フィリピンの顔

フィリピンの日常や、旅行記、人、観光地、ビジネス、
出来事等を記録します。

イスコ・モレノ (マニラ市 副市長 )

2011年01月15日 | 政治界
[マニラ情報] ブログ村キーワード
フィリピン情報ランキング←携帯用です


マニラ市 副市長 イスコ・モレノ
FRANCISCO "ISKO MORENO" DOMAGOSO



イスコ・モレノの人生は、『成功』と『勝利』人です。

彼は、私達に貧乏と剥奪が成功への障害物ではない事を教えてくれます。



彼は、トンドの不況地域で1974年10月24日に誕生して、
最も恵まれない殆ど見捨てられた都市の一部で若い人生をスタートしました。



母親の名は、ホアキン(Joaquin) 、父親の名は、ロサリオ・ドゥマゴソ(Rosario Domagoso)と言い、唯一の子供が彼でした。
父親はマニラの北港で荷役人夫として働いていましたが、その生活はとでも貧しいものでした。

貧乏のため、彼は、おもちゃ、新しい靴、および衣服と、普通の子供が望む
喜びや贅沢は、彼にはほど遠い物でした。

彼は家族を護るために、早くから社会や経済と立ち向かいました。



彼は4年生の時から小学校を卒業するまで、古新聞、プラスチック、
カートンボックス(段ボール箱)、ペットボトルや空き缶と、再利用が
できるがらくたを集めては販売して家族の生活費を手伝いました。

多くは、皆さんご存知のマニカちゃんが居た、マニラ市トンド地区の
スモーキー・マウンテンと呼ばれるゴミ捨て山が彼の仕事場でした。
この時期の彼の収入は1日80円程度です。

私のパートナーのデラ・クルスも、キワニスなどの団体から支援に行った時に、ゴミ山でよく彼を見かけたそうです。
顔立ちの良い、場違いな感じの男の子だから気に留めていたそうです。



彼は教育を受けるために、トンド高校へ通いましたが、芽を出し始めるティーンエイジャーの時期に彼は、ぺディ・キャブという、人を運ぶサイドカー付きの自転車を漕いで生活を支えました。
この頃で1日の収入が100円程度です。

高校生の時も、彼は細々と生計を立てる為に忙しかったので、思春期の子供を成長させるパーティや遠出やスポーツなどを楽しむことが出来ずに10代を過ごしました。



高校卒業と同時に推薦入学で船舶エンジニアリングとして、ドルを稼ぎ貧乏から脱する事を目指して、海上大学に入学しました。

1992年、海上協会【PMI】(Philippine Maritime Institute)で登録されると、
彼の運命が急激に変わりました。

トンドのゴミ山で、スターメーカーの「ウォウィー・ロハス」(Wowie Roxas)が
この威勢がいい若者を見つけました。   スター誕生です。

ジェルマン・モレノ(German Moreno)のバラエティショーに出演してから、

煌めく魅力的な若者は、スクリーン名『 イスコ・モレノ 』と賛辞されました。



銀幕の栄光にも関らず、イスコ・モレノは決して夢の目標を失わなかった。

1998年に、彼が育ったトンド地区の悲しい状態を緩和させるべく、
彼は政治に生きる事を望みました。

若く新しい政治家であるにもかかわらず、評議員に選ばれてたくさんの
政治評論家を驚かせました。

2001年には、彼はマニラ6区のどの評議員よりも多い票を得て再選され

3期の評議員を常に1位で当選し続けました。



彼は、貧しいものに権利が無い、真実と正義の無い基本政策に憤りを感じ、
人々に奉仕することを誓約した事を貫こうとして、政治的な成功にも拘らず
悩み、そして求め続けました。


前のマニラ副市長の、ダニー・ラクナ(Danny Lacuna)の助けを通じて、市議会と彼の公務イニシアチブによって要求された重い作業負担にも関らず、彼は、僅かな休息時間を国際労働者同盟経営学会と経済学を学びました。

そして彼は行政学の大学、フィリピン大学のNCLRGでローカルな立法と財政のコースをも学びました。

彼が一番心を痛めていたことは、特に、貧しいものたちの医学と健康のことでした。



〔BOTIKA NI ISKO〕
〔イスコの薬屋〕




副市長は、色白の、ホントよか男。しかも凄いパワーを感じます。
まるで、そのまま大統領になれそうな勢いです。




多くはイスコ・モレノの伝記から知られることができます。

1、貧乏をあなたの夢の実現への障害にしないで下さい。
   Don’t let poverty be a hindrance to the fulfillment of your dreams.

2、教育をあなたの成功へのあなたのキーにしなさい。
   Make education your key to your success.


★ ★ ★ ★ ★



去年の8月23日、キリノスタンドでバスジャックがあり、香港の観光客を人質にし殺害された事件の対策本部の責任者として、マニラ市長のアルフレド・リムさんと彼の責任を問われる問題がありました。

このブログ記事は、その少し前から準備していたのですが投稿は控えていました。

そして問題の両者とも、しこりを残したままの解決となりました。

下の動画は、その人質事件の様子です。



痛々しい事件でしたけど、この事件と、市長さんたちのスキャンダルはよく判りませんので、勝手な解釈は控えますが、リム市長は中国系の人であり、イスコ副市長は中国人グループが彼の後援をしていますから、中国人が人質にあっているのを放って置いてコーヒーショップ等でエンジョイしていたという事は有り得ません。

対策本部から少しの時間、出掛ける事もありましょうし、コーヒーを飲む事くらいはあっても可笑しくはないと思います。

まあ、今の自分はお手伝いも出来ず見守っているだけでした。

その間も、副市長は私を捜しておられたようです。


★ ★ ★ ★ ★



この事件の前に、何度か私はマニラ市役所の彼のオフィスに行きました。
人を通じてですが、副市長から指定された時間にです。

彼は凄く忙しくてまだ見えて無いと言うのを2時間待って、疲れたから帰りました。
待つのは良いのですが急かせたくもないですから。

最後に行ってお会いした時は、評議委員の人たちが集まっておられて、また時間が掛かりそうなので、「帰ります」と職員から伝えてもらうと、順番を繰り上げて評議委員達の居られる中を通されました。

挨拶と少しお話をしましたけど、彼は、「いつも待たせて悪いね。日を改めて、どこかで食事をしようよ。」と言われました。


さて、どうしたものか...
マビニ辺りでないと、市の緊急事態に駆けつけられないからと、どこか良いレストランを探しました。
その日は、「海舟」と言う日本レストランにも予約をしました。

いや、探さなければいけなかったのは、食事をする場所ではなく、食事代でした...

当日の夕方、副市長から連絡があり場所を指定されました。

「カフェ・アドリアティコ」です。 喫茶店でした。


先に着いた私と同行してくれた友達は中に入り、店員に尋ねました。
「副市長はよく来られるの?」
時々来られるようでしたから、副市長がいつも食べてる品を注文予約して待っていました。

私達が外に出て待っていると、1時間ほど遅れて彼が来ました。

弁護士と一緒に来られて、外のテーブルの私の横に座られ、

「ソーリー、ソーリー」と言われました。

私は、「バイス、ビシー カァノォ。」
    (副市長、忙しいねぇ。)

副市長は、
「おーおー、〇〇、いそがしいぇ~。 ごめんねぇ~」
(〇〇は、私のニックネームです)

「ハラ? マロノン カ パラ ニホンゴ?」
(あれ?日本語が出来るんだ?)

「すこしだけねぇ」


驚いた...  ほんとに勉強家です...



さて、お会いしてからの話は、彼が持ってるファンデーション(ボランティアの財団)と、私のファンデーション(日比交流のお友達会)と、パートナーシップを結び、日本人グループとの交流を図りたいと言う副市長の希望と、私の、もし日本人に何かあれば、副市長に気軽に相談が出来る様にして欲しい、と言う願い事が主題でした。

「それじゃあ、パートナーシップの書類作成はこの人に任せなさい。」

と紹介して頂いた弁護士がこの方です。


市役所(庁舎)の顧問弁護士です。

副市長と“アドリアティコ・カフェ”の外のテーブルでお話をしてると、一人の女性が店の中から出て来て副市長に近付き話しかけました。

タガログ(フィリピン語)ですが、

「先に帰ってるよ。」
「ああ、お前、来てたのか?」
「うん、ちょっとボランティアの人と話してた。」
「そうか。 僕は少し遅くなるからね。」

と言う内容ですが、副市長の奥さんでした。

友達が紹介してくれました。

綺麗な人ですけど、副市長の奥さんとは思えない様な
極普通の格好で何処にでも行かれる。
貧しい人達の手助けをしようとする人間は、
綺麗な格好をしていてはダメだそうです。


それが副市長と奥さんの普段の姿。

副市長は、俳優時代にはブリーフ姿のポスターがマニラ中に出た事もあります。

生きて行くには仕方が無いと云う。


2002年でしたか、カウンセラーに立候補した時に
副市長が演説をした言葉の中に素敵な文句があります。

私はゴミ拾い人間です。
ゴミを何処に捨てるかは、私が決める。
私はゴミにはならない。


そしてこの日、彼が私に言った言葉、

「おーおー、〇〇、いそがしいぇ~。 ごめんねぇ~」

彼は学ぶ事を忘れず、暇があればボランテイアをしたり、
病気の人にも気を掛ける。
ゴミ山の出身で成功したにもかかわらず、
人々の生活の安定を求め、医療の充実を図り、
将来は大統領を目指す若者。

私は、この副市長「イスコ・モレノ」が大好きです。
私の家内も彼の大ファンです。

だって、すっごい好い男ですから~


この日の夜を記念して、
アドリアティコ。カフェの前を通り掛った消防車の写真を載せて置きます。








タガログですが、議員立候補時のスピーチです。





ランキングの↓応援初めお願いします♪

にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
にほんブログ村

お時間があれば、こちらも投票お願いします♪

人気ブログランキングへ blogram投票ボタン


ブログをお持ちの方のあしあと用です。
おきてがみ

☆ どうも有り難うございました ☆


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

教育省【DepEd】に行って来ました。

2010年11月15日 | 政治界
フィリピン情報ランキング
[文部省] ブログ村キーワード

教育省【DepEd】に行って来ました。
と言っても、もう4ヶ月も前のことです。
すみません、もたもたしてると更新が追い付きませんね。



【DepEd】
「デプ・エッド」

教育省

Department of Education
「デパートメント・オフ・エデュケーション」
Meralco Ave., Pasig City Telephone Number: (032)632-1361 to 71




こちらのロゴの方が全国何処の校門前でも見かけますね。

さて、入り口はゲートの右側からです。
左が出口専用です。


ゲートから正面玄関まで500メートルはあるかと思われます。





駐車をするために、ちょっと表を回ってみました。




撮影場所は丁度正面玄関から折り返し出場する側の通路先、
正面ゲートを見た風景です。

オルティガス商業都市(Ortigas Center)の中に在りながら、
マラカニヤン大統領府の玄関より広く素晴らしい景色です。。



正面玄関から入った所です。


中のホールもすごい広さ。






用があるのは左側ですが、この正面玄関からホールに入ると突き当りに中庭への入り口があり、少し見学をしてみました。





いやいや、中庭も広くて綺麗。



中庭ですからね。裏庭じゃありません。
奥にも大きな建物があります、



戻って、イノセンテス次官の居られる会議室に行きます。




会議室入り口の受付横で本が展示されていました。
販売してるのかな? 英語、読めない...


ここも広い!
何かの説明会かな?


会場左壁に、ずら~っと並ぶ肖像画は、歴代の長官次官の面々です。
後で説明しますけど、【DepEd】は以前【DECS】の一つでした。













会場横の通路を通って、イノセンテスさんのお部屋に行きます。







教育省次官 UnderSecretary
Antonio A. Inocentes
アントニオ・イノセンテスさんです。

実はこの日、教育省に行った理由は、このイノセンテス次官に
お願いしたい事が有って足を運びました。
近い内にまた次官にご登場して頂きます。

左端の人も、その時にご紹介しますね。

さあ、私の依頼ごとはご承知頂きましたので、
帰宅の途に就きます。





出口ゲートから後を振り返って。






TARA NA! BALIK ESKWELA NA!
さあ! 学校へ戻ろう!





この出口付近にスポーツ庁や技術庁の入り口があります。







★【DepEd】は以前【DECS】の一つでした。
【DECS】〔the Philippine Department of. Education, Culture and Sports〕
これは、教育・文化・スポーツの三つの省が、
ここ何年か前に、それぞれ別の省に分かれました。

・【DepEd】は、「デプ・エッド」や「デプ・エド」と読みます。
「デペッド」とは呼ばないようです。

本日もお立ち寄り、有り難うございました。


↓ランキングに参加しています♪

にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
にほんブログ村

お時間があれば、こちらも投票お願いします♪

人気ブログランキングへ blogram投票ボタン

ブログをお持ちの方のあしあと用です。
おきてがみ



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

友達が死んじゃった... Atty. Teodoro Macapagal

2010年09月11日 | 政治界



Atty. Teodoro Macapagal

テオドロ・マカパガル 弁護士

“テッド”や“テディ”と言うニックネームで呼ばれていました。
※【Atty.】とは、【Attorney】の略で、弁護士のことです。



暫らく連絡を取っていなかった友人から、
「9月1日にテッド弁護士が亡くなった。」と
知らせが届いたのが5日の日曜日でした。
そして私が告別式に参列したのはこの日、
7日のことです。



告別式は、オロンガポ市役所で行われました。
「Olongapo City Hall」です。

マニラから北へ車で3時間くらいの所です。

中央の白いバロン・タガログを着ている人が、
テッド弁護士の息子さんです。



 





よく見ると、ノイノイ・アキノ大統領からの花が飾られてます。


↑↓この上下2枚の写真は、9月5日のお通夜に来られた大統領を録画されてたもので、祭壇横の大きなプロジェクターの画面をカメラで撮ったものです。

大統領の横で笑っているのはテッド弁護士の息子さんです。


この日9月5日の大統領のスピーチは、
大統領府のサイト に掲載されています。


私は先に下りて棺が霊柩車に乗せられるのを待つ事にしました。

・この間に、テディさんの事を少しお話したいと思います。
 どうか私の自慢話を聞いて下さい。

テッド弁護士は私の【NGO】の顧問弁護士の一人です。
そして、【コンパレ】でもあり、娘の【ニノン】でもあります。
そして私が言う「最も信頼できる弁護士」の一人でした。

6年前に私はミンダナオのダバオ市でフィリピン人と
喧嘩をしてました。仕事上の製品を泥棒されたのです。
テッド弁護士は一度だけ私とダバオに行き、訴訟をし、
それだけで私は裁判も起こさずに勝ってしまいました。
裁判所から直接相手に逮捕状が出た様な感じでした。
それ程彼は各地に強いコネクションが有ったようです。

テッド弁護士は、お金にはまったく欲の無い人でした。
お金の無い人たちにも快く弁護を引き受けていまして、
弁護料の代わりに米や野菜を受け取る事もありました。

彼の苗字は、マカパガルでして、前大統領の親戚です。
それが何故、現アキノ大統領が彼の弔慰に駆けつけた?
フィリピンの、面白くも不思議な疑問がそこにあります。
現ノイノイ・アキノ大統領の亡き母君の元大統領から、
1986年にテッド氏はオロンガポ市長に任命されました。
以来、息子のノイノイ大統領からも慕われていました。

6月の末、テッド弁護士からケソン市に呼ばれました。
彼は「息子がスービック自由貿易地域の管理者になる。
君がエージェントとして日本人投資家の窓口になれ。」
「7月に大統領からの任命式があるから同席をしろ。」
無精髭を生やしてニコニコ笑いながら私に言いました。

7月1日に、まずノイノイ大統領の就任式があります。
大統領が落ち着かれた後の、7月中旬位かな?下旬かな?
首を長くして楽しみにしていた矢先にこの凶報でした。

レンタカーや運転手を探して、もちろん旅費も工面して
マニラから3時間かけてオロンガポの市役所に到着して
息子さんに会うまで、とても哀しい思いをしていました。

そうです、市役所の前で初めて息子さんに会えました。
流石にスービックの管理を任される、立派な人でした。
市役所で何百人と言う人々に見送られ、大統領も来られ、
鼓笛隊に警備隊に護衛の警察総動員。ボーイスカウトも。
立派な祭壇に立派な教会、そして立派な白い霊柩車まで。

生前、どんなに親しまれた市長さんだったか窺えました。
私が死んでもこんな見送られ方は有り得ないと思います。

そう思うと、蛮からでダンディなテッドさんの旅立ちを、
喜んで見送ってあげようと決めました。


市役所の前で待ってる人たちに息子さんが挨拶を。
息子さんとは、日を改めての再会を約束しました。


棺【Kabaong】が2階から抱えて来られました。






最後にフィリピン国旗【Bandila】が掛けられます。


ドアーを閉める前に、私は棺に手を当てて祈りました。


市役所の人たちがテラスから見送る中を、
先導車に導かれて教会へ向かいます。





 
沢山の車や人々が同行します。


ブラスバンドも弔いに参列。

 

教会(メモリアル・チャーチ)に着きました。

手前にいるのは私の【NGO】のパートナー
デラクルス氏です。
テッド弁護士と同時に故アキノ元大統領から任命されて
サン・フアン市の市長を勤めました。



 





まだ同行者の車が殆んど駐車出来ておらず、満席で教会にも
入れない人々が外で見守っています。

盛大な告別式、嬉しかったです...

■ ■ ■

夜8時ごろ自宅に戻って、
ブログに残された置き手紙を見ると、
ブロ友の「ワカメパパ」のお父さんが
亡くなられていました。

なぜか涙がこぼれます...

■ ■ ■




ランキングに参加しています。
↓今日も応援よろしくお願いします。

にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
にほんブログ村

お時間があれば、こちらも投票お願いします♪

blogram投票ボタン 人気ブログランキングへ

ブログをお持ちの方のあしあと用です。
おきてがみ



《リンク》テッド弁護士の記事

Inquirer.net

subictimes.com
Former Olongapo mayor passes away
Written by subictimes on Sep 01, 2010

さようなら...

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フィリピン政府組織 アキノさんへお答えします。

2010年06月24日 | 政治界
遅くなりました。
アキノさんからコメントを頂いてまして、尋ねられていた事にお答えします。

「選挙結果 フィリピン上院議員」 の記事のコメントです。

上院と下院の違い (アキノ)
2010-05-21 05:58:42

『こんにちは。
フィリピンも二院制で、上院と下院があるみたいですが、具体的にどうちがうのでしょうか?
上院のやること、下院のやること・・・
例えば予算の割り当ては下院だけができるとか・・・・ 』

ほらね、アキノさん?
アキノさんと言うハンドルネームを使われるから皆さんびっくりしてる。
私もコメント欄に(アキノ)なんて名前があったから、
ドキッ!! っとしましたよ。

本名ならきっと秋野さんかな?
「静かなるドン」の秋野さん大好き!♪

で、予算委員会とか何とか言う給料を振り分けてる人に聞いたのじゃなく、給料を受け取ってる政治家の人に聞いたわけですから、100%の正確さじゃありません(嘘じゃぁ無いでしょうけど、多少は色付けがあると思います。)が、ここにお答えします。



【組織順位】

大統領(President)................プレジデント
副大統領(Vice President)..バイス・プレジデント
上院議員(Senator)...............セナトー
下院議員(Congressman).....コングレスマン
知事(Governor).....................ガバノー
市長(Mayor)...........................メイヨー


【事業費割り当て】

上院議員(Senator).............約4億円(P200M)
下院議員(Congressman)...約1億6千万円(P80M)
知事(Governor)...................事業に依ってマチマチ
市長(Mayor).........................事業や市の規模による


【給 料】

大統領(President)..............12~14万円 (月)
副大統領(Vice President)...
上院議員(Senator).............14~16万円
下院議員(Congressman)....約8~10万円
知事(Governor)....................約6万円~8万円
市長(Mayor)...........................約4万円~6万円

●首都圏マニラには知事(ガバノー)はいません。
●マニラ全域には【MMDA】が権力を持っています。

*【Governor】=(ガバノー)=(ゴバノー)=(ゴベルノ)同じ
*【MMDA】=(Metro Manila Development Authority)「マニラ首都圏開発局」


・フィリピンの行政は、
政府、州、市、町、区(バランガイ)から構成されていて、
それぞれに事業費の割り当てがあります。

また、確かに日本と比べると、給料そのものは驚くほど少ないのですが、それぞれが受け持つ事業費でそれぞれのプロジェクトを企画出来るので、余禄が入ってくる事が多いです。
例えば、バランガイでも町でも市でも、「道路拡張や公園を作る」等の計画をすると、本人の本職が建設会社であったり、身内や息の掛かった企業の土木会社や販売店であったりで、それを利用するのです。

これは別に賄賂と言うわけでも、横領と言うのでもなく、公に知られている本職を利用すると言うだけのことです。
先のセナトー、マネー・ビリヤー上院議員は不動産業でお金持ちです。
上院議員等の地位があれば多くの事業費は自分が利用できる役得がありますね。

日本から(ODA)などの援助金が入っても、10%はリサーチ費や何やかやでうやむやになり、残りのお金は1年ほど銀行で寝かせて自分の懐に利息が入り、さて、地方に事業費を回しても、日本のゼネコンを利用する事などの制約はあるが、下請け会社はフィリピンの企業を使うと言う取り決めが有る事から、自分の手の内の企業を下請けに使う便宜を図ったりと言うことも出来る。

暴露するつもりもないし、言い方も悪いのですが、余禄ですね。

そんな事は、MMDAでも警察関係にもあります。

大体、夜間クーラーをひと部屋つけてるだけで、月に1万や2万円の電気代が掛かる今日この頃の物価高に、教員や警察の基本給が2万円くらいですから、どうやって生活しろと言うんですか? なあんてね。
それぞれの特権が有るんでしょう。
影で可哀相な人が出ることになります。

ノイノイ・アキノ大統領は、家庭が裕福だから良いけど、
アロヨ大統領がこんな少ない給料で、豪華な生活が出来たのも、
国の物を使う特権があり、勿論余禄も有ったからでしょう。

いつもの通り、話がずれたついでに言いますが、
国営の物を利用する陰には、税金を払っている国民が泣いています。
それに、何故国費で行き届いた設備が出来ないのでしょう。

貧困者が増えたり、不法占拠、不法露天商が増えたり、消防車のホースが無かったり、ヘルメットが無かったり、電気や水道も高い。

言い過ぎですかね? 元に戻します。


・ここフィリピンも、日本と同じ様に、中央政府(行政)、国会(立法)、裁判所(司法)の三権分立が成り立っています。

ただ、日本の首相と違って、ここでは、アメリカと同じ様に大統領は国民の直接選挙によって選ばれます。

大統領の任期は6年ですが、その間に大統領は、強い権限を持つことになります。

・三権分立の目的は、それぞれの、(行政)(立法)(司法)の、力や権利を分配させて、お互いを抑制させる為に作られた物ですが、
大統領はこの全てに関係しているだけでなく、全てを支配しています。
実際には、することが可能である。と言った方が良いのですが、
何故かフィリピンは一国国家元首の権限が強すぎます。

その人事権のひどさは、マルコス政権のように独裁者を作り易いほど地方の隅々にまで権限を振り回せます。

・政権、三権分立の問題点は、言いたいことが沢山有りますが、
私の口下手、文章べたでは簡単じゃありませんから、
機会があればまたお話します。


そうそう、私が思う「フィリピンの三権分立」を、図形化してみました。

細かい説明は、またの機会に残します。


中央政府(行政)、国会(立法)、裁判所(司法)
青線は繋がっていると言うより互いを抑制している様子。
繋がっているのは赤線の大統領だけ。

・ここでは大統領が裁判官を任命したりします。
・日本は? 
 議院内閣制で、国会が総理を選び、総理が裁判官を選ぶ。

※ 日本の総理は国会が選ぶんですね。
・国民が議員を選び、議員が所属するのが与党か野党か。
 与党の中の議員が総理を選ぶ。
 上手く総理の仕事が出来なければ、次々と中で代えるだけ。
 「今度は俺にもやらせろよ。」とか、
 「俺も一度は総理を経験してみたい。」とか?
 どうして総理はゼロから国民が選ばないのですか?

 フィリピンの政治もおかしいけど、日本の政治も
 おかしいのじゃないかと思います。


この図はあくまで、私のイメージ図です。
正解とは言えません。説明用につくりました。


アキノさん、コメントを有り難うございました。

ご訪問下さった皆さんにも感謝します。

有り難うございます。




ところで...
これ、見た事があるでしょう?

はい、「Pinoyの東洋医学」でお尻に貼った
円皮針の位置図です。

関係無い?

...失礼しますた。


↓応援ポチお願いします。♪

にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
にほんブログ村

お時間があれば、こちらも投票お願いします♪

blogram投票ボタン 人気ブログランキングへ
有り難うございました。


ブログをお持ちの方のあしあと用です。
おきてがみ



おまけ イラナイ!
大統領府から物申す。


国会から物申す。

失礼しますた...



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カロオカン市長

2010年05月22日 | 政治界
[フィリピン情報] ブログ村キーワード


知ってるよ。


 


あなたの秘密...


 


CALOOCAN CITY
カロオカン市
Mayor
Enrico“Recom”Echiverri
カロオカン市 市長 リコム・エチベリ


 


歌は上手いし


 



ギターも上手い


 


 



ドラムはもっと上手い


 


遅ればせながら


当選おめでとうございます!!


 






 


政治、頑張って!!


お世辞じゃないよぉ


 


ランキングに参加しています。♪

にほんブログ村 旅行ブログ フィリピン旅行へにほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
にほんブログ村

お時間があれば、こちらも投票お願いします♪

blogram投票ボタン 人気ブログランキングへ
有り難うございました。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

選挙の投票機に不正?

2010年05月06日 | 政治界
フィリピンも、いよいよ選挙が5月10日、月曜日に迫って来ました。

日本は、先日まで連休で、こちらは3日が1日土曜日の振替休日で、3日間の休みでした。
その間は、皆さんのんびりされたり里帰りなどされてるので、この期間こそ私のブログ生活の時間だと思っていたのに、ネットが日曜日から途絶えてしまいました。
このブログに遊びに来て頂いた方も、応援して下さった方達にも、またお休みをされてる方のブログにもお伺いしたかったのに、ネットが繋がらないとホントに寂しいです。

昨日、インターネットカフェに行って、ちょっとメールを送ろうとしたんですが、持って行ってたUSBメモリーを差し込むとコンピュータの電源が切れる始末で、何度試しても同じなのでお店の人に聞くと、USBを店員用のコンピュータに差し込み、私が使っている席のコンピュータの「マイ・ドキュメント」に登録してくれ、そのデータだけがメール添付出来るようになりました。
ややこしいんですね。
その後、自分のブログを開けて、ブログ友達のところに行こうと思ったのですが、半分だけ日本語で解りづらく、私が打つタイプは日本語が出来ずしかも重たいので、断念して帰りました。

今日、夕方になって、メンテナンスから私のコンピュータがおかしいと言われたので、古いwindows 2000のノートブックに繋いで見ると、ネットにアクセス出来ました。
普段のコンピュータが壊れてたんですね。

でもこのWin2000は、何年も使ってなかったので、液晶画面が溶けて傷だらけで見難くなってます。
もう一台のノートブックの液晶もこんなになってました。
どうしてでしょう?

え、そんな事より、ネットが切れてる間もこのブログに来て頂きましたことにお礼を言います。

有り難うございました。

連休はゆっくりされましたか?


本題に入ります。
コンピュータが壊れて私が困っているより、
コンピュータを操作させて、フィリピンの将来を決めようとしている人達がいるのは、国民にとってもっと困った問題ですね。


投票日が迫って、フィリピンも選挙不正を防ごうと戦々恐々としている中を、
先日、初めて導入した電子開票機が問題になっています。

選挙委員会【COMELEC】(Commission Elections)が導入した、スマート・マティック社の開票機が違った投票数を計算する仕組みになっていた事が暴露されました。

原因は、この機械に挿入された投票用紙を読み込み集計するメモリーの
CF(コンパクト・フラッシュ)に細工されていたようです。

海外投票機も含めて76,000個ものCFだそうです。


一昨日、マニラやマカティ市で、投票用紙に10人が決められた立候補者のチェック欄に黒丸を記入して投票テストをして、集計された投票結果は、別の候補者だったという事でした。


投票は各学校で行われるのを、手動で「誰さん1票。」「誰さん、1票」と過去のやり方でやろうと言う噂が出ていましたが、先程入ったニュースでは、外国から新しいCFを取り寄せているようです。



殺し合いよりは、と思いますが、不正はいけませんね。

フィリピンの将来を決定させるような選挙ですから、

慎重に、不正なく、綺麗に、無事に、

国や国民を大切にしてくれる人に投票して欲しいですね。


私は日本人ですから、投票は出来ないし、誰に投票して下さいとも言いません。

個人的に、知り合いのことは応援したいんですが、相手方にも知り合いがいるので、中立の姿勢をとっています。

日本人の方に問題があれば、どちらにでもご紹介出来るようにしたいですから。

私に出来る事で、しかも私が無事でいるうちは。

また出来ない事でも、出来る日本人の方も沢山居ます。

安心してフィリピン旅行に来れる様になって欲しいですね。



ランキングに参加しています。♪

にほんブログ村 旅行ブログ フィリピン旅行へにほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
にほんブログ村

お時間があれば、こちらも投票お願いします♪

blogram投票ボタン 人気ブログランキングへ
有り難うございました。


コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Zosimo Jesus “Jess” M. Paredes II (議員立候補)

2010年05月01日 | 政治界
選挙が近づいて来ましたので、知り合いの中から、出馬される方や地位が変わる方などを急いでご紹介したいと思います。
ただ、深い知り合いだけじゃなく、私が尊敬する、一度でもご一緒に写真を撮らせて頂いた方もどんどんご紹介しますので、詳しい経歴が分からない方もおられますが、どうかご容赦下さい。
全員、お名前をネットで検索すれば、数多くの記録がある方ばかりです。
問題は、私は英語が解かりません。キッパリ。

Zosimo Jesus “Jess” M. Paredes II
ソシモ・ジェソス・パレデス・II 「ジェス」



パレデスさんは、フィリピンの元政府高官でした。

訪問米軍地位協定【VFA】(Visiting Force Agreement)の委員長です。

この委員長の地位は、2005年11月から2006年末まで大きな話題になった米軍兵レイプ事件を機に、元の弁護士として活躍する事になりました。


フィリピン・スービック基地レイプ事件

容疑者4名は沖縄に駐留する海兵隊員で、米比合同「反テロ」軍事演習のためにフィリピンに来て「ニコル」と言う女性をレイプしました。

被害者の告発により、フィリピン初の米兵を被告とするレイプ裁判が2005年4月に始まり、米軍・米政府、フィリピンの政府 ・司法当局の間で揉めました。
米兵の身柄は「訪問米軍地位協定【VFA】:(Visiting Force Agreement)」を盾に、マニラの米大使館が確保しました。

【VFA】には「米兵による犯罪は1年で時効」という条文があり、時効期限は2006年12月27日なので、もしこのときまでに有罪判決が出なければ、米政府が加害米兵をフィリピン外に逃がす可能性があると大変な騒動になりました。

結局裁判は有罪となりましたが、 【VFA】の訪問委員長であったパレデスさんは、米兵を裁判が終わるまでにフィリピンで拘留するか、米大使館内で拘留するかの渦中の人となり、【VFA】を辞職することになりました。


★ ゾシモ・ジェソス・パレデス・II 弁護士
「ジェス」はニックネームです。
「II」と言うのは、父親と同じ名前だからです。

私は、時と場所により、
「クウヤ・ジェス」(ジェス兄さん)か、
「アットーニー・パレデス」(パレデス弁護士)か、
「ユーセック」:(USEC)(アンダーセキュレタリー)(大統領府秘書)
と呼んでいます。

ここでは、「パレデス弁護士」と呼ぶことにします。


★ パレデス弁護士はフィリピン国軍の弁護士出身であり、政治家出身の陸軍将校です。

彼は17年間、軍隊で勤務し、立法者または議員(Batasang Pambansa)でした。

そして同時代に1984年-1986年のイスラム教の仕事をし、文化的なコミュニティのオフィスの副理事長または次官として働らき、1982年のフィリピン・バーのメンバーになり、1986年-1999年に弁護士業を営み、1999年-2003年からの和平プロセス上の大統領顧問官のオフィスで勤務していました。

フィリピン陸軍士官学校(1971年のクラス)の卒業生で、彼はフィリピンの国家警察の最高部の様々な地位(1971年から1984年までのAFP)で勤務しました。

1961年のバギオ大学財団の法律大学で法律を終え、
1983年-1984年に、国防総省【AFP】の研究をして、経済学【Diliman】(ケソン市の大学)を卒業しました。

その後、最初の【Batasang Pambansa】(全国的な立法機関)でイフガオの州の代表となり、議席を勝ち取った時に、
1984年5月、【AFP】から法律によって自動的に辞任されました。

彼はまた、「国防省」、「観光省」、「若者とスポーツ」、「貿易と産業」の委員会のメンバーでもありました。

2003年12月1日に、今は亡き外務秘書“ブラス・オプレ”は、外務省【DFA】にパレデス弁護士を役員として任命し、その後、訪問米軍地位協定【VFA】で大統領委員会の副常勤取締役となりました。

グロリア・マカパガル・アロヨ大統領はパレデス弁護士を【VFA】訪問米軍地位協定上の大統領委員会の常勤取締役として、同時に大統領補佐官(次官のランクを持つ)(2004年3月6日の大統領のオフィス)として任命しました。

パレデス弁護士は、マニラで生まれ、マニラとバギオ都市で育ち、マニラとバギオに住居を維持しています。
彼は、マリアオリビアと結婚し、4人の男の子と3人の女の子の父親となりました。
彼の両親はイフガオ出身で、将軍であり、過ぎし日の知事であった父、
Zosimo Joven Paredes と、Anacleta Arreola Mendozaという、薬剤師の母の間に、1948年5月27日にマニラで誕生しました。


★ 私とパレデスさんとの出会いは、
スービック基地レイプ事件の最中の2005年でした。

当時私は、キワニスのビリアモール空軍基地地区のプレジデントになるので、
戴冠式に誰に「ゲスト・スピーカー」(来賓のスピーチ)をお願いしようかと困っていた時に、大統領府の“ネストー・カマチョ”さんが、パレデス弁護士を紹介してくれました。

最初にお会いしたのは、マニラ市アドリアティコの日本レストラン「たなべ」でした。

ネストーさんとパレデスさんと3人で食事をし世間話をして、私は、
「ユーセック・パレデスさん、私の戴冠式にスピーチをして下さい。」
と頭を下げてお願いしました。
パレデスさんは、かん高い声で「喜んで!」と答えてくれました。


戴冠式は、ビリアモール・ゴルフ場のホールを借りて行いました。

ダバオからや、スービック、バタンガスまで、キワニスメンバーを含めて200人近く出席された方々の中で、パレデスさんにスピーチをして頂きました。

先のパレデスさんの履歴は、私の顧問弁護士が会場の皆さんに紹介して、
パレデスさんが登場し、自己紹介と私の事を紹介して祝ってくれました。
有名な人だとは知っていましたけど、私の履歴書も見ずに宙で私の素性を覚えておられ見事に語って頂きました。


〇左端が“ネストー・カマチョ”さんです。記事はここを見て。
〇2番目が、パレデス弁護士です。
〇3枚目が、Pinoyです。
〇右端は、パヘンテ弁護士です。

★ 意気投合した私たちは時々お会いしたのですが、2006年7月、
レイプ事件の騒動の最中に、パレデスさんは大きな問題を抱えてました。
ちょうど同じ時期に、マニラ市マラテ地区でちょっとした誕生会を開いた時、
私はパレデスさんから会場の外に呼び出されました。

「【NBI】(国家捜査局)の局長が亡くなったから、そこに座れないかな?」
「僕は、軍隊も卒業してるし、弁護士の資格も持ってるから...」

今だから言えますけど、何でそんな大それた事を私に?

「え~っ?私にそんな力はないですよ~。」

「君なら知り合いが沢山いるから何とかなると思って...」

「冗談じゃないですよ~。買い被らないで下さいよ~。」

まあ、何とかそれなりの人をご紹介して、大統領府に申請しましたけど...
結局間に合わず、次期局長は決まってしまいました。
危ないでしょ、そんなこと頼まれたら。 嬉しかったけど。

パレデスさんには、うちのNGO(NPO)のチーフ・弁護士になって頂きました。

★ その以前から、エンターテイメントが日本に入り難くなっているので、うちのNGOのパートナーとパレデス弁護士の3人で、
日本の国会議事堂に行くように準備していたのですが、忙しすぎて国外に出れそうもないと、外務省【DFA】アンバサドーのジョゥイー・アンペソさんと3人で行く事になり、パレデスさんには、そのことを何度も、テレビやラジオでニュースにして頂きました。


〇左端、アンバサドーのジョゥイー・アンペソさん。
〇2番目、パレデス弁護士。
〇3枚目、Pinoyです。
〇右端は、私のパートナーのジェソス・デラ・クルスさんです。

●パレデスさんは留守番で、
他のこの3人で、国会議事堂や議員会館に行きました。





ばんざ~い!!  だって。

〇うちのオフィスで、【カパティラン党】の決起集会。
折りしも、2007年の上院議員選挙に【カパティラン党】として立候補した時は、私の事務所で小さな決起集会を開きました。
その結果は、立候補者46人の中で、29番目の位置で落選しました。


この日、パレデスさんが【ABS-CBN】局と【GMA】局と一緒に、
私のプロモーションに取材に来ました。




懐かしいです、私のこの部屋。パレデスさんの後ろの壁ですが、
左が私が描いた絵で、右が亡くなった親父が書いた筆字です。(失礼)



【GMA】で放送されたのを、見つけました。

動画の貼り方が解らないので、ここをクリックして下さい。

面白い事に、アナウンサーは、私の事を【Pinoy】(フィリピン人)だって。



【GMA】で、ラクソン上院議員とパレデスさんの問答が入ってました。

ここをクリック

他にも懐かしい写真が出てきました。




男前でしょう? 今は長い髪を切ってますけど。



パレデスさんと大統領府のクリスマスパーティに出席した時の写真です。




現在、パレデス弁護士は、オルティガス市に弁護士事務所を構えて、
今回も【カパティラン党】から上院議員選に出馬しています。


そして、【DZXQ】 1350Khz ラジオの2つのプログラムを主催しています。
* 「Para sa Diyos」 (神のために)―平日の9:30am - 10:00am
* 「Moral Force Radio」(道徳的な力のラジオ)―日曜日9:00am - 10:00am


ちょっと私、今エジプト人と喧嘩をしてますから、早く選挙が終わる事を願ってます。

パレデス弁護士は、「選挙に勝てたら何でも協力するから、待ってて。」って。

これって、選挙不正?  公約でしょ? きっと。


ランキングに参加しています。♪

にほんブログ村 旅行ブログ フィリピン旅行へにほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
にほんブログ村

お時間があれば、こちらも投票お願いします♪

blogram投票ボタン 人気ブログランキングへ
有り難うございました。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フェルディナンド・マルセリノ ( Maj. Ferdinand Marcelino )

2009年01月23日 | 政治界
この人、この場面、それにこの後ろのロータリークラブの垂れ幕、
夕方テレビに出ていましたので、写真を載せます。

 つい先程、正午から3時間、【PDEA】(薬物捜査局)の、メジョー、
Ferdinand Marcelino (フェルデイナンド・マルセリノ)さんを当ロータリーにお招きしました。
 *【Maj.】: Major:の略 メジョー:少佐《軍隊等で、captain の上でlieutenant-colonel の下;肩書き呼びかけに用いる》(特殊部門の長)

先週と同じく、ABS-CBN 局やGMA局も取材に来ていました。

先週と同じく、と言いましたが、先週のお客さん、例のシャブやマリファナ事件の「アラバン・ボーイ」に関係している
法務省長官のマニー・ベラスコ氏に対して、「アラバン・ボーイ」を捕まえて、しかもその無罪になった「アラバン・ボーイ」を、保釈しないと、突っぱねているのがこの、
フェルデイナンド・マルセリノさんです。

 若くてハンサムで、しかも凄い意思の持ち主ですね。
みんな時間が経つのも忘れて談話にのめり込んでいました。

質疑応答の中で出た話ですが、
例え賄賂を払うから拘留された人を保釈するように勧められても、絶対に受取らないと断言しました。まあ、それが元で、現在のニュースになっているようですが...

本人から聞きましたが、給料は、月に4,700ペソだけだそうです。およそ一万円ですね。









ランキングに参加しています。 
ポチッと応援お願いします。
   ↓  ↓  ↓
にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マニー ベラスコ ( Manny Verasco ) 裁判官を招いて

2009年01月15日 | 政治界
 私の所属する、ロータリークラブ・インターナショナルの
イントラムロスで、今「アラバンボーイ」の麻薬事件の渦中の人物、
法務長官の、マニー・ベラスコさんを迎えて懇談会を行いました。
本名は、エマヌエル・ベラスコです。

**【DOJ】Department Of Justice (法務省)b> 

  Chief Emmanuel Velasco

Chief Emmanuel Velasco Senior State Prosecutor; Chief, Office of the Provincial Prosecutor-Cavite,3rd Son of former Cavite Governor and former NBI Director Epimaco Velasco,former journalist of the Pahayagang Malaya during the Marcos Era, studied lawat the University of Santo Tomas, took up Masters of Laws at UST; Masters in National Security Administration (MNSA) at the National Defense College; andlikewise took up post-graduate studies at the FBI Academy, USA and the American University, USA.

英語をちゃんと訳せないので、そのまま載せましたが、
FBIのアカデミー卒業、とは、なんとも凄い長官ですね。

 うちのスタッフの親友のおじいちゃんですが…







スピーチの途中で、GMAとABS-CBNテレビ局のカメラマンに、少しの間撮影をしないでくれと注文して「アラバン・ボーイ」の事件の詳細を話してくれました。

「アラバン・ボーイ」とは、PDEA(麻薬捜査局)に麻薬の使用や売買で逮捕された、3人の青年が、無実が確定しているのに、釈放されないでいる。
という最近フィリピンで一番の話題になっているケースのことです。

 簡単に説明すれば、その青年たちが無罪になった裏に、50ミリオンペソ、約1億円のお金が裁判官や弁護士、検察官に流れているという噂と、そのお金を受取ったと思われる連中が、揃って休暇中である。
また、PDEAが、無罪になったのは、賄賂のせいだと、頑として釈放を許可しない。
それを「アラバン・ボーイ」のサイドは、反撃している。
…という事件ですが、こういった薬物関係の事件は、凄く危険が伴う事件なのです。







ロータリーの会合も終わりに近着いたころに、バタス弁護士が、一着のロータリーのジャケットを出して、「このあまったジャケットをくじで誰が取るか決めよう。」と言った。
するとベラスコ長官が、手を上げて「ちょっと良いアイデアがあるのだけど…」一同耳を澄ませた。
「一枚しかないのだから、やはりこれは招待客の自分が貰うべきではないだろうか?」「ワハハハ…!!」

 なんとも愉快な人でした。
早速ジャケットに着替えてみんなと記念撮影。


ランキングに参加しています。 
ポチッと応援お願いします。
   ↓  ↓  ↓
にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Zosimo Jess Paredes

2009年01月01日 | 政治界
Jess Paredes Message


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バタス マウリシオ 弁護士 ( Batas Mauricio )

2007年09月14日 | 政治界
私の所属する、ロータリークラブ・インターナショナル・イントラムロスの2007年のプレジデントがこの人、Attorney Batas Mauricio (バタス・マウリシオ弁護士)です。 アロヨ大統領の弁護士です。

 DZXQラジオ 1350khz AM放送で朝の6時から30分間、"神の子"というテーマで彼がDJをやってます

テレビでも活躍しています。
UNTVですが、ほとんど独占放送で、結構有名な弁護士です。
そもそも、バタスという意味が、【法律】ですからね。

 そうそう、去年こんなことをやりました。

 私と、私が主催している"非営利団体"の社長のジェスス・デラ・クルスさんと、このバタスさんで、フィリピンのロータリークラブを代表して、7人のブロードキャスターを表彰しました。 

 クバオという所の、アラネタコロシウムで表彰式をしたんですけど、
さすがにフィリピン一のスタジアムで15,000人くらい入るのでしょうか?
約1万人近い人達が集まって、そのステージで表彰贈呈役をやり、1時間半の、
ノーカットでテレビ放映された経験は、私の一生の思い出になります。

 この、バタス・マウリシオさんは、私の尊敬する人です。

 バタスさん自身のホームページです。
   ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  
 http://batasnews.com/today/index.htm



    (この写真は、私と撮った写真です)

ランキングに参加しています。 
ポチッと応援お願いします。
   ↓  ↓  ↓
にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする