンが大好きです。






そして私はクロワッサン(Croissant)が大好きです。


日本の方が甘くて美味しいんですけど、
(おかし大好きぶぶちゃんの部屋)を見て下さい。

クロワッサンって、

中年男でも詩や絵になりそう...(なりたいの!)




と言うことで、おじいちゃんおばあちゃんたちへの

プレゼントの買出しは済みました。

次回は〔プレゼント編〕

また見に来てくださいね。




いつもご訪問、ありがとうございます。

ランキングに参加しています。
是非、ワンクリック投票をお願いしま~す。
↓  ↓  ↓
にほんブログ村 海外生活ブログフィリピン情報へ

いつもありがとうございます。

コメント (18)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アラブから何事?  【PCGA】

2009年12月16日 | 湾岸警備隊


もしかして


マギンダナオから?


 


えっ


 


怪傑ゾロと?



 


 


 


 



仮装大会でした。


24番のアラブ人に扮装しているのは、

我ら外人部隊代表の、 

そしてうちの娘の【ニノン】の、 


ダニロ・カバルデ 提督


怪傑ゾロは、

キャプテン リチャード・バレラス

同じく娘の【ニノン】です。


28番の札に女性は、106部隊のキャプテン・コニーさん。

22番のゾロはキャプテン・バレラスさん。

右端は、キャプテン・デラパスさん。

3人とも娘の【ニノン】や【ニナン】です。

 



【PCG】湾岸警備隊長官である


ウィルフレド・タマヨ提督

ADMIRAL WILFREDO D. TAMAYO

もちろん娘の【ニノン】です。


を招いて

【PCGA】湾岸警備隊外人部隊の

全国の各部隊代表による


クリスマス仮装パーティー



司会進行役はこの人、我ら106部隊の

コマンダー アウレア・タマヨ・ホーさん


タマヨ提督の妹さんです。

当然うちの娘の【ニナン】です。


 



受付は125部隊の若手隊員さんたちでした。



 


クリスマスツリーから手が出てる。


前から見ると、美人の仮装でした。


名前を忘れました。右はコマンダー アウレア・タマヨです。




中央の人が タマヨ提督です。


各部隊からのダンスショウが始まりました。


   


   


   


キャンドルショウを踊っているのは、106部隊の3人です。


 





エレベーター前の中央の女性は、キャプテン エバニャス


ですが、お医者さんです。


パーティーには出席せずに、私に大きな袋を渡し、


石鹸はかみさんに、薬や服は娘に、と言って帰られました。


娘の【ニナン】で、プレゼントを持って来てくれたんですね。


 


そう言えば、チョットの間、立ち話をしている、このお三方、

左のコマンダー・デラパスさん、右のキャプテン・コニーさん

皆さん娘の【ニナン】です。



↑ この人がパラワン島の代表、メンドーサ提督で、


チーム・ジャパン〔日本人部隊〕は、パラワンのこの


メンドーサ提督の直属の部隊です。


残念?ながら、私はこの〔日本人部隊〕ではなく、


マニラの106部隊の所属です。


もう真近ですが、〔日本人部隊〕が隊員50名になれば


独立した部隊に成れます。


〔日本人部隊〕の活躍を期待しています。


(独立したら私を引き取ってくれるかなあ...)


↑ 同じくパラワン所属のキャプテン ウォルフさんです。



 


さあ、バイキングですがどんな料理が出るのでしょう。





 



このクリスマスパーティは、ロハス大通り沿いのGホテルで行われました。


最後の写真は、このGホテル7回から見た ロハス大通りです。


中央より上はマニラ湾の海です。


ポツリポツリ見える明かりは船です。


12月11日の夜のパーティでした。


 


今日のパー券は当日券を買おうと思ってたんですが、


(思ってたんですよ。ホントに。)


なぜか、うちの娘の【ニナン】だからと、キャプテン・コニーさんが払ってくれました。


二千円です。


美味しいものを食べて、久しぶりに踊って飲んで、


帰りにクリスマス・プレゼントを沢山頂いて帰りました。


(これじゃあ絶対に106部隊から抜けられないなあ...)


(いやいやその前に、来年末まで生き延びれるのかなあ...)


 


来年は私、『侍』に扮装する様に言われました。


が。。。


 


来年は、『レインボーマン』だ!


 


(いやいやその前に、来年末まで生き延びれるのかなあ...)



海豚と書いてイルカと呼びます。

決して「うみぶた」と呼ばないで下さい。
ランキングポチをお願いしま~す。
↓  ↓  ↓
にほんブログ村 海外生活ブログフィリピン情報へ

いつもありがとうございます。



※【ニノン】【ニナン】=言葉の意味はここをクリックして見て下さい。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

とんでもない事故に巻き込まれて。

2009年12月15日 | 日記
すみません。
『とんでもない事故に巻き込まれて』なんてタイトルで予告しておりましたから、前記事を見て頂いたブロともの方々にご心配をお掛けしました。
大丈夫です。 私は怪我も何もしていませんから。

昔ある人が私の前で、ぽつりと零した言葉があります。

『人間、どん底が長く続いたら、慣れて来て楽しむようになるからね。』

私はまだどん底状態ではなかったから、私に対して言った言葉じゃありません。

だけど、本当にどん底状態になった時に、毎日毎日この言葉が頭の中に響いてきました。

そしてこの言葉の意味をずっと考えてきました。

おそらく、私に言った人が人だけに、
「苦しんでいる人間は放って置いた方が良いよ。」
「その内に慣れて来て貧困状態から抜け出そうなんて考えなくなるよ。」
「それはそれで楽しくなってしまうからね。」  ...ですね。

確かに慣れるまでは、た~いへんでした。

この人を馬鹿にしたような言葉がずっと私を支えて来てくれました。

食べるものどころか電気も水も止められることも何十回とあり、子供の登校費も出せず1時間半かけて歩いて送り迎えをしたり、学校が変る前の3ヶ月間は週に一度しか登校させなかったり。
オムツやテイッシュが買えなくて大便も手で洗ってやりました。

何よりもミルクが買えない状態なので、生後1ヶ月から米をおかゆにして食べさせたりもしました。
子供が可哀相で、苦しくって苦しくって毎晩泣いていました。

だからこの言葉を逆手にとって、早く慣れるように努力しました。

事業が落ち込んだ(急激でしたから)4年前は、1年間ほどあちらこちらから10万円や20万円が数箇所から出てきました。

私はカバンやバッグを買うのが趣味でしたから、外国に旅に出たときに買って置いた物が未だに使用していない20個ほどを含めて、およそ100個ほどあります。
そのいくつかに札束を隠していたり、妻にも判らない所に隠して置いたりしていました。

これは私が毎月10日間ほど日本に帰っていたので、妻や事務所に急な支払いができた時に電話で「どこの棚のどこどこにお金がある」と教える様にしていました。

別に隠し財産という事じゃありません。タレントが2~300人住んでいたので、何事かあった時のために分けておいたお金です。
5人や10人が急に日本行きが決まる事もよくありましたし、いくつか別に事業もありましたから。


そしてお金が無くなってしまった次の1年間は、持ち物を売りました。
十何台かエアーコンも有りましたし事務机やコンピュータも。

仕事が無くなっていて従業員を解雇したのですが、去年末まで13人の大所帯でした。

私は従業員を一番大切にしていたので、私のところから別の仕事に就くことが困難になっていましたから可哀相でした。
まあ、他の考え方もあるんですけど、私もお陰でまだ残っている私自身の家財道具や趣味の物を従業員が少しずつ売ってきてくれました。

そしてビルから2度目に引越しをして来たここで、最後に従業員は、私の残されたわずかな物を売って来るからと持ち出してそのまま戻って来なくなりました。

罪作りな事をしました。(笑)

私はジャンバル・ジャンに神父さんが取った行動の様に、追い銭を打ってあげられないのが辛いんですけど、他人にはこう言います。

『事業が傾き始めたら、まず従業員から整理しなさい』と。
余計可哀相な目に合わせますから、十分な事をしてあげられる内に他の職に就かせてあげないと...

ただね、私の夢は従業員みんなの笑顔ですから。それも大笑いの...


『貧すれば鈍する』。

従業員だけじゃなく、私も同じですから...

ぜんぶ許して笑って待ちませう...


さて、もうひとつ。
ある人から私に言われた言葉があります。

『どんなに貧しい生活をしてても、一度でも大金をつかんだ事がある人間は、 必ずまた金持ちに成れる。』

先の言葉とこの言葉、『慣れる』『成れる』

ゴキブリのように生きようと思いました。

どこにでも頭を突っ込んで、しぶとく生き残る。



半世紀を越える人生を、他人と自分の生き様を見て来た私ですから、

なんとなく感覚的に運命が判るようになりました。

他人は誰でも10年チョットの間に3年ほど落ち込む時期がある。

一生に1~2度、大殺界のような、何をやっても駄目な時が来る。

新築のマイホームを建てると、3年以内に不幸事が起こりやすい。

厄年は、人生の節目の意味だから、悪い事だけじゃあない。


これは多分『人間死ぬ時はチャラ』の途中勘定じゃあ無いでしょうか?


と、言うわけで、最近はどん底に慣れました。
突発的な難問にも動じなく、図々しく成りました。
まだお金持ちには成れませんけど...

幸いにも、お米やミルクを抱えて来てくれる親友も何人かいて生きていけます。

至らぬ事が沢山有って、神さんが、
『まだお前に幸運はやれぬ。』と言います。

ただ、『事を起こせば必ず裏目になる。』と言う時期は過ぎた様な兆しがあります。


何度死んだ方がましだと思った事でしょう。
自殺をする事など考えた事はありませんが、気が狂うほどパニックになると自分で自分に引き金を引く事に成りかねないとも限りませんので、銃は先に手放しました。

今では酷く苦しいときには『た~いへん!』と笑い飛ばします。

早くみんなにお返しをしなくっちゃ。

ブログに来てくれてる人たちにもお世話になりっぱなしですし、

皆さんの悲しいブログに感動して毎日泣かされていますし、

その内に、

『金持ち爺さんになる秘訣』というブログでも書いてお返ししましょうか?

無理でしょうけど『幸せ爺さんになる秘訣』くらいはできるかも...


そんな訳で、私のブログの前で心を痛めないで下さい。♪

日記は続かないし失くしてしまいますから、記録しているだけです。

時には気をつけて欲しい情報もありますけど、大半は記録誌です。

私の不幸は笑って見てやって下さい。


そうでないと、将来幸せに成る(成れると勝手に思っている)、
私たちの苦しかった時の記録が綴れません。


★ 本題に入ります。

これからのお話は、少しは参考になれると思います。


先日、大火事や、すれ違う消防車を気にしながらタクシーに乗っていました。

タクシーの運ちゃんは歳を取った運転が荒いおじさん風でした。


キリノ通りを通ってサンタ・アナ付近でメーターは60ペソ(約120円)を指して、
ちょうど曲がり角を越えようとしていたところに、突然タクシーの右側から

『バァ~ン!』

私は一人で後部座席左寄りに座っていました。

瞬間右窓を見ると自転車の車輪がひっくり返って窓越しに見えました。

運転手のおっちゃんも気づいたようですがブレーキを踏み込めず、そのまま5、6メートル進んで止まりました。

『ガシャッ』『グギャ!』『ガガガッ!!』『ドォン』『ボコッ』『ゴギャ!』

その間、窓から見えたのは、自転車と人の頭とまた自転車と人の足。

「シィット!...」 おっちゃんの声。

瞬間的な事故ですが、私の目には自転車に乗った人がタクシーの右前後のタイヤに巻き込まれて二回転ほどする様子が、スローモーションのように焼きつきました。

「うわっ、どうしよう!?」

私は怖くて一瞬身体が固まり、「タクシーから降りなきゃ」と思いました。

右のドアーを開けるのは躊躇い(とまどい)ました。
もしドアーを開けた時、そこに血まみれの人が死んでいたなんて嫌ですから。

私は左窓寄りに座っていたので、左ドアーを開けようとして窓を見ると、
ジープニーの助手席側が立ち塞がっていました。(左ハンドルですから)

窓を下ろして手を伸ばし、止まっているジープニーに前に進めと指示をしました。

タクシーを降りて後ろに回り、人だかりになってる中を恐る恐る覗いてみると、

30前くらいの男の人が倒れていて腰や足をさすっている。

血が出ている様子は見えないが、ひどい打撲を受けた事は分かりました。

「タクシーに乗れ!」

絶対に病院に運んだ方が良いことは、周りの人達も思った事でしょう。

何人かの人が抱えて私が乗ってきたタクシーに入れ込みました。

「待てよ? もし病院に運んで行く途中でこの男性が死んだら、辺りはもう薄暗くなっている事だしきっと運ちゃんは男性を車から放り出して逃げるんじゃないかな?」

思いましたよ。 思いますよ。だって私が逃げたかったんですから...

「誰か付き添いは無いか?」

知り合いでしょうか、若い女の子がうなずきました。

「携帯は持ってるか? よし! 乗って乗って!!」

女性を後部座席に座らせて、自転車を担いでトランクに入れ込み、

タクシーの運ちゃんに、

「はやく! 速く病院へ!」

我に返った運ちゃんは、

「ボスッ、タクシー代!!」

「シィット!...」  ...Pinoy



おっちゃん、しっかり忘れてなかった。 タクシー代...

ポケットから100ペソ(200円)を取り出して渡すと、

初めておっちゃんは逃げる様に走り去ってしまいました。

「お~い、お釣り! おつり~~!!」


家までまだ遠いぃじゃん。。。


仕方が無いのでトライシカル(サイドカーが付いたバイク)を拾いました。

40ペソ(80円)...  痛い出費。お釣りも取りそこね...



とんでもない事故に巻き込まれたのは、若い男性と自転車です。


私は、

とんでもない事故で、巻き上げられて痛かっただけです~。


ごめんなさい。

下手な駄洒落の為にご心配をお掛けしました。


Pinoyはいつも元気ですぅ。


師走でお忙しい事と思いますが
応援ポチにご協力お願いしま~す。
↓  ↓  ↓
にほんブログ村 海外生活ブログフィリピン情報へ

いつもありがとうございます。



コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

年の瀬の大火事 Recto, Sta Cruz Maynila

2009年12月14日 | 気をつけて!!




3日前の、12月10日の夕方の事ですが、とある高層ビルの結構たか~い所で会議をしていた私は、ふと窓の外に目をやると遠くビルの谷間で煙が立ち上がっているのが見えました。

「あれ!? 火事じゃないか?」

マビニあたりかなと思って知り合いに電話をしました。

「マビニの方で煙が上がっているけど、あなたの家の近くじゃないですか?」

「いや、何もサイレンは聞こえないよ。」

「そうですか~? じゃ、どこか分ったら知らせて下さいね~。」


会議も終わったので自宅に帰る事にしました。


タクシーに乗ってキリノ通りからサンタ・アナに向かう途中で、ワンワン、ウ~ウ~とサイレンを鳴らして走る何台かの消防車に出くわしました。

わ~。 凄い大火事になってるんだ~...

メディアのPinoyとしては、これは追っかけて行って、写真でも撮って新聞に載せようかな。(ちょっとメデイアのI.D.を貰っただけ)

このすぐ後に、私はとんでもない事故に遭遇してしまいました。

で、断念してしまったのですが、


その夜のニュースで、サンタクルス地区でかなり大きな火事になっている事を知りました。

偽造書類を作るところで有名なレクトという地域と言った方が分り易いですか、そこには拘置所があって多くの囚人が非難している様子も映っていました。

どうやら拘置所の塀が高くて、その反対側で、スクワッター(不法占拠地の住民)を含む1000軒ほどの家が焼け出され、死人まで出たようでした。

火元は、そのスクワッターの不始末から起きたようです。


テレビで見る火の上がりようや状況からすると、
私にはどう考えも不自然だとしか思えません。

若い時に日本で幾度か、ここフィリピンに来ても幾度か経験していますが、(私は家賃をためて追い出されそうですが、スクワッターではありません。日本人難民だと自負していますけど。何か?)
このような火事の後には、立派な家が建ったり、モールや商店街が出来たりしています。

スクワッターの住民に、誰かが大きなお金を渡したんじゃあないですか?

これほどの数で不法占拠者がいると、警察が大勢で撤去しようとしても、いつもけが人や死人が出るほど揉めてしまいます。

今年の6月くらいでしたか、家の近くでも500軒くらいが火事で焼け出されました。 そこも殆どがスクワッターの地域です。

まあ、そうやって少しずつ国が変って行くのでしょうが...


申し訳ありませんが、これは私が疑っているだけです。
事実かどうか、勝手な想像をしてしまいます。

しかしどう考えても、十中八九不審火だと言うよりも、
火付けだと言った方が的を得ている様に思えます。


そう言えば、私も後2週間足らずで大家さんからここを追い出されるんでした。

一階はもう空き家になって誰もいませんね。

ここは二階で、下から火をつけられると窓は全部鉄格子で囲まれているから、入り口から出損なって燃えてしまうと助かりませんね。

あっ!しもた~!! いらぬ事を喋ってしまった。


桑原、桑原...




『とんでもない事故に巻き込まれてしまった』事、

すぐ次回にアップしますね。



師走でお忙しい事と思いますが
応援ポチにご協力お願いしま~す。
↓  ↓  ↓
にほんブログ村 海外生活ブログフィリピン情報へ

いつもありがとうございます。


コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ロハス大通りからカビテまで、ジープニーに揺られて

2009年12月12日 | マニラの風景


ジープニーに乗ってマニラからカビテに行く道中です。


乗り合いジープニーで、1人約80円です。



風景は、このジープニーの中から撮りました。







この先を左に曲がれば空港です。


真直ぐ行けば、コースタルモールからゲートに向かいます。







水を運んでるのかな? 



一時間掛かって、やっとカビテに着きました。



トライシカルの後姿です。


 




一週間前のロハス大通りの写真ですが
応援ポチを宜しくお願いします。。
↓  ↓  ↓
にほんブログ村 海外生活ブログフィリピン情報へ

いつもありがとうございます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

息子で~す。 仮装大会です。

2009年12月11日 | 日記

小学校一年生です。






マカティ市の学校で、学費も制服も全部無料ですけど、よくこんな催しごとがあるので急な出費をする事があります。


私は勉強よりも、マナーを教えて欲しいと思います。



息子が話せる日本語は、
おはようございます~。
いってきま~す。
ただいま~。
おかえりなさ~い。
いただきま~す。
おやすみなさい。

それだけです...

私はさじを投げました。


お忙しいところをすみません。
親バカに応援ポチをよろしくお願いします。
↓  ↓  ↓
にほんブログ村 海外生活ブログフィリピン情報へ

いつもありがとうございます。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

まさか~!! 虐殺事件の背景を考える。

2009年12月08日 | 気をつけて!!
最近はタクシーに乗ってはラジオで、家に帰ればテレビで、
始終「まさか~」「マサカー」と叫ぶようにこの言葉を耳にします。

【まさか~】って本当に「まさか?」って感じで聞き取れますが、

意味は、【Massacre】で「皆殺し」「虐殺」です。

先日、ここフィリピンはミンダナオ島のマギンダナオ地区で起こった大惨劇の事件のことで、フィリピンは大騒ぎをしています。

ついには先ほど、5日の朝、大統領府からエルミタ官房長官が
マーシャル・ロウ(Matial Law)を発表しました。

そうです、反乱の機器を感じた アロヨ大統領による

戒厳令が布かれました。


事件は11月23日に起こったマギンダナオ(Maguindanao)で、州知事立候補のマングダダト(Mangudadatu)氏の立候補届けを氏の妻が報道関係者や弁護士や親戚等を含め60人程同行させて提出をしに行ってる途中で、100人空の覆面をした暴漢に襲われ、全員【マサカー】虐殺されました。

およそ私の前記事に書いていますが、女性たちは殆ど強姦され、銃で撃たれたり切られたりして殺されていました。

氏の妻は、強姦された挙句、携帯電話で夫に『みんな殺される!』と、一部始終の内容を話した後に局部と顔を銃で撃たれ乳房を切られて殺されました。

すぐさま駆けつけた氏のサイドのヘリコプターまでアーマーライトで銃撃され近寄れなかったようです。

怖くなって抜け出した暴漢グループの一人が白状した内容は、事件の3日も前から一行のバスやジープが何台も埋められるような大きな穴を掘って待ち伏せをしていたと言う事です。



事件が起こって2週間になりますが、フィリピンは今だこの事件を大きく報道しています。

私も凄いショックを受けました。

こんな時に駄洒落を言っては不謹慎ですが、まさに「まさか~?」です。

普通の皆殺しじゃないんですよ、この虐殺は...

「猟奇虐殺事件」です。まさに...  怖いです...

少人数の強盗団やシンジケートは違って、

なぜ100人もの人間が99%揃って、虐殺行為が出来る?

極道さんたちが、「コンクリート詰めだ!!」「山に連れて行って穴に埋めるぞ!!」
って言っても、一人をコンクリート漬けにしても5人位でやれることでしょう。

60人からの人間に、100人がかりで虐殺が出来るほど悪い人間が纏まりますか、普通?

その事をずっと考えていました。



【戒厳令】とは、国の軍隊の指揮下に入ることで、個人的な自由や権利が主張できない状態になります。

夜出歩いたり集会などをやると、憲兵さんに連行される。ですね...


なぜこんな事態になったのでしょう?



私の気が静まらないので、少し背景を考えて見ましょう。

あくまでも私の考えであり、内容はニュースに出ていない事もあります。
まして宗教のことは、参考にもなりませんし、どちらかと言うと誤解を招いて私が危険な目に合うことが有るかも知れませんので、この事はあなたに対してだけ、独り言やたわごとを言っているのだと思って、決して他言しないで下さいね。



〇まずは人物から。

1.州知事に立候補しようとしたマングダダトゥは、虐殺された側の人。

2.現在の州知事はアンパトゥアン(父)。

3.その息子で虐殺の疑惑がもたれているのがアンパトゥアン(息子)町長。

3番目のアンパトゥアン(息子)は、1番のマングダダトゥと同じく州知事立候補。

それで、事件の首謀者だとされています。事件現場に居たようです。



〇次に近況。

アンパトゥアン町長(息子)は、現在マニラの【NBI】に拘置されています。

【NBI】とは、国家捜査局で、警察と違ってFBIのような機関です。

アンパトゥアン(父)は、先ほど拘束されました。

マニラに来るためにダバオから飛行機に乗る予定でダバオまで行きましたが、体調が悪いという理由で、5日にダバオ・ドクトーという病院に入りました。

5日朝、マギンダナオ州に戒厳令が布かれた後です。


〇地域。 マギンダナオ州

マギンダナオ州は、フィリピンを3つに分けるミンダナオ島の中に在り、ルソン島のここマニラから飛行機で1時間半くらい南西の方に在ります。

1時間半という飛行場はダバオ市かジェネラル・サントス市ですが、そのどちらからも3時間ほど車で行った所です。

小さな地区じゃありません。フィリピン北部の首都圏マニラの在るルソン島で言えば、カビテ、ラグナ、バタンガス、ビコールを合わせた地域に匹敵するような広さです。


マギンダナオ州は、【ARMM】イスラム教徒ミンダナオ自治地域です。

【ARMM】=Autonomous Region in Muslim Mindanao



〇民族、宗教、他。

この地域を代表するもう一人の人物が居ます。

【MILF】モロ・イスラム・解放戦線のミスワリ氏です。

【MILF】=Moro Islamic Lideration Front
※ 訂正:【MILF】では無く【MNLF】でした。  記事最下位を参照してください。

以前この広大な地域を治めていたムスリムの代表者です。

有名な、と言うだけで、このミスワリ氏の過去の歴史は良くわかりませんが、私はこの人が好きです。

2年ほど前のことですが、政府に逮捕されて拘留されている氏を3人で尋ねました。

拘留と言っても、住宅街の大きな一軒家でしたが、その二階に何人かの仲間の人達と一緒に謹慎拘留されていて、階段を上がる前に軍の人だと思いますがアーマーライトと言う長銃を持った警備の人から携帯電話やカメラを預けさせられましたので写真を撮ることが出来ませんでした。

氏は快く私たちを迎えてくれ、大きなテーブルに座らせられて、沢山の写真や地図を広げて氏は一生懸命、私たちに夢を語ってくれました。

1時間半ほどしてお暇しようとする私たちを、氏は抱きついて左右の頬をほお擦りして別れを惜しみました。
おそらくムスリム式の挨拶でしょう。

この人物に、日本政府のODA援助資金が動いていたのでしょう。
ミンダナオ地方を開発することによって、フィリピン政府とミスワリ氏が率いる反政府軍の中を日本が取り持つことが出来れば、それは素晴らしい事だと思います。


そしてこのミスワリ氏がリーダーの座を譲って応援していたのが、残虐事件の容疑者、アンパトゥアン一族です。

ここまでは、この地域で大統領は票を得ていたものと思われます。
理由は私には解かりませんが、思うに、仲良くしなければ国が大変な事に成るという事も考えられますし、ここで人気を得ることは、選挙の票を獲得するのに大きな力に成ることも考えられます。
私は前者の方だと考えたいです。


さて、もうひとつが57人が虐殺された側のマングダダトゥ率いる一族です。


マングダダトゥとは人名ですが、フィリピン語で言えば「長になる人」ですね。
〔マング〕は未来形で「する」や「成る」で、〔ダトゥ〕は「酋長」「首長」「王様」です。


アンパトゥアンも人名ですが、地図にあるように地名でもあります。
フィリピン、ミンダナオ島、マギンダナオ州、アンパトゥアン町。


お話の途中ですが、これは私の勝手な解釈で参考にはならないと思います。
ましてやマングダダトゥの語訳は、私のこじ付けですから...


なんとなくそう気が付いたものですから色んな人に尋ねました。



そこで得た答えは、
マギンダナオ州は、マギンダナオ王国と言う別名もありました。

マングダダトゥもアンパトゥアンも、王様を目指していたんですね。

そしてこの二つの一族は、元は同じ家族、つまり親戚ですね。

そして少し昔から、この【ARMM】イスラム教徒ミンダナオ自治地域は、

フィリピンを二分して独自の王国を築きたかったのです。



〇宗教のお話を少し。

日本は宗教が入り混じっています。
八百万の神がいて、キリスト教も仏教も、もち、イスラム教も。。。

ところがここフィリピンではうかつに宗教の話が出来ません。
私は特に、変な考えがあるので余計危険です。
だからここでのお話は秘密にしてください。

日本の宗教観はまた別の機会にお話します。


まず、アジア内でキリスト教の国はフィリピンだけです。

そして世界の宗教は大別してキリスト教とイスラム教(ムスリム)です。

フィリピンも同じく大別して、キリスト教とイスラム教(ムスリム)です。

マギンダナオのムスリムは、勢力一番のイスラム教です。

「アルカイダ」や「アブサヤフ」とは一線を引きます。


〇信仰する神

私は今50台半ばになりましたが、精神年齢はまだ10代です。

子供の頃の私のヒーローに「アラーの使者」がいました。
神の力を借りて変身する正義の使者です。
主題歌に、
「♪ダ~イバ~ダッタの~力をか~り~て~♪」だったかな?
唱える呪文は、
「あのくたらさんみゃくさんぼ~だい」でした。 うん、覚えてる。
で、
頭には白いターバンを被ってました。

これって仏教ですか? イスラム教ですか? 神様は誰?

勿論、アラーですね。

でも何で、ダイバダッタが出てくるの?

何で般若心経の呪文なの?


実は、最高神はお一人ですね。

アラー、ミトラ、ミトラス、マイトレイヤー...ひとりの神です。

キリストが教会で野菜などを売っている露天商の品物を蹴り飛ばして怒った。
という教会はミトラ神の教会です。
後に各地にあるミトラの教会をキリスト教会に切り替えていきました。
ただ、聖書にあるように、キリストが父と呼ぶ存在があります。

ここフィリピンのクリスチャンは、最高神がキリストだと思っています。
これは完璧に、子供時代からの教えが間違っているからですね。
聖書をまともに読みません。
牧師さんらの、聖書から抜き出した言葉をそのまま信じているだけです。
フィリピン全土、殆どです。 エホバやヤーウェも解かりません。
旧約も新約も解かりません。

もともと、マルコポーロがキリスト教をフィリピンに入れる前の神は、

アラーでした。

密教での最高神は大日如来。 アラーです。

仏教の最高神、弥勒菩薩はマイトレイヤー。アラーです。


アラーこそが最高神だと言っているのじゃありません。

ぜーんぶ、太陽神のことです。 太陽崇拝から枝分かれです。


それを自分たちの神が最高だと宗教戦争をするのですね。


教えや戒律が違うだけで同じです。


よく何の宗派かと聞かれますが、「何でもない」と答えると、「無神教か?」
「神道」と答えます。「仏教じゃないのか?」と言われると。
「仏教は宗教じゃない」と答えます。
「仏教はアカデミー、キリスト教はスキルスだ」と答えます。

簡単に説明すれば、運転免許証を取るときの、学科が仏教で実技がキリスト教であり、どちらも欠けずに勉強してほしいと思います。

勿論仏教は、それ自体にアカデミーとスキルスがあります。
釈迦が月を指差して説明した「方便」のように、釈迦自身も普通の教えと、
特別な弟子に仏に成る為の特別な教えをしました。

仏も2つの意味があり、亡くなった人を「ほとけ」と言う仏と、
「ほどけて」超人アデプトに成って衆生を救う仏と。

神道も、人間になったことの無い神や自然界の神それに精霊と、
一方は、道真や将門など人間界から亡くなった人を祭る神と。

崇め拝み祈るだけの神道や技を尽くして神々を使う陰陽師や王仁三郎の世界。


私が簡単に説明してもややこしくなるほど、
それぞれの宗教にアカデミック系とスキルス系2面性があります。

それを統一しようと宗教戦争が起こるのでしょうが、

マギンダナオのムスリムは、それを代表できるほどの勢力があります。

スペインが戦争でフィリピンを植民化したときもマギンダナオ王国は落とせませんでした。

マルコポーロのキリスト教進出にもなびきませんでした。

本当にマギンダナオは、フィリピンから独立する可能性はあります。

それを、どの大統領もなだめなければなりません。

だから日本政府が仲裁をする形でいる(居る、そして要る)わけです。


マギンダナオのムスリム【ARMM】、簡単に言えば、反政府組織。です。


戒厳令を布いたからには、

一気に行動をしてしまわないと、

フィリピン全土が瞬く間に地獄と化してしまいます。


戒厳令を強いてからは、州知事の権利も何もありません。
アンパトゥアンの自宅付近から、爆弾やマシンガン類3000兆、玉何万発、戦車は勿論手榴弾まで出土しました。

州にはいくつもの豪邸があり、セブやマニラにも豪邸やマンション、ダバオでもマラカニャン宮殿に匹敵するような別荘が在り、それぞれに銀行に預けている金額をはるかに超える現金が保管されていたようです。

ミリオンじゃ無いですよ。千倍のビリオンです。
百万長者じゃなくて、億万長者ですね。
およそ30~50億円の資産ですから戦争を起こせますね。
小学校がいくつ出きるだろうか? 病院はいくつ?


11月23日に起きた惨劇は、アンパトゥアン側が事件の揉み消しまでやろうとしていたそうです。

州の警察も弁護士もアンパトゥアンの命令には逆らえません。

戒厳令を布いたことで、群に対して威嚇射撃をしたり、アンパトゥアン市長の兄を護送していたヘリコプターを銃撃したりするような気丈な人達が沢山居るのですから、桑原桑原です。


軍がマギンダナオに踏み込んだ今、戒厳令を布いた今、一気にかたづけないと、フィリピン全土が地獄と化してしまいます。


〇まあ、こんなところが背景でしょうか?


■ ェ、言いたい事はこれからです。 聞いてくださいよ。

私が不思議に思って恐怖感を覚えていた事が少し和らぎました。

何度も言いましたとおり、100人の武装集団が全員で3日がかりで穴を掘ったり残虐行為をして強姦射殺などを57人に対して協力して実行できるのかと言うことですが、


ひとつはこれ、王家の親族間の勢力争いだからまとまり易かった事。

アンパトゥアンは、マニラに来たときには、40人ほどのボディガードを引き連れてきてシェラトンホテルに泊まったりする。

護衛していた警官も地元から派遣して警官にさせて自分が使う、いわゆる「自警団」が主で、誰もアンパトゥアンに逆らえない。




この命令に逆らえない王国の家来たちもまた悲惨な心情で人殺しをやったことだと思います。

銃を自ら構えた容疑者の前で、3日に渡って人を埋める為の穴を掘っている時、どんな気持ちだったでしょう?

人殺しを、それも無慈悲無残な殺人を涙を呑んでやったのか?

ある人は家族の為に、また家族を人質にとられている様なものでしょうし、

神に許しを請う者、神に見放されることを覚悟の者も居たでしょう。

殺人を教唆するものは、従わないものを見せしめに殺すのも簡単でしょう。


まさに「まさか?」です。

惨殺された者も残された者も、惨殺を強要された者も、


みな、哀れです...




つたないフィリピン情報ですが
よろしかったら応援投票お願いします。
↓  ↓  ↓
にほんブログ村 海外生活ブログフィリピン情報へ

ご訪問、いつもありがとうございます。



訂正:申し訳ありません。文中の「ミスワリ氏」は、
   【MILF】では無く【MNLF】の元議長でした。
お詫びと共に、ウィキのリンクを張りましたので、参考にして下さい。

【MILF】モロ・イスラム解放戦線
【MNLF】モロ民族解放戦線
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フィリピンのマギンダナオ地域に戒厳令発令!!

2009年12月06日 | ニュース速報
マギンダナオに戒厳令!!

5日の朝、大統領府からエルミタ官房長官が
マーシャル・ロウ(Matial Law)を発表しました。

これは、先月マギンダナオ地区で起きた虐殺事件に因るもので、
アロヨ大統領が反政府組織が結成されるのを懸念して戒厳令を布きました。

戒厳令が布かれると、その地域は軍隊の指揮下に入るもので、個人の自由や人権は束縛されてしまう特別な法です。

詳しいことは今日、またご報告します。



2週間前に起きた惨殺事件のことを書いていたのですが、昨夜9時ごろ家賃滞納で大家さんの息子から1階の家具やその他ぜ~んぶ道路に放り出されてしまいました。

4人の部下を引き連れて、うむを言わさずでした。かっこ良かった...

9月の洪水で机や家具やコンピュータ等傷んでいて、表に出されるとその場でばらばら、たちまち道路の端がゴミの山となりました。

う~ん... うちも戒厳令が発行された。(笑)

2階はもっと沢山の荷物(4t トラックで10回分くらい)が有るので、クリスマス前に追い出すんだって。


それでバタバタしてまして、更新記事が今の朝7時になっても書き終えてないので、戒厳令のニュースだけ先にいま投稿します。



「虐殺の背景を考える」を今夜の投稿とします。


是非また寄って下さいね。



上がったり落ちたり、また上がり、人生いろいろ有るさね...
応援お願いしま~す。
↓  ↓  ↓
にほんブログ村 海外生活ブログフィリピン情報へ

ご訪問、いつもありがとうございます。


コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする