フィリピンの顔

フィリピンの日常や、旅行記、人、観光地、ビジネス、
出来事等を記録します。

【新日系人】 置き去りにされた子供たち その獣 (最終)

2009年10月24日 | 新日系人
長期間更新していなくて申し訳ありません。
と言った舌の根も乾かない内から言い訳をしますね。

まず、9月26日にフィリピンを襲った台風〔オンドイ〕の豪雨による洪水に私の家も一階が浸かってしまい、コンピュータ他大事な物や書類等が被害を受け、大変な目に遭いました。
その後、インターネットが切れたり、ブログの訪問者への御礼も出来ない支障を来たし何日も悩み続け、湾岸警備隊の日本人部隊の入隊式準備や子供の洗礼式の準備に追われ、日本人グループや警察グループの寄り合いや何やかやで忙しかった事、そしてやっと迎えた洗礼式は無事に終わりましたけど、まだまだ続く洗礼客へのお礼参り...

それだけが言い訳じゃありません。
更新をしようとしている記事は、テーマ「置き去りにされた子供たち」の最終編、その10であり、このシリーズは記事を書いている本人よりコメントを下さった方々の意見や解説が大きく、重く、大事で感動的で、「これはうかつな終わり方は出来ないぞ」と、小さな私の肩にずっしりと責任のプレッシャーが伸し掛かり、「更新」という言葉に拒絶反応を起こしてもう、た~いへんな日々を送っていました。

なんと、昨日の突然の嵐が原因でしょうか、またインターネット接続が切れているので、この間に更新の下書きをすることにしました。

「皆さん、更新で~す。」と言えるような内容じゃなく、疑問を投げかけてこの章を閉じることになると思いますので、どうかお許しを頂きたいと思います。

言い訳が長くなりました。本文、その獣(10)です。

おおよそ、4つの内容で構成します。

①「小さな命の詩」で死んで生まれた子供「アスカ」の事情。
②大統領府で相談をする日本人妻の事情。
③【戸籍謄本】の事情。        
④ラジオ局で【新日系人】に呼びかける私と、親子の事情。

■ aki さん、ABCさん、幸せこだわり住宅職人かずさん、かっぱいさん、しおんさん、nekoさん、カガヤンボーさん、P嫁キツイ!さん、akiさん、nyannko12000さん、kazuさん、コメントを有難うございました。
■ めぐみさんには、記事にまでして頂きました。
■ いつもご訪問して下さってる皆さんや置き手紙やgooやエディタ等でもコメントを下さった皆さんにも感謝いたします。

★ ★ ★ ★ ★ ★


①「小さな命の詩」で死んで生まれた子供「アスカ」。


2008年2月3日日本で放映された番組です。
EXILEのATSUSHIさんがナビゲーターを務めています。

東海テレビのホームページ。
LIFE IS BEAUTIFUL~小さないのちの詩~

フィリピンのブロガー、ひじりさんのブログです。
Bakit フィリピン?








内容は、日本で働いていたフィリピン女性が日本人男性と結婚をし、ある事情から女性だけが妊娠をしたままフィリピンに帰り、子供を生みました。

ひじりさんのブログでは、電気が切られる状態でなぜ帝王切開手術をする病院代が払えたのかと言う疑問が書かれていますが、私の知り合いがフィリピンの撮影会社なもので少しだけご説明をします。

まず撮影にあたり日本人の男性を父親とする私生児の出産にカメラを向けました。偶然にも電気を切られる瞬間に撮影班が立ち会ったのですが、撮影が終わるまでは女性への取材協力費や援助は出せない規則があるそうで、困っているこの家族の演技ではない実際のドキュメンタリーを撮影することに務めたようです。
ただ病院の件は、出産を撮影することが目的ですので撮影班が撮影の許可を得るときに病院側は後払いを許可してくれたようです。

これもまた偶然ですが、彼女が出産した瞬間は赤ちゃんは息をしていませんでした、何分だったのか忘れましたけど、もう危険な状態だったようで、「息をして!!」「あかちゃん、泣いて!! 泣いて!!」と何度もみんなが叫んだそうです。

固唾を呑んでる撮影班の目の前で息を吹き返しました。
余談ですが、死んで生まれた赤ちゃんがカメラの中で息を吹き返すこのドキュメンタリーは、世界で始めてだそうです。

撮影期間中、逐一情報は聞いていましたし、彼女の日本行きの書類関係の世話は私に依頼されました。

●ここからが、このページでのお話になりますが、

【重要】父親に連絡が取れないので、子供の戸籍は【在比日本大使館】に依頼し取得することが出来ました。
これは友達のマムーさんの働きです。

【重要】日本の父親の戸籍謄本は、私が取り寄せました。

この最終編でこの二つは大事な内容です。記憶に留めておいて下さい。

後に私は日本の男性と連絡が取れました。
丁度フジテレビからこの「小さないのちの詩」が放映される日です。

間違いなく旦那さんですが、『違いますよ。』と簡単に電話を切られました。
私はもう少しで「獣」になるところでした。

今度は自宅へ。  電話に出たのは旦那のお父さんでした。
長い間お話をしましたが、お父さんの言われることに納得できるものがありまして、私はまた彼女と会い説明と事情を聞きました。
これ以上の内容は公にお話しするわけにはいきませんが、とにかく子供(アスカちゃん)の日本人国籍として【戸籍】は取得できたのですから、別の方から日本行きを計画するようにしました。

★ ★ ★ ★ ★ ★


②大統領府で相談をする日本人妻。



この写真は、新日系2世の娘を持つ、元日本人妻の女性の以前の書類不備で、日本人男性からの書類が取得不能を、
【重要】大統領府にお連れし、秘書のバタラさんからある証明書を発行して頂き、現在日本に入っています。

★ ★ ★ ★ ★ ★


③【戸籍謄本】





A-1とA-2は、写真が縦になっていますけど、これはご存知の昔から市役所で発行されている【戸籍謄本】ですね。

ところがこれは【原戸籍】と言って、今は【戸籍謄本】を申請すると、コンピュータ化された【戸籍全部事項証明書】を受け取ることになります。
【原戸籍】は「かいせい・げん戸籍」のことですが、「かいせい・はら戸籍」と言います。

【重要】【認知】は、【はら戸籍】に記載されても、【戸籍全部事項証明書】には記載されません。
【重要】ほとんど全国的に【戸籍謄本】は、【はら戸籍】と言わない限り、【戸籍全部事項証明書】を受け取ることになります。
【重要】この事を知らないご家族の方は、ご主人がフィリピンの子供を認知したことを判らずにすむことになります。
【重要】戸籍謄本の取得は、本人でなくとも、またフィリピンからでも取り寄せが出来ます。その手段方法は色々ありますがそれぞれの秘密であり私が暴露するわけにはいきません。
【重要】逆にあなたは、誰が不正請求したかを「情報公開」を申請して訴えることも出来ます。

※ これは、ご家族に絶対ばれないからあなたにフィリピンの子供を【認知】しろ、と言っているのではありません。 
※ それに、絶対にばれないとは100%言えません。
※ 私の子供も結婚前に生まれた子ですから、未だ【はら戸籍】で【認知】にしかなっておらず、今の【戸籍謄本】には記載されていません。
※ 子供を【認知】するか否かご家族と相談するか、ご家族にばれない様にするかは、各市町村の役場でお尋ねください。

★ ★ ★ ★ ★ ★


④ラジオ局で【新日系人】に呼びかける私。





上の2枚は、ボホール島のラジオ放送局にお邪魔して【新日系人】を集めで相談会を催すことを放送しました。
ボホール滞在の3日間で2ヶ所のラジオ放送局から直接訴え、早朝はラジオ局中継でホテルから電話でラジオ放送をしました。
ボホールのラジオは、フィリピン南半分の地域を補う放送局です。ここの観光写真は近いうちにご紹介します。

3枚目の写真は、マニラのDZXQ 1350キロヘルツのラジオ局から放送したときの写真です。
毎週土曜日のお昼に放送されるもので、私は良くこのラジオ局を使用しています。

これで【新日系人】支援は、全国放送となります。

★ ★ ★ ★ ★ ★


まとめです。
(言わんとする事をまとめるだけで、結果や答えではありません。)


子供を置去りにしたお父さん、少しは気が楽になりましたか?
それとも怖くなった? 怒った?

日本に8万人以上居たタレントが今は千人も居ないんじゃないですか?

その分斡旋業者はあなたの子供や子供のお母さんに魔の手を伸ばしてるかもしれません。

実際に子供を抱えていたお母さんは、2社3社、誰や彼やに相談に行っています。

法律も少しずつ変わってきていますから、いつひょっこりあなたの子供が日本に入っているかも分かりません。

出生証明書はお金を払って別の男性を父親とすることも出来ます。

子供が働ける年頃になれば、新日系人の入国は簡単になるかもしれません。

その時突然あなたの目の前に現れたら?

まさか「お父さん、愛してる。」とは言わないでしょう?

だからと言って、私は子供を【戸籍】に入れろと強要をしません。

男性と女性のどちらが正しくどちらが悪いとも言いません。

「アスカ」も含むたくさんの子供たちがかわいそうです。

せめて、何かから、小さな何かから、子供の為に出来ることをしませんか?

★ ★ ★ ★ ★ ★


余談です。


この章こそ、日本のお父さんに呼びかけたいページですが、「獣」とは少し洒落てみたかっただけで、「その10」に一番当てはまりそうな意味を含めた「10」は、「獣」だと思って付けました。
「獣」とは何か?何者か? を、読んで下さる方の考え方や事情によって違ってくる、一番疑問を投げかけやすい代名詞だと思ったからです。

私も獣だと言えると思いますが、子豚程度の「獣」だと思います。
「旅の恥は掻き捨て」で他国の女性を玩んだ(もてあそんだ)人か、日本人男性を手玉に取った女性か、将来立ち塞がるように目の前に現れて「何で私を捨てたのよ」と言う子供か、魔の手を伸ばす業者か、愛の手を差し伸べる支援団体か、大使館?入管?市役所?教会?警察?裁判所?、それとも書類そのもの?あるいは日本の奥さん?
私自身が思うのは、漠然としてですが、それぞれに襲い掛かってくる未来の問題を「獣」の当て字にしたつもりですが、かれこれふた月「獣」について考えていると、いろんなものが「獣」に思えて、何か言い得て妙だと思いました。

章の締めくくりなのに、
まともな文章が書けずに疑問まで投げかけて申し訳ありません。

文頭に述べた「言い訳」の内容は、これから急いで記事にしていきたいと思います。
この章にご意見等がありましたら、どうぞコメントを下さい。
また「置き去りにされた子供たち」の番外編を設けたいと思います。

ご来訪、有難うございました。


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【新日系人】 置き去りにされた子供たち その苦 「未来の主役」の撮影風景

2009年10月02日 | 新日系人

「未来の主役」の撮影風景  -Digos Barangay Hall-


「その1」の続きです。
去年放映された「未来の主役 地球の子供たち」の
フィリピン、ダバオ市ディゴスでの撮影風景です。
「その1」の記事の続きは写真の後に書かせて下さい。

【新日系人】 置き去りにされた子供たち

その1「未来の主役 地球の子どもたち」

その2 その3 その4 その5 その6 その7 その8


撮影はここ、デイゴス自治区の集会所で行いました。


新日系2世の子供たちの世話をするお二人です。




近所の子供たち。


カメラマンの野崎さん。




監督さん。


お兄ちゃんと双子の妹。








サラちゃんとお母さん。

帰り際には笑顔が出ました。


ディゴス小自治区、区長のサルバドー・ラスクニャさん。
Salvador Lascuna (Barangay Captain)


区長に連れられホール横の元豚小屋を見せられました。

元、豚を飼っていた小屋を改造したそうです。

覗いて見てびっくり!!


薄暗い中で近所の子供たちが勉強をしていました。
まだ養豚場独特の臭いがする中で...





3兄妹を食事に連れて行ったレストランの前で。

マムーさんとカメラマンの野崎さんと監督さんが子供達にバドミントンとバスケットボールをプレゼントすると、子供たちはやっと少し笑顔を見せてくれました。その笑顔を見て、マムーさん達は嬉しくて辛くて、子供たちを帰した後も暫らく泣いていました...

★ ★ ★ ★



★ おわび

上の写真は、「未来の主役 地球の子どもたち」の撮影風景ですが、
その1 で申しました様に、映画の主役は子供たちです。
日本人のお父さんに置き去りにされた【新日系人】と呼ばれる子供たちです。

そして、このページの記事 その9(苦)は、ブログですので、私は撮影に関わった方たちの、カメラマンの野崎さん、監督さん、マムーさん、取材地を提供してくれた小自治区長さん、その他大勢の人たちを、『主役』として紹介したかったのです。

このように書くと、誤解を招くことにもなると思い、余程しっかりした記事を書かないと、今まで凄く大事なコメントを下さった方々や訪問して下さった方々にも失礼になると思い、毎日頭の中の歯車をフル回転させて構想を練っていたのですが最近の私や周りで起きる出来事にかまけてしまい、何日も投稿できない状態をすごしてきました。

結果、『下手な考え、休むに似たり』となりますから、
私が言いたいことを短く素直に書いて、後は、読んで下さる方の考えにお任せしたいと思います。


★ ここで言いたかったこと。

1、 サブタイトルを、【寺子屋】としたかった...
2、 その寺子屋のようになってる豚小屋を、カメラマンの野崎さんやマムーさんで少しの改装支援をした。
3、 野崎さんは、自費(慈悲)で子供たちの父親を探し出した。
4、 放映されるものは、視聴者の涙や感動を誘うように貧困者のドキュメンタリーを作るが、支援をしたいと思う視聴者と支援をしてほしいと願う製作者の接点が合わない。 これは出演者である貧困者の感動と同情を促すだけに終わり、後に助け合い運動などでタレントさんが出演して募金を募るが、それら全て良いことだと思う。システムでも有り仕事でもあるが、せめて私は、このページだけでも影で働くテレビ局や製作関係者の苦悩(カメラやブラウン管を通してじゃなく、実際に目の当たりに目撃するわけだから)を記事にして光を当ててあげたかった。
5、 私には視聴者にも子供を置き去りにしたお父さんにも、どう訴えたら良いか分からないので、ただ単純に「考えて頂けるような記事」を書きたかった。

それだけ?かな?ここで言いたかったのはこんな事だと思いますが、先日のマニラ近郊を襲った豪雨により発生した洪水被害があまりにも酷く、どん底状態の私自身が受けた被害もまだ奈落が存在してたのかと言うような追い討ちを掛けられてしまい、心の拠りどころのブログもインターネットのブラウザーの支障で「置き手紙」ブロガーへ訪問応援をしても「置き手紙」自体が開けず焦ったりで毎日がとてもブログを更新できる状態じゃないのですが、写真だけは以前からアップしていたので、とりあえず掲載してみました。

★ 次回は

次回 その10 は、このシリーズの最後として、【戸籍謄本】の件と、とんでもない私の写真を載せて、子供を置き去りにしたお父さんへの、これから予測される問題を考えてみたいと思います。

ご訪問有難うございました。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆





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【新日系人】 置き去りにされた子供たち その8 -鬼の目にも涙-

2009年09月25日 | 新日系人

鬼の目にも涙



鬼じゃぁありません。 ごめんなさい。

いえね、私の文章が支離滅裂なので、何か「ことわざ」を入れると少しは理解してもらえると思ったんですが、まずかったかな? 本当は、「優しいけど、怖そうな顔をしたお兄ちゃんたちの慈悲の心」と言いたかったんです。何か他に上手い諺ありませんか?

まあ。鬼を例えるなら私のことでしょうか? 「鬼の空念仏」(笑)

本題に入りますけど、ここには【新日系人】はいません。  ただ後2回ほどで終わるこのシリーズ最後に【戸籍謄本】の記事と一緒にお話ししたい事がありまして、置き去りにされた子供たちやボランティアや支援団体等のことを紹介し、お父さんたちに届いてくれたらなと願う、メッセージを少しずつ書いています。


強面(こわもて)のお兄ちゃん二人、
(鬼じゃない、お兄だった。。。)
私を訪ねてフィリピンまで遊びに来てくれた友達です。
上の写真は、私の隠れ家?の、かなり遠い山奥の、ある将軍の別荘の射撃場でシューティングを楽しんでいるお二人です。

そして夜はマニラに戻り、「クラス88」の警察グループ主催の「ダーツ大会」に出席した時のことです。

会場はオープン・グリルのフィリピン・レストランですが、到着するなり5~6人の子供たちが寄って来て、「お金頂戴」「食べ物頂戴」と纏わり付きました。

「え? 何この子達!?」 二人は驚きました。

私は説明をしました。孤児か親が居ても貧困なのか失踪してきたのか...

二人は子供たちにお小遣いをあげました。
子供たちは喜んで、なついて来ました。

みんながダーツゲームをやってる間、いえ、食事中もしきりに子供たちのことを尋ねます。
「何かしてやりたい」「どうしてこうなってる?」「何人くらいフィリピンにこういう子供たちが居る?」「自分たちに出来る事があるか?」

私はまた説明しました。
出来る事と出来ない事、また、してはいけない事を。
優しい日本人はフィリピンに来ると大判振る舞いをする人がいますが、相手の為にも良くないことや、残って居る在比日本人に負担が掛かることもあり、少し考慮しなければいけないことも有ります。
余談ですが、私のような貧困難民もちゃんとしないと、フィリピンでひもじい思いをしてのたれ死んだら「日本人が」の全体像になってしまいますからね。

「じゃあ、何か出来ることは?」

「有るよ。でも明日日本に帰るでしょ。いくらか出せる?」

お二人から1万円頂きました。

早速夜中の計画です。
知り合い何人かに手伝ってくれるように頼みました。

帰国はお昼からですので、孤児が居る施設に朝早くからボランティアをさせて頂く了承を得て、メンバーが朝から買出しと料理をしてくれ、私はお二人をホテルまで迎えに行きました。

さあ、シュッパ~ツ!!



 
場所は言えませんが、大きな建物が結構あるすぐ横にジャングルのような木が茂っていて最初のゲートから子供たちが住むところまでは、車も入り難く、ぬかるみの中を荷物を抱えて子供たちに会いに行きました。
 


そう、オニィさんたちは子供たちに料理を注いでくれました。
 



 



 



 
 


泣いてた鬼ィが笑った!!


 

子供たちへプレゼントも用意しました。



 



 
 
 
 


いい顔 いい顔

 
 
 
 
 
 
 
 

生活の糧に子供たちが作ったアクセサリー類です。

アクセサリーは良く出来ていて、たくさん売って頂きました。
 
 
 
プレゼントのボールで子供たちと遊んでくれました。   本当に楽しそう。

私にはこんなこと出来ないだろうなあ...


 



 

お二人に感謝状を。





お兄さんたちも私もみんなも、一生忘れられない思い出になることでしょう。

おしまい。


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【新日系人】 置き去りにされた子供たち その7 -情けは人のためならず-

2009年09月18日 | 新日系人

「情けは人のためならず」


 






やっちゃんが応援に


駆けつけてくれました。




はい、プレゼント。







みんな良い顔。



良い顔。




いい顔。



いい顔。



いい顔。



いい顔。



イイ顔。



いい顔。



ん?



いいかお。



い~いかお。



いいかお!



い~~い顔!!



フィリピンの顔!!!




私のブログ「フィリピンの顔」は本当に幸せです。
ブログの記事よりコメントの方が素晴らしいし、重い。

その戴いたコメントの中に出てきた「奉仕活動」の、「見返りを求めない」と、私の言う「見返りを求める」の説明を簡単にしようと思い「情けは人のためならず」と言う諺を引き合いに出してみました。

こういうコメントも頂きました。「見返りは子供たちの笑顔と感動」。
「手助けしてもらう方と手助けする方一緒に取り組むというスタンスが必要なのでは無いでしょうか?」

良いですねえ、この言葉。 私も同感です。
短いコメントで全てを語っている様で心に響きました。

カガヤンボーイさんからも、フィリピン在住日本人としての有り難いコメントも頂きました。


で、

そういった言葉を表したようにここに写真を掲載しましたけど、
実はこれ、日本人コメディアンのやっちゃんを連れて孤児院に奉仕をしに行ったところですが、
私はこう言うのを奉仕とか、ボランティアなどと言う感覚が無いのです。

諺の「情けは人のためならず」も私に当てはまらないので、「そうじゃないです」と言う引き合いの為にタイトルにしました。
但し、人に活動を勧める時には、「一緒にボランティアをしましょう。」
「情け(奉仕活動)は自分の為になりますよ。」とか、
例えば湾岸警備隊の場合、まさか「トレーニングをしましょう。」などと勧められませんから、「ボランティアですよ。」や「「いい活動の場合、胸のリボンが貰えますよ」「位が上がります。」「制服がかっこいいでしょう?大人の男のコスプレですよ。」
などと言って誘います。

嘘じゃないって。方便で~す。

それでは私の妙な性格と言うか感覚を説明します。

まず、よく引き合いに出る「情けは人のためならず」ですが、
「同情はその人の為にならない」と言う意味じゃないくらいは解かっています。

ウィキペディアでは
『情けは人のためではなく、いずれは巡って自分に返ってくるのであるから、誰にでも親切にしておいた方が良い」というのが原義である。この言葉は日本固有のものではなく、英語にも「A kindness is never lost」(親切は決して無駄にならない)とほとんど同義の言葉が存在し、他の多くの言語にもこれに相当する語が存在するものと思われる。世界的にも人間がすべき道義の一つとして、この教訓が広まっているものと思われる。』
と有りました。おおよそこういう意味でしたが、捉え方は様々でこれと言った決定解釈はないそうです。

これって、人にはそう言って勧めますけど、どうも違うんですよね...

写真を見てください。おでこが腫れている子もいますけど、みんな良い顔をしているでしょう?
プレゼントが有ったり外界の人と久しぶりなのも、やっちゃんが来たのも楽しいでしょうけど、本当に良い顔。
でもね、写真をぼかしていますけど、一番ブ男の
私が、一番いい顔してるんですよ。

一番楽しんでますが。何か?

「奉仕」と言う言葉を使うなら、私は子供達から奉仕をしてもらうために、どこかから古着を貰ってきたり、医療奉仕をしているお医者さんを連れて行ったり、5千円くらい出来たらプレゼントを買ったり、少しの料理をしてくれる人たちを探したりして、何とか孤児院長にアポイントを取って、やっとの思いで子供たちに会える日にちを企画しなければなりません。
そこには私が情を持って子供たちに奉仕すると言う感覚はありません。
だから同情して奉仕をしたら巡り巡って自分に良い事があるという気持ちもないし、奉仕をさせて貰っていると言う感覚も無く、
ただ老人が孫と一緒に遊んでいるような感じで面会させて戴く日を待ち遠しく思うだけです。

偽善者ですね? 元々私には「ボランティア精神」というのが無いのじゃないかと思います。

子供の頃から親父に「自分の頭の上の蠅も追い払えない奴が、人の世話をするな。」と徹底的に仕込まれてきましたから。

「人のお世話をする」も「お世話させて頂く」も無く、「自分が楽しくなる為に、お世話になります」の感覚になったのだと思います。
スパルタ教育というか虐待というか、兎に角親父の教育は中途半端じゃなかった。

私は情はあると思います。多分... 
貧しい子供たちを見ると心も痛みます。
それが嫌だから、自分が楽になる為に手っ取り早い方法を取ります。
それが奉仕ですか? もしそれが奉仕だとして、もし見返りやご利益が有るとすれば、それは巡り巡って来るものじゃなく、その場で瞬時に得られるものであり自分の心の中から湧き出るものだと思います。

そう考えると、世の中に困ってる人がいなくなると、私は寂しくなるんでしょうね。

私、結構キワニス(子供たちへのボランティア団体)等から表彰されました。
ボランティアをやったからじゃなく、ボランティアをやるメンバーや学生グループを作ったからです。
直接助ける事が出来ない困った人を見たくないからと言うことと、一人じゃ手に負えないからです。
そしてそれらボランティア団体が支援活動をするときに、お邪魔して一緒に楽しくなりたいと思っているからです。


掲載している写真の子供たちの中に「新日系2世」は一人だけで他はフィリピンの孤児です。
施設の名前は、子供たちの写真と同時に掲載は出来ません。この子たちには親のいる子が居ますので、普通には写真を取る事が禁止されています。ただ、何度もお邪魔していますので、フィリピンで発行するニュースには掲載しないことを約束して撮らせて頂きました。

帰り際に一人の男の子が側に来て、雑誌や新聞紙で作った造花を入れて飾れる大きな花瓶をくれました。5センチ真四角に切った古紙を折り紙の様にして500個くらいを噛み合わせながら作ったデザインも良く出来た壷でした。
ゲートの近くには野菜園があり私たちは芋を引っこ抜いて手伝い、お土産に少し貰って帰りました。隣の小さな建物にはビーズや貝細工の子供たちが作ったネックレス等の小物が展示されていましたので幾つか買って帰りました。
支援をするなら、こういう施設のような支援が良いですね。
規律正しく育っておおらかであり協力し合って自給自足の生活。

魚を与えに行って魚の取り方を教わって帰る様なところですね。
この日、私は子供達からたくさん勉強させてもらいました。



私事で恐縮ですが、この際ですので人に言った事が無い思い出を語らせて下さい。

私は小学校一年生までは都会で過ごしました。
その一年生の時、同じクラスにフィリピンの女の子が居ました。
そんなに器量の悪い子じゃないんですけど色の黒い子でした。
なぜかお遊戯でその子と手をつなぐのが嫌で嫌でたまりませんでした。
直接馬鹿にすることは無かったのですが、あからさまに避けて酷い事をしました。

2年生のときに田舎に引っ越したのですが、すぐ近所が結構大きな孤児院でなんと差別と偏見の男、私の遊び場になっていました。
用務員さん夫婦と私の両親も家族ぐるみでお付き合いしていまして、それこそ「お塩が切れた~」「お風呂沸いたよ~」の中でした。

孤児院の友達がたくさん出来、次第に大陸的な考えをする様になった私は、1年生の時にとった自分の行動が恥と共に腹が立ってくるようになりました。
それはもう50年も前の事ですが、20数年前からフィリピンに来るようになって、ボランティア紛いの事をする度に「償いのつもりでやれ」と鞭打ってきました。

「償い」の気持ちは「お遊戯の君」を忘れられないので変わりませんが、フィリピンに世話になり始めた頃から、「償いと感謝」に変わり、


今では、一緒に楽しませて頂いてます。



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【新日系人】 置き去りにされた子供たち その6 -学問のすゝめ-

2009年09月15日 | 新日系人
学の無い私が、
「教育」について考えて見ました。

まずはフィリピンの背景を少し考えてみたいと思います。
歴史の参考になる記事じゃ有りませんから目を通すだけお願いします。

私が小学校4年生の時に先生がこんな質問をしました。
「お前達のお母さんやお姉さんが別の男の人に犯されたらどうするか?」と。どう言う意味でどんな状況で聞かれたのか忘れましたが、そう皆に聞きました。
おそらく戦争中や戦後のことか人身売買の話だったのか、もしかして「赤いくつ」の異人さんに連れられて行った女の子の事なのか...

私は「うちのお母さんは、もし他の人に犯されたら、舌を噛んで死ぬって言ってました!」
先生はこう答えました。
「お前のお母さんは幸せな家庭に育ったんだね。」って。
どう言う意味かずっと解かりませんでした。


それが二十歳の頃に出会った歌、河島英五の「天秤ばかり」の歌詞に、

♪母親が赤ん坊を殺しても、仕方の無かった時代なんて悲しいね...♪
♪母親が、赤ん坊を殺したら、気違いと呼ばれる今は平和なとき...♪

それを聞いて初めて子供の頃に先生が言った言葉の意味が理解できました。

フィリピンに来た当初は、その歌の文句がどちらも共存している様に感じました。
フィリピンは「貧富の差が激しい」って聞いた事があるでしょう?
その「貧」と「富」が隣同士に在るんです。

以前にも言った事があると思いますが、戦前は日本人より裕福な人が多かったこと。
噂の山下将軍の隠し財宝以前の戦前から、ある一族による黄金や財宝がフィリピン全土に隠されたのを知る人は少ないが...

そして日本よりいち早く友愛団体もフィリピンに設立されました。
1912年にフリーメイソンのフィリピン・グランド・ロッジが創立。
第一次世界大戦以前の事ですね。そして大戦の翌年の
1919 年には、アジアで一番先にフィリピンのロータリークラブが出来ました。

フリーメイソンは秘密結社ではなく、友愛団体です。
フィリピンの傘下として日本のフリーメイソンが出来ました。
日本が1958年にフィリピンの傘下から独立するまでに、フィリピンのメイソンは16ヶ所ものロッジを日本に創りました。
余談ですが、日本を統治しようとしたマッカーサー元帥もフィリピンのメイソンの所属であり、少佐のマッカーサーに元帥(将軍)の称号を与えたのはフィリピン国家でした。

今、各ボランティア団体はフィリピンのメンバーとして、アメリカ人中国人等(多国籍)まで加わり拡大して、援助の輪を広げています。

差障りの無さそうな例を挙げただけですが、実際にも、日系孤児や残留孤児、またフィリピンの貧困孤児を援助する団体は、大小、田舎や離島まで手が差し伸べられて来ています。

もっと古い時代を見てみます。

1521年に、セブ島にポルトガル人の「マゼラン」が来ました。マゼランはこのセブ島に隣接するマクタン島の首長ラプ・ラプに攻撃され戦死しました。やがてスペインなどの航海者が来航し、徐々にフィリピンは植民地と化していきました。

1542年に、スペイン皇太子フェリペ2世の名から、ラス・フィリピナス諸島と名づけられました。

1898年、独立運動家の「ホセ・リサール」の意思を継ぎ、「アギナルド」(最初の大統領)によって独立、フィリピン共和国となりました。

★それまで【フィリピン】と言う国は無かったんですね。

大昔から主にマレー系の人たちがこの7千余の島々に住んでいて、南半分には次第にムスリムの人たちが入ってきました。
そこも含めてフィリピンと呼ぶようになったのです。

フィリピンは1942年までは、【ルソン】と呼んでいました。
1590年ごろ、豊臣秀吉の時代にすでにフィリピンには日本人街が出来ていて、足げに通って貿易をしていたのが呂宋助左衛門。

1900年、今から100年前にフィリピンは何千人と言う日本人の出稼ぎ労働者がいました。
フィリピン人やアメリカ人に雇われてフィリピン北部の「バギオ」の道路開発に携わった日本人を「ベンゲット移民」と言いました。
この工事の後に、様々な理由で(例えば今の私の様な)帰るに帰れなくなった日本人は、フィリピン各地に移動しました。
大半はダバオやミンダナオ近辺ですが、その頃から麻の栽培をしたり野菜や海鮮類の漁や貿易まで盛んになりました。

時を同じくして、「唐行きさん」と呼ばれる日本人女性の娼婦も増えました。

この話は前回触れましたが、少し先に進みます。

戦争になると、それら在比日本人は徴兵されました。

私はこの20数年、戦時中に日本人がとった残虐な行為を、到る所でお年寄りから聞かされました。
例えば、銃剣の先に赤子を突き刺し放り投げ、別の兵隊が銃剣で受け止めてまた放る...
そしてフィリピン女性を慰問婦として非人道的なことをする。等々...


戦争が終わると今度は、フィリピン人の恨みを買い、移民してきた日本人とその家族は隠れて生活をすることになる。
(現在でも似た状況がある。一部の日本人の行いで、在比日本人が同じ様な目で見られている。)

日本人であることを隠し、日本の言葉も使わず、書類も処理して、隠遁の生活を送る。【日系人】の始まりである。
また多くが日本人に置き去りにされる。【残留孤児】となる。

多くが今になっても日比両方の書類が無く、学校に行けない状態である。
この書類不足が理由でまともな就職も出来ない。


★私の勝手な考えを言います。

フィリピンが、まだフィリピンと呼ばれていなかった時代。西暦1500年以前のフィリピンでしたら、いえ、日本人や、ポルトガル人、スペイン人、アメリカ人、中国、韓国人など、多国籍の人間に引っ掻き回されなかった時代から言えば、

フィリピン人は勉強する必要が無かった。

フィリピンは、天国だったからです。

魚も果物も野菜も豊富。何も不自由は無かったのです。


フィリピン人は怠け者?

ずっと考えてきました。だって日本人よりまじめに仕事をする人もたくさん見てきましたし、マージャンなどで明け暮れする人たちも見て来ましたから。
これは、遠い昔からの、まるでDNAの中に組み込まれているかのような、

「のんびり」「おっとり」「その日暮らし」の性格でしょう。


フィリピンの人は昔から、お年寄りを大切にします。
日本のような「姥捨て山」も有りません。
子供の頃はまじめに早くから仕事をして親を助ける。
親の代は仕事に就くのが難しい。
老人になって、メイドや子守りの仕事が出来る。

これは余談ですが、フィリピンの人は小さいでしょう?
赤ちゃんを老人がいつも抱いていると、老人は元気になり、
エネルギーを吸い取られる子供は小さくしか育たない。
(これは、生体電気の関係です。)

もう一つフィリピンの特徴を。いや、日本人との違いを。

日本人は、誰でも英語を読めるでしょう?
意味は解からなくても、ローマ字に近いから。
タガログはなおさらローマ字読みに近いですね。
棒読みでも英語は何とか読めます。でも使えない人が多い。
文法や、恥を掻くことを気にして、しゃべれない。

反対にフィリピン人は、日本語が読めない。
しかし平気で喋ろうとする。

この事は、フィリピンの人が教育を受けたらどんなに素晴らしいことかと思います。

今は、勉強が必要です。対象物(敵対、生活、希望)がありますから。
昔と違い、知識が無ければ損をします。(私みたいに)

私は自分の子供には、ABCの文字を勉強させるだけですけど...


それから、私がフィリピンの人に掛け算を聞くと、答えに時間が掛かるので、どうやって計算しているのかと昔から何十人もの人に聞いたのですが、目の前に掌を広げ、ぴんと伸ばした右手の指先と左手の何番目かの指先をくっつけ、『こうやって...』と、変わった数え方をしてみせる。
ある人たちは、何とか子供のときに記憶していると言うが、どうやって記憶しているかは判らない。

この点、日本の九九は本当に素晴らしいと思う。
それに日本語も。『ににんがし、にさんがろく、にしがはち...』と。
英語やタガログでは難しい。

フィリピンの子供たちを日本で勉強させてあげたいと思う。
本当は、フィリピンの先生たちを日本で勉強させたい。
日本の高卒がこちらの大卒と同じで、しかも教育法が気になります。
本当に、日本で勉強してほしいと思います。

ただ、日本の教育に疑問もありますけど、
日本人の、常識有る教師に教えてほしいと思います。
(私の先生は常識有る人だったのに、何で私は馬鹿なのよ?)


★日本の人に知ってほしい昔の日本人(一部)の性格。

日本人は、天国の住民に、無茶苦茶な事をして来ました。

全日本人じゃありません。しかし相当多数の日本人に依って多くの事柄が隠蔽され捻じ曲げられてきました。

私は日本人の本質が大好きで、日本人に生まれたことを誇りに思います。
戦後の日本人の団結や復興、集団心理、凄い物を持っています。
しかし、私を含め異常な残虐性も...
嫌になる程の、他者軽視、差別、偏見、他人を悪者にする ことも。

常識ある日本人は、日本にいてフィリピンに同情します。
日本人がして来た事を判っている人は、恥だと言います。
変わった日本人は、ここに来て直接フィリピンを助けています。
だけど日本人は、まだここフィリピンでの団結力は足りません。
中国人組織や韓国の組織力には到底及びません。
日本人が纏まれば凄い事が出来るのに...

日本は、戦後復帰や革命が早く、目を見張る勢いで世界に名を上げました。
名を揚げると同時に日本の汚点を改竄する様になりました。

「人身売買」「売春」「出稼ぎ」「〇〇行きさん」「娼婦」「赤線地帯」「女衒」「不法投棄」「強姦」「虐殺」「幼児虐待」

これは日本のこと? フィリピンのこと? 
どちらもです。 そして、
日本人がフィリピン人に対してやって来た事でも有ります。

だからと言って「反省しろ」とか「助けろ」と言ってるのじゃ無く、
私は仲を取り持ちたいだけで、
ただ、どちらも誤解を解いてほしいだけです。
私も偏見がありましたから。
そしてここに来た当時は、「お前は日本人か?」と言う、家族を殺された老人に襲われそうになった事も有りますから...


しつこく言いますが、ここにはたくさんの日本人が援助活動をやっています。
NPO,NGO,財団、組織、そして個人レベルでも。
折を見てご紹介していきたいと思います。

日本におられる方は、日本から見て何をどうすれば良いかアドバイスをしてほしいと思います。
ここにどっぷり浸かっている私には、逆に見えていない部分も多いですから...


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【新日系人】 置き去りにされた子供たち その5

2009年09月13日 | 新日系人

その4(前記事)でコメントを頂きました。


すごく大事なコメントですので、


記事の中で考えたいと思います。



頂いたコメントは、ここをクリックして是非読んでください。
すごく大事なコメントです。

****************************************


私のブログより重たいコメントを頂きました。
ABCさん、カガヤンボーイさん、幸せこだわり住宅職人かずさん、
そして、 aki さん、ありがとうございます。
コミュニティの皆さんからもいろいろメッセージを頂きました。

皆さんの意見を、偏らないように懸命に考えてみました。
「下手な考え休むに似たり」って、私の場合は下手な考えだけじゃなく、文章も下手だから、プレッシャーでこのままブログが終わってしまったりして。(笑)
の~天気なPinoy には重すぎる課題ですよ~

****************************************



ABCさんの言われる、「フィリピンの人は、無気力で賭け事ばかりやっている。」と言うことに付いて、何日も考え込みました。
ちゃんとした結果が自分に出てこないんですよ。
カガヤンボーイさんが言われる「フィリピン人は、よく働く人種」と言うのも、賭け事ばかりやってる人たちも私はずっと見てきましたから、それを慣れっこになっている私は、どう説明したら良いのかまとめ切れずにいます。
これ、次回の私の宿題で良いですか? 歴史や背景を考えるから、長くなりますので...

同じくABCさん、
「一人でも幸せに成って欲しいと思い自立の為の支援をしていますが、心なき人は騙されている・・・と
見返りを求めていないので騙されているには当てはまらないと思うが・・・」と言うのは、見返りを求めてなく、心から支援するのは、騙されている訳じゃないと私も思います。
是非頑張ってほしいです。

ただ、すみませんが私は自分のやるボランティアに、見返りを求めています。
それは、命を助けた人に、見返りに命をくれとは可笑しな事で、100%を返してくれるはずが有りませんが、そんな事を求めるのじゃなく、目に見えないものの見返りは2倍にも3倍にも成って返って来ます。
人を助けたときに、何とも言えない喜びを得たとすれば、それは偶然でしょう。
でも、その喜びをもう一度、いえ何度でも味わいたくてやるのは、見返りを望んでのことでしょう?
「心なき人」も、おそらくそのことを判っていると思います。
ただ、「心なき人」があなたの周りの人だったら、やきもちとか、勿体無い、と思ってそういう事を言うのじゃないですか?
「そんなお金をだれ彼に使って勿体無い、私にくれたら良いのに。」とかね。

もう30年以上前のことですが、私の師匠がインドに言った時のことを話してくれました。
『インドではたくさんの子供たちが、周りに寄って来て手を差し出し、お金頂戴!、お金頂戴!とまとわり付く。その子供たちに言わせると、自分達にお金をくれる事によって、あなたのカルマを一つ取り除いてあげるのだ。と』
あつかましいと思ったけど、一理あるなとも思いました。
不思議なことはたくさんあるんですよ。人は、分相応以上の、余分なものを持っている時が有って、それを人に施すことに依って病気が治ったり、何てことも多いし。
大金持ちの人や裕福な人は、いえ、裕福に成る為に必ずボランティアをやっています。これはお金に限らず、豊かになる秘密の摩法です。

ボランティアに参加して、胸にリボンを貰ったり、表彰されたり、私みたいにテレビに出られたり、人によって色々見返りは有るでしょうけど、絶対に無償じゃありません。
私が一番ほしい見返りは、たった一人の小さい子からかも知れませんが、笑顔とそれに伴って胸の奥から何とも言えない慶びが湧き出てくる瞬間。これは何度でも味わいたい。
私は偽善者であって、ABCさんにアドバイス出来るような人間じゃありませんけど、是非心からの支援を続けてほしいものです。
コメント、有難うございました。

カガヤンボーイさんの意見(案件)に賛成です。

① 公の書類発行手数料の無料化。
② 就職内定者のユニフォーム代の貸付。
③ 初回給料日までのバオン代及び交通費の貸付。
④ 高校まで教育費の無料化。

確かに就職をしようと思うと、まず必要書類などを準備するお金が掛かりますね。
アロヨ大統領が掲げるスローガン、『10 ミリオン・ジョブ』は、実現させるのが難しいですよね。

『草の根的な活動がこの国の未来を変えると信じています。』
有難うございます。これ、同感です!!

『日本人難民1号(ピノイ)さんがバランガイキャプテンに立候補』?
やめてよね~! ぷ。


幸せこだわり住宅職人かずさん、
不法占拠って直訳が良くなかったと思います。
無断で線路脇や他人の土地に家や小屋を建てて住んでるんですが、小さなものです。
いくら貧困のために家賃が払えなく無断で小屋を建ててると言っても、何しろ不法ですから、こそ~っと、こじんまり~と建ててるわけです。
ただ【集団の中の一人の心理】で、小さい掘っ建て小屋だから自分だけは捕まらないだろうと皆が思って建てるから、あっという間に集落になってしまいます。
そこへ私塾や耕作地ををつくろうものなら集落全員、強制立ち退きは必至ですね。

『国がよくなって行くためには、教育は絶対に必要だと思います。
先が見えないのなら、少し力技が必要なのかなぁ~』...
かずさん、そうかも知れませんね...
何か他にアイデア有りませんか?


aki さんの考え方、私は有難いと思います。
訳あって結婚できないとありますが、ちゃんと自分なりの責任を取ろうとしておられます。

『将来は何があるか何が起こるかわからないです。責任取れるだけ取りたいと思います』
『サインの件もう少し教えてください
いくつペーパーは存在しますか?また
特に子供に起こる問題、自分に起こる問題、
など教えていただけるとありがたいです。』

はい。私に分かることを言います。曖昧な部分は後日また調べてお伝えします。
私は、置き去りにされた子供たちの、両親のどちらが悪いとかは言えません。
事情も色々あると思います。
仲を取り持つ者として、私は置き去りにされた子供の両親のどちらがどう悪いとはあまり触れたくはありませんが、この一連の記事その1から最後に言いたい事が aki さんの心配される
「何が起こるかわかりませんよ~」ですけど、このブログを読まれるお父さん次第で「安心」されたり「恐怖」を感じたりされると思うのですが、私は脅す様なことは言わないつもりでしたが、まさか「置き去りにされた子供たち」と言うタイトルでそれを感じて頂けたことを嬉しく思います。

aki さんはまだ、お子さんと離れて暮らしているだけで、置き去りにしているとは言えないと思いますが、どちらのケースも予測されそうな事を考えて見ます。

現在お子さんは4歳と言うことですから、幼稚園に入られるまでの1~2年間はそれほど心配は無いと思います。
ただお母さんたちがおられる地域によりますがお子さんの出生証明書は必要だと思います。地域によるなど曖昧な言葉ですが、事情を話せば受けてくれる幼稚園や学校は在る筈だと私は思っているからです。私独特の「在比日本人」気質ですから「運、不運」や「コネ、カネ」を含んでいますが、本当はあり得ません。
入学申請時の書類は、そのまま卒業や社会に出るときの書類を決定してしまうからです。
洗礼証明書も同じです。神の子と成るので間違えられません。
洗礼は、やむを得ず受けない子供も居ますが、お子さんの将来に問題になる事が多いです。
例えばお子さんが教会で結婚されるときなど、洗礼証明書が無ければ出来ません。大人に成って慌てて洗礼を受けることも出来ますが、少し困難です。
これは遅延洗礼を受け入れてくれる教会がありますから、100%大丈夫です。
ただし、正規の出生証明書が必要です。

そうですね。
普通に生きて行く上で、一番大事な書類が【出生証明書】です。

将来において、【出生証明書】が無ければ他の種類も作成されません。

NBIや警察の無犯罪証明書も、卒業証明、各種免許証、結婚証明書、パスポート、全てです。

もし【出生届け】に誕生日を一日でも間違っていたら、その間違っている誕生日で一生を送ることにもなります。

【出生証明書】が無ければ人間じゃない様な感じです。


★ただし、それ程重要な書類ですから、作ることも可能です。

少なくとも aki さんのお子さんは、父親名が無いだけで、お母さんが私生児として提出している筈です。

アドバイスなんておこがましけど、
ここからは、私の話に耳を傾けてください。

akiさんのことを名指しで言うんじゃなくて、実際にあったケースで「ハナップ・ブハイ」という「生きる為の手段を探す事」が必要ですから普通の知恵ある人にはやらざるを得ないことです。そして私は日本人の被害を無くしたいから言うことで、フィリピン女性の悪口でも偏見でも有りませんから誤解の無い様に、ただ、耳を傾けてください。

フィリピン女性が「出生証明書のことは心配しなくて良いよ」と、女性が言った場合。
考えられるのは、日本人男性に、負担や心配を掛けたくないと思う女性の優しい気持ちから。
若しくは、【出生証明書】に触れられたくない理由がある。

前者の思いやりは、私生児として登録を済ませてるか、女性の父親や親類知り合い等の名前を使って登録しているか、本当に疎い人で、何の対策もやってない人。

後者の触れられたくない理由の場合は、実は子供の父親は別の人であった。り、日本人の父親と別れたい。別に結婚したい人がいる。場合でしょう?

何はともあれ、サインをするしないに関わらず、ご自身でフィリピンの最寄の機関(産婦人科、市役所、NSO)で調べてみた方が良いと思います。
aki さんの事じゃないですよ。もしそれが aki さんの女性がやっていたら、きっと罰が当たりますよ。

次に、もし父親の名前が本当に空白だったとしたら、今の時代、いくらシングルマザーが流行っているとしても、父親が空白じゃあまずいでしょう?
お母さんが生きる為に日本で仕事がしたいとか思えば、他の日本人の名前を埋め込むことは簡単です。
ましてやエンターテイメントがいなくなった日本、子持ちのお母さんを日本に入れようと手薬煉を挽いてる業社はたくさんいます。

「手薬煉を挽いてる業社」に、要注意です!!

業社にも良し悪しがあります。セブのSNNの岡さんや日系人会は、日本大使館も認める優良社でしょう。
もし、悪徳業者と接触した場合で、【出生証明書】の空欄にに埋め込む偽お父さんが見当たらなかった場合、あなたを脅すことに成るでしょう。
これは前にも言いましたけど、日本人お父さんの事情は、もう関係ありません。あの手この手で脅されますよ。

ホテルのロビーで2度ほど、日本のお父さんに国際電話をしてる人の声を聞いた事があります。
『てめえ! この野郎!!、自分のして来た非人道的なことわかってるのか!?奥さんに全部ばらすぞ!!』

言葉使いはすごく悪かったけど、言ってる内容は、良い業者もこれに近いことを言いますよ。

フィリピンと日本の事情が、ここ3年前から変わっていることに気が付いて下さい。
日本への出稼ぎが難儀している今、「日系人」「新日系人」「国際結婚」等の入国が増してきた今の時代を覚えて置いて下さい。

脅しじゃ有りませんが、「お父さんに会いたい」「お父さん愛してる」と言う自分の子供から潰されない様にして下さい。
また、そんな思いを子供にさせない様にして下さい。


★私にアドバイスのコメントをくれた人に、私がものを教えると言うのは本末転倒で申し訳ありませんが、
一応、 【出生証明書】に署名するのに必要な申請書を書きます。

1、お父さんの戸籍謄本。
2、お父さんのパスポート(複写)

それだけです。
それだけですが、お父さんが一緒に現地の最寄の市役所に行かなければなりません。
そこで弁護士さんの前で署名をすることになります。
(裏の道はありますが)この正規の手続きをやって下さい。

パスポートがいるのは、子供のお母さんとあなたの接点の場所と日付けを確認する意味も有ります。

印鑑は要りませんが、この市役所で作成した【出生証明書】を、お母さんが【NSO】から受け取り(4年間の遅延届けですから、何ヶ月も掛かります)、日本領事館に届けを出せば良いだけです。
ただし、この場合は、対処して置かないと、そのままあなたの戸籍謄本に、【認知】として登録されてしまいます。

【出生証明書】にサイン、の説明はこれで良いですか?
解からないところが有ればまたコメントかメールを下さい。

これで終わります。


もし、お父さんがフィリピン女性との揉め事を避けて、子供に少しでも愛があるなら、是非【出生証明書】にサインして下さい。
そして、出来れば洗礼まで終わらせる事が出来れば幸いです。

【洗礼】は、殆ど教会への小さな寄付で終わります。
日本人のお父さんなら少し多めで1万円は掛からないでしょう。
教会により、【ニノン】や【ニナン】一名に付き、500円くらい寄付を求めるところも多いです。
日本人のあなたが同席なら、当然教会の洗礼のあとに食事会と言うことになるでしょう。
【】言葉の意味はここをクリックして見て下さい。

ここでチョッと変なアドバイスですが、
難しい事情でやむを得ず子供を置き去りにしなければならない場合でも、少なくとも、この【洗礼】、出来れば【認知登録】くらいまでは済ましてあげた方が後々不安にならなくても済むと思います。

これは何故かと言うと、女性には【玉の輿】に乗ると言う言葉が有ります。
彼女たちをフィリピンに置き去りにして、日本で隠れている人も後で痛い目を見る事があることを知っていてほしいのです。

昨日までメイド(お手伝いさん)をしていた田舎の子が、今日は宝石を体中に着けて現れたり。
ダバオから来たばかりの子を外出禁止にしていたら、ダバオの船の中で知り合い恋人になった男が警察官で、男の要求どおりにデートが出来ないもので、同居しているタレント200人と共にプロモーターが逮捕されて一夜にして大きなプロモーション会社が無くなった。
なんて事は少ないことじゃ有りません。

だから自分も一緒に【ニノン】や【ニナン】を選んで、さっさと【洗礼】を終わらせて置かないと、お母さんが勝手にやった【洗礼】のおかげで、夜も眠れなくなりますよ。

カガヤンボーイさんが言った様に、草の根的な活動が活発になって来てますから、明日市役所に行って自分の戸籍謄本を見たら、置き去りにした子供がいつの間にか登記されていた。なんてことは、ほぼ毎日、日本のどこかで行われているような時代ですよ。

責任を取る意味でも、出来るだけの事はしてあげて、ここまで、と言う限度をちゃんと話して和解の証明までサインしておかないと、トラブルは避けられないと思います。

日本人の人がここに来て、セットアップで捕まるようなことも有りますが、女の子とのトラブルはひどいですよ。

3人の女の子が強姦されたと訴えると、訴えられた人は、毒を注射される死刑ですね。


理解できますか?


次回こそは【戸籍謄本】をなんとかUPの予定です。

ごめんなさい。また寄って下さい。

ありがとうございました。


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【新日系人】 置き去りにされた子供たち その4

2009年09月08日 | 新日系人

貧しい子供たちの居る小学校へ


美味しいヌードルを食べさせようと


キワニス・インターナショナルの


学生部(KEY CLUB)の人達と


炊き出しに行きました。






できたよ~。



順番に並んで名前を言ってね~。



さあ、みんな、たべなさ~い。





おいしい?





たくさん食べなさいネェ。





誰だよこのメタボのおじさんは?


今じゃもう、この後急に20㎏ほど痩せたけど、この日は本当にブクブク太った自分が恥ずかしかった。2年ほど前の写真です。

ここで手伝ってくれた大学生の皆さんは、キワニス・クラブと言う「子供たちに未来を」のスローガンを掲げるボランティア団体の大学生グループです。

私はビリアモール空軍基地【マニラ国際空港を含む】の代表をしていて、この大学生のグループを6大学の6グループを作りました。
勿論、キワニスメンバーや学生たちの協力を得て、『私がやらなければならないこと』の目標の【KEY CLUBU】キー・クラブ10組作る。の内の6組だけ達成できました。この学生グループは、支援物資の袋詰めや医療支援プロジェクト、や、こういった学校や施設の食事作り等幅広く活躍してくれています。



これらの写真は、前記事の本文とコメントにありました、貧しい子供たちの登校交通費10ペソ(20円)の説明の為に掲載した写真です。

幸せこだわり住宅職人かずさんのコメント欄
幸せこだわり住宅職人かずさんのブログ 
「住宅職人かずさんのしあわせ絵日記」
>色々な問題があるんですね。
文面からだけでは、詳細がわからないのですが学校に通う交通費の問題に関してですが学費が無料で教育が受けられるということであるなら歩いてでも通うべきです。距離的な問題もあるとは思いますが情熱があれば、10キロくらいは歩けるのではないでしょうか?日本の農村地帯の子どもたちが、昔そうしたように・・・。
度が過ぎる上膳据え膳では却って、モチベーションが下がるのではないでしょうか?
文面だけでの判断ですので、違っていたらご容赦下さい。<

この写真の学校の校長先生から「学費は何とか援助が有って無料で子供たちに勉強をさせることが出来るけど、交通費の毎日20円が無くて、登校率が良くない。」と言われました。

このときに、私は「幸せこだわり住宅職人かずさん」と同じ事を思いました。

そして、私たちはこの後、帰宅する時に子供たちが住む自宅を回って帰りました。

写真が見つからないのが残念ですが、そこはラグナ州からケソン州まで走る汽車の線路脇に作られた掘っ立て小屋の不法占拠貧民窟でした。
スラム街のもっと酷い状態で、ブリキトタンやベニヤ板を拾って来ては蓑虫のように作られた家々が線路沿いにズラ~ッと軒を並べていました。
日本で昔見かけた、橋の下に作ってある様な貧困者の小屋、といえば想像がつきますか?

このような不法線占拠住宅は、何度も何度も取り壊されたのですが、長い長い線路の端から端まで、まだまだ貧しい人達の集落は後を絶たずに作られています。
小さな駄菓子屋やサリサリ・ストアーまで出来ているところもあります。
線路を利用して自分たちで作ったトロッコに人を乗せて運びその日を凌いで人達もいます。
このように不法無断居住者たちのことをスクアッター(Squatter)と呼びます。

ここに掲載している子供たちは、「新日系人」ではありません。
いや、いるかも知れませんね。
この記事のシリーズその1から話している、ゴミ拾いをしている3兄妹は、このスクアッターのような家族です。

私もこの線路から100mほどしか離れていない所に住んでいて、自称【日本人難民】と言っていますが、私の息子もここからトライシカルという自転車式の乗り物で毎日往復40円掛かっています。
1年生ですが、このお金は大変なもので、何度子供を休ませようかと思ったことでしょう。
マカティ市ですから、市長さんのお陰で学費から制服、ノートまで無料支給ですが...

話を子供たちに戻しますが、まずここを見ていただけませんか?
最近私が【日本人難民2号】(笑)の認可をした「カガヤンボーイ」さんのブログです。
それに、「マムー」さんのこのページ。「庶民の足」です。


話を、写真の子供たちに戻します。

この子供たちは、住んでいる線路際から学校までかなりの距離があります。
不法占拠地を通り、一つの3車線国道のインターチェンジを乗り越えて渡り、無事に渡り終えてもそこから学校までまだ5キロくらいはあると思います。

ここでかずさんや私や、おそらく日本の人達が考える、『歩いていけば良い』ということ。
私も小学校1年生から5年間、毎日10キロほどある田舎道を歩いて登校しました。
6年生の時は小学校のまん前に引越しをしましたが、中学生になるとまた10キロほど遠い学校に通いました。

ところがここはフィリピン。地理も環境も違います。

学校も授業料の高いところはたくさんあります。
ただ、そこに通える人こそ、豪華な車で送り迎えです。

フィリピン全土殆どの地域にもこのような写真の子供たちがまだまだ多いので、ここの写真の子供たちを一例だと思わないで読んで頂ければ助かります。

この交通費毎日20円は、本当に高いんです。
情熱? 情熱はあります。 生きる事への情熱は多分あると思います。
学校に通う情熱は、...判りません。

小さいときから栄養と教育の無い子供たちは学びにいく気力に欠けています。
そして親は子供が学校に行く事は願っても、この20円の出費は嫌がります。

20円は日本の人から見れば小さな交通費でしょう?
フィリピンの20円は、価値観が違います。
勿論20円は、日本円に換算してですから20円です。
ただこれは、タクシーの20円じゃなく、自転車の20円ですから、価値を考えると、
日本の田舎の広い道を1、000円でいける距離。位の価値があります。

そしてここは、日本のような安全な学道はありません。
田舎も危険、街中も危険。交通整理をしてくれるおばさんもお巡りさんもいません。
この子等のように、子供だけでハイウェイを渡ろうなんてとんでもない事です。

次の問題は、バオンと言って、子供たちが学校食べるおやつか昼食代です。
10円から20円です。もし交通費の20円を節約して歩いて行けたとしたら、お腹がすくのでこのバオンは20円から40円必要になります。

そして学校から、もし歩いて帰れたら今度は食事が通常の食事量では空腹に耐えられないでしょう。

おそらく親は歩いて行くようなら学校に行ってほしくない、と言い出すでしょう。

実際に私がそうです。今は引っ越して、学校まで子供が往復で40円ですが、これでも大変です。以前1年間は歩いては行けない遠く危険な道のりなので私が良くタクシーで送って行きました。
その時は往復300円。送っていって帰りは1時間かけて歩いて帰ったこともあります。
2年ほど前までは10年近く私や子供が車に乗るときは、運転手やボデイ・ガードがドアを開けるような生活をしていましたから、私は貧乏人らしい生活は出来ても、息子は慣れていません。
何度「歩いていって来い!」と言ったことか判りませんが、たとえ息子が歩いて登校しても、今度は誘拐に遭わないかと心配です。
私の息子、7歳ですが結構顔を知られています。
そして、この1日2~300円の交通費と、おやつ代の40円の理由で、前の学校の最後の1ヶ月は、毎週土曜日だけ登校させました。
それでも、マカティの小学校には入れたのは、息子が前の学級で一番だったと表彰されたことからです。
ところがその前の学校の先生から言われたのは、「息子さんを早く迎えに来て下さい。ちょっと目を放した隙に、近所のスクワッターの子らと一緒になって、近所の家の玄関に石を投げて回ったりするから。」と、何悪い奴なんだ...(親子よく似てるナ)

笑わないで下さい、私のことを書いてるのじゃ無くて、一例を言ってるんですけど、
これが実際にスクワッターの子となると、学校の登校中に誘拐されることはもっと起こりうる話です。

親に身代金を請求しても、1万円も出ないのはこの子達の親も私も同じですが、子供自体を必要とする人にとっては、うちの子よりスクワッターの子の方が利用価値があると言うことです。

悪の組織、シンジケートは、フィリピン全土にいて、子供たちを管理して、女の子は売春、幼い子らは、町を徘徊させて「オカネチョウダイ」「ヒャックエンチョウダイ」で、小銭を荒稼ぎ。
こういう子供たちは、教会前や空港付近、飲み屋街などで、今でも見かけます。

ここからのお話は、坦々と話しますので坦々と聞いてください。

この「オカネチョウダイ」の子供たちは、そういう誘拐された子供たちや、町のビルの隅に木箱の中やダンボールを敷いた上に眠るスクワッターの子供たちも居ます。
みんなが可哀相かというと、そうでもない子も混じっています。

と言うのは、せっかく孤児院である程度の不自由とは言えない生活が出来るものを、塀を乗り越えて街に逃げ出す子も後を絶たないからです。
中には、親の暴力から逃げ出した子、親と一緒の貧困から逃げ出した子、友達に誘われた子(うちの子のように)も居るのです。

そしてこれは嘘でも何でも無く、ある程度フィリピン慣れした人には分かっている真実ですが、

その中に私は何人の「新日系人」や「日系人」の子供を見たことか。

冗談ではなく、私は財界の知り合いはいませんが「スクワッター」の知り合いはたくさん居ます。

ロハス大通りのレストランを出た時に、居合わせた上院議員を跳ね除けて私に向かってきた子供たちは、「クウヤ!」「クウヤ!」(お兄ちゃん!)です。
一昔前は、孤児の子供から映画館の中でも見つけられました。
「お母さんと会えて靴を買ってもらった。映画も見に来た。」と言う。
その子は家出をした子供ですが...
友達ですよ。本当に、ちゃんと顔も覚えてるし。

かずさんの言われた勉強に向ける「情熱」がほしいですね。

何故その情熱が無いかと言うことに2年前に私達は気がついたんです。

栄養が足らないんです。

今の私の様に、そういう時期は体力とお金を消費しないようにして、じっと生き抜くことに専念する事をやっています。

結局、子供は20円があれば、親から一時逃げて学校で勉強し友達も出来るんですが、
歩いて通うには、危険と隣り合わせであり、体力が無く、気力も無く、バオン(昼食代)や朝夕の食事代に負担が掛かります。
スクールバスを走らせれば、そこに運転手費や燃料費も掛かります。

日本と価値観が違うために、20円は大きな助けです。
ただし、大きなお金です。

子供が学校に行かないのじゃなく、親が行かせないのですね。
いえ、行かせたくないし、行かせられないのです。


★ ★ ★ ★ ★ ★

 

勿論、上げ膳据え膳は子供のためにも良くないですよね。

だけど、フィリピンで一番大事なのは、教育です。

この距離を縮めるのは、学校を増やすことも一つでしょうね。

それからもう少し、後もう少しだけの助けが要ります。

これだけしてやったから、後は勝手にしろじゃ無く、そして徹底的な援助でもない。

後ほんのちょっとです。

何とかそれを進めなければなりません。

幸いにも、子供たちは逞しく生きています。

幸いにも、援助団体も気付いていて、少しずつ都会から遠方の地域まで援助の手を伸ばしています。

私にできる事が無いでしょうか?

みんなで考えました。

食塩を何表か買って学生たちにも協力してもらい、5㎝真四角の小さな袋に詰めて貧しい家庭に配って歩きました。
この塩は、(Iodized Salt)アイオダイ・ソルトと言って、ミネラルや栄養分がたくさん入っている塩ですが、日本では普通の食塩ですね。
(人間に一番大事な塩の摂取が不足しているんです。)

これは、組織的にやって、継続も出来るし小さな離島まで手渡す事が出来ます。

他の組織にもお願いして。

日本人難民の私にも出来る事があると思います。

このヌードルを作ってくれた若者たちに期待したいです。

この学生たちも、貧しい時代に助けられた人達です。

上げ膳据え膳は、本当に人をだめにします。

だけど、もうほんの少しだけの助けが必要です。

そして教育です。

助けられた人が、今度は人を助ける側に回れるように。


私が思うことをまとめます。

空腹な人達に、何度も何度も魚を与えないで、
魚の獲り方を教えましょう。

きっとこの貧しい子達、未来の主役ですね。

そして手伝ってくれた学生軍団、パイロットになった子もいる、
軍隊に入った子もいる。デパートに就職した子もいて、今でも連絡してきます。

Pinoy おじさんの、未来の人脈ですね。




ごめんなさい、また紙面が足らなくなっちゃった。

【戸籍謄本】の件、たぶん次回で...


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【新日系人】 置き去りにされた子供たち その3

2009年09月07日 | 新日系人
「かっぱいさん」と「幸せこだわり住宅職人かずさん」からコメントを頂きましたが、ま~た私の「文章べたの長文癖」がでたので、返事を記事の中に書き込みました。

本文は後です。



先の、かっぱいさんが言われた様に、確かにフィリピンは売春が出来る国と言うイメージがあります。
何年か前までは韓国も売春ツアーが出来る国として、日本のおじさんたちの観光地のひとつに入っていました。

ところが韓国も買収禁止法が出来て、おじさんたちの行き先はフィリピンに向けられました。タイもそうですね。
そんなおじさん達が単独や団体で遊びに出かける目的はもうひとつ、ゴルフが安く楽しく出来るところ。
その点で、観光客は戸惑いました。 

輪を掛けてジャパ行きと言われたタレントの日本行きが2005年末から規制されました。
タレントも日本のお客さんもあわてて結婚する人が増えたのが2006~2008年、偽装結婚も増えました。

もうひとつフィリピンで起こった問題は、韓国の規制で無くなったキーセンパーティーのお陰で韓国の人が驚くような人数でフィリピンに来ました。
実は、売春を楽しむのは日本人のおじさんだけじゃ無かったんですね。
今ここフィリピンは、どこに行っても韓国の店やクラブを目にします。

更に加えて、2008年、マニラの市長さんがアチエンサさんから元市長のリムさんに代わり、マニラのロハス沿いのファスト・フードが並ぶ若者たちの歓楽通りが一掃されました。
今のリム市長は、以前にも市長をしていまして、その時に、フィリピン一の歓楽街と言われたマビニの売春クラブを閉めて回りました。

2006~2007年、「ハンター」と呼ばれる大統領府所属のグループが、売春クラブや素裸で踊るダンサーを取り締まりました。

こんないろんな事情から、結果、売春が出来る国と言われたフィリピンは、そういう観光客が殆どいなくなってしまいました。

今のマニラ市の歓楽街、マビニ、エルミタ、マラテなどは、綺麗な町に変わっています。
ナイト情報やそれぞれのオーナーのブログがあるので調べて下さい。
日本人のクラブも沢山あり、オーナーたちは纏まり、ボランティアをやったりしてフィリピンに貢献しています。

簡単に売春できる店は少なくなりました。



日本人は?

これらの事は、日本が経験して来た事に似ていると思います。

私は日本の政治経済はまったく分かりませんので、私個人の感覚で思う日本のことを言います。

いにしえの昔から日本人は特別な魂を持っています。
そして日本人だけ世界中の人間の血を持っています。
「5色人」と言われ、黄色は勿論、赤、青、白、黒、の5色の肌の色を持つ人種が日本人です。
「神の国」と言えば語弊があるでしょうが、神道も仏教もキリスト教も日本人は全て受け入れて行事毎に使い分けもします。
外国の人がどんなに上手く日本語を使えても、絶対に真似の出来ない「言霊」を、日本人は自然と使っています。
日本人は「集団心理」と言う言葉がありますが、土壇場になると「集団の中の一人の心理」が正しい方向に作動するのが日本人です。
日本だけが代々続く「天皇」を象徴に持ち続けています。



そして日本人は、数々の試練を乗り越えてきました。
関東大震災や戦争や。 そうそう、その戦争前にフィリピン北部のバギオ地方を開発するために多くの日本人が出稼ぎに来ました。
そこから散らばってダバオやミンダナオで日本人は、麻やい草の栽培、ちりめんじゃこの捕獲等を行い、数多くは現地の女性を妻として働きました。

その前後して日本女性の「唐行きさん」が活躍しました。(良い様にとれば...)
米軍兵から罪のない一般市民の女子がレイプ(犯されること)されるのを阻止する為に、率先または強制的にフィリピンを含む東南アジアに行かされ売春をした婦人が「唐行きさん」。

戦争になると、日本兵の碌でもない奴らにフィリピン女性が沢山「慰問婦」として犯されました。
戦後は、出稼ぎの日本人の妻や子供は、2世3世となっても殺されないように日本語や日本名を隠して生活をしてきました。
それが「日系人」です。

「日系人」の子孫に、英雄、ホセ・リサールや、フィリピン10代目マルコス大統領がいます。

舞台を日本に戻しましょう。
戦災後のひどい状態の中を闇市だの憲兵隊だのが顔を出します。今のフィリピンみたいですね。警察も含めて。

歴史の話をしているのじゃありません。日本人の話です。

その戦後の無法の状態を、今のおじさんたちは、脅威の速さで日本を復興させました。
産業革命、云々... 日本が誇るおじさんたちです。

外国に目を向けた人たちも居ます。
聖徳太子、小野妹子、空海、最澄、勝海舟、坂本竜馬、ジョン万次郎、ルソン助左衛門(フィリピン)。

そして神戸大地震。
この時私はすでにフィリピンに居ました。
しかし日本人の素晴らしさを一番実感したのがこの時です。
「集団の中の一人の心理」。さすがに日本人ですね。

復興が早かったのもさる事ながら、地震のどさくさに紛れての泥棒が一人も居なかったと聞いた時です。
住宅街でも商店でも盗まれた物が一つも無かったそうです。

これが私以外の日本人です。
素晴らしいでしょう? 日本人って。

そして、日本が変わったようにフィリピンもきっと良くなりますって。

日本人がフィリピンを変えると信じています。


もう一つ、私が小学生の時から不思議に思っている事があります。
なぜか頭がこんがらがってしまう社会科の地図です。
皆さんは迷った事がありませんか? 私だけかな?
日本地図と世界地図が重なってしまうんですよ。

このことはゆっくりお話します。

そのまま本文に入ります。


★ ★ ★ ★ ★ ★

 

「置き去りにされた子供たち」 その3



本文の「新日系人」ですが、国や政府は助けてはくれません。
日本は少子化問題が進んでいるから何十万人と言う「日系人」や「新日系人」が日本に帰ればどうかと思いますけど、国は動いてくれません。
大使館も入国管理局の市役所も助けてはくれません。

麻生太郎総理は、総理になられる前に友達と電話で話されました。
『日系人や新日系人を救って欲しい。』と。

それでも日本政府は救ってはくれません。

役に立たない、という意味じゃありません。
直接助けることが出来ないのは、システムなんでしょうね。
しかし、アドバイスはくれるし処理もしてくれます。

大使館にしても、「日系人」を扱える(申請書等)エージェンシーは何社、「新日系人」を扱えるところは何社、と決まっていますが、【Liaison Officer】リアイソン・オフィサーと言って、大使館もPOEAも【NSO】も、それぞれ連絡担当の許可やI.D.(身分証明書)を持った人がいて、書類の作成をスムーズにしてくれます。
日本では、弁護士や司法書士等の人たちが戸籍謄本の申請から取得まで簡単に出来ます。
ただし、【出生証明書】が必要ですけどね。


直接助けることが出来るのは、あなたやNPO、NGO、民間のボランティアでしょう。
近所のおばさんでも同じ、「衣・食・住」の助けはね。

ところが「良い未来」を迎えるのに大事な「教育・職・資格」は、やはり【出生証明書】が必要です。

フィリピンでは普通の小学校は学費が無料です。

うちの息子が通っているマカティ市の学校は、ビナイ市長が子供たちの制服も学費も、教科書も、ノートも全部無料支給してくれてます。
他の小学校も私の知る限り、貧しい子供たちまで、その地の自治区長たちの計らいで学費が無料です。
私立の学校の校長でも子供の教育にお金が掛からないように援助してくれます。

標準の体重や身長に満たない子供たちが居る小学校に、時々出向いて大学生のボランティアメンバーで炊き出しをして食事をさせてあげるのですが、校長が言われる問題は、貧乏な子供が学校に通う交通費が無くて出席率が少ないということでした。

交通費は大体、一日20円です。大きいですね。

もう一つフィリピンの問題は、学校が少ないことです。


少し眠くなりましたのでまとめて明日に回します。

フィリピンの事情、日本人、新日系人の援助、学校の問題、これらは少しずつ良くなったり解決したりすると思います。

だからと言って、子供を置去りにしたお父さんに、安心して良いよと言ってるのではなく、突然お父さんの目の前に子供が現れるかもしれないと言う意味を含んでいると思って、たんたんと
次回も見てください。

次回は、【戸籍】について触れてみたいと思います。


ご訪問、有難うございました。

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【新日系人】 置き去りにされた子供たち その2

2009年09月06日 | 新日系人
先日の「置き去りにされた子供たち」の続きです。

奥歯に物が挟まったような言い方では解り難かったと思います。
かと言って細かく説明をすればするほど、余計に支離滅裂になりますから素直に書くようにします。
文章が下手なのはさて置き(にして頂いて)、私は少し考え方が(異常に、かな?)変わっていますので、語弊がありますがどうかお許しください。

え~、先日は、子供の出生証明書のことを書きました。長い説明になりましたが、大事なのは【NSO】の【出生証明書】という所まで言いました。
続けます。 あ、今日は言いたい事から先に言いますね。
新日系人に、一番最低限日本のお父さんにやって欲しい大事な事は、この【出生証明書】です。
(これはおそらく私だけの本音で、他のボランテイアの方の意見では有りません。)


お父さんに置き去りにされたこの子供たちは、「新日系人」と通称言いますが、大半が孫ではなく直の子ですから実際には「新日系2世」のことです。
だからこの子らには、フィリピン人のお母さんが居ます。

お母さんのことは、「日本人の妻」や「配偶者」、「愛人」などと呼びますが、前記のサラちゃんや3人の子供たちもちゃんとお母さんが居ます。

日本人が騙したとかお母さんが騙されたとか捨てた捨てられたは、私には関係ありません。
失敗だけだと私は思っています。 ただ、二人の失敗で子供が可愛そうな目に遭うのは見てて辛いです。

お父さんから仕送りが有る内は良くても、それが途絶えるとお母さんは大変になり、重ねて病気にでもなれば子供に負担を掛け、ごみ拾いなどさせなければなりません。

ここからもっと嫌な事を言います。自分が出演したテレビ放送の趣旨からも外れますが、あえて言わせて下さい。

1、フィリピンの子供たちは逞しい(たくましい)子ばかりです。

それに、簡単にはくじけません。

2、加えて、フィリピンは愛に満ちた人々に溢れています。

放っては置けない人々が沢山います。

元々、お父さんが何とか出来ればいいのですが、倒産したり日本に奥さんが居たり、病気であったり、何らかの理由があったにしろ、現実子供はお母さんとここフィリピンに居るわけで、お母さんが子供を手放さないから子供が犠牲になっていると私は思います。

手放す、とはいろいろな意味が有り、一時的に知り合いに預けるとか援助の手続きを取るなりすれば、ボランティア団体も沢山有ります。
それをお母さんは子供を自分の手元に置いておきたくて、心ならずも自分の薬代から食事まで負担を掛けてしまっているのが大半です。

言い方が悪いけど堪えて下さい。
ボランティアの人たちは、困っている人や子供たちを助けてあげたくて、どこに困っている事が有るか、どこに困っている可哀相な人がいるか、探しているのです。
そうでしょう?援助する対象が無くなれば援助団体も無くなります。
そうなる事が望ましく、後はコミュニティ団体に変われば良い。
世界が平和に成ったと言うことでしょう?

この「新日系人」たちは、お父さんの国、「日本の国籍」を貰えることに越したことはない。
きっと素晴らしい未来が開けることでしょう。
良い団体、悪い団体が日本での仕事を斡旋するでしょう。

しかし、ここまで何年も日本の文化や日本語を知らずに育った子供達に急に日本での生活は酷でしょう?
お母さんお父さんの事情を私は関係ないと言いますが、もしお父さんが日本に奥さんや子供がいたら、今度は違う悲しみや苦しみが生まれることになるでしょう?

もし、軽い事情だけで別れ別れになっていたお父さんには、是非、戸籍に入れてあげて子供たちの「国籍」を日本にしてほしいと思います。(認知でも構いません)
それが一番で、稀にカメラマンの野崎さんの様にお父さんを探して両方に伝え、ハッピーにしてくれる人も居るでしょうが、
多くのお父さん方は、NGOやNPO団体から、『父親なら何とかしろ。』とか、『戸籍だけ入れろ。後はあんたに迷惑は掛けない。子供の仕事はわれわれが探す。』『奥さんに言いつけるぞ。』などとせまられているんじゃないですか?
フィリピンへ送金するよう強制させられ大半は業者の懐に入り、味を占めると毎月恐喝まがいにお金を取られる。

これらを仕事としている人は、こどもや母親に日本の仕事を斡旋して利益を得る人たちや、戸籍に入れてくれて日本人になった子供(18歳以上)に、フィリピン人と結婚させて大人数を日本に連れて行く業者も居ます。
(かく言う我が社も「日系人」「新日系人」の仕事をする許可と、「日系人」の代理申請手続きの許可を、日本大使館(領事館)より受けましたが、大きな報酬を受け取ることは出来ません。)

これじゃあ、事情のあるお父さんは電話を変え引越しをし、逃げて回らなければ生活を脅かされる。
違いますか?

まとめますね。

子供をフィリピンに置き去りにしたお父さん、【出生証明書】に名前を入れ、書名だけしてほしい。

そして出来ればインターネット等で何百とあるフィリピンのボランティア団体のどこかに電話をして、「私は、どこどこの何々という子供の父親ですが、事情があって子供達に何もしてやれないので、どうか助けてほしい。」と知らせてほしい。
お母さんが、そういう団体を探すのが一番簡単なんですけどね。

これが私の言う、お父さんに、やってほしい最低限の責任です。

【戸籍】に入れるのは願ったり適ったりでしょうが、それが子供の願いじゃないんです。

「未来の主役」のテレビで子供たちが言っていた夢は本当なんです。

「お父さんに会いたい。」「お父さんの世話をしたい。」

それだけです。 日本に行きたいとか日本語学校に行きたい、お金が欲しい、とかじゃあ無いんです。

戸籍が無くっても、エンターテイメントが日本から居なくなっても、本気で頑張れば子供たちは自分の力で日本どころかアメリカにでも行ける方法は、いくらでもあるんです。
そしてそれを補助する団体も数多く有ります。

しかし、

【出生証明書】が無ければ、学校も会社もまともに行けない。
ボランティアも手の施しようが無いんです。


私はそれだけを訴えたい。   終わります。



いえ、その3に続きます。


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【新日系人】 置き去りにされた子供たち...

2009年09月02日 | 新日系人

掲載している写真は、去年の5月3日に日本で放映された、2008年子供の日スペシャル番組


「未来の主役 地球の子どもたち」

のDVDからピックアップした写真です。


ここに登場するのは、新日系人の子供たちです。 「新日系」とは、「日系人」とは違い、戦後の最近になってフィリピンに来た日本人男性や、日本へ渡った「エンターテーナー」と呼ばれる
フィリピン人女性と日本で知り合った日本人男性との間に生まれた「日比混血二世」達のことです。
「未来の主役 地球の子どもたち」は、そんな新日系人の女の子たちの夢を取り上げました。
この番組は、エルサルバドールの女の子も取り上げていましたが、ここにはフィリピンの二家族だけをコマ抜きして掲載しています。
一つ目の家族は、お兄ちゃんが11歳でその下に9歳になる双子の女の子たちです。
もう一つの家族の子はサラちゃんという14歳の女の子で、今は病気で寝たきりのお母さんが14年前に日本でエンターテイメントをしていた時に知り合った日本人との間に生まれた女の子です。


この番組はTVQ全国放送で、地球の子供の夢を追ってもう既に何年も沢山の番組を制作していますが、ここで私が頂いたDVDは、この番組分だけです。
と言うのは、この子供たちと一緒に私もチョロッと顔を出しているので、記念にお願いしてフィリピンまで送って頂きました。
ダバオ市はマニラから飛行機で1時間20分ほど南へ行った所です。そこにサラちゃん一家が居て、ダバオから船で20分ほどの所のサマール島にお兄ちゃんと双子の女の子たちの家族が居ます。
フィリピンの撮影をアシストしたマムーさんが、日本から来られた撮影隊の人たちを含めて詳しい事を彼のブログに載せています。
私のブログよりも写真が大きくて綺麗ですし文章や内容ももっと濃いので、是非そちらにも寄って下さい。
私は彼のブログを見る度に涙が出ます。

日本人でない日本人 未来の主役 地球の子どもたち 第1話

日本人でない日本人 未来の主役 地球の子どもたち 第2話


ダバオのサラちゃんです。

日本人のお父さんはサラが9歳の時まで仕送りをしてくれましたが今は途絶え、お母さんは病気がちで仕事が出来ず、サラは毎週土曜日だけ学校に通っています。何年か前にお母さんとフィリピンの男性との間に出来た兄弟と一緒に暮らしています。
その男性はサラのことを可愛がってくれて3日働いた収入でバトミントンを買ってくれたりするのですが、サラは未だお父さんとは呼べません。



サラは届く筈の無い(であろう)日本のどこかに居るお父さんに手紙を書き撮影隊の人に夢を託します。




パパに会いたい...


★ ★ ★ ★




サマール島の3人の兄妹です。

3人は、ペットボトルや空き缶などのごみを拾い集めて生活をしています。







パパに会いたい...




お母さんには、なす術が有りません。



★ ★ ★ ★



サラちゃんとお母さんです。






食事は庭に生えている草や山でとれる木の葉が主です。


マルンガイと言う木の葉っぱの吸い物だけです。

お母さんはサラに尋ねます。



サラはお母さんに連れられて私たちの待つ小さなディゴス町のバランガイ(小自治区)に向かいます。



私がアドバイスをしているところです。



出生証明書にはお父さんの名前が有りません。



★ ★ ★ ★



悲しい子供達のお話で、突然お邪魔虫の私が登場して申し訳ありません。
「新日系人」や「日系人」を援助する団体はダバオにもセブにもマニラにもあり、多くの日本人の方達が頑張っておられます。
その人たちを含め「ボランティアとは何ぞや?」の記事を次回に述べる事にしまして、今日はここに登場した子供達に関することを少しだけ書きます。

私は基本的に、『子供が可愛くない親はいない』と思っています。

サラにしても、9歳までは日本の父親からの仕送りがあったのです。
サラは、たった一枚の父親の写真を大事にしています。お母さんの2度目のフィリピンの男の人は、サラを可愛がってくれますが、未だ「お父さん」とは呼べません。
彼は、トライシカルというオートバイの横に人が乗れるように改造した乗り物で、人を運んで小さな稼ぎをしているだけです。
それでも、お母さんとの間に出来た妹達と同じように可愛がってくれて3日間の仕事の稼ぎでバドミントンを買ってくれ、週に一度だけでも学校に通わせてくれています。
フィリピン人の人が日本人の子供を可愛がってくれてるのです。

実は、この後、マムーさんとカメラマンの野崎さんとの連携でついに野崎さんが自費でお父さんを探し出しました。
ただ、お父さんは余命いくばくも無い病気に掛かっている様で、どうやってその事をサラに伝えれば良いのかマムーさんは困っています。


【出生証明書】

出生証明書とは、子供が生まれた時に病院や産婦さんがくれる証明書で、写真の様な緑色の紙です。
但し、この証明書は、病院等からか本人自身が【NSO】(National Statistics Office)国家統計局に届けが済み正式な国の証明書に印刷やスタンプや署名された書類がフィリピン全国に認められる【出生証明書】です。
なお、センソス(Cennsus)と言う国勢局も含めて、国勢調査・統計局(National Census and Satisitics Office)で【NSO】とも呼びます。
普段は、【NSO】も【CENSUS】も同じと思って良いでしょう。

この正式な紙は、【セキュリティ・ペーパー】と言い、私達は略して【セクパ】と呼んでいます。

病院等から、と言いましたが、本来(正式)は病院が生まれた日や時刻や病院名、それに両親の名前や婚姻日等全てを含んだ書類を作成し、それを市役所等に持って行き、そこで処理されて【NSO】で受け取るものです。

この【セキュリティ・ペーパー】と言う紙は特別な紙で、偽造防止の為や盗難防止(どこからかは言えませんが)の為に、何ヶ月に一度とか不定期的に作り変えられる紙で、透かしが入っていたり、凹凸の印を押されたり、ブラックライトでしか見えない文字が入っていたり、下地のデザインを変えたりホログラムを使ったりと、旅券以上にややこしい作り方をしている紙です。

またこの【セキュリティ・ペーパー】は、他の各種証明書(独身証明書、結婚証明書等)にも使用されます。

そしてこの【セキュリティ・ペーパー】に、役所等からの出生証明書を印刷されたものを【NSO】からの【出生証明書】と言い、フィリピンでは何よりも一番大切な証明書です。



父親の名が無い【出生証明書】

この大事な【出生証明書】に父親の名が無いと言うことは、私生児と言うことです。
子供が成長していく過程で、母親が「シングル・マザー」と呼ばれるのはともかく、子ども自身が大変な思いをする事になります。
出生証明書そのものが無い子供達も沢山会いましたけど、学校にも登録が出来ず、国内線の飛行機や船にも乗れず、仕事にも就けない、可愛そうな子供達は五万といます。
まあ、5万と言うのは、沢山と言う意味でしょうが、実際の新日系人は10万人を超えています。


父親は何故?

病気? 奥さんがいた? フィリピンの女性に飽きた? 貧乏になった? 怖くなった? 子供が可愛くない? 逮捕された? 

色んな事情が有ると思います。が、私もマムーさんが最後に言っている言葉に同感です。


そして、フィリピンの女性は、

気候も含めて、環境の違う二人が国際結婚しても、本当に幸せに結婚生活が送れる人は5%にも満たないのです。
一時的な愛やお金が目当てでも、後で泣いても良いでしょう。だけど、

子供に罪はありませんよ。


どうすれば良い?

まず、自分で考えて下さい。
それから相談する所はいくらでも在ります。
出生証明に名前を書くことも出来ます。
戸籍に登録することも認知にする事も。
幸い今の戸籍謄本は原戸籍と新戸籍とあり、旦那さんが登記した子供の謄本を、奥さんが取りに言っても入っていないなどと言う事も有り得る?
これ以上はブログで説明することは出来ません。
【出生証明書】や、【NSO】や、大使館でも入国管理局でも色々なやり方はありますが、それぞれ営利・非営利団体のノウハウとコネクションがあり、それを暴露する訳には行きません。
ただし、それぞれの問題に合ったそういう団体をご紹介することは出来ます。


1万文字を超えそうな長文になりました。

次回に回しますね。

お疲れ様でした。

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