フィリピンの顔

フィリピンの日常や、旅行記、人、観光地、ビジネス、
出来事等を記録します。

マニカちゃん (Manica)

2009年08月28日 | 芸能界

ご存知ですか?


マニカちゃんです。



まず、下のロゴをクリックして下さい。



(リンク先は新しい上映分ですが、このロゴは私が使用できる許可を受けた古いロゴです。)



[世界がもし100人の村だったら] ブログ村キーワード

日本で放映された、”世界がもし100人の村だったら”で、トンドのごみ捨て山で強く生きる主人公のマニカちゃんに感動し泣かされた日本の少女彩加ちゃんから、マニカちゃんに渡してほしいと預かった人形、鉛筆、衣服類を私からの大きなぬいぐるみを添えて直接手渡しに行きました。



マニカちゃんは、ごみ山に行っていると聞いて、トラックで運ばれているごみ山へ入って行きました。








ごみを選別するたくさんの人達


私は写真を撮りながら、夢中になってどんどん入って行きましたが、途中で注意されました。
気が付くと通ってきた地面は、小さなガラスだらけでした。
 そこは、ガラスだけではなく、注射針や刃物などいろいろなものが散らばっているので、長期に渡って
そこに居る時は、鉄板を靴の裏に付けて入らなければ危ないそうです。
子供たちにとっても、そこは、命を賭けた職場でしょう。



 ここを回った所では、廃タイヤの中に入っている針金を取り出す為に、燃やしている所があります。
そこに居ると2時間くらいで顔や露出部が真っ黒になるそうです。


はら? マニカちゃんは、自宅に戻っているそうです。


ごみ山で仕事をする子供




ここがマニカちゃんの家


いたいた...



3人兄弟です。
マニカちゃんの横が弟。
末が妹。

ハ~イ!!
マニカちゃん!!


え!?
妹? 弟?
妹だって。



彩加ちゃん、ちゃんとプレゼント、届けたよ・
  ありがとう。だって...


近所の子供たち





彩加ちゃんへ
 ごめんね、1年以上 掛かっちゃった。  
ずっとマニカちゃんを探してたけど、心無い人達(私を含めて)から、その放映されたものは、ドラマだとか、やらせだとか、実在しない主人公だと少し思っていました。
 それでもいろんな人達にマニカちゃんのことをお願いしてたら、マムーさんという人の協力を得て、当時、フィリピンで取材協力をしていたAPS社の江島さんという人に会わせて頂き、トンドのゴミ捨て場でやっとマニカちゃんに会えました。

--当時、彩加ちゃんに宛てて書いた私の手紙--




これらは「世界がもし100人の村だったら3」の放送前のことです。
去年、東京の知り合いがマニカちゃんに会いたいと言うので紹介しました。
次に来られた時にマニカちゃんにノートや鉛筆と一緒に携帯をプレゼントしたようです。
それからは時々私が携帯のプリペイドを送ってやる事になりました。
何日かに一度100円程度でしたが、その内に私が日本人難民になってしまったのでここ半年くらい携帯課金をしてやれなくなったのですが、マニカちゃんは今でも時々メッセージをくれます。
ただ、私の顔は忘れているでしょう。
東京の人が、「何かあったらピノイさんに言いなさい。」とマニカちゃんに言ったので、マニカちゃんにとって私はプリペイド・カードをくれる「足長おじさん」になってしまったようです。(体はビヤダルでも足は長いの!)

可愛い15歳の子でしたがもう随分大人になったでしょう...
立派な大人になって欲しいですね。
お母さんが病気だったけど、どうしてるのかな?


★江島さんのブログ==KUYA江島の気まぐれ日記  
★マムーさんのブログ=マムーの撮影探検日記


「世界がもし100人の村だったら」




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【NBI】の《D》さんと「ホスピシオ・サンホセ教会」

2009年08月27日 | ボランティア

メインの写真をどれにしようか迷いました。


主役は誰かな?


やっぱり子供たちでしょう。


 


今日の記事は、もう1年以上前のことですが、


【NBI】 国家捜査局の《D》さんの呼びかけで、


フィリピン マニラ
「ホスピシオ・サンホセ教会」


に慰問に行きました。



【NBI】の《D》さんの誕生日だったのです。


《D》さんは、毎年1年間ためたお金で自分の誕生日になると、


どこかの恵まれない人たちにボランティアをします。


左端の赤い服の人が《D》さんで、慰問補佐に参上したのが、


【PINOY PRIDE 新聞社】の


ジュビー・デ・グズマンさん (Juvy De Guzman)右端の女性と、


俳優の、タイさん(田井智之)右から2番目、それに


フィリピン芸能人のヤッチャン(Ya Chang)左から2番目です。


 




フィリピン マニラ
「ホスピシオ・サンホセ教会」


フィリピンの首都・マニラの中心部にある「ホスピシオ・サンホセ教会」は、スペイン文化の面影が残る“城壁都市”イントラムロスやマラカニャン宮殿(旧大統領府)に囲まれたパサイ川の中洲にあります。教会や石畳の道が続く、まるでヨーロッパの町並みのような美しい地区にあり、約230年前の1778年に「ドーター・オブ・チャリティー」という、教会のシスターのグループによって設立された、歴史ある施設です。ここには、ハンディキャップを持った幼児や孤児、身寄りのない老人など約300名が生活しています。

上記の説明は、「海外ボランテイア」のHPからです。




ヤッチャン、タイ君はフィリピンでは有名な芸能人で子供からお年寄りまで皆さん喜んでくれました。








さあ、《D》さんが1年間貯めたお小遣いを叩いて買ってくれたおやつの準備が出来ました。







↑ タイ君とジュビーさん。赤い服はキャプテン・ドゥラナさん。


↓ ヤッチャン、ジュビーさん、《D》さん。



《D》さんは、【NBI】フィリピン国家捜査局の古株で、フィリピンのマニラ空港で仕事をしています。 国際線にも国内線にも出没していますから、緊急事態の時は彼を探すと良いでしょう。 マニラの空港で上の写真を印刷したものを警察や入管やコストム等で見せて尋ねてください。 マニラに入国時には、いつも旅券かカバンに入れて置くと良いでしょう。

この写真は、チラッと見られる様にして見せる様にはしないで下さいね。見せる時は本当に緊急事態か、本人《D》さんに会ったときだけにして下さい。 用も無いのにこのブログの読者が何人も毎日《D》さんを探していたら、空港の仕事の邪魔になるので、その内に私が逮捕されますから。(汗)

そうでした。誰からこの写真を貰ったのかと聞かれたら、私から紹介されたと言ってください。 最後に私の写真を掲載しますから、それも名刺大に印刷して虫除け代わりにバッグか何かに入れてて、《D》さんに会ったら見せてください。 私の写真を見て、笑わないで下さいよ。

《D》さんの名前は伏せておきます。 麻薬や拳銃などの不法所持者逮捕時に、T.V.パトロールやXXX等、ジュリウス・ババオと言うニュース・キャスターと、よくテレビ・ニュースに出てる人ですから、本名はブログに載せる事が出来ません。

《D》さんは私の古い友達で、【コンパレ】でも有り、【ニノン】でもあります。 私たち夫婦の結婚時の【ニノン】仲人さんで、子供の洗礼時の【ニノン】親代わりでもあります。

※ 【〇〇〇】の意味は、ここをクリックしてください。



Jollibee (ジョリービー)さんと、うちのカミさんです。
ブログを書いてる後ろで見てるから、カミさんの写真を載せていると、
「恥ずかしい、恥ずかしい。」と言いながら機嫌が良いので、お見苦しい写真ですが我が家の「家庭円満」の為と思い目を瞑ってやって下さい。(^ー^* ) ムフフ...


次の写真ですが。。。



見たい?


 


やっぱり私が登場しないといけませんね。 ぷっ


 



虫除けにはなるでしょう?


 


この日のことは、《D》さんの誕生日の記念として


ブログに掲載しておきますが、


もし、みなさんも良かったらフィリピンの貧しい人たちに


援助をお願いします。 楽しいですよ。


 


※ フィリピン マニラ 「ホスピシオ・サンホセ教会」は、


ヤフーやグーグルで検索するときは、


「ホスピシオ」で検索してみてください。


※ 【〇〇〇】の意味は、ここをクリックしてください。

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これは何でしょう?

2009年08月26日 | コーヒータイム

これ、何か分かりますか?



椰子の木なんですけど...



何で出来てるの?



ペットボトルでした。



中段の左右に小鳥が2羽。



切ったり温めて広げたり。


でも、くっ付けた部分はありません。


一本のペットボトルからです。




あなただったら何を入れますか?


アイスクリーム?


めだか?



特別に販売している所もありますが、


主に、フィリピンの刑務所内で作られています。

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福来たれ

2009年08月22日 | Weblog








隅田の花火



竜神召喚の為に


百鬼丸さんより頂いた写真です。


隅田の花火という名の紫陽花だそうです。

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ご報告します。 (日記 その後)

2009年08月21日 | 日記
わたくし事ですが、途中経過をご報告します。

『家族のこと』

8月15日の終戦記念日は特に落ち込んでいました。
ブログの悩みもありましたけど、口減らしの為だとうちのカミさんは子供たちを連れてカビテ市のおばさんの家の出掛けていました。
だからその日のブログを書いていた時は、私一人でコンピュータの横に小さな祭壇を作りロウソクを灯して祈りながらブログを書いていました。

日本は今日、終戦記念日で、しかもお盆で地獄の釜の蓋もまだ開いてる状態で、しかも私の母の誕生日だし、日本に帰れないでこのフィリピンに居るのだから、せめてお盆が明けるまでは出掛けるのを止めないか?と一度だけは言ったのですが、さっさと着替えをしているカミさん達を引き止めることは出来ませんでした。
家内は5歳のときに父親を殺され、追う様に母に病死され、叔母さんの世話で生きて来たのですから、例え脳梗塞で入院しているといっても、私の母親の誕生日なんてどちらかと言うと禁句ですよね。

その夜、私の母は手術をしました。
次の日、16日の朝、カミさんから電話がありました。
今病院に居て、腕を6針縫っているという事でした。
原因はカバーの無い回っている扇風機の羽根に巻き込まれたからです。

「弱り目に祟り目」ですか?     いいえ。
私は、「不幸中の幸い」だねって言いました。
「私たちの赤ちゃんじゃなくて良かったね。」って。
可哀想にと言いたかったけど余計泣いちゃうから...

すると家内が言いました。
「ごめんなさい、あなたのお母さんが手術をしてたのに...」


『従業員のこと』

8月17日
前日記、「前書き」で(お米をくれると言ってた)一人の女従業員が突然お米とおかずを抱えて来てくれました。
そして料理をしてくれてる最中に、もう一人のダバオの男の従業員からメッセージが入って、アフリカに仕事に行くように決定して、そのセミナーの為にマニラに来ているから、タフト駅まで500ペソ(1000円)取りにおいでと言う事でした。
タクシーは勿体無いからとジープニーでお米の従業員が取りに行ってくれました。
私のブログを見て、心配して仕事を持って来てくれてた日本人の友達が丁度居合わせていたのでその光景を見て一緒に喜んでくれました。

8月19日
私が歩いてマカティ市まで500ペソ(1000円)を借りに行った、例の女従業員が、もう一人の別の従業員を連れて遊びに来てくれました。
以前から二人で計画していたのだと、500ペソ(1000円)を手渡してくれました。
私は、「あなた達の事をブログに書いて馬鹿なことをした。反省してるよ。ごめん。それに有難う。」ちゃんと説明して謝りました。
すると、従業員も、「自分も悪いことをしたなと思っていたから今日は来ました。」って。

なんかお盆が終わり地獄の釜の蓋が閉まる時に、霊たちが私の悪い物を全部一緒に持って帰って閉じ込めてくれた様な気がします。


『ブログの訪問者のこと』

ブログに来て下さった皆さん、本当に有難うございました。
いくつかのコミュニティの友達からも沢山のメッセージを頂きました。
何より、最後はランキング・バナーを貼ってなかったのに、再度バーにある小さなバナーをクリックしてくれていたのでしょう?ここ何日も5位を保持していました。
バナーを貼ってランキングにチャレンジしてから丁度1ヶ月で175位から5位まで行けました。
これはひとえに訪問して下さった方々のお蔭だと、感謝しております。

そしてブログに直接コメントをくれた「フィリピン人さん」「日本人さん」、色々考えさせられました。
心からお礼を言います。

もし、そのコメントが無かったら、そしてもし母が亡くなっていたら...
考えたらぞっとします。
私のごまかしの性格だったら、ブログの「日記」に、「前、中、後編であり(その1、その2、その3)」と続けて、「その死」などと、母の死を茶化して気が狂っていた事でしょう。
機会があればお話しますけど、色々深く考えて反省しました。


本日8月21日、
今日は私の娘の1歳の誕生日です。
ダバオにいるタレントが娘の誕生祝いに500ペソをLBCで送ってくれたそうです。
後でとりに行って小さなケーキでも買ってあげようと思います。

アパートの大家さん、去年から家賃を払っていないんですけど、大きな缶入りミルクを二つもプレゼントしてくれました。
本当に感謝、感謝です。

そしてもう一つ、コミュのブロガー友達の「百鬼丸さん」から「紫陽花」の写真をメールで頂きました。
早速このブログに掲載して、福を沢山呼べるようにしたいと思います。
そうそう、ブログ右上の「千客万来」のカウンターは、先月の私の誕生日から取り付けたものですが、先日「百鬼丸さん」が3000にキリ番を踏んでくれました。
これも何かの縁だと思います。 良い事がもっともっと続きそうです。

私自身へのコメントを一言いいですか?

【教訓】
フィリピンで生活する上で大事なことは、「信じること」です。


色々ご心配を有難うございました。
心機一転、頑張ります。
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日記 後編 「お礼と反省」

2009年08月16日 | 日記
ありがとうございます。何とか母の手術は無事終わったようです。
それに、すみませんでした。心の中が無茶苦茶になって、ひどい状態でした。
「貧すれば鈍する。」ですね。さっきは、亡くなった親父にまで怒鳴り飛ばしていました。

今日の最初の日記のページでコメントを頂きました。
「フィリピン人を馬鹿にしてるのか?」と。

そうでは有りません、コメントを頂いたと同時刻に日記の「中編」を投稿してますが、
馬鹿にされて当たり前だったのは、自分なのです。

ただ、自分の中で葛藤していることを今日は掲載したかっただけです。
本当にごめんなさい。
コメントをくれた人の言うのは間違っていません。
実際に中編の8月9日から今まで、どんどん自分の中に変化があるので、もう少しお付き合いください。

後編を続けます。


私が間違った(いつも支離滅裂ですけど、特にいい加減な)ブログを書いたのが6月末にも一度あります。

初めて書いた日記のページです。 あっ、すみません、いまさら読み返さないで下さいね。

そのときに書いた日記は、私はもう読み返す勇気が無いほどひどく、かといって、出来るだけ削除をしたくないので、次から次へと蓋をする様に色々な記事を投稿してきました。

実は、精神がおかしくなって書いたそのブログを、日本に居る兄弟が見て、私の母親に伝えたようで、次の日に、母から泣きながら電話がありました。

「あんた、大変な事になってるみたいね? 大丈夫ね? 可哀想に...」

可哀想まで言われたんですが、本当は、成す術が見つからなかっただけで、自分が蒔いた種でした。

「なんてこと無いよ。」「もう解決したよ。」心配しなくて良いよ。」

それだけ答えて、私は笑って見せました。


それから4,5日して、日本から電話がありました。
母が倒れたようでした。

妹が、一人住まいの母のアパートに行くと母が倒れているので、「大丈夫ね?起きれるね?」と揺さぶったが起きないので救急車を呼んで病院に運んでもらったようです。

病院に着いて初めて「重度の脳梗塞」だと言われたそうですが、救急車の中で揺り動かしてはいけなかったと言われたみたいで、妹が自分の所為だと悔やんでいました。

本当は私が原因で、ブログを見てくれる人の事を余り考えていなかったのではないかと反省をしました。
それに、事業が落ち込んでここ3年間、家族や日本の母に相当な迷惑と無理な期待を持たせていました。

事業が落ち込んでから最初の出来事が、親父の入院と死でした。
未だ余裕は少しあったのですが、親父の死に目には会えませんでした。
知らせを聞いたとき、私はここフィリピンに居ましたから、やっと飛行機のチケットを取って帰り着いたときは、既に斎場の中でした。

今は正直、飛行機代どころか母親の病院代、いえ、本当に子供のミルク代を作るのも大変な状態です。

ただ、手も足も出ない自分は、母が倒れた日から毎日妹からのメールで「お母さんが喋った」「お母さんがぼけた話をしてる」「未だ言葉がうまく喋れない」「何とかリハビリを始めた」「歩けずに転んだ」等、状況を聞くだけです。

そのためにコンピュータにかじり付いて、前記の(母が倒れた原因になった)日記にフタをする様に毎日ブログを更新してきました。


そして今日、日本は終戦記念日で、お盆で、母の誕生日です。

先ほど、5時過ぎだったと思いますが、妹が泣きながら電話をしてきました。

母の誕生祝に何人か見舞いに行って家に帰り着いたとたんに、病院から連絡があり、痛い痛いと言ってたお腹を検査したら、酷い胆のう癌になっているので、緊急手術の為に病院に戻って下さいとのこと。


どうしようもない私は、妹に電話をしました。先の日記(中編)を投稿した直後です。

霊界の蓋が開けられて、ここか母のところに親父は居るのでしょう?
神様と親父に「母を迎えに来るな!!」と怒鳴りました。
誕生日が命日になるかもしれない? 冗談じゃないですよ。

妹に、何とか手術前に母と話をさせてくれるように頼みました。
「手術前の薬を投与しているから喋れないけど、携帯電話をこそっとお母さんの耳に当てるから少し待って。」

電話がありました。「おかあさん!誕生日おめでとう!!」「はい...」
「お母さん今から手術ってね?可哀想に。誕生日に手術とかねえ。」
「頑張ってよ!!」「はい...」
母の「はい...」は虚ろな声でした。


手術開始と同時に、妹から「今から手術だから祈っててね」と電話がありました。

親父の位牌の前でロウソクを灯し、神様にも祈りました。

夜9時、今しがた又電話。
「お母さんね...」   泣いてるからドキッ!!ッとしました。
「手術、成功したって...」

「よかった~~...」

皆さんにも、本当にありがとうございました。



☆  ☆  ☆

  


話をコメントをくれた方の意見に戻します。

本当にごめんなさい。

500ペソを貸してくれた従業員の事は、もう大丈夫ですか?
ちゃんと思いを改めて有り難く思ったことを、前記に残しています。
本当に助かりました。

他の従業員の事は、皆仕方が無いのだと思います。
ただ、フィリピン人全体を私は馬鹿にしません。
フィリピン人から私は助けてもらっています。

一番身近な私の、私の従業員は、また特別です。
だって、私の従業員と私とは特別な関係で、一般の従業員がこうだ、と言うのは分かりません。

7年も8年も一緒に仕事をした人たちです。
言いたい事を言い合えたり、甘えたり誤魔化したり助けられたり...
3年前に辞表を書いてもらい、仕事を探してくださいと伝えたけど、
それでも私と一緒に居るのだったら一緒にどん底まで行こうと、去年末まで寝食を共にしてました。

家財道具で良いんですか? 家裁道具ってさっき書いてました。
今は、古いテレビと、鏡台、ベッド、パイン材の家具、事務ソファー、洗濯機、乾燥機、事務机用の引き出し7つ、コンピュータ3台、後は小物類です。

去年末まで従業員と一緒のときは、結構売れたんです。
クーラー12台に、事務机10台、2段ベッド12台テレビ5台など、5階建てのビルにタレントも沢山住んで居ましたから。

ただ、ビルを出て、2度の引越しの間に、いくつかコンピュータやコンポーネントの中身が綺麗になくなっていたのには驚きました。

今年に入って3人くらいが「ボス、これは自分が買い手を捜して売ってあげる。」と、5万ペソ分くらいの品物が売れるまで、もう半年くらい待っています。

これは、フィリピン人を馬鹿にしているのじゃなくて、大事にしてきた兄弟や子供たちだと思い、甘えだとも思い笑っています。

ただ心が痛いけど、悪いのは自分です。

これは殆どのフィリピンの人を指して言いますが、私は大体フィリピンの人は、「自分を写す鏡」の様だと思っています。
従業員など長く一緒に居ると尚更、自分の付き合い方次第で相手は変わります。そう私は思います。


ブログを振り返って反省しました。面白おかしくしようと、かなり茶化していますね。

このブログはまるで、日本人を馬鹿にしたようなブログになっていました。

笑えるとか、楽しいブログにしようとの思いと裏腹に、読者を茶化していました。
ここ一ヶ月、泣きながらがむしゃらにブログを書いて誤魔化していたんです。

反省しています。ごめんなさい。
もっと、フィリピンと日本の仲を持てる様なブログ作りを勉強します。


コメントをくれた方、よかったらまた意見を下さい。


ありがとうございました。


※ランキングの応援に来て下さった方へ
 反省をする事があって、今日はここにバナーを貼っていません。
 ご訪問、ありがとうございます。
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日記 中編 「魔法の酒樽」

2009年08月15日 | 日記
何とか以前の女従業員が都合してくれた500ペソ(1000円)で、何日か生活をすることが出来ました。

8月9日(日曜日)
中年の私にとって、この2時間の遠出は1週間経った今でも足腰が言う事を聞かないほど痛く硬くなっていました。

うちのかみさんと話した事です。
「本当に貧乏してる今は、500ペソのお金を都合するの大変ね。」って。
「お金の有難味も良くわかるね。」って。

で、じっくり考えて、私は口にしました。
「本当に500ペソは有り難かったけど、前社長の俺が従業員から「お金あるよ、歩いておいで。」って呼び出されて、500ペソは無いでしょう?」

つい、体の痛みに滅入っているので言ってしまいました。

「2時間以上も病人が歩いて行ったんだったら、せめて1000ペソは欲しかったね。」


私もフィリピン人感覚になったんですかね。きれいな受け取り様じゃなかったから、なんとなく心の中で鬼が騒いでいます。

多分またミルクがなくなってる不安からか、その従業員にギリギリまで良い給料を払っていたからか、社長面してまだ威張った考えがあるのか、何か解らないけど、いろいろ心まで痛かったなあ...

そして暫らくすると、これまた私の癖で、
「何だ? 俺はなんて馬鹿なことを考えてるんだ?」
と、自己嫌悪に陥る。

彼女に近いようなその従業員は、本当に私のことを心配してくれていて、それでもマニラまで持って来てくれる余裕が無かったからわざわざ私に歩かせたのでしょう。
もし彼女が持って来ても、彼女の往復のタクシー代で、また半分になってしまうからね...

そう考えると、ほかの「返事の無いメール」の従業員にまたメールを打っていました。

「みんな。有難うね。一人の従業員が助けてくれたよ。何とか何日か過ごせた。みんな未だ仕事無いの? お金に困っている事でしょう。もう少し待っていなさいね。ごめんね」



私は、タレントや従業員に良くある話をしたことがあります。

「先生の転勤に徳利一杯のお酒をプレゼント」という、勝手に題名をつけたのですが子供のころ聞かされていたお話です。

お話は、学校で急に先生が遠い他の学校に転勤になる前の日に、教え子の生徒たちが、お世話になった先生に何か餞別を渡そうと言う事になって、先生はお酒が好きだから、『どうだろう?ひとつ皆で徳利(とっくり)一杯ずつお酒を持ち寄ろうじゃないか。』

という事で、皆は家に帰り、グラスや徳利に一杯だけのお酒を持ち寄り、学校の(運動場?)に備えてある大きな樽の中にそれぞれ移し入れることを約束する。

さてここで貧しい生徒たちは各々考える。

『皆が持ち寄れば、樽の中にはお酒が満たされる。自分一人だけが真水を混ぜても分からないだろう?』

先生が転勤する朝になって、餞別代りに渡された酒ダルを開けてみると、

なんと、樽の中には並々とお水が入っていた。


【教訓】
1.お酒は一夜にして水に変えることが出来る。 本とか、おい。


「ごめんねメール」を全従業員にすると、何と無くほっとしました。

私が自分で思うことは、私が自分を犠牲にしてでもお金を使ったのは、警察やボランティア関係でも友達でもありません。
大事な従業員です。

その従業員たちが、クーラーやコンピュータや他の家財道具まで持って行って、もう、立ち上がれないほど潰れてしまった社長に、誰がほんの少しでも助けようと思いますか?

期待する方が可笑しいかも知れません。
おそらく、皆未だ苦しいのでしょう。

だけど私は、全くと言って良いほど、後悔はしていません。気にもしません。
そんなものだと知っていますから。
陽気なフィリピンの国、余裕が持てないのも事実です。



【教訓】
2.フィリピン人は、10回助けても、11回目に助けることが出来なかったら、その人は悪い人。と言う。


そうは思いたくないけど、自分がそう思われない様にしなくてはいけないと思います。

だから、誰や彼やに色々話したくないし、また、「貧乏して友達が失くなっただろう?」とかも言われたくありません。

全部自分が悪いのであって、人を巻き込まないように頑張らないと...


すみません、今、日本から連絡があって、今から母に緊急手術をする事になったようなので、いったん筆をおきます。
事情は後ほど説明しますが、これを見られた皆さん、日本は終戦記念日やお盆というのに申し訳ありませんが、今日は、母の誕生日でもあります。
胆嚢の緊急手術をするようです。 先月、重度の脳梗塞で倒れて入院中の別の手術です。

一緒に祈って頂けませんか?

ありがとうございます。


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日記 前書き  「忘れ手紙」

2009年08月15日 | 日記
先日の「置き手紙」とは逆に今日はなんか「忘れられた手紙」と言った日記を書きます。
いつも来てくださる方に申し訳有りませんが、今日は日本はお盆ということで、地獄の釜の蓋も開いております。
もう既に火は消えているのですが沸騰し過ぎた蒸気を出して冷ますように、私の心の蓋も少しだけ開けさせて下さい。

7月31日の事です。
こんな携帯メールを以前の従業員15人に打ってみました。

「おはよう。このメールは従業員全員に同じように出しているけど、私は今、本当に大変な状態です。子供のおしめもミルクも有りません。米も全然無く、夕べから何も食べていません。
家財道具はまだ有るけど、日本人の私は誰に売ったら良いか分からず、成す術がありません。よかったら500ペソ(1000円)くらい貸してくれませんか?」

こう言うことは、それぞれが連絡しあって「ボスからメッセが有ったか?みんなはどうするか?」などと横同士の繋がりで話し合うのが普通なので、私からわざと「全員に一斉メールである」ことを伝えた。

しかしそこはフィリピン、従業員同士で噂をし合うことは必至ですよね。

一応信頼できる者からメールがありました。「今メールしたのはあなた?」。「うん、俺。」
それっきり連絡が途絶えてしまいました。

ひとりはダバオに帰っている以前の運転手。
「ボス、月曜日におばさんから500ペソ借りて送ってあげるからね。」

女の従業員が一人、「お金が無いから3キロのお米を持って行きますね。」

それっきりです。


8月1日(日曜日)朝9時、
別の事業で雇っていた女の従業員からメッセージがありました。

従業員:「11時までにマカティまで来れる?」
私:「行けない事は無いけど、交通費が無いよ。」
従業員:「歩いておいで。1時間だけでしょう。」
私:「いや凄い雨が降ってるから、2時間は掛かるよ。」
従業員:「マカテイの税務署で待ってる。会議の合間だから。」
私:「え~っ? 本当に2時間掛かるよ~...」
従業員:「喉が乾くから水を持っておいで。帰りはミルク代があるから。」
私:「分かった。今から行く...」

ミルク代と帰りのタクシー代を借りれるなら気を引き締めて歩いてみようと思った。
外は雨が降っている。子供は泣いてるし、仕方ないな...
読者の方なら分かると思うけど、7月の半ばから家に閉じ篭ってブログを毎日のように更新する日々が続いていたので、急に外に出て、さあ歩けと言われても、糖尿病の今の私にとっては死ねと言われるようなものです。(笑)
おそらく外は洪水だろうし、雨もまだ降っているからと、サンダル履きで傘とペットボトルに水を入れて出発した。

最初の一時間は傘も御猪口(おちょこ)になるくらい凄い嵐の中を、マニラからマカティに向かった。
追い風のときは少しは楽でしたけど、向かい風の厳しいこと...
道を尋ねながら一時間掛かってやっとメラルコ電気会社に着き、そこからまだ目的地の税務署は遠いと聞く。
そこを真っすぐと言っていたけど、道が二つに分かれていて、間違えて左に入ったものでとんだ遠回り。

もう足がつり始め、一歩一歩を踏み出すのが大変になった。
なんか体が妙だなと感じ始めた。糖が切れてしまった。
「しまった! キャンディか砂糖を持って来るべきだった!」
気が付くのが遅いよ。既に倒れる寸前だから。

考えたのは、「今ここで倒れたら、呼び出した従業員は困るだろうなあ。」
「自分が呼び出した所為で、社長が病院に担がれて行った。」
なんて、後悔するだろうなあ...

なんと、道を間違えてサルセドに出て来てしまった。通りがかりの人に税務署はどこかと尋ねると、ブエンディア通りをロハス大通りの方にかなり行った所だと言う。

携帯メールで道を間違えたことを伝えると、RCBC銀行に来てくれと返事。
ブエンディアを渡って、何とか銀行に着いた。 メールをすると「少し待ってて。」と返事。

何とか座り込んだところでまたメールが入った。
「そこから渡ったところにマカティ・メディカル病院があって、その病院の前の薬屋の裏にトロピカル・ハットのピザ店があるからそこに来て。」

病院の前にある薬屋は2件在ることを知らない私は、最初の一軒がビルなので、いろんなファストフードの店がありピザ店を探して2周も回った。
もう一軒マーキュリー・ドラッグの薬屋があるのに気付くまでどれだけの時間を費やしたことか...

目的のピザ屋は、2軒目の薬屋の裏で、パソンタモ通りに面している。
自宅を出てから2時間以上経っていた。
拭った汗でハンカチはビッショリ濡れ、足は固まり、多分悲壮な顔をしてふらふら入っていったと思います。

従業員:「社長、これは私の恋人です。お腹空いたでしょう?食べなさい。」
なんだ?恋人が一緒?恥ずかしいな... テーブルにはスパゲッティが...

従業員:「はい、これキャンディ。」
私:「有難う。糖分が無くなって倒れそうだったよ。」

お土産だ、と二皿のスパゲッティがピザの袋に入れられていた。

従業員:「あなたのメッセージ、フィリップさんにも転送したよ。」
私:「はあ~っ??」 「何で~??」

従業員:「あなたが困ってるの、あなたの友達知らないでしょう?」
従業員:「だから、社長が困ってます。社長を助けてって。」

私:「どうしてそんな事をするのお!。友達はほとんど知らないよ。言いたくもない人や仕事関係の人なんかに言えないでしょう!?」
私;「冗談じゃ無いよ。そんな事するなよ。」

従業員:「だって社長、あなたは前、人のこと助けたでしょう? 今あなたが困ってるんだから、みんなに(助けてと)言って良いんじゃない?」

私:「フィリップさんなんか助けられてばかりで、助けてあげてないよ。 仮に昔助けた人でも、今度はこっちが困ってるから借りを返せとか俺は言わないよ!」

従業員は、これだけ流暢に日本語を話すのに、全然日本人の筋やプライド、解ってないよ。
なんと言う事をしてくれたんだこの昔の従業員は。
友達が困っているのを聞いて、助けてあげられないとなると、心が痛いでしょ?

従業員:「これね、ミルク代。」    私:「ああ... ありがとう。」

テーブルの下から渡されたのは、500ペソ(約1000円)でした。

私:「ありがとう。助かるよ本当に。ごめんね。」

惨めな思いをしながら、それでもホッとして受け取った...


【教訓】

1.従業員の携帯は、「お金貸して」とメールをすると、壊れやすい。 ...?

2.突然の長歩きに備えて、普段から運動をする事。 なんだそれ?

3.糖尿病患者は、遠出をする時は、飴玉を持参する事。 おいおい...

4.メールには、「これは転送禁止」と入れておくべし。 そうかな?

5.フィリピンの従業員を試すな。いらぬ恥をかく。 なるほど...

6.1000円を得る為に、タクシー代位は残しておけ。 ハハ... いえてる。




この日記「忘れ手紙」、後日編があります。


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置き手紙

2009年08月13日 | コーヒータイム
この「フィリピンの顔」のブログは、私が変人なだけに自分でも少し変わったブログだと思っています。
大体フィリピン関係のブログは、好きな女の子や奥さんの紹介から、夜遊びが出来るナイトパブ関係、そしてフィリピン初心者に発信する危険情報や、心からフィリピンが好きだと言う人の観光地や生活情報を発信する人たち、と言う風な感じで、どの方のブログも本当に楽しめます。

私のブログはノンジャンル的で、フィリピンで起きた事件には出来るだけ触れない様に勤めてはいますが、臭い物に蓋をするつもりは有りません。

自分やその周りを記事にしている人のブログは、私のブログより多いと思います。
子供のことや犬や猫のことなど、私と同じように自分とその周りのことを紹介しています。

ところが皆さんのブログは、自分が当事者になった様な感覚になり、面白くてツイツイのめり込んでしまいます。

私は、ブログで私がご紹介している人たちと写真を撮ることが好きです。
時には政界の人有名著名人、時には、子供たちや貧困の中で頑張っている人たちも、何か凄いエネルギーを持っていて、一緒に写真を撮らせて頂く事でそのパワーを受ける感じがするのです。
そんな人たちや物や出来事を、「フィリピンの顔」として自慢しているのですが、自分の顔をぼかして細工しているのに、自我が随分と出てしまう鼻につく自分自身のブログに落ち込む時がよくありました。

自分がブログを書いている事を人には伝えず、ただ失くしたくない写真をインターネットに放り込んでいるだけで、フィリピン在住のブロガーの人達の仲間入りをする事など無いものと思っていました。
それ程まともなブログを更新できるとは思えなかったのです。

誰かのブログから、ランキングのバナーをクリックして初めて自分のブログがランキングに参加していることに気がついたのは、一月前のことでした。
いつの間に自分で参加登録をしていたのか忘れていましたけど、283程登録されている「フィリピン情報」のランキングに、157位となっていました。
へえ?真ん中くらいに自分のブログがあったんだ?
そう思うと、なんとなくフィリピンブロガーさん達の仲間入りが出来てるような気になり、早速バナーをブログに貼って「応援してください」とランキングにチャレンジしました。

7月16日に投稿した「ランキング用のバナーを作ってもらいました。」でバナーを貼って、まだ一月にならないのですが今日のランキングは、初めて17位に入りました。

もっと順位が上がるなどと思えないけど、凄く嬉しいです。

そしてここ一ヶ月間、ずっと思っていたのですが、私のブログに尋ねて来てくれた方がランキングバナーをプチしてくれている事に、本当に驚いています。

「先生の転勤に徳利一杯のお酒」の逆ですね。本当の題名は忘れましたけど。

この「先生の転勤に徳利一杯のお酒」のお話は今度しますけど、先生が転勤をすることが決まって、生徒が何を先生にあげようかと相談をして、夜の間に各自が徳利(とっくり)一杯ずつのお酒を持って来て樽の中に入れよう。
朝には、樽に並々とお酒が入っていて先生は喜んでくれるだろう。
ところが、先生が樽を開けてみると、そこには水が並々と入っていました。とさ...

この事は、嫌というほどフィリピンで経験しました。

なのに日本人の方たちですね、やはり。
ブログに訪れて足跡を残せば大抵の人がその足跡からお返しにその人のブログを尋ねてくれる。
それだけで、バナーをクリックしなくても、誰も分からないものをちゃんとクリックして帰ってくれる。
まるでゴルフ人のマナーみたいに、誰も見ていないのに応援してくれる。

これは、応援のプチも嬉しいけど、そういう人達が沢山居られること自体も、凄く嬉しいことです。

私は、エディタ・コミュニティやミクシィやgoo等のSNSコミュに参加していますが友達は少ないです。
晩熟な理由もありますが、沢山友達が欲しいのに自分から友達申請はあまりしません。
それは、今の現状でちゃんと友達のコミュやブログに訪れることが可能だからです。
頂いたコメントに真剣に返事が出来るようにするには、何百人も数だけの友達では回りきれませんから。

私は幾つかブログを持ってはいますけど、何とか更新しているのはこのgooだけです。

しかしgooブログは、何故か他のブログのように簡単にブログ・パーツが貼れません。許可されないパーツが多いんです。
どうにかgoo専用の“あしあと”やランキングバナーは貼れましたけど、せっかく来て下さった方のブログを尋ねたり、お返しのプチをしようにも、
エディタやミクシィ、それにヤフーや他の友達、また検索サイトから来て下さった方々にお礼のしようもありません。

そこで最近よく見かけるようになった「置き手紙」を利用させて頂く事にしました。

のんきんぐさんという人が作ったブログパーツです。

「それはつまりブログパーツ」をクリックして下さい。


おきてがみって何ができるの?

1.自分の訪問をブログのオーナーさんにワンクリックで伝えます。
2.ブログを使わずにコメント「ことづて」を300文字残せます。
3.ブログのお客様を一覧で見ることが出来ます。
4.一覧からワンクリックでブログに飛べちゃいます。お礼訪問が簡単♪
5.当然のように読者さんが増えます。仲良しになれまぁす♪

上の説明文は、cooさんという人のブログからです。
「気ままに興味本位な毎日」を見てください。
詳しい使い方も載っています。

これなら一度だけクリックして、あなたのブログ登録をして頂けると、今度は私がお返しのプチをしに遊びに行けますので、是非利用して下さい。

おきてがみ




今日も来て頂き、ありがとうございます。感謝いたします。



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救援物資は連係プレーで。 【PCG】【PCGA】【キワニス】【AOW】

2009年08月10日 | ボランティア
何度かこういう事をやりましたけど、実際に地すべりなどで被害に遭った地方の救助や援助は、普通の民間ボランティアでは、例えば台風や洪水等の災害の原因が収まるまでは二次災害の危険性もあり、なかなか近寄る事が出来ない場合が有ります。
私も、NGOの組織があり、日本で言うNPOの様なボランティア団体ですが、日本からやフィリピンの民間、また湾岸警備隊等から集められた義援物資は、早急に被災地へ届けることは不可能です。
現地踏み込みの許可が降りるのは、政府関係や軍関係の一部でしょう。

そして空から飛行機やヘリコプター等で救助や援助が出来るのが【AOW】の活躍です。
【AOW】は、Air Operation Wing の略で、空から地面や海に向けての働きが出来る機関です。

湾岸警備隊と一対のような関係ですが、湾岸警備隊からも【AOW】の隊員になることも出来ます。

私も、セミナーを受け、ある試験をパスして隊員になっていますが、【AOW】のライセンスの中には、ヘリコプターに乗って水難事故に遭った人の救助をする事と、【K-9】などの救助犬や警察犬の使用許可も含んでいます。
ただ私は、怖いので、まだヘリコプターに乗ったことが有りません。


ここに沢山の写真を掲載していますが、タイトルにしている「連係プレー」を例に挙げた典型的な救済のやり方です。

この「連係プレー」でお互いの団体の持ち味を発揮することが出来る企画を、「ジョイント・プロジェクト」と言います。


ここで写真の説明に戻しますが、この場合は、危険地域への援助での「ジョイント・プロジェクト」です。

まず、企画をしたのは、湾岸警備隊【PCG】【PCGA】で、集められた救援物資は、衣類、毛布、ラーメン、米、チョコレート等の菓子類等です。

それらを一人分ずつ小分けして袋詰めは、【キワニス・クラブ・インターナショナル】の学生部、【KEY・クラブ】です。

次に【PCGA】湾岸警備隊が、パラニャーケに在る【AOW】のオフィスに持ち込みます。

そこでは、また別のフィリピン全土から少しずつ救援物資が集まってきます。
【PCGA】【AOW】でこの日は、2台のトラックに積み直しました。

ここからは【AOW】の「翼」にお任せ。 ヘリコプター等の手段で被災地へ届けられます。

現地の状況に応じて順次ボランティア団体も【PCGA】も現地入りして【AOW】と合流し、救援活動を実施します。


いかがですか? 日本からもかなりの救援物資が届きます。
それが団体や企業からも、一個人の少しの古着でも、それぞれの力を合わせて困った人を助けることが出来ます。

ボランティアにもいろいろ有ります。必ずしもお金は要りません。

私を見て下さい。30番目の写真で荷物運びをやっているでしょう?
軽いものなら任せてください。

しかしこの42枚の写真を加工してブログに載せるのは、ホ~ント大変な作業でした。
一枚一枚、写真をクリックすると拡大できるようにしました。
え? そんな必要ないって? …でもこの「プロジェクト」に参加した人たちが、写真をダウンロードするんじゃないかな、と思いまして…

あっ。お帰りの際には下のバナーから、私に援助のポチをお願いします。


























いつも訪問、ありがとうございます。


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本日は、長崎原爆記念日

2009年08月09日 | Weblog
今日8月9日は、64年前に受けた長崎原爆の被災者の方々や亡くなられた方々のために哀悼の意を捧げます。


広島、長崎、と、日本は唯一の原爆被爆国です。
すべての兵器を廃絶する事を、世界中に伝えなければなりません。

せめて今日は、フィリピンから長崎平和公園に向けて一緒にお祈りを致します。


何十年も草木が生えないと言われた長崎の地は、市県民の皆さんの努力によって綺麗な町に変わっています。
写真の花は、10年ほど前の長崎グラバー邸で写したものです。
平和記念公園の写真が見当たらないので、この花を載せました。

  
拙い写真ですが、写真をクリックすれば拡大できます。


いつもご訪問、ランキングの応援をありがとうございます。
今日は、このページにバナーを張っていません。


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【PCGA】 ダニロ・カバルデ提督 ( Commodore Danilo Cabalde )

2009年08月08日 | 湾岸警備隊

湾岸警備隊補助部隊

Philippine Coast Guard Auxiliary



ダニロ・カバルデ 提督
【PCGA】 Commodore Danilo Cabalde
コモドー・カバルデと呼びます


湾岸警備隊補助部隊の最高責任者です。




Philippine Coast Guard Auxiliary


【Auxiliary】補助、補佐部隊で給料が無いボランティア部隊です。


National Capital Region-Central Luzon 【NCR-CL】


【NCR-CL】は、フィリピン半北部のセンターです。


このセンターは、コモドー・カバルデを最高責任者として、各スクアドロン(小部隊)から任命された者で補佐します。



以下は、会議と食事の様子です。













【NCR-CL】センターのメンバーです。各部隊は別々です。


写真をクリックすると拡大します。




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4人の新ヒーロー Instant Celebrity

2009年08月07日 | フィリピンの英雄
昨日8月5日に行われた、元フィリピン大統領 コーリー・アキノ(Mrs. Corazon Aquino)の葬儀の行進の様子をご覧になりましたか?
マニラ市イントラムロスの“マニラ大聖堂”で告別式が行われ、パサイ市パラニャーケの“マニラ・メモリアル・パーク”という埋葬地まで、アキノ元大統領の棺をトラックに乗せて行進をしました。

普通であれば、1時間掛からない距離ですが、群衆の見送る中を、嵐や強風に遭いながら時速20㌔のノロノロ運転で遠回りまでして、8時間掛かっての行進です。

その様子を、マニラ大聖堂を出発する時点からテレビでずっと見ていました。

私の住んでいる所はマニラです。
ちょうど大聖堂と埋葬墓地の中間位ですが、ひどい雨が大泣きに降っていました。

気になっていたのは、棺を保護する様にじっとトラックの上で立っている4人の青年です。

私は、結構警察学校や湾岸警備隊等で青年達が何時間も微動だにせず直立しているのを見慣れていますが、大聖堂の前で棺と一緒に乗った4人が、トラックの上で何も掴まずに直立不動した瞬間、「ああ、これは2,3時間掛かるだろうけど、何とかトラックがひどい揺れを起こさない様に、足を滑らさない様に接着剤か何か付けてあげたら、いや、目に見えないつっかい棒で支えてあげたら、何とか、何とか... 交代をせずに完走させてあげたい...」
祈りましたよ。私。
若い頃の私は、2時間くらいは平気でしたけど。バケツまで抱えてしょっちゅう教室の外に立たされたものです。

それが、彼らはなんと8時間でした。

4人の青年に感心しました。いえ、失礼ですね。
感動しました。
一生忘れられない感動を、テレビの中の光景に覚えました。


動画は長くはありませんが、ほんの10秒ほどでも見て頂けませんか?




この4人の青年達はやはり、一躍有名になりました。

【PNPA】警察学校や【PMA】軍隊学校の出身のようですが、
詳しくは沢山の記事や動画が出ていますので調べて頂けませんか?

私は英語が分からないので、調べると何日か掛かってしまいます。

この感動を早く記事にしたかっただけです。

青年達の話では、「トラックから降りたくても、足がトラックにくっ付いてた。」
そりゃァそうでしょう。動いているトラックに1時間も立っていれば、足は固まってしまうでしょう。
それが8時間ですよ。

奇跡が起きてもおかしくないでしょう。

群衆の見守る中で、偉業を成した大統領をお守りする。
と言う、普通じゃ一生に一度も有り得ない大役ですから。
4人の成したことも偉業ですよ。

そして、棺と4人を護り通した運転手の方にも

私は敬意を表します。


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【PCG】 ウィルフレド・タマヨ提督 ( Admiral Wilfredo D. Tamayo )

2009年08月06日 | 湾岸警備隊

湾岸警備隊
Philippine Coast Guard



ウィルフレド・タマヨ 提督
【PCG】 Admiral Wilfredo D. Tamayo
アドミラル・タマヨと呼びます


湾岸警備隊の最高責任者です。





うちの子供の【ニノン】であり、2人の友人の子の【ニノン】を、私とタマヨ提督でやりましたから、私にとって3回目の【コンパレ】同士です。

※【ニノン】【コンパレ】の意味はここをクリックしてください。







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〇 広島原爆投下の日、フィリピンからお祈りします。


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【PCG】 ダミアン・カルロス提督 ( Admiral Damian L. Carlos )

2009年08月06日 | 湾岸警備隊

湾岸警備隊
Philippine Coast Guard


ダミアン・カルロス 提督

【PCG】 Admiral Damian L. Carlos



アドミラル・カルロス と呼びます。
去年、アドミラル・タマヨ と交代するまで、
湾岸警備隊の最高責任者でありました。



この写真は、カルロス提督が湾岸警備隊の最高責任者になる戴冠式のときに撮った写真です。




ちょっと、私事ですが...
カルロス提督は、私の事を怒ってる様なんです。


一昨年でしたか、今はもう有りませんが、私のクラブをよく提督が利用して下さっていました。


湾岸警備隊もよく来てくれてたので、提督もお供を連れて来ては、うまい歌を披露してくれました。


カルロス提督は気さくな人で、他のお客に迷惑が掛かるから、決して「カルロス提督」と呼ばせないようにしていました。
敬礼なんて、以っての外です。
それで私たちは、「クウヤ・カロイ」(カロイ兄さん)と呼んでいました。


ある夜、腹痛で自宅にいた私に、店のママから電話がありました。
今夜は提督が誕生パーティーを開くから出て来る様に。と。


私は、ママから提督に「具合が悪くて行けないので宜しく」伝えてもらうように指図しました。


次の日の開店前に店に入ると、ママが言いました。


「昨日の提督の誕生日に来ればよかったのに。運輸通信省のセクレタリー・メンドーサさんや、ジェネラル何とかさんたちも来て居たのに...」


それを聞いて、私はママを少し怒りました。
「そんな偉い人が来てたのに、どうして言わなかった?」


ママは、「だってボス、病気で来れないって言ったじゃない。」
「そんな問題じゃないだろう!?」
説明を聞かないママに、私は怒って帰りました。


なんと、いらぬ事を。 そのまま提督に言いつけてしまった。


後で聞いた事は、「提督の自分が誕生日に招待しても来なかったのに、セクレタリーたちが来てたら顔を出すのか?」


と、言われたそうです。


そう言う意味でママを怒ったんじゃないんだけど...


提督は確かに湾岸警備隊の最高責任者ですけど、セクレタリー・メンドーサさんは、運輸通信省の長で、提督の大事なお友達でしょう?


その人がうちの店に来られて、しかも提督のお誕生日。


これは、提督のためにも、何か果物の盛り合わせくらいプレゼントしてセクレタリーに喜んでもらえれば、提督の顔も立つでしょう?


そんな、陰の「おもてなし」もわからずに、ママは大事なお客さんに自分の雇い主の事を言いつけるの?


後でタレントが提督に何とか取り繕ってくれたようですが...



それから1ヶ月ほどして、私は店を閉めました。


 


 


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〇元フィリピン大統領 コーリー・アキノ の葬儀が終わりました。
〇今日は、広島の原爆投下で亡くなられた方々のご冥福を祈ります。
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