前記事でお話しました柔道について書きたいのですが、
私は中学生の時のクラブ活動で3年間と、高校の教科で習っただけで、
柔道を語っても参考にもなりませんが、思い出せば懐かしくなります。
私の若いときに流行っていたスポーツドラマ、「姿三四郎」「柔道一直線」少し後に「いなかっぺ大将」。
本当に懐かしい。
柔道少年だった私は、あの近藤正臣みたいにピアノの鍵盤の上に立って足の指で曲が弾ける様に身体を軽くするトレーニングをしたり、大ちゃんがやったように猫の宙返りを研究したり。
そうそう、少し話が反れますが中学の時に事故に遭ったんですよ。
自転車で国道を半ばまで渡ったときに遠くに見えていたバイクが115キロの速さで突っ込んで来て、跳ね飛ばされました。
その時、国道の向かい側に5メートルほど高い土手があったんですが、その土手の上でバレーボールをして遊んでいた子供たちが、大きなバイクがぶつかる音と同時に私が跳ね上がって落ちたのを見た。と聞きました。
国道の真ん中に瞬間的に叩き落された自分の頭の上を、天使の頭の上にある輪っかの様に光がぐるぐる回っていたのを今でも覚えています。
後ろから抱えて起こされました。
「大丈夫か?歩けるか?」「あ、歩けます...」
二、三歩ほど歩いたのですが何かおかしい...
右足首の少し上から直角に折れ曲がってました。
「足が折れてる!足が折れてる!」 「そうか?!!」
後ろから支えている人が担いでくれたのですけど、今度は足を踏みつけたまま抱えて捏ねるので、とうとう右足は複雑骨折になってしまいました。
大神さんと言われる人が通りかかって車に載せてくれて、夕暮れの町をずっとクラクションを鳴らしながら何箇所かの病院を今で言うたらい回しにされながら、しかもクラクションが煩いと他の車に怒鳴られながら運んでくれました。
私は意識朦朧とする中を、言われたように「1、2、3、4...」と声に出して数を数えながら車の後ろ座席に転がっていました。頭から大量の血を流しながら...
後頭部を7針、足を2ケ所で11針縫い、複雑骨折の骨は6ヶ月間牽引する羽目になりました。
病院で気が付いたのですが、右腕がひどく赤く腫れて傷ついていました。
うっすらと記憶にありました。
事故のとき、国道に叩きつけられた瞬間、柔道の受身をしていたのです。
そして足の折れた部分が外に骨が少し出ているので、柔道で大外刈りや体落しをする時に、相手の足に私の足のこぶが引っ掛かって、うまい具合に“やまあらし”見たいな事が出来る様になっていました。(右足が折れて鍵のように少し曲がっていて“やまあらし”と言う業を開発したのは、加納先生の弟子の西郷四郎と言う人で、三四郎のモデルになった人です。いずれにしろ、このブログは参考資料にしないで下さいね。)
そんな訳で柔道少年は、この事故以来、人生が変わりました。
老後はもう一度柔道をやって、今度は“空気投げ”を身に付けるぞ。
やっぱりあの事故で、相当ひどく頭を打ったモンなあ…
はい。「ホセ・リサールと柔道」でしたっけ、今日のテーマ?
「柔道と私」に替えようかな?
本題に入ります。
まず柔道と講道館の創始者は、嘉納治五郎です。
次に、リサールが嘉納治五郎と接点を持った可能性があるか見てください。
◎嘉納 治五郎(かのう じごろう) 1860年~1938年(昭和13年)
1881年(明治14年)「柔道」を作る。
1882年(明治15年)講道館を設立。
◎ホセ・リサール(Jose Rizal) 1861年~1896年
1888年 2月に日本に渡来し4月まで滞在。
リサールは、嘉納治五郎とほぼ同い年で、日本に行った時には、嘉納治五郎の柔道は7年前に完成されていました。
赤字の部分は
ウィキから抜粋しました。(参考にして下さい。エヘン)
直接二人が出会ったかどうかは、資料が見当たりません。
ただ、スポーツマンであり、日本贔屓(日本びいき)のリサールが、柔道を習って帰った事は間違いないでしょう。
英雄リサールが、加納先生から柔道を習ったのだと思う事は、私のロマンです。
先月、「柔道」をインターネットで検索していたら、ハイロさんや私が載っているホームページを見つけましたので是非皆さんに見て頂きたいと思ってリンクしました。
西日本柔道実業連盟 です。
↑ ↑ ↑
どちらかをクリックして下さい。
↓ ↓ ↓
http://www.westjudo.jp/info/0501.html
これには、こう書かれています。
山本裕洋副理事長兼審判委員長と田中裕二広報委員長を同国に派遣し、フィリピン・アマチュア柔道協会(PAJA、レオナルド・H・ハイロ会長=アジア柔道連盟副会長、フィリピン・オリンピック委員会筆頭副会長)と打合せ及び国内大会視察。
ページの中にある写真を3枚抜き出してみました。
この写真は、ハイロさんと日本に行った時に、大阪で西日本柔道実業連盟の米澤会長ほか、主立った先生方との会議を済ませた後の打ち上げ会の様子です。
2枚目は、左が米澤会長。右がハイロ会長です。
これ、右端が私ですが、2番目の田中裕二広報委員長と左端の山本裕洋副理事長兼審判委員長をマニラ空港でお迎えした時の写真。
右から3番目がハイロ会長です。
*********
さて、下の写真は、その先生方を歓迎して、フィリピンからスポーツ振興の理事をしておられる、JOSE MIGUEL ARROYO (ホセ・ミゲル・アロヨ、ファーストジェントルマン【アロヨ大統領の夫】)から祝辞を頂き、歓迎会と、柔道着や道場畳の贈呈式がマニラ・センチュリー・ホテルで盛大に行われた時の新聞記事です。
少し見難い新聞記事ですが、実はカメラマンが私のスタッフなので、オリジナル写真は私か持っていました。
右端の黒い服で座っておられるのが大統領の旦那(マイク・アロヨ)さん、左から2番目ハイロさん。中央に黒い背広姿で横を向いて
マイク・アロヨ氏とお話をしているのが、米澤三郎会長です。
後ろに立っている黒い服、私とコマンダー・ジュンです。
(そういえば今日、7月11日はコマンダーの誕生日でしたね。)
西日本柔道実業連盟の、米澤三郎名誉会長は、一昨年お亡くなりになりました。
フィリピンでも大阪でもお世話になりました。ご冥福をお祈りいたします。
と共に、感謝と尊敬の意味も含めて、ご一緒の写真を掲載させて頂きました。
西日本実業柔道連盟 理事長 米田圭佑 氏より、
追悼のお言葉 故米澤三郎名誉会長の御霊に捧ぐ
フィリピン柔道青年部です。
こちらは少年部。
下の動画、ホンの一瞬ですが見てください。
日本大使館の谷口さんが流暢なタガログ語で少年柔道家たちに大会の説明をしているところです。
この写真は、真ん中にハイロさん。
その左右の5人の日本人は、派遣されて来られた柔道の先生方。
ハイロさんの後列の二人は、私とフィリップさん。PAJAのメンバーです。
最後列の二人は私のセキュリティ、ボディガードさん達です。
*私が危険な人間だからじゃなくて、ハイロさんが重要人物なので、私に護衛が付いてるだけです。
写真をクリックしてください。拡大します。
*********
最後に、昔の柔道少年に聴いて頂きたい曲があります。
YouTubeからです。
*********
長い長い、資料にも何にもならない私のブログに
最後までお付き合い頂き、有り難う御座いました。
本日を持ちましてこのブログ、「フィリピンの顔」は、
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一生懸命頑張りま~す
私は中学生の時のクラブ活動で3年間と、高校の教科で習っただけで、
柔道を語っても参考にもなりませんが、思い出せば懐かしくなります。
私の若いときに流行っていたスポーツドラマ、「姿三四郎」「柔道一直線」少し後に「いなかっぺ大将」。
本当に懐かしい。
柔道少年だった私は、あの近藤正臣みたいにピアノの鍵盤の上に立って足の指で曲が弾ける様に身体を軽くするトレーニングをしたり、大ちゃんがやったように猫の宙返りを研究したり。
そうそう、少し話が反れますが中学の時に事故に遭ったんですよ。
自転車で国道を半ばまで渡ったときに遠くに見えていたバイクが115キロの速さで突っ込んで来て、跳ね飛ばされました。
その時、国道の向かい側に5メートルほど高い土手があったんですが、その土手の上でバレーボールをして遊んでいた子供たちが、大きなバイクがぶつかる音と同時に私が跳ね上がって落ちたのを見た。と聞きました。
国道の真ん中に瞬間的に叩き落された自分の頭の上を、天使の頭の上にある輪っかの様に光がぐるぐる回っていたのを今でも覚えています。
後ろから抱えて起こされました。
「大丈夫か?歩けるか?」「あ、歩けます...」
二、三歩ほど歩いたのですが何かおかしい...
右足首の少し上から直角に折れ曲がってました。
「足が折れてる!足が折れてる!」 「そうか?!!」
後ろから支えている人が担いでくれたのですけど、今度は足を踏みつけたまま抱えて捏ねるので、とうとう右足は複雑骨折になってしまいました。
大神さんと言われる人が通りかかって車に載せてくれて、夕暮れの町をずっとクラクションを鳴らしながら何箇所かの病院を今で言うたらい回しにされながら、しかもクラクションが煩いと他の車に怒鳴られながら運んでくれました。
私は意識朦朧とする中を、言われたように「1、2、3、4...」と声に出して数を数えながら車の後ろ座席に転がっていました。頭から大量の血を流しながら...
後頭部を7針、足を2ケ所で11針縫い、複雑骨折の骨は6ヶ月間牽引する羽目になりました。
病院で気が付いたのですが、右腕がひどく赤く腫れて傷ついていました。
うっすらと記憶にありました。
事故のとき、国道に叩きつけられた瞬間、柔道の受身をしていたのです。
そして足の折れた部分が外に骨が少し出ているので、柔道で大外刈りや体落しをする時に、相手の足に私の足のこぶが引っ掛かって、うまい具合に“やまあらし”見たいな事が出来る様になっていました。(右足が折れて鍵のように少し曲がっていて“やまあらし”と言う業を開発したのは、加納先生の弟子の西郷四郎と言う人で、三四郎のモデルになった人です。いずれにしろ、このブログは参考資料にしないで下さいね。)
そんな訳で柔道少年は、この事故以来、人生が変わりました。
老後はもう一度柔道をやって、今度は“空気投げ”を身に付けるぞ。
やっぱりあの事故で、相当ひどく頭を打ったモンなあ…
はい。「ホセ・リサールと柔道」でしたっけ、今日のテーマ?
「柔道と私」に替えようかな?
本題に入ります。
まず柔道と講道館の創始者は、嘉納治五郎です。
次に、リサールが嘉納治五郎と接点を持った可能性があるか見てください。
◎嘉納 治五郎(かのう じごろう) 1860年~1938年(昭和13年)
1881年(明治14年)「柔道」を作る。
1882年(明治15年)講道館を設立。
◎ホセ・リサール(Jose Rizal) 1861年~1896年
1888年 2月に日本に渡来し4月まで滞在。
リサールは、嘉納治五郎とほぼ同い年で、日本に行った時には、嘉納治五郎の柔道は7年前に完成されていました。
赤字の部分は
ウィキから抜粋しました。(参考にして下さい。エヘン)
直接二人が出会ったかどうかは、資料が見当たりません。
ただ、スポーツマンであり、日本贔屓(日本びいき)のリサールが、柔道を習って帰った事は間違いないでしょう。
英雄リサールが、加納先生から柔道を習ったのだと思う事は、私のロマンです。
先月、「柔道」をインターネットで検索していたら、ハイロさんや私が載っているホームページを見つけましたので是非皆さんに見て頂きたいと思ってリンクしました。
西日本柔道実業連盟 です。
↑ ↑ ↑
どちらかをクリックして下さい。
↓ ↓ ↓
http://www.westjudo.jp/info/0501.html
これには、こう書かれています。
山本裕洋副理事長兼審判委員長と田中裕二広報委員長を同国に派遣し、フィリピン・アマチュア柔道協会(PAJA、レオナルド・H・ハイロ会長=アジア柔道連盟副会長、フィリピン・オリンピック委員会筆頭副会長)と打合せ及び国内大会視察。
ページの中にある写真を3枚抜き出してみました。
この写真は、ハイロさんと日本に行った時に、大阪で西日本柔道実業連盟の米澤会長ほか、主立った先生方との会議を済ませた後の打ち上げ会の様子です。
2枚目は、左が米澤会長。右がハイロ会長です。
これ、右端が私ですが、2番目の田中裕二広報委員長と左端の山本裕洋副理事長兼審判委員長をマニラ空港でお迎えした時の写真。
右から3番目がハイロ会長です。
*********
さて、下の写真は、その先生方を歓迎して、フィリピンからスポーツ振興の理事をしておられる、JOSE MIGUEL ARROYO (ホセ・ミゲル・アロヨ、ファーストジェントルマン【アロヨ大統領の夫】)から祝辞を頂き、歓迎会と、柔道着や道場畳の贈呈式がマニラ・センチュリー・ホテルで盛大に行われた時の新聞記事です。
少し見難い新聞記事ですが、実はカメラマンが私のスタッフなので、オリジナル写真は私か持っていました。
右端の黒い服で座っておられるのが大統領の旦那(マイク・アロヨ)さん、左から2番目ハイロさん。中央に黒い背広姿で横を向いて
マイク・アロヨ氏とお話をしているのが、米澤三郎会長です。
後ろに立っている黒い服、私とコマンダー・ジュンです。
(そういえば今日、7月11日はコマンダーの誕生日でしたね。)
西日本柔道実業連盟の、米澤三郎名誉会長は、一昨年お亡くなりになりました。
フィリピンでも大阪でもお世話になりました。ご冥福をお祈りいたします。
と共に、感謝と尊敬の意味も含めて、ご一緒の写真を掲載させて頂きました。
西日本実業柔道連盟 理事長 米田圭佑 氏より、
追悼のお言葉 故米澤三郎名誉会長の御霊に捧ぐ
フィリピン柔道青年部です。
こちらは少年部。
下の動画、ホンの一瞬ですが見てください。
日本大使館の谷口さんが流暢なタガログ語で少年柔道家たちに大会の説明をしているところです。
この写真は、真ん中にハイロさん。
その左右の5人の日本人は、派遣されて来られた柔道の先生方。
ハイロさんの後列の二人は、私とフィリップさん。PAJAのメンバーです。
最後列の二人は私のセキュリティ、ボディガードさん達です。
*私が危険な人間だからじゃなくて、ハイロさんが重要人物なので、私に護衛が付いてるだけです。
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*********
最後に、昔の柔道少年に聴いて頂きたい曲があります。
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