フィリピンの顔

フィリピンの日常や、旅行記、人、観光地、ビジネス、
出来事等を記録します。

ホセ・リサール(Jose Rizal) その1

2009年07月01日 | フィリピンの英雄
 私も自分のブログに少しこだわりがあります。

その一つに、この「フィリピンの顔」は、
タモリさんの番組「笑っていい友」式に出演した人から次回の出演者を紹介してもらい、番組の終わりに、その人に電話で「明日、来てくれるかな?」とタモリさんが言うと、「いい友!!」と紹介者が答え、次の日の出場者が決まる。

そんな風に進めていけば延々とページが出来上がる。

などと甘い事を考えてもブログは「自動更新」出来ませんね。

もっともコミュにティやミクシィは、来てくれた人の「あしあと」や「コメント」で生き物のようにページが更新されるし、エディタやエディタ・マガジンなど、友達や、自分のブログ記事を使って良いよと言う人たちに依って、自動的にマガジンが出来上がる事もある。

しかしそれも、ある程度は自分で更新をしたり、積極的に友達を増やしていければ、の話であって、「友達の友達は皆友達だ」は通用せず、「来てくれるかな?」の呼び掛けが要るのですね。

ところが私はそんな簡単な事が大の苦手です。

人にお願いする事が簡単じゃないんですね。
日本人が相手なら尚更です。よほど仲の良い友達じゃ無い限り、物怖じしてしまいます。
「プライドが邪魔をする」じゃなくて、「晩熟(おくて)が邪魔をする」。
ウェブ上であって、顔が見えないのに友達申請がなかなか出来ない。
理由の一つに、私のウェブに折角寄ってくれても、ちゃんと更新できない事が多いし、観てくれても面白くないだろうな、とすぐ躊躇してしまう。

同業者や同じメンバーのウェブにも中々行けない。
大好きな友達がブログを書いているのに、足跡を残すのに気を使う。
後でばたばた足跡を消して回るのも誤解されるだろうし…

ある人のブログに書かれていたことですが同感だと思いました。
「勝手にトラックバックをするな。トヨタのウェブにホンダの宣伝をするな!!」
です。

只その人の、「友達申請は受け付けていません」は違いますけど。
私は、ブログでもコミュでも「友達申請」や「コメント」は、有り難いと思います。
少しでも更新するのが楽しくなりますから。

私はフィリピン人の友達はたくさんいます。

何故でしょう?

多分、私が日本人である事
  そして私がフィリピン語があまり上手くないからでしょう。

変でしょう?

こんなメッセージをフィリピン語でNBIの友達にしたことがあります。

私:「今、ちょっと困っています。食べる物もミルク代もありません。
   少しお金を貸してくれませんか?」

友人:「ハハハ…」

私:「ああ、へへへ… オーケーですよ。どうも~~…」

辛かったけど、友人は言葉が通じていない振りをしたのでしょうか?
痛かったなあ。大事すぎる友達だったから。
お金以外の事でいつも世話になっていた人だから。
お金は、私か助けたことがある人だから、尚更簡単に、「お金を貸して」なんて言えないですよ。
持っていなければ気を使うでしょう?

次の日に電話がありました。
「昨日のメッセージはどういうことだ?」
「ああ、そうだったのか?取りにお出でよ。」

食事まで奢ってくれました。
きっと昨日は持ち合わせが無くって、何とか作ってから私に電話をしたのでしょう。

いかがですか?ちょっとしたやり取りですが、おおよそ一事が万事、
こんな風にどちらにも逃げ道があります。
私の性格上、無理強いをしない事も有るでしょうけど...


 友達の友達は、やはり友達の友達であって、私の友達ではありません。

日本人の中にも居るでしょう? 「俺の友達を盗った」って言う人が。

私は、友達の友達を大事にしたい。友達の顔が立つように。

だから友達は皆、私に大切な友達を紹介してくれます。
それに友達は、私の別の友達と友達になりたいと思います。

そして私にとって、見えないあなたも大切で、私の大事な友達を紹介したいと思います。(自慢を含めて)

ところが「笑っていい友」の様には行きませんので、
この「フィリピンの顔」のブログに登場して頂いた人の記事の中にある言葉から次の記事を載せるようにしています。

本当は、友達やその友達、知り合いの知り合い、を毎日一人ずつご紹介しても、2,3年は更新できると思いますけど、
「年年歳歳花相似たり、歳々年々人同じからず。」なんて諺があったかな?
不変の花とは違って、生きている人は刻一刻変わっていますからね。
今日市長だった人が、明日はどちらに?。。。
自慢の人をご紹介したかったのに、もたもた更新していると、先日なくなっていたり。。。

まあ、色々有りますけど、なんとか「フィリピンの顔」を「笑っていい友」や「しりとり歌式」「枝分かれ式」につないで参ります。

「大統領府ブンニェさんの記事」→「ホセ・リサール」→「柔道」→「〇〇」→「〇〇」というように。



それでは、「大統領府ブンニェさん」の写真の後ろに掛けられていた絵、「ホセ・リサール」。

本文に入ります。

ホセ・リサール(Jose Rizal)1861~1896

ホセ・リサールは、フィリピンの独立運動家でした。1896年12月30日に、
スペイン政府軍によって大勢の民衆の目前で公開処刑されました。
36歳の若さで銃殺されました。


彼は、スペイン領であったフィリピンのラグーナ州カランバの中産階級の資産家であり革命家の息子として生まれた。
少年の頃、母親が冤罪により投獄された事を切っ掛けに、彼の特別な思想が生まれました。

アテネオ・デ・マニラ、サント・トマス大学に入学。

1882年ヨーロッパに留学、そこでフィリピン学生による「プロパガンダ運動」の中心メンバーとなりました。

1884年マドリード大学医学博士の学位を授与。

つづいてフランス、ドイツに学び、

1887年26歳、小説「われに触れるな(Nori me Tangere )」をベルリンで公刊。

その中で、フィリピンの保守的な政治・社会組織、自由主義に対する苛烈な弾圧、
および暴虐きわまる為政者の所業を鮮明に描写し、またこれに対して反発しえない
フィリピン人の無気力ぶりを慨嘆した。

1887年8月帰郷し、診療所を建てて診療にあたった。

しかし、彼の帰郷後まもなく「われに触れるな」に対する反響が激しくなり追放になった。

1888年2月香港に渡り、同月日本に渡来し4月まで滞在した。
日比谷公園に ホセ・リサールの記念碑が建てられています。

さらにアメリカを経由でイギリスに渡り、ロンドンの英国博物館に通って
モルガの「フィリピン誌」(1609)を熟読し、注を作ってパリに移ってから出版した。

1891年ベルギーで第二の小説「反逆(El Filibusterismo )」を出版。

この作品の中で彼の革新思想はますます円熟し、社会・政治状態の改革は、
たんに上層指導者が呼号するばかりでなく、下層も一般民衆もこれに応じて立ち上がらねば
とうてい達成はおぼつかない、と主張した。

「反逆」を刊行した後、、スペイン官憲のため故郷カランバを追放され、
逼迫している家族を助けようと決心して香港に渡り、そこで病院を開いた。
そこで約2年間(1891~92)家族とともに幸福な生活を送った。

1892年ボルネオを訪れ、この島をカランバからのフィリピン移民の植民地にしようとしたが、

スペイン官憲の妨害にあって立ち消えになった。

1892年7月、「フィリピン同盟」を結成した。

彼の意図は、フィリピン人を協調提携させ、学術・技芸の向上をはかり、
産業・貿易の利益を促進させること以外何もなかったが、

スペイン官憲はこれをスペイン本国とフィリピンを分離させようとする陰謀を企てた疑いがあるとして、
数日後捕縛してミンダナオ島のダピタンに追放した。

彼の流刑のため、改革運動は停頓状態に陥ったが、これが機縁になって、
急進的なカティプナン党が結成された。

彼は4年間の流刑中、医者として、農夫として、商人として送り、
また子供たちのための学校を経営したり、町のために美しい広場を設けたり、水道を作ったりした。

1896年7月、流刑生活が終え、マニラに戻ったとき、
        カティプナン党の反乱が起こりました。

総督は彼をスペイン本国に送り陸相あてに今回の事件と彼が無関係であることを
保証する手紙をつけたのであったが、スペイン到着と同時に逮捕され、マニラに送還されて、

大勢の群衆が見守る中1896年12月30日銃殺された。

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いくつかの記事やインターネットから情報を得たのを簡単にまとめてみました、

「ブンニェさん」の記事を書いている時から、ホセ・リサールのことを書きたくて調べていたので、
コピーしていた情報が、どなたのウェブ記事か判らなくなりました。

ホセ・リサールの顔写真は、ウィキからです。

YouTubeを観てください。




映画「ホセ・リサール」のホセ役を演じているのは、フィリピンを代表する若手俳優、
「セサール・モンタノ」です。
バックの曲は、“BAYAN KO(わが祖国)”。古い歌ですが「フレディ・アギラ」が歌っています。
どちらも近い内にご紹介します。



これ、是非観てください。



『「ホセ・リサール」を語らずに、フィリピンを語るな。』
と言われます。

私のブログは私の「観」であって、正しい「参考」にはならないと思います。
でも、ここまで来て下さって、本当に
ありがとうございます

フィリピンを代表する『英雄 ホセ・リサール』
まだまだお話ししたい事がたくさんあります。

その2も是非お立ち寄りください。



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