ありがとうございます。何とか母の手術は無事終わったようです。
それに、すみませんでした。心の中が無茶苦茶になって、ひどい状態でした。
「貧すれば鈍する。」ですね。さっきは、亡くなった親父にまで怒鳴り飛ばしていました。
今日の最初の日記のページでコメントを頂きました。
「フィリピン人を馬鹿にしてるのか?」と。
そうでは有りません、コメントを頂いたと同時刻に日記の「中編」を投稿してますが、
馬鹿にされて当たり前だったのは、自分なのです。
ただ、自分の中で葛藤していることを今日は掲載したかっただけです。
本当にごめんなさい。
コメントをくれた人の言うのは間違っていません。
実際に中編の8月9日から今まで、どんどん自分の中に変化があるので、もう少しお付き合いください。
後編を続けます。
私が間違った(いつも支離滅裂ですけど、特にいい加減な)ブログを書いたのが6月末にも一度あります。
初めて書いた日記のページです。 あっ、すみません、いまさら読み返さないで下さいね。
そのときに書いた日記は、私はもう読み返す勇気が無いほどひどく、かといって、出来るだけ削除をしたくないので、次から次へと蓋をする様に色々な記事を投稿してきました。
実は、精神がおかしくなって書いたそのブログを、日本に居る兄弟が見て、私の母親に伝えたようで、次の日に、母から泣きながら電話がありました。
「あんた、大変な事になってるみたいね? 大丈夫ね? 可哀想に...」
可哀想まで言われたんですが、本当は、成す術が見つからなかっただけで、自分が蒔いた種でした。
「なんてこと無いよ。」「もう解決したよ。」心配しなくて良いよ。」
それだけ答えて、私は笑って見せました。
それから4,5日して、日本から電話がありました。
母が倒れたようでした。
妹が、一人住まいの母のアパートに行くと母が倒れているので、「大丈夫ね?起きれるね?」と揺さぶったが起きないので救急車を呼んで病院に運んでもらったようです。
病院に着いて初めて「重度の脳梗塞」だと言われたそうですが、救急車の中で揺り動かしてはいけなかったと言われたみたいで、妹が自分の所為だと悔やんでいました。
本当は私が原因で、ブログを見てくれる人の事を余り考えていなかったのではないかと反省をしました。
それに、事業が落ち込んでここ3年間、家族や日本の母に相当な迷惑と無理な期待を持たせていました。
事業が落ち込んでから最初の出来事が、親父の入院と死でした。
未だ余裕は少しあったのですが、親父の死に目には会えませんでした。
知らせを聞いたとき、私はここフィリピンに居ましたから、やっと飛行機のチケットを取って帰り着いたときは、既に斎場の中でした。
今は正直、飛行機代どころか母親の病院代、いえ、本当に子供のミルク代を作るのも大変な状態です。
ただ、手も足も出ない自分は、母が倒れた日から毎日妹からのメールで「お母さんが喋った」「お母さんがぼけた話をしてる」「未だ言葉がうまく喋れない」「何とかリハビリを始めた」「歩けずに転んだ」等、状況を聞くだけです。
そのためにコンピュータにかじり付いて、前記の(母が倒れた原因になった)日記にフタをする様に毎日ブログを更新してきました。
そして今日、日本は終戦記念日で、お盆で、母の誕生日です。
先ほど、5時過ぎだったと思いますが、妹が泣きながら電話をしてきました。
母の誕生祝に何人か見舞いに行って家に帰り着いたとたんに、病院から連絡があり、痛い痛いと言ってたお腹を検査したら、酷い胆のう癌になっているので、緊急手術の為に病院に戻って下さいとのこと。
どうしようもない私は、妹に電話をしました。先の日記(中編)を投稿した直後です。
霊界の蓋が開けられて、ここか母のところに親父は居るのでしょう?
神様と親父に「母を迎えに来るな!!」と怒鳴りました。
誕生日が命日になるかもしれない? 冗談じゃないですよ。
妹に、何とか手術前に母と話をさせてくれるように頼みました。
「手術前の薬を投与しているから喋れないけど、携帯電話をこそっとお母さんの耳に当てるから少し待って。」
電話がありました。「おかあさん!誕生日おめでとう!!」「はい...」
「お母さん今から手術ってね?可哀想に。誕生日に手術とかねえ。」
「頑張ってよ!!」「はい...」
母の「はい...」は虚ろな声でした。
手術開始と同時に、妹から「今から手術だから祈っててね」と電話がありました。
親父の位牌の前でロウソクを灯し、神様にも祈りました。
夜9時、今しがた又電話。
「お母さんね...」 泣いてるからドキッ!!ッとしました。
「手術、成功したって...」
「よかった~~...」
皆さんにも、本当にありがとうございました。
☆ ☆ ☆
話をコメントをくれた方の意見に戻します。
本当にごめんなさい。
500ペソを貸してくれた従業員の事は、もう大丈夫ですか?
ちゃんと思いを改めて有り難く思ったことを、前記に残しています。
本当に助かりました。
他の従業員の事は、皆仕方が無いのだと思います。
ただ、フィリピン人全体を私は馬鹿にしません。
フィリピン人から私は助けてもらっています。
一番身近な私の、私の従業員は、また特別です。
だって、私の従業員と私とは特別な関係で、一般の従業員がこうだ、と言うのは分かりません。
7年も8年も一緒に仕事をした人たちです。
言いたい事を言い合えたり、甘えたり誤魔化したり助けられたり...
3年前に辞表を書いてもらい、仕事を探してくださいと伝えたけど、
それでも私と一緒に居るのだったら一緒にどん底まで行こうと、去年末まで寝食を共にしてました。
家財道具で良いんですか? 家裁道具ってさっき書いてました。
今は、古いテレビと、鏡台、ベッド、パイン材の家具、事務ソファー、洗濯機、乾燥機、事務机用の引き出し7つ、コンピュータ3台、後は小物類です。
去年末まで従業員と一緒のときは、結構売れたんです。
クーラー12台に、事務机10台、2段ベッド12台テレビ5台など、5階建てのビルにタレントも沢山住んで居ましたから。
ただ、ビルを出て、2度の引越しの間に、いくつかコンピュータやコンポーネントの中身が綺麗になくなっていたのには驚きました。
今年に入って3人くらいが「ボス、これは自分が買い手を捜して売ってあげる。」と、5万ペソ分くらいの品物が売れるまで、もう半年くらい待っています。
これは、フィリピン人を馬鹿にしているのじゃなくて、大事にしてきた兄弟や子供たちだと思い、甘えだとも思い笑っています。
ただ心が痛いけど、悪いのは自分です。
これは殆どのフィリピンの人を指して言いますが、私は大体フィリピンの人は、「自分を写す鏡」の様だと思っています。
従業員など長く一緒に居ると尚更、自分の付き合い方次第で相手は変わります。そう私は思います。
ブログを振り返って反省しました。面白おかしくしようと、かなり茶化していますね。
このブログはまるで、日本人を馬鹿にしたようなブログになっていました。
笑えるとか、楽しいブログにしようとの思いと裏腹に、読者を茶化していました。
ここ一ヶ月、泣きながらがむしゃらにブログを書いて誤魔化していたんです。
反省しています。ごめんなさい。
もっと、フィリピンと日本の仲を持てる様なブログ作りを勉強します。
コメントをくれた方、よかったらまた意見を下さい。
ありがとうございました。
※ランキングの応援に来て下さった方へ
反省をする事があって、今日はここにバナーを貼っていません。
ご訪問、ありがとうございます。