日本ユーラシア協会広島支部のブログ

本支部は、日本ユーラシア地域(旧ソ連邦)諸国民の相互の理解と親善をはかり、世界平和に寄与することを目的とする。

ロシア語能力検定試験日程(2011年度前半)が決まりました

2011-02-21 08:29:37 | 日記
【ロシア語能力検定試験日程(2011年度前半)が決まりました。http://www.tokyorus.ac.jp/kentei/schedule.html】  
・広島会場は、会場未定です。決まり次第お知らせします。要項は広島支部にもあります。
問い合わせは 日本ユーラシア協会 広島支部
〒732-0021 広島県広島市東区中山新町2-10-14 黒川方
TEL.090-8242-7993 Fax.082-289-8788

第57回(5月29日開催3級4級)ロシア語能力検定試験日程(1級、2級、3級、4級は10月開催予定)
・4級2011年5月29日(日)
10:00~11:30 文法、露文和訳、和文露訳
11:30~ テクストの朗読(録音)
(録音は一人あたり10分です。各自の終了時間は会場により異なります。)
・3級2011年5月29日(日)
13:00~15:00 文法、露文和訳、和文露訳
15:00~15:15 聴取
15:20~ テクストの朗読(録音)
(録音は一人あたり10分です。各自の終了時間は会場により異なります。)
第57回(5月29日開催)の試験会場試験会場と試験申込地が異なる開催地がありますのでご注意ください。
この試験会場は第57回のみです。全級試験が行われる10月の第58回試験は会場が増える予定です。また、第58回では試験会場が変更になる開催地もありますので、ご注意ください。

開催地 (試験会場) 試験申込及び問い合わせ先
・新潟 (新潟県立大学)
(旧県立女子短期大学) 日本ユーラシア協会 新潟支部
〒950-2111 新潟県新潟市西区大学南1-405 宇田方
TEL.025-261-0971 Fax.025-261-0971
・東京 (東京ロシア語学院) 東京ロシア語学院
〒156-0052 東京都世田谷区経堂1-11-2
TEL.03-3425-4011 Fax.03-3425-4048
・横浜 (平和と労働会館3F) NPO法人 神奈川県日本ユーラシア協会
〒231-0062 神奈川県横浜市中区桜木町3-9 横浜平和と労働会館5F
TEL.045-201-3714 Fax.045-201-3714
・名古屋 (日本ユーラシア協会 愛知県連合会) 日本ユーラシア協会 愛知県連合会
〒461-0004 愛知県名古屋市東区葵1-22-26
TEL.052-526-1150 Fax.052-526-1150
・京都 (同志社大学今出川キャンパス)(予定) 日本ユーラシア協会京都府連合会
〒600-8006 京都府京都市中京区河原町通御池下ル東入ル下丸屋町417-3
TEL.075-231-2055 Fax.075-231-2055
・大阪 (新谷町第一ビル202号室) 日本ユーラシア協会 大阪府支部連合会
〒542-0021 大阪府大阪市中央区谷町7-3-4 新谷町第3ビル3F
TEL.06-6763-0877 Fax.06-6763-0878
・広島 (会場未定) 日本ユーラシア協会 広島支部
〒732-0021 広島県広島市東区中山新町2-10-14 黒川方
TEL.090-8242-7993 Fax.082-289-8788
・福岡 (日本ユーラシア協会福岡県連合会) 日本ユーラシア協会 福岡県連合会
〒810-0001 福岡県福岡市中央区天神4-1-18 サンビル5F
TEL.092-751-2776 Fax.092-751-2776



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上映会のご案内

2011-02-17 08:56:49 | 日記
2011/2/18(金)『弁護士 布施辰治』広島上映会のご案内
朝鮮独立運動を擁護し(義烈団事件、宮三面事件、朝鮮共産党事件等)、朝鮮民衆と共に生きた(関東大震災時の朝鮮人虐殺事件真相糾明活動)不屈の日本人弁護士。

朴烈(パク・ヨル)、金子文子大逆事件の大審院特別法廷の弁護人。

第三インター(コミンテルン)日本支部としての日本共産党への三・一五大弾圧事件(1,568名逮捕、484名起訴、1928年)、四・一六大弾圧事件(約400名逮捕、295名
起訴、1929年)の弁護人。その肉体的拷問は熾烈を極めた。

自らもが弾圧され、下獄と出獄をくり返す。息子をも獄死で失う。多くの者が転向する中、生涯を権力との闘いに捧げた。

彼は、社会主義者・共産主義者ではなかった。あえて言えば、”トルストイ主義者”であった。

この映画で布施の全体像が描ききれているわけではないが、むしろ世論に受け入れられやすい作品に仕上がっているが、その貴重な一面は伝えられるだろう。


布施辰治 生誕130年 ドキュメンタリー映画
『弁護士 布施辰治』
http://www.fuse-tatsuji.com/

●日 時:2月18日(金)
           1回目 10:00
           2回目 14:00
           3回目 18:30
●場 所:西区民文化センター(スタジオ)
●前売鑑賞券 大人1,000円(当日1,300円)
       大学生以下800円(当日のみ)
●主 催/『弁護士布施辰治』上映実行委員会
●事務局/広島映画センター TEL 082-293-1274

あらすじ

1910年日本帝国主義は、朝鮮併合を断行、「同化政策」を掲げ、農民から土地を奪い、故郷を捨てざるを得なかった朝鮮人労働者は炭鉱夫、紡績、造船、鋳物工場などで劣悪な条件で働かされていった。日露戦争勝利に味をしめた日本は、中国大陸へ侵略を進めていく。国内では、驚異的なインフレが進み、生活苦を理由とする自殺や捨て子、社会的犯罪、労働争議が多発、米よこせデモには1000万人以上が参加するなど、騒然としてきていた。

1880年(明治13年)宮城県石巻に生まれ、自由民権主義者の父親の影響を受け、権利と自由を建学の精神とする明治法律学校(現明治大学)に学んだ布施辰治は、1902年21歳で判検事試験に合格、宇都宮地裁検事代理として、法曹の道を踏み出した。足尾鉱毒事件での田中正造天皇直訴の翌年で社会は沸騰していた。10ヵ月後、布施は、検事の仕事とは虎や狼の行為だと「挂冠の辞」を残し、弁護士の道へ進む。その後、トルストイの日露非戦論に共鳴、そ
の人道主義に心酔、後に「弁護士活動を前進させ、社会運動の一兵卒となる」(自己革命の告白)を行い、弾圧と闘う弁護士活動を終生貫いていく。

1919年3月1日、朝鮮独立宣言書が発表され、大運動が起き、それにつれて弾圧も激しくなり、布施は、その弁護を引き受けつつ、朝鮮に渡り各地で朝鮮総督府政治への痛烈な批判を展開する。また、国民の政治参加の権利を実現するための普通選挙運動や、1921年造船所争議の大きな高揚の中、自由法曹団結成のために奮闘していく。

1923年9月1日の関東大震災下における朝鮮人たちの虐殺事件の真相を明らかにさせる闘い、借家人同盟結成への尽力、など精力的な活動を展開しつつ、1926年大逆罪をでっち上げられた朴列・金子文子の弁護に立つ。また、石巻小作争議にかかわり、小作人の耕作する権利を認める論陣をはり、さらには岩手県北上山地の入会地扮装の調停も行っていく。

こうした布施の活動に対して、権力の側からの攻撃も苛烈であった。治安維持法違反事件の弁護活動での言動を問題にした懲戒、布施の論文を問題視しての新聞紙法違反、そして弁護士資格の剥奪、治安維持法違反で投獄。父親を心配した息子杜生も学生運動を理由に検挙され、44年獄死。

戦後いち早く朝鮮建国憲法私稿作成の取り組みなど活動を開始した布施は、三鷹事件で弁護団長を務め、松川事件・メーデー事件弁護にも関与していく。そして、非業の死を遂げた息子杜生を重ねて若者たちの命を救うために全身を傾けていった。その生涯は、まさに「生きベくんば民衆とともに、死すべくんば民衆のために」を貫いた生涯であった

2004年新潟中越地震後のソウル、80年前、朝鮮大水害に、布施が行った日本募金活動の恩に報いようと募金活動をする人たちの姿が全国ネットで放映された。その後、韓国政府は独立に寄与した愛国の士に贈られる「建国勲章」を布施に贈る。

虐げられる者、弱者の立場に身を置き、人間としての権利と尊厳を守るために民衆とともに戦い続けた弁護士・布施辰治が、今生きるとは何かを私たちに語りかける。「世の中に一人だって見殺しにされていい人類がないと同時に、正しい文化には一人だって置き去りにされていい人類がないのだ」

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新規投稿

2011-02-16 08:32:32 | 日記
携帯電話を使っての投稿が可能となりました。(mailにて)情報をお寄せください。
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シベリア抑留者への首相よりの「感謝状」

2011-02-15 09:59:33 | 日記
【シベリア抑留者への首相よりの「感謝状」(資料提供は内海愛子さんより)】
ご主人はハバロフクのさらに北、ボストーチニーに抑留されていたそうで、ロシア人に結構、よくしてもらって悪い印象はないそうです。

内海一久 殿

戦後酷寒の地において長期間
にわたって劣悪な環境の下で
強制抑留され過酷な強制労働 
に従事し多大の苦難を強いら
れた御苦労に対し政府として
衷心から慰藉の念を表します

平成二十二年十二月

内閣総理大臣
菅 直人

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支部ニュース 2011年2月号

2011-02-15 08:49:39 | 日記
                           2011年2月14日
【ミニコンサート】3月12日(土)19時開場 20時公演開始
ウクライナ出身のアーチスト、ナターシャさんとエナさんによるミニコンサート 
「kyoukaisen 境界線」
会場 中区薬研堀2-13 LIVECAFE jive 082-246-2949
チケット  前売り券2500円  当日券3000円 
発売場所  サンモール広島(紙屋町) 3階 ロキア 082-246-1555

【第9回 日ロフォーラム ウラジオストク報告 (第2回)】
日ロフォーラム ウラジオストク 新しい歩み、絆をつくる     
日本ユーラシア協会広島県連理事長 伊原敏子
「日本海を平和な海に、未来世代への尊き遺産ー平和と共生」のテーマを掲げた第9回日ロフォーラムと「鎮魂と平和・友好の碑」建立15周年記念集会が9月20日、21日、ウラジオストク市で開催されました。このフォーラムは、沿海州対日友好協会(ワレンチ・ブーラヤ会長)ロ日協会(モスクワのイーゴリ・ロマネンコ会長)と日本ユーラシア協会の共同開催です。
 フォーラム第1日目はウラジオストク市中心にあるアルセーニェフ博物館のホールで幕を開けました。日本側を代表して竹田会長は、「両協会がめざすユーラシア諸国民との草の根の友好交流による、平和・人権・民主主義を守る崇高な国際ボランティア活動はますます重要であり、第二次大戦でシベリアで亡くなった日ロ両国民の慰霊と、日本海を平和と友好、共生の海にという尊い価値の大きさを次世代へ確実にゆずり渡す目的のために、この第9回日ロフォーラムを成功させよう」と開会挨拶をしました。(承前)
[フォーラムと日本文化紹介]続いて、日本側から池田均副会長、高杉邑彦立命館大学平和ミュージアム館長と私。ロシア側からも3名の発言を行いました。私は「核兵器のない世界づくりを次世代に継ぐために」のテーマで、日本ユーラシア協会が憲法9条を15ヶ国語訳したパンフを、広島・長崎の被爆写真、国際署名を15の独立国に送付し、各国の取り組み状況、昨年の5月のNPT再検討会議へ向けての、日本の大きな取り組み、その後の核廃絶の国際署名を呼びかけました。
「アンゼランスの鐘」虫プロ制作アニメ映画、長崎の原爆を扱った「アンゼランスの鐘」はロシア語字幕つきのロシアで初上映でしたが、「涙が止まらなかった。平和の喜び、幸せについて考える機会をありがとう。」「より多くの人に見せたい。」などなど多数の感想文からも大きな感動と原爆反対の思いを伝えるものとなり上映は成功でした。フォーラムに参加していた沿海州社会団体会長から、この映画を映画祭に出したいとの希望が伝えられました。
[記念植樹と慰霊祭]第2日目のフォーラムは国立海洋大学で行われ、日本側5名、ロシア
側7名、いずれもすばらしい発言でした。「鎮魂と平和・友好の記念碑」建立15周年記念集会は記念碑がAPEC(2012年)の準備のため移設し、記念碑前では不可能でしたが、21日午後国立海洋大学構内の「平和の並木道」で行われました。全国の協会会員から贈られた5000羽の折り鶴を木々に飾り、ろうそくを灯し、線香を手向け、参加者によってシモツゲの苗木を記念に植樹し、「ふるさと」の歌を合唱しました。折り鶴3000羽は呉市の松前涼子さんの見事な作品で、のちにアルセーニェフ博物館と専門学校に寄贈しました。この記念祭には、同校の生徒、韓国、中国の留学生も多数参加し感動的な慰霊祭となりました。海洋大学は9月21日国連の「平和の日」にちなんで「平和の並木道」」をつくり、石碑を立て、平和への誓いを確認しあいました。
[日本総領事館、沿海州ロ日協会と懇談]22日午前はドゥビューリ専門学校を訪問。150名の小・中・高生、教師と日本文化の交流を、20名の生徒にお抹茶の体験。広島の川通り餅とお抹茶を「オーチン、フクースナ」(大変おいしい)と喜んで飲んでいました。時間が限られていたので、話を交わすことが出来なかったのが残念でした。午後、金閣湾クルーズ(20名)、あとの10名は日本総領事館を訪問、長谷川朋範主席領事と懇談しました。ウラジオストク市民は、領事館の日本文化行事にもたくさん参加する、親日的な市であることも伺いました。協会からは、第9回日ロフォーラムの歴史と内容、碑の建立、今後の復元、日ロ平和条約締結促進の協会の取り組みや、核兵器廃絶署名、広島・長崎原爆写真展、博物館交流など協会活動と今後への要望を伝えました。(私もその一人として)そのあと、日ロ協会会長の招きで、アルセーニェフの晩年住居の博物館見学、会議室で手作り料理の歓迎懇親会が1時間余り続き、両国の歌を歌ったり、お土産を交換したりしました。この協会はモスクワから自立的に発展し、若い女性が多く、日本語を話す会員など120名が参加しているそうです。
[地元のテレビ新聞が伝える大きな反響] ウラジオストク地元のテレビ・
ラジオ局は、このフォーラムの会場の討議と、「鎮魂と平和・友好の碑」建立15周年記念集会の模様をニュースとして、3日放送、新聞も報道しました。特にテレビニュースを見た市民からの反響が大きく65万人の市民にかなり広がりました。また、両協会の障害児交流を知り、ハバロフスク市から障害者団体代表が松葉杖をついて参加したのも感動的でした。
[付記]沿海州対日友好協会会長ブーラヤ・ワレンチナさんの発言より(概略)
92年にウラジオストク市の閉鎖指定が解除され、94年ロ日協会が設立、15年を迎えた。この数年間に私たちの協会には若い人や、海洋大学、国立総合大学など有名大学の教員、記念館の職員などが加わり、会員は地元のマスコミを使って、積極的に、日本の憲法9条の中身を宣伝している。住民に憲法9条の内容を広く知らせるために円卓会議を開き、その場で全国紙と地方紙に日本の憲法9条を掲載することを決定した。例えば2005年には9条と「京都議定書の必要性について」の記事を。太平洋戦争終結を記念して「平和と友好」の石碑を日本ユーラシア協会と合同で建立し、市役所にさまざまな平和の記念碑をきちんと守ってもらうためと平和構築のシンボルとするために、記事を掲載し、平和共存と平和を呼びかけるお手本として日本国憲法9条を引用した。農村部の人たちにも憲法9条を知らせることが重要であり、その取り組みにも憲法を引用。私たちは活動を通じて、すべての人たちに「平和は何より尊いもの」と訴え、民間外交を通して「21世紀の平和と非暴力の文化」というスローガンに書かれたマニュフェストの原則を普及しようと試みている。多くの人たちは日本国憲法に「国の交戦権は、これを認めない」と戦争放棄をうたった9条という条文を知らないからー。私たちのこの交流は両国の友好関係が双方に利益をもたらすこと、平和を守るために協力関係を強めて行きたいという心からの願いを証明している。私はブラヤ会長に2008年東京で日ロ女性の懇談会の時会い、広島から送った原爆写真の礼を言われ、憲法9条のパンフを学校の授業で扱ったことを聞き感動し、私が着けていた9条ブローチをブラヤさんの胸に着けてあげ、固い握手を交わしたのです。このブローチは、呉市の胡谷孝美さんの作で銀製です。

【書籍紹介:トルストイ家の箱舟(デイヴィス・ふみ子著群像社刊】昨年公開された映画「終着駅―トルストイ最後の旅」の原作とは、また異なった視点を与えてくれる秀作。最近ロシア語訳本が出版されました。[写真参照]

【2011年度ロシア語能力検定試験(前半)日程】4級3級検定は5月29日(日)に
実施の予定です。
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